第15話 秘めたる思い

「ハァ……ハァ……」

 一歩、また一歩進む。その度に体の内側から侵食されていくような感覚が襲う。

 私が歩く道は広場から国の中心部へと繋がっている。このまま進めば、民が大勢いる市街地へと足を踏み入れるだろう。そうなれば、もはや自分自身どのような行動に出るか分からない。


 立ち止まろうと踏みしめた地面に亀裂が走る。自分を抑えようと力を込めるほど、得体のしれない別の力が全身を満たしていく。自分が、自分じゃ無くなっていく。

 ……いや、違う。これは私だ。この溢れ出す感情は、私がずっと抑えていた物だ。胸の中で燻り、この身を焦がさんとするこの思いこそが、自分の本質なんだ。

  だが、この内に秘めた物が本当の私だとしたら、今までの私はなんだったんだろう。アルバートが、民が笑いかけてくれた私は一体……。


「シャルロッテ!」

 聞きなれた声が響く。顔を上げると、そこにはアルバートと、見慣れない人達が立っていた。

 そうか、連れてきてくれたんだ。

 その時、頭の中野すべての考えが吹き飛び、最後のタガがはずれたのを感じた。

 もう、抑えなくていいんだ。

 溢れんばかりの喜びが私を満たした。



「あれが、シャルロッテ……」

 市街地と西の広場をつなぐ道。そこに王女……シャルロッテはいた。よたよたと下を向きながら歩いていた彼女は、アルバートの呼びかけに顔を上げ、金色の瞳でこちらを見返す。眼と同じ金色の長い髪は汗で乱れ、フリルのあしらわれたドレスは土と砂でドロドロに汚れていた。

「アル、バート……その人たちは……」

 シャルロッテは苦し気に呻きながら俺達を見る。

「正気なのか、シャルロッテ……いや、シャルロ」

 アルバートが一歩前に出る。


「連れてきたんだ、君を助けられる人達を。彼らなら大丈夫。君の中に入った物体も取り出せる。だから安心して、ゆっくりこっちに来るんだ」

 彼女を安心させようとアルバートは嘘も交え言葉を並べる。シャルロッテはもう一度下を向いた。

「ああ、よかった……これでもう……」

「ああ、もう大丈夫だ。さあ、こっちに」

「もう、我慢しなくていいんですね」

「え?」

 アルバートが戸惑った声を出す。


 シャルロッテの肩が震える。泣いている……違う、笑っていた。

「ありがとう、私の言う通りにしてくれて……だけどごめんなさい。もうわたしを止める必要はないの。だって」

 シャルロッテは顔を上げ、笑みを浮かべる。瞳の白目だった部分は、不気味な輝きを放つ黒に変わっていた。

「アルバート、構えて」

 俺はアルバートに警告し、剣を抜く。グレインとロロも左右に分かれて警戒する。


「……だって、あなた達なら、思う存分力をふるえるんでしょ!」

 その瞬間、シャルロッテが地面を蹴り、すさまじい速度で俺に向かってきた。顔面に突き出された拳を横に転がり避ける。頬が風圧で切り裂かれる。

「こいつ!」

 ロロが足元に向けて矢を放つ。シャルロッテはそれを信じられない跳躍力で上に避ける。空中のシャルロッテにグレインが魔弾を放つが、素手で弾かれる。

「あははっ!」

 シャルロッテは笑いながら空中で身を捻ると、拳を構えた状態で頭から落下してくる。その先にはアルバート。

「くっ!」

 アルバートは咄嗟に身を転がす。シャルロッテの拳が地面に突き刺さり、地響きと共にその場に大きなクレーターを作る。


「あら、アルバート。あなたも結構やるのね」

 シャルロッテは地面にめり込んだ拳を引き抜き土を払いながらそう言った。

「やめろシャルロ!正気に戻ってくれ!」

 アルバートは必至に呼びかけるが、シャルロッテはただ歪んだ笑みを浮かべる。

「正気? わたしは正気です。ただ、もう自分を偽るのはやめただけ」

「何を……」


「私、戦いというものにずっと憧れていたの」

 シャルロッテは拳を開き、手のひらを見つめる。

「人と人が自らの信念をかけてぶつかる、なんて素敵なのかしら。わたしもいつか心躍る戦いをしたいと感じていました……だけど、この国は平和で、争いとは無縁な場所です。それに私も、民を傷つく姿は見たくありません。だから忘れようとしました。これはいけない願いなのだと。でも」

