第9話 大樹の神

「教祖様!教祖様!」

這う這うの体で逃げ出した私は祭壇のヴァグラッド様の元へとたどりついた。あのお方はちょうど儀式の準備を終えたところであった。


「どうしました、何か問題でも?」

 ヴァグラッド様は私に気付き怪訝な顔で振り返る。

「い、生贄が逃げ出して我々に奇襲をしかけてきたのです!不意をつかれたせいで拠点は壊滅状態で、生き残ったのも、私だけで……」


「なんと……まことですか」

 ヴァグラッド様の目が驚愕で見開かれるが、すぐに平静を取り戻される。

「して、その襲撃者たちは?」

「わかりません。追ってこないのを見ると一度村に戻ったのかもしれません」

「なるほど、村にね……ホ、ホホホホホ!」


 ヴァグラッド様それを聞き供笑をあげる。楽しんでいるのか? 恐ろしいお方だ。あの時村人にした所業を思い出すと、今でも身が震える思いだ。

「ホホホ……となれば、彼奴らは次はここに来るでしょうね。この私を殺しに」

「申し訳ありません、我々が至らぬばかりに……!」

 自責のあまり私は地に伏せ土下座した。だがヴァグラッド様はそんな私の肩に優しく手をおかれた。


「自分を責めてはいけません。誰にでも失敗はあります。」

 そのお言葉に、私は尊いものを見る目でヴァグラッド様を見上げる。

「ああ、教祖様……」

 なんと寛大なお方だろうか。やはり冷酷さと慈悲を兼ね備えたこのお方こそ、我らが神に仕える神官にふさわしい。私はそう確信した。


「ですが、困りましたね。我らが神の目覚めまであと少しだというのに」

 ヴァグラッド様は祭壇に物憂げな視線を向ける。

「おまかせください!必ずや私が奴らを仕留め、今度こそ生贄として……」

「いえ、その必要はありません」


「はい?」

 予想外の答えに間抜けな声を上げる。

「残念ですが一度彼奴らに敗れたあなたに期待はできません。私でさえその者たちと戦うのは危ういものがあるでしょう」

 その時、私は自分の体がピクリとも動かないことに気付いた。


 ヴァグラッド様が口元を歪める。それは今まで見たことが無いほど残酷な笑みだった。まさか、肩に触れられた時に?

「教祖様、何を?」

「同胞を手にかけるのは胸が張り裂ける思いです……ですが、これも我が神の思し召しならば」


ヴァグラッド様が笑みと共に私に杖を向ける。私はその意味を理解し、恐怖した。大樹の隙間の奥から、輝く二つの光が目に映る

「喜びなさい、あなたの魂は神の元へ送られます」



「はぁ……はぁ……!」

 息が切れ、額を玉のような汗が流れる。けど私は走り続けた。グズグズはしてられない、ヴァグラッド達がまだ何かしでかすかもしれない。

 それまでに村の皆とあいつを追い詰めなければ。それに、ようやくだ。ようやく父さんと母さんに会える。


 会えたら最初になんと言おう。無事でよかったとか、私頑張ったよとか、そういうとりとめのない事か、もしかしたら何も言えず泣き出してしまうかもしれない。

 そしたらあの人達は笑うだろうか。そんな考えがよぎる。村の入口が見えてきた。もうすぐだ。


 門を押し開け中へ入ると、そこには大勢の住人が村中いたる所に倒れていた。私達を探しているあの二人をさがしている途中に洗脳が切れ、そのまま倒れたか。

「誰か!誰かいるか!」

 声を張り上げるが、答える者はいない。みんな気絶しているのか。この中から両親だけを探すのは時間がかかりそうだ。そう考えた私は手近な住民から起こすことにした。門の傍に一人の住民が倒れているのに気付いた。私は近寄り、肩を揺する。

