第10話 森の宴
怪物は巨大な前足ゆっくりと振り下ろしてきた。
「ぐっ!」
振動でバランスを崩しそうになりながらも走りながらかろうじて避け、すかさず矢撃ちこむ。矢は頭部へと命中したが、エリビュードはまるで気にも留めない。
「ドウシタ。ソノヨウナ道具デハ、ワレニ傷一ツツケラレンゾ?」
「どうだがな」
私は次の矢を構える。その手を通して矢に緑色の液が滴る。
「お気を付けください。あの色は腐食の……!」
ヴァグラッドが警告する。
「人ノ使ウ魔術トヤラカ……ドレ、試シテミルガ良イ」
私は再び頭部へ向け矢を放つ。エリビュードは避けも防ぎもしない。腐食を帯びた矢は奴の額に命中した。
「グオオオオオオ!」
直後、エリビュードが苦悶の声を上げる。
「よし!」
腐食の《付与》はあらゆるものを溶かす。たとえ植物で出来た怪物であろうと、容赦なく……。
「オオオオオオ……ハ、ハッハッハッハッ!」
だが直後、エリビュードの叫び声は嘲笑へと変わった。
「なに!?」
目を見開き、驚愕の声を上げる。エリビュードは前足で刺さった矢を払いのける。その個所は腐食によりわずかに溶けだしていたが、それだけだった。演技だった。
「クダラン。コレガ貴様ノ奥ノ手カ……デハ今度ハコチラカラダ」
エリビュードは口を開けると周囲の空気を吸い込み始めた。
「何を……」
まずい。なにかが来る。とてつもなくまずい何かが。私は地面を蹴り急いでエリビュードの射線上から離れる。直後。
「ゴアアア!」
エリビュードは「何か」を吐いた。吐き出された半透明のそれは一直線飛び、数秒前に私がいた場所通り過ぎていった。
「ぐうっ!?」
私はそれが通り過ぎた衝撃で宙に浮き、吹き飛ばされ地面を転がる。吐き出された「何か」は後ろにあった巨大樹の一つに当たり、爆音と共にその幹を半分以上抉り取った。
「今のは……まさか空気?」
私はよろめきながら立ち上がる。エリビュードは喉を鳴らし答えた。
「左様。何デモナイ、タダノ空気ノ塊ヨ。ダガ貴様ラ人間には十分スギル威力デアロウ」
その言葉に思わず歯噛みする。確かに、あの砲弾が直撃していれば無事ではすまなかっただろう。
「素晴らしきお力!」
祭壇傍で見守るヴァグラッドが歓喜の声を上げた。エリビュードは満足げに両目を動かす。
「貴様ノ実力ノホドハヨク分カッタ。モハヤ勝機ハアルマイ。今降参スレバ、苦シマズに殺シテヤロウ。アルイハ、我ニ仕エサセテヤッテモヨイ」
エリビュードは嘲笑い、私を見下ろした。
「誰が……!」
私は体を強いて再び弓を構える。だがどこを狙う?私の武器では奴の強固な皮膚を貫けない。目つぶし程度ならできるかもしれないが、それも時間稼ぎが限界。絶望的だ。だが降参するという選択肢だけは無い。それだけは絶対に許されない。
「ナラバ死ネ」
エリビュードが再び大口を開ける。木の葉が舞い、近くの石や植物が吸い込まれていく。
あと何回避けられる? 衝撃波で体力が削られ、力尽きるのが先か。あるいはヴァグラッドが加勢に入り私を追い詰めるのが先か。せめてヴァグラッドだけでも、だが今の状況で不意打ちが通じるはずもない。
「私は、また何もできないのか……!」
悔しさでまた涙が零れそうになる。
その時だった。
「え?」
私の上を、何か丸い小さなものが飛び越えていった。それは地面に着く前に、吸引に巻き込まれ奴の口内へ消えていった。直後。
「オゴォ!?」
エリビュードの体が内側から爆発した。怪物は四肢を曲げ、巨大な体を地面に倒し呻く。
「エリビュード様!?」
ヴァグラッドが慄き、エリビュードに駆け寄る。
「今のは……魔力爆弾?」
