「同情しないでね」

 

「私さ、昔父さんに殺されかけたことがあるんだ」


 なんてこともないように語る。私にとってはもう過去のことだから、物語のように語るしかできない。「いただきます」とカレーをスプーンですくう。アーサー君は目を丸くしていた。それもそうだ。こんなにのほほんとした人間が父親に殺されかけたことがあるなんて思いもしなかったんだろう。


「だから、実家に帰らないのか?」

「いやそれはまた違う理由」

「そうか」

「私を殺しかけたお父さんとは別れてるから、安心して」


 小学校に入る前くらいから、父は私をぶつようになった。理由は忘れた。ただ殴られて痛いとか、殺されるかもしれなくて怖いとか、そんな感情しか父には抱いてなかったと思う。

 母は別れるに別れられなかった。単純な話お金がなかったからだ。娘のために別れられないなんて、と思うかもしれないけど、別れて生活できるような世間ではないっていう現実もあるのだから仕方ない。私一人だったらともかく、双子の弟もいたし。

 やっと母が別れられたのは、私が小学6年生になったころ。父が虐待してた証拠もあったことから、慰謝料を払うことが義務付けられた。まぁ父が払えなくても父方の祖父母が払い続けてたと思う。


 私の苗字は飯田から永井になった。


 それから3年して、双子が時期に中学生になることからこのままではいけないと母は再婚をした。私は今の人吉になった。


「お母さんは、お前の為には何もしない人だった?」

「うーん、別に何かしてほしいとも思ってなかったからね。そういえばお父さんに殺されそうになった時も叫んだだけで、助けは求めてなかったかも?」


 私が生に対する意識が低い理由。

 私が死ぬのが怖くない理由。

 私が恐怖しない理由。


 それは総じて「実のお父さんに殺されかけたことよりも怖いことはない」と言う考えが根幹にあるのだ。


「お前……」


 カレーを食べ終えて「ご馳走様でした」と告げて、水を一口。

 カレーがからかったことと、長い物語を語り終えたからか喉が乾いていた。アーサー君が思い詰めたような声を絞り出す。同情してくれているのかな。


「同情しないでね。そういうことがあったから、今の私居るんだし」


 痛みを知っているから、人に痛みを味あわせたくないと思える。

 孤独を知っているから、他人を一人にしないでおこうと思える。

 そう考えられる自分になったのは、あの過去があったから。


「本当に、お前は凄いな」

「だから吸血鬼よりは凄くないってば」


 こんな人間は世の中に多分何人もいて、私は両親に捨てられたり、家族ばらばらになったわけでもない。母親に愛情を向けられなかったわけでもないし。再婚相手もすぐ見つかって、おまけにいい人。妹もできた。私の人生はまだ幸せな方だ。


 そのおかげでアーサー君のおいしいご飯が今食べられているわけで。


「……と、考えるともうちょっとだけ堕落しててもいいかなぁ」

「何を考えたんだ?」

「んー? アーサー君と一緒に居られて幸せだなって考えた」

「お……」


 「お」?

 アーサー君がなんか唸ってる。それから頭を抱えている。どうした何があった。


「男にそういうことを気安く言うな」


 何かアーサー君の顔が若干赤い気がする。


「どうしたのアーサー君。ゆでだこみたいだよ」

「煩い」


 ちょっと顔の赤いアーサー君をからかってたら、血を吸われました。しかもギリギリ貧血で次の日困るくらいの量を。


「アーサー君!」

「煩い、お前なんかしばらく休んでろ」


 明日もバイトだから無理です! 

 力強く主張すると、アーサー君に少し痛いデコピンを食らわされました。

痛い。

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