Side:A 人吉みな美は、人がよすぎる

 目が覚める。電灯がついていない天井が目に入るはずが、今日に限って入ってこない。一体何故、部屋が変わった訳ではないはずなのに、目覚めていつもと景色が違うのはどういうことだ。

 謎を突き止めようと、上半身を起こす。

 パサリ、と腹部に何かが落ちる音がして、目に入ったのはいつものみな美の部屋だった。


「あー、またやった」


 どうやら寝転がった状態でペーパーバックの洋書を読んでいたらしい。

 そして、目が疲れてきた頃本を顔の上に載せて寝たということだった。

 これがペーパーバックだったからいいが、みな美の気に入っている漫画本で、しかもページが折れていたりしたならば、みな美は怒って口をきいてくれない。


「さて、時間は」


 壁にかかった時計(アニメの男キャラクターがこっちを見て笑っている)20時34分。みな美がバイトから帰ってくるまで残り三時間弱といったところだ。今日は23時上がりだと聞いている。

 ペーパーバックにその辺に転がっていたレシートを挟んで栞の代わりにする。テーブルに置いて、まずノートパソコンを立ち上げた。

 みな美との連絡はLINEで取っていた。IDもパスワードもわざわざ彼女が作ったもので、「別にログアウトはしないから。使いたい時に使って」というのは彼女の弁。彼女の言う「使いたい時」には俺が彼女の元から離れた時も含まれている。『今日はシチューがいいです!』などとLINEが飛んできている以上は、ここから離れるわけにもいかないのだが。

 決して既読はつかないとわかっていながら、『了解』とだけ返信を打つ。

 冷蔵庫を開ける。シチューを作れるだけの材料は十分にあったから、買い出しはしなくていいようだ。


 買い物、洗濯は彼女の仕事。掃除、炊事は俺の仕事。

 この生活が始まって一か月、その役割分担が板についてきた。最初は「洗濯も俺がする」と言ったのだが、「女子の下着洗いたいの? アーサー君って変態さん?」と言われてしまえば、返す言葉もない。干されているものを見られるのは問題ないのか、と尋ねたところ「目につかないようにする労力の方がもったいない」とのことだった。恥ずかしがるところがよくわからない。だったら洗っても問題はないと思うのだが、夜に洗濯機を回すことが、近所迷惑というものになるのだから日中動ける彼女が洗濯をするのが一番合理的なのだろう。


 部屋に響くのは、俺がまな板の上で野菜を切っている音だけだった。

 空しいのでパソコンで音楽をかけることにする。

 最近は本当に便利になった。レコードも蓄音機も、CDもCDラジカセも何もなくてもパソコンで音楽をかけられるのだから、200年以上生きてみるものだ。


 動画サイトで検索をかける。


 基本的に動画サイトは彼女が使うので、おすすめ動画が横に並ぶ。

 見事に男と男がキスをしている画像のものばかりなのは、一か月の慣れから気にしなくなっていた。

 そこを気にしてはみな美と共同生活はやっていけない。


「気持ち悪くないの?」


 あまりにあっさりとした反応だったらしい。

 みな美の趣味を知ったとき、そう尋ねられたことがある。

 返した言葉は「別に」だ。

 彼女がゲイしか出てこない漫画や小説を読んでいようが、いなかろうが、彼女は変わっていないと思うし、そのすべてが彼女ではない。彼女が放っておけないという事実が俺にとっては重要なのだ。


 人吉みな美という人間は、人がよすぎる。

 人間は苗字はその人物にあったものを付けるのか名乗るのだったか、なんて思うほどに。お人よしだ。見ず知らずの人間を助けるだけではない。吸血鬼だと知っても、自分の命を奪われるかもしれないと思っても、彼女は助けた。その上「側にいていい」というような人間を「お人よし」と言わずになんと言おう。


 今アルバイトをしている理由だってそうだ。

 みな美の年齢だったら「就職」をしているのが普通なのだそうだ。アルバイトではなくて、ちゃんとした固定額をもらって家族なんかに心配をかけないようにするのが「普通」ならしい。

 みな美が「就職」をしなかった理由は「今のバイト先が放っておけなかったから」だ。去年の夏、みな美が就職するための活動をしている最中に、みな美のバイト先は人手が減っていった。同時に客も離れていったのだが、それでも一定数は客が入っている。みな美が抜けると相当の痛手を負うと予想できるくらいには切羽詰まっていたらしい。彼女は放っておけなくなって、今のバイト先で働き続けることに決めた。

 それがみな美の肩が凝り固まっている原因なのでもあるのだろうに。それでも彼女はバイトへ行く。


 そんな彼女を、どうして放っておけようか。


 自分が血を吸われて死ぬかもしれないのに俺を助け、

「普通」から逸脱することはわかっているのにアルバイト先を助け、

 見返りも何も求めない。


 そんな彼女に何かを返せたと思えるようになるまで、俺はここにいようと思う。

 どうやら彼女は、俺を必要な存在だと思ってくれているようだから。

 

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