「おい、起きてくれ!ヴァグラッド達の呪縛が解けたんだ!皆自由に……」


 だけど、そのエルフの体に触れた時、気付いた。

「え……」

 冷たい。体から温もりが感じられない。顔を見る。その目は見開かれたままどこも見てはいなかった。そんな、これじゃまるで……。


「おい、先走んなっての!」

 グレインの声が聞こえる。だが私は振り返らない。それどころじゃなかった。

「……どうしたんだ?」

 異常を察知したアルヴァが近寄り、そして傍で倒れているモノを見た。


「これは」

 アルヴァは倒れたエルフの手首に触れる。そして首を振った。

「死んでいる」

「……冗談だろ?」


 グレインが呆然と呟く。私もそう思いたかった。だけど、たった今直に触れ、見た物を、私は否定することができない。

「おい、まさか、これ全員」

「……!」

 グレインのその言葉に私は一目散に走り出した。嘘だ、父さん……母さん……。




「おい!」

 ロロはこっちの制止も聞かず矢の如く飛び出した。俺は追いかけようとしたが、アルヴァが今だ死体を観察しているのを見て立ち止まる。

「何してんだ?」

「この死体、今死んだものじゃない」

「何?」

 アルヴァが言った言葉が呑み込めない。


「医学に詳しいわけじゃない。でもこれは俺でも分かる。この死体は死んでから相当時間が経っている」

「馬鹿な」

 その言葉に俺は寒気を覚える。じゃああの時俺達が見た村人はなんだったんだ。奴らが使った《呪操》とは一体?


 アルヴァしばらく思案した後、頭を振り立ち上がる。

「いや、ごめん、今はそんな事を調べてる場合じゃなかった」

「……ああ、そうだな。追うぞ」


 俺達はロロの後を追う。だが、アルヴァが口にした事実は俺の予想を確信させるのに十分だった。あのエルフだけが今殺されたものじゃない。つまり、ここのやつらはもう全員……。

「いた、あそこだ」

 アルヴァが声を上げた。


 ロロは地面にうずくまり嗚咽していた。あいつの前には二人の男女が倒れていた。誰なのかすぐにわかった。その顔に生気は感じられない。死んでいた、二人とも。

「嘘だ……嘘だ、こんなの……!」

 ロロは泣きながら拳を地面に叩きつける。何度も何度も。怒りと、悲しみと、悔しさをない交ぜにしながら。


 俺とアルヴァは何も言わなかった。言えなかった。今この場で、誰がこいつに言葉をかけれるものか。何もかもが消えた村の中で、俺達はただ立ち尽くした。虚しさだけがそこにあった



 どれくらい時間が経っただろうか。ロロは静かに立ち上がり、両親の遺体に近づくと、まだ見開かれたままだった瞳を閉じる。この二人は、死ぬときは一緒だったのだろうか。そんなどうでもいいことが頭をよぎった。

「どうするんだ」アルヴァが問う。

「ヴァグラッド」

 ロロは無機質な、だが明確な殺意が籠った声でそう答えた。


「あいつは、私が殺す。たとえどこへ逃げていようとも追い詰める。私が必ず、後悔させてやる」

 ロロは外出ようとして、俺達の方を一瞥した。悲し気な顔だった。

「お前たちには、世話になった。村の物は好きなだけ持っていけ。どうせ、もう誰も使わない」

 それだけ言うと、ロロは駆け出し、やがて見えなくなった。



「おお……おお……!」

 祭壇に跪きながら、私は大いなる鼓動を感じていた。ようやく、ようやく我らの神が目覚めるのだ。興奮で叫びだしそうになる衝動を抑え、私は祭壇の奥、大木の幹に出来た裂け目の奥を凝視した。


 森の巨大樹の中でもひと際大きなこの大木の裂け目に、神は眠り、傷を癒されている。だがそれもまもなく終わる。

『大義デアッタ。ヴァグラッド』

主の言葉が森にこだまする。



 数ヶ月前、我々マナの申し子は他の魔術ギルドや賞金稼ぎ共の追撃を逃れ、この森へと身を潜めた。度重なる戦闘で信徒は半数近くが死亡。

 もはや我々に活動を続ける力は残されておらず、教団の存続は絶望的だった。だがある日、私は天から響く声を聞いた。その声に導かれ、我々はこの地で眠る神に出会った。


 神は我々のために人間共を排除することを約束された。そしてそのために人の魂を求められた。我々は与えた、初めに森に住む魔術も扱えぬ蛮族共を、そして次に何も知らぬ旅人達を、生贄に捧げた。神の傷は日に日に癒え、そしてついに完治の時を迎えた。