 シャルロッテ再び拳を握り締める。その目に狂気の輝きを宿して。


「あの『何かが』わたしの体に入った時、そんな考えは余計なのだと分かりました。ただ私の思うようにすればいい。ただ感情のままに動けばいいと。だから、強い人を求めました。わたしのこの力と、対等に戦える人を」

「そんな……じゃあ最初から、君は彼らと戦う気で私に……」

「半分は、ですね。あの時のわたしはまだ自分を抑えれていましたから」

 シャルロッテは笑う。そこには僅かばかりの自嘲が含まれていた。だがそれもすぐに消えた。

「だからさあ、戦いましょう。わたしとあなたたち、どちらかが倒れる……ううん、死ぬまでね!」

 彼女は再びこぶしを構え、俺達に向き直る。


「アルヴァ、どうする。ありゃ中のモノ取り出せても治るか分かんねえぞ」

 グレインが横目で俺を見る。俺はアルバートへと視線を移す。

「アルバートは、どうしたい。あなたの判断に従う」

 アルバートは俯き、一瞬黙りこむ。

「私は……」

 やがて顔を上げた。そこに先ほどまでの迷いは無く、目には決意が宿っていた。

「それでも、彼女を助けたい。以前の優しかった彼女が、嘘だとは思えない。私は彼女を、シャルロを取り戻したい」


「決まりだ、グレイン、ロロ。生かして捕えよう」

 俺は頷き、二人に呼びかける。

「へいへい。ま、なんとなくそうなるとは思ってたけどよ」

「だったらいちいち言うな。話が長引く」

「うっせえ。こういうのは確認しとくもんなんだよ」

 グレインとロロが軽口を叩きあう。そのやり取りにどこか安心感を覚える。


「何を話してるか知らないけど、ようは戦ってくれるのかしら!」

 シャルロッテが飛び上がり、斜め下に拳を振り下ろしてくる。俺達は四方に散ってそれを避ける。

「だがどうやって捕まえる?力づくじゃ無理だぞこれ」

「私に考えがある」

 ロロが弓を構えながら言った


「私の《付与》でシャルロッテの動きを封じる。だが今の状態じゃこちらの攻撃はまず届かない。だからなんとか隙を作ってくれ」

「なら俺が行く。アルバートもいけるか?」

 アルバートは無言で頷く。

「グレインはロロの援護をしてくれ。万一彼女がやられたら他に手が無くなる」

「あいよ」

 グレインがロロの近くに移動する。それを確認し、俺とアルバートはシャルロッテを見据え、剣を構える。


「二人で相手してくれるのかしら?」

 シャルロッテは心底楽しそう腕を振る。

「シャルロ、今の君は操られているだけだ。私が助ける」

 アルバートが決断的に彼女を見据える。


「しつこいわね。まあ、好きにすればいいわ……私は本気で行きますけど!」

 シャルロッテが短い突きを連続で放つ。砲弾並の速度で放たれる拳を間一髪で躱していく。じれたシャルロッテがひと際大きく振りかぶったその隙に懐に潜り込み彼女にタックルをしかける。