誰が……?いや、今この森にいる者は、奴らと私以外二人しかいない。つまり……。
「無事だったか、ロロ」
「返事も聞かねえで先行きやがって」
唖然とする私の横に、二人の男が並んでいた。騎士と盗賊。あの時、私に協力してくれた二人がいた。
「なんでお前たち、ここに」
かすれた声でそうつぶやく。グレインが肩をすくめる。
「荷物が多すぎたからよ。運ぶの手伝って貰おうと思って呼びに来ただけだ」
「どうして嘘つくんだ?助けに行こうってことで納得しただろ」
「アホ、こういうのはカッコつけときゃいいんだよ」
グレインがアルヴァの脇腹を小突く
「そういうものなのか」
「……ハ、ハハ」
私の二人のやり取りを見て何故か笑いがこぼれた。こんな緊迫した状況で気の抜けたやり取りをしていたからか。あるいは、この二人の援軍があまりにも頼もしかったからか。きっと両方だろう。
「全く、バカな奴らだ……」
そして私もだ。
「しかしまあヴァグラッドは予想してたが、なんだあのバケモンは?」
グレインがそう言いエリビュートを見上げる。
「まさかあれ、魔族か?」
「そうだ、あいつが人間の魂を食ってた正体だ」
アルヴァの問いに私は頷く。アルヴァは神妙な面持ちで奴を見据える。
「まさか、こんなところで会うことになるなんて」
「オノレ、人間ドモ……」
エリビュードは大地を踏み鳴らし立ち上がった。その様子には明らかな怒りが見て取れる。
「一応聞いとくが、いいんだなアルヴァ?」
「ああ」
グレインの問いに間をおかずアルヴァが答える。
「あいつは人間とエルフを殺し魂を喰らった、敵だ」
騎士は剣を抜き放ち構える。
「倒そう」
その言葉に私とグレインは頷き、奴らを見据えた。
「貴様ラナゾ、直接捻リ潰シテクレル!」
エリビュードは魔力爆弾を警戒してか、空気弾放たず私達に向かって突進をしかけてきた。私達は二手に分かれそれを避ける。
「おのれ薄汚い人間共!我々に逆らう者は何人たりとも許さぬ!」
憤怒の形相のヴァグラッドがアルヴァ達に向けて杖を向ける。
「させるか!」
私はそれに向けて矢を放つ。気付いたヴァグラッドは振り向き、《防護》を展開してそれを防ぐ。ヴァグラッドが歯ぎしりする。
「蛮族めが……!」
「お前の相手は私だ、狂った魔術師め!」
私とヴァグラッドはお互いを正面に見据え、睨み合う。少し離れた場所ではアルヴァとグレインがエリビュードと交戦を開始していた。
「ほざけ!貴様一人で何ができる、ここで死ね!」
ヴァグラッドは杖を掲げそこから魔弾を放ってくる。信徒たちが放ったものよりなお強力なそれを、私は木の影に体を滑りこませ防ぐ。
「逃げてばかりか!死期を長めてなんとする!」
魔術師は連続して魔弾を放つ。隠れた木の幹が徐々に削られていく。
「いいや、もう逃げはしない!」
私は次の詠唱のための僅かな隙を逃さず、木の影から飛び出し、手に持っていた玉を投げつける。
「魔力爆弾か!」
そう判断したヴァグラッドは防護でそれを防ぐ。だがその玉が魔力の壁に触れた途端。中から煙幕が噴き出したちまち辺りを白に染める。
「煙玉……!」
視界が閉ざされる。私は一直線にヴァグラッドの元へ駆けた。
「このような小細工!」
奴がそう言った直後、辺りに風が吹き荒れ、煙が吹き飛ばされる。何らかの魔術か。だがその時にはもう私は奴の目の前まで迫っていた。
「はぁっ!」
私は手に持っていた鉈を奴に振り下ろす。
「ヌウッ!?」
ヴァグラッドは咄嗟に杖の柄で防ぐ。打ち合いが始まった。私が鉈を振り、ヴァグラッドがそれを防ぐ。だが攻撃を防ぐたび、杖は溶けだし、削れていく。腐食の付与だ。
そしてついに杖は鉈一撃で真っ二つに折れた。
「もらった!」