 『傷ハ癒エタガ、我ガ力ハ今ダ不完全。ヨリ多クノ力ヲ得ルニハ、ヨリ多クノ魂ガ必要ダ。ダガソノ暁ニハ、貴様ノ言ウ人間ガ支配スル首都ナド、容易ク滅ボシテミセヨウ』

「ええ、あなた様の力があれば、必ずや叶いましょう!」


 私は歓喜に震え、涙すら流していた。だがその直後、私は涙を拭い立ち上がる。

「ですがその前に……神仇なす不届き者を始末せねばなりませぬ」

 私は瞬時に振り返り、杖を掲げ、《防護》を展開した。



 「くっ……!」

 私は木の上から飛び掛かり、奴の首を鉈で叩き切ろうとした。だがヴァグラッドは察知し、その攻撃を防護の魔術で防いだ。私は飛び退り、距離を取る。

「ホホホホホ! 我が同胞を殺しつくしたと聞き、どんな手練れかと思えばまさかこのような子供とは」

 ヴァグラッドは心底おかしそうに笑う。

「しかし、襲撃者は複数人と聞きましたが。他の者はどこへ潜んでいるのでしょうね?」

「私だけだ。他の奴らはもういない」

 ゆっくりと弓を構え、矢をヴァグラッドへと向ける。

「ただの子供の暗躍にすら気付かない教団のボスなど、私だけで十分だ。お前も殺してやる。あの信徒たちと同じようにな」

 私は殺意の籠った目でヴァグラッドを見据えた。


「ホホホ!恐ろしい!随分と気が立っていらっしゃるようですね!村の住民を皆殺しにされたのがさぞかし堪えたと見える」

「……!」矢を放つ。ヴァグラッドはそれを悠々とふせぐ。

「せっかくですから、あなたの知りたがっている真実を教えてあげましょう……来なさい」


 その言葉の後、物陰から一人の男が現れた。あの時取り逃した信徒だ。だが様子がおかしい。まるで張り付けられたような笑みを浮かべ、こちらを見ている。

「この者はすでに死んでいます」

 ヴァグラッドはそう告げる。


「これが私の編み出した《呪操》の魔術。死体を蘇らせ、意のままに操る術。だが、あなたはまるで気が付かなかったでしょう? 村人たちは生きていると、錯覚したでしょう? それこそがこの魔術の真髄。見た目も、言動も、すべて生前のままを再現する。下賤な人間共には扱えぬ、高度な」

 矢を放つ。額に命中し、信徒は倒れ伏した。


「おや」ヴァグラッドが首をかしげる。

「いつまでもぐだぐだと、私が答えを聞きにここまで来たと思っているのか?」

 そんな事を知ったところで、今更誰一人戻ってくるはずがない。

「言ったはずだ。私はお前を殺しに来たと。無駄話で死期を伸ばそうとするだけなら、話はもう終わりだ」

 私は矢をつがえ、再びヴァグラッドへと向ける。


 ヴァグラッドはやれやれと言った風に肩をすくめる。

「ホホホ……まったく、所詮は蛮族共の仲間でしたか。では望み通りにしてあげましょう」

 対してヴァグラッドも杖ゆったりと掲げる。戦いが始まると思われた。


『ヨイ、ヴァグラッド。我ガヤル』

 だがその時、奴の背後。大樹にできた裂け目から空気を震わすような声が響く。

「そんな……このような者、あなた様の手を煩わせるほどでは」

 ヴァグラッドは狼狽え、裂け目を仰ぐ。この声の主は一体……信徒達が言っていた神とかいう奴なのか? 私は身構え、新たな敵を警戒した。


『肩慣ラシダ。ココニ留マリ続ケ、体ガ鈍ッテオル。貴様ハソコデ見テイルガヨイ』

 大樹からズシンズシンと地鳴りが響く。


 そいつは巨大な裂け目をなお引き裂きながら姿を現した。太く巨大な四本の足、長い胴体にワイバーンのような頭部、形だけならトカゲのようにも見えた。

 違いは、その体躯があまりにも巨大なことと、まるで樹木を網あわせたような異様な肉体を有していたことだった。


「な……」私は慄き、後ろに後ずさりした。爬虫類のようなギョロギョロとした目が私を見据える。

「コノヨウナ小サナ魂デモ、足シニハナロウ」


 私はこんな存在を今まで見たことがなかった。だが、この世界でこれほどの異形を有する者を、一つだけ聞いたことがある。

「まさか」

 この国と永い時を争い、人と同じ知能を有し、様々な姿をもった存在。

「我ガ名ハエリビュード。人ヨ、恐レルガイイ」


 私達はそれを、『魔族』と呼んでいた。

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