「うぐっ!」

シャルロッテが背中から転倒し隙を晒す。ロロがすかさず弓矢を放つ。


「こんのっ!」

 だがシャルロッテは転倒姿勢から地面に拳を打ち付ける。その瞬間土砂が舞い上がり、矢が土の壁に阻まれ地に落ちる。近くにいた俺は衝撃波で吹き飛ばされる。

「むちゃくちゃな!」

 ロロは悪態をつきながら矢をつがえる。シャルロッテが砂埃の中で跳ね起き、地面に倒れこんだ俺を追撃しようとする。

「させません!」

アルバートが割り込み、レイピアの刺突を繰り出す。シャルロッテは後ろに跳躍し、一回転した後ふわりと着地する。


「ああ楽しいわ、本当に! いい人達を連れてきてくれたわねアルバート!」

 シャルロッテは笑う。その様子を見てアルバートが歯噛みする。

「でも、そろそろ逃げ回られるのも面倒くさいわね。あなた達真面目に戦う気が無いようだし、もう殺しちゃおうかしら」

 シャルロッテは指をゴキリと鳴らしこちらを睨みつける。その目には先ほどまでとは違う明確な殺意が見て取れた。


「まずはあなたから。その首、一発で吹き飛ばしてあげます」

 シャルロッテが腰を落とし、拳を引き絞る。

「……分かった、こい」

 俺は仁王立ちで彼女を迎え撃つ。数秒、にらみ合ったまま時間が流れた。


 シャルロッテが地面を爆発させるかのように蹴りこみ、一直線に向かってくる。

 その瞬間、俺は、剣を放り捨てる。そしてシャルロッテの方向へ駆けだした

「何してる、死ぬ気か!?」

 グレインが狼狽えた様子で叫ぶ。シャルロッテが歯をむき出して笑い、拳を繰り出して来る。ギリギリまで接近する。そして顔面に直撃しようとした彼女の拳撃を直前で体を逸らして避ける。そのまま両腕を滑らせるようにして、彼女の右腕をガッチリと捕える。

「今だロロ!」

 俺の呼びかけに応じてロロが矢を放とうとする。絡めた腕が摩擦で焼かれたように痛む。だが離しはしない。


「こんなもので私を捕まえたつもりですか!」

 シャルロッテが力任せに俺を振り落とそうとする。だがそうはさせない。俺は捕えた両腕から彼女の体に魔力を流し込む。以前と違い量を調整し、彼女の体を壊さないように、ほんの僅かな火力だけを。

「ぐうっ!?」

 体内に破壊エネルギーを流し込まれ、シャルロッテは顔を歪め動きを硬直させる。それも一瞬だけのこと。シャルロッテが腕を振り上げ、俺は勢いのまま弾き飛ばされる。だが、一瞬あれば十分だった。空中に弾き飛ばされた時に、シャルロッテの足に一本の矢が刺さるのを見た。体が地面に叩きつけられる。

「ごほっ……」


 痛みを振り払い体を起こす。シャルロッテが足に刺さった矢に顔をしかめる。

「たかが矢が一本刺さっただけで、私がやられるとでも……!」

 シャルロッテが足に刺さった矢を引き抜く。そしてロロを睨み据え、彼女に歩み寄ろうとする。だが……。

「あれ……?」

 突然シャルロッテは力が抜けたように膝をつく。彼女は混乱した様子で手をついて起き上がろうとするが、その手にも力が入らず、滑って地面にうつ伏せに倒れこむ。

「なに……これは……」

「私の魔術の、『麻痺毒』の《付与》だ」

 地面に転がるシャルロッテが引き抜いた矢の先端部分。そこには黄色い魔力の光が宿っていた。ロロは用心深く二発目を構える


「一発でそれなら、二発喰らえば指一本動けなくなるだろう。もう観念しておけ」

「こんな……こんなもので私が……!」

 シャルロッテが悔し気に地面を叩こうとする。だが結局その拳にも力は入らず、振り上げたあとへなへなと地面に落ちる。


「シャルロ」

 そこへアルバートが剣を収め近づく。もはや抵抗できないシャルロッテは捨て鉢な笑い声を上げ、アルバートへと顔を向ける。

「私を殺すのかしら。それとも生かして捕える気?好きにすればいいわ。負けたのは私なのだから」

「シャルロ……済まなかった」

「なに……?」

 予想外な言葉にシャルロッテは怪訝な顔をする。アルバートが膝を突き、彼女の手を取る。


「私は一番傍にいたのに、君の悩みや不安を分かってやれなかった。君をここまで追い込んでしまったとしたら、それは私のせいだ」

「……関係ないわ。これが私の本性だというだけ。あなたがどうであろうと、私が破壊と混乱を望む歪んだ女であることに変わりないわ」

 シャルロッテが渇いた笑みを浮かべる。まるで熱から覚めたように、先ほどの異常な気迫は鳴りを潜めていた。


「だから、もう殺しなさい。私が生きてても、この国もあなたも不幸になるだけ、私がいる意味なんて、初めから……」

「そうじゃない!」

 アルバートの叫びにシャルロッテはびくりと震える。アルバートは彼女の手をより強く握る。

「今までの君……民を愛し、誰かの力になろうとした君も嘘じゃないんだろう?ならそれでいい。内に抱えた物がどんなものであろうと、君は君だ、シャルロ。だから生きてくれ。私とこの国、そして君自身のためにも」