私は好機を見出し奴の脳天を割るべく鉈を振り下ろす。だがヴァグラッドはニヤリと口の端を歪めた。
「甘いな小娘!」
ヴァグラッド右手を私に向け突きだすと手のひらを向けた。その手首にはブレスレットが巻かれていた。魔石のブレスレット。
「なにっ!?」
私は咄嗟に横に飛び跳ねる。脇腹を魔弾が通過した
「ホホホホホホ!おしい!もう少しで内臓をまき散らしていたものを!」
ヴァグラッドが高々と笑い、距離を取る。攻撃は避けれたがまたしても距離が開いてしまった。同じ手は通用しないだろう。
「さて、では今度はこちらの番ですね」
そう言うとヴァグラッドの手に魔力が収束していく。魔弾か? だが何か様子が違う。私は身構える。
「ホハハハハハハ!」
ヴァグラッドは手をかざし、その手から光線を放ってきた。一直線に伸びる光線を私は横に飛び避ける。だがその直後ヴァグラッドは腕を曲げる動作を取る。
「これは……!」
私はその動きを察知し、飛び込むようにして地面に倒れこむ。その一瞬後に頭上を光線が薙ぎ払う。
「ちょこまかと!逃げ続けられんぞ!」
ヴァグラッドは再び腕を振るおうとする。反動のせいか動作は遅いが範囲があまりにも広い。
このまま避け続けていればじり貧だろう。私は思考を巡らせ、決断した。
「よし」
手が無いならば編み出せばいい。思い出せ、あの時の動き、あの騎士の動きを。
「行くぞ!」
私は立ち上がりながら地面を蹴り、駆けた。ヴァグラッドめがけ。
「自ら死にに来たか!」
ヴァグラッドは笑い、再び横に薙ぎ払ってくる。私はそれをジャンプし避ける。今度は斜め上から振り下ろす。横に側転するように避け、再び走り出す。
「近寄るな!」
ヴァグラッドはもう片方の手を広げそこから魔弾を放ってくる。だが数こそ多いが、先ほどの杖からの攻撃に比べれば明らかに小さく、遅い。
私はそれを縫う様に、なおかつ決して立ち止まらぬように避ける。反対から光線が迫るが、魔弾に意識を取られ単調な動きだ。背を屈め避ける。「馬鹿な……!」魔術師が呻いた。
そして奴の目前まで来た私は地面を強く蹴り、飛んだ。ヴァグラッドの頭上を。
「なっ」
飛び越える瞬間、一回転しながら鉈を振るう。それは奴の肩口を深く切り裂いた。
「ガアアアアア!?」
ヴァグラッドの肩からおびただしい鮮血が噴き出し、その場に倒れこむ。私は着地するとすかさず振り向き。奴に接近する。
「おのれ蛮族の娘が……!」
ヴァグラッドが振り向く。その時には、奴の脇腹に鉈を深く突き刺さってた。
「ごぼっ……」
次に血があふれ出したのは腹と口からだった。
「終わりだ。お前も、あの神モドキも」
鉈ねじり、より深く食い込ませる。ヴァグラッドは意識を保とうとしたが無駄だった。目が虚ろになっていく。
「お、愚かな……魔術も知らぬ蛮族共に、神の生贄という崇高な役割を与えてやったというのに……」
「ならお前にも役目を与えてやる」
私はヴァグラッドの体を蹴り飛ばし、鉈を引き抜く。
「そこで死んでいろ!」
血が噴水のごとく噴き出した。
魔術師の体は地面に倒れこみ、その周囲に血の池を広げていく。ヴァグラッドは死んだ。偽物を神を崇めた狂気の魔術師達は一人残らず滅んだ。村の住人、そして両親を仇を討つことができた。全身から力が抜けそうになる。
「父さん……母さん……やったよ」
だが感傷に浸っている暇はなかった。まだあの魔族、エリビュートが残っている。私は弓を構え、今なお奴と戦う二人の加勢へと向かった。
「待っていろ。アルヴァ、グレイン」
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