「……アルバート」

 シャルロッテの目が涙で潤む。彼女はアルバートの手を握り返す。先ほどまで敵を叩きつぶそうとしたその手に、暖かな思いが宿っているようだった。


「なんか、取り出さなくても大丈夫っぽいな」

「シッ、静かにしろ」

 ロロがボソボソと喋るグレインに険しい顔で注意する。

「……だけど、これならシャルロッテも」

 俺達は二人のやりとりを遠巻きに見守る。だが……。


「うっ……!?」

 突然、動けないはずのシャルロッテが苦悶の表情を浮かべ、痙攣したようにのたうち回る。

「シャルロ?どうしたシャルロ!」

 アルバートが彼女の体を支える。シャルロッテは胸元を抑え、苦しそうに呻く。

「あああああっ!」

 その時、シャルロッテの胸元から、ずぶずぶ黒い霧状のものが噴き出す。同時にそれは宙へと舞い上がると、一か所に集まり徐々に形を成していく。


「あれは……あの時の!」

 アルバートが目を見張る。そこには、黒い輝きを放つ、八面の水晶のような物体が浮遊していた。

「あれが……シャルロッテの中に入った物体?」


「自分から出てきてくれるとは好都合だ」

「同感だ」

 ロロとグレインが矢と魔弾を放とうとする。だが物体は細かく振動したと思うと、次の瞬間真下へと落下するように移動する。その先にはシャルロッテとアルバート。

「二人とも!避けろ!」

「くっ!」

 だが回避が間に合わないと悟ったアルバートは、動けないシャルロッテを覆いかぶさるようにして庇う。そして黒い水晶はアルバートの背中に直撃した。


「ぐおおっ!」

「アルバート!?」

 アルバートは苦し気にその場に蹲る。シャルロッテは麻痺する体を必死に動かそうとする。もはや彼女に先ほどの狂った歓喜の表情はなく、ただ悲壮と恐怖があった。


「グレイン、シャルロッテをこっちに!ロロは麻痺毒の準備を!」

 先に起こる事態を察知し、俺は二人に指示を出す。グレインは頷く暇も惜しむように駆け出し、シャルロッテの傍に移動する。

「おいこっちだ王女さん!」

「アルバート!アルバートが!」

「そいつはあいつらにまかせとけ!」

 グレインはシャルロッテを無理やり担ぎ上げ距離を取る。ロロは矢を構え、アルバートに向ける。


「悪いが、先手必勝だ」

 ロロは矢じりに麻痺毒を纏わせ、アルバートに向けて放つ。

「フッ!」

 だがアルバートは膝をついたまま腰のレイピアを抜き放ち、矢を叩き落とす。その刀身には黒い雷光めいたものが纏わりついている。


「酷いですね。何もしてないのに攻撃するなんて」

 アルバートはクツクツと笑いながら立ち上がる。その目はシャルロッテと同じ、白目が反転し黒く縁どられた、狂気の瞳だった。

「アルバート、あなたは……」

 地面に降ろされたシャルロッテが恐る恐る問いかける。それに対しアルバートは何が可笑しいのかケラケラと笑い声を上げる。


「シャルロ、君が味わっていたのはこの力か。ああ、たしかに抗いがたいね、これは。だけど安心してくれ、私はこんな物には屈しない」

 アルバートは手のひらを上に向ける。そこに、先ほどアルバートの体内に入りこんだ水晶体が現れた。その場にいた全員が息をのむ。

「じゃあ……」

 シャルロッテの表情に一抹の希望が宿る。だが、それはすぐに掻き消えた。

「私は、この力を支配する」

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