春が来る前に君に告ぐ



「行ってきまーす」


 ガチャリとドアを開け、家を飛び出す。

 そんな日常。

 私の日常。

 いっそ誰かが壊してくれたら、なんていうのは都合のいい妄想なのだろうか。

 私は清々しいまでに青い空を見上げた。





 私には好きな人がいる。

 そして、好きな人には恋人がいる。

 こんな不毛な恋を私はかれこれ一年は続けている。

 彼と私の接点は家が隣だということ。

 それ以外には特にない。

 でも、私は知っている。

 彼が私の運命の人だということを。

 馬鹿馬鹿しいと笑うだろうか。

 いや、馬鹿馬鹿しいことなどひとつもない。

 恋なんて所詮、みんな思い込みなのだ。

 目に見えない感情を私たちは証明することができないのだから。

 一時限目の予鈴がなる。

 斜め前の席にそっと視線を向けると、そこには必死にノートに向かう彼の姿があった。

 確か、彼は国公立志望だったっけ?

 彼女に合わせて、必死に頑張っているのだ。

 なんて一途で、なんて馬鹿馬鹿しいのだろう。

 いや、そんな彼をみて、同じように国公立を志望し、ちゃっかり推薦で受かった私はもっと馬鹿馬鹿しいのかもしれない。

 そっとノートに視線を移す。

 そこには、必死にノートをとる彼の姿があった。

 一応、美術部である私はある程度の絵を描くことができる。

 今日も今日とて、私は彼をノートに描く。

 誰にもバレないように、彼にはバレないように。

 彼は意外と筋肉質だ。

 世間でいう細マッチョみたいな感じだ。

 また、クシャっとした笑顔は様々な人の心を掴んでいるのだが、彼はそのことに全く気づいておらず、そこがまたいいと評判だ。

 そんな彼に彼女ができたというニュースはたちまち学校中に広まった。

 ましてや、その相手が目立たない女の子だとしたら尚更だろう。

 彼女は私の友達で、同じ美術部だった。

 そう、二人が出会うきっかけは自分だった。

 その日は彼の家と私の家の全員で焼肉パーティーをすることになっていた。

 その食材を買うために、私たちは一緒にスーパーに出かけなければいけなかった。

 しかし、予想より大分部活が遅れてしまい、彼がわざわざ部室まで迎えに来てくれたのだ。

 そのことに少し浮ついていた私はある事実を失念していた。

 私を待っている間、ずっと彼女と話していたという事実を。

 それからというもの、彼は頻繁に美術室に来るようになった。

 その目的は私ではなく、彼女だった。

 彼は彼女を好きになったのだ。

 そこからの展開は速かった。

 彼からの猛アプローチの結果、出会ってから一ヶ月で二人は付き合うことになったのだ。

 そして、現在に至る、と。

 もう、高校生もおしまいだ。

 私たちが話す機会はドンドン減っていくんだろう。

 私はこのままでいいのだろうか。

 この気持ちを伝えないままで。

 そう思ったら、足が動き出していた。

 トイレに行くために立ち上がった彼を追いかける。


「待って!正樹!」

「何?希依?」


 振り返った正樹は私の姿を見て、不思議そうに首を傾げる。

 私はギュっと手を握りしめた。


「今日、帰り一緒に帰らない?」

「いいけど……」

「彼女には私から伝えておくから!じゃあ!」


 私は足早に正樹の前から立ち去った。

 言えるのだろうか、この気持ちを。

 自信はない。

 というか、絶対振られる。

 でも、そうでもしないと、前に進めないから。

 私はその足で正樹の彼女であり、そして私の親友でもある鹿子を訪ねた。


「あのさ、鹿子」

「なーに?キイちゃん?」


 鹿子はいつもみたいにふんわりと私に笑いかける。

 この笑顔を私はずっと騙していたのだ。


「私、今日正樹と帰る」

「え?」

「私、私ね!正樹のことが好きなの」


 目の前で息を飲む音が聞こえた。

 私は怖くて、鹿子を見ることができなかった。


「そっか……。いつからなの?」

「出会ったときから、ずっと」

「そっか。ごめんね、ごめんね、キイちゃん。ずっと気づけなくて、ごめんね」


 そう言って、鹿子は泣きだした。

 ごめん、と何度も呟いて、私に頭を下げた。

 あぁ、敵わないな、なんて今更かもしれないけど、そう思った。


「いいの、鹿子。ありがとう」


 私はそう言って、自分のクラスに戻った。

 ふとスマホを見ると、正樹からメールが一件来ていた。

 慌てて、開くと、そこには16:00に校門前集合と書かれていた。

 16:00に私の長い長い恋が終わる、終わらせる。

 それからの授業の内容は全く入ってこなかった。

 なんて想いを伝えるべきか、それだけが私の頭を占めていた。

 気づいた時には、15:30。

 約束の30分前だった。

 掃除が早めに終わり、どうしようかな、と思っていたら、進路室から出てきた正樹と目があった。

 そのまま、一緒に下駄箱に行く。

 いつもは弾む会話も、今日はなんだかぎこちない。

 それでも、なんとか話をつなぐ。

 でも、いつだって、正樹が話すのは鹿子のことばかりで。

 鹿子がさー、鹿子がねー、鹿子が、鹿子が、鹿子、鹿子、鹿子、鹿子。

 それはそれはウザいほどに、正樹は鹿子にぞっこんなのだ。

 気づいたら、二人の家の前。

 じゃあね、と言って帰ろうとする正樹の手を掴んだ。


「待って、正樹」


 突然のことに驚く正樹に私は想いをぶつけた。

 結果は予想通り。

 ごめん、と言うと正樹は家に入ってしまった。

 私は自分が涙を流していないことにとても驚いた。

 そして、この恋がやっと終わった、終わってくれた、と実感していた。

 自分の部屋に入って、スマホをみる。

 連絡先の鹿子のところをタップして、電話をかけた。

 すると、意外なことに鹿子はすぐ電話に出た。


「もしもし、鹿子?」

「キイちゃん?どう、だった?」

「振られたよ」

「そっ、か。ごめ……」

「謝罪はいらない」

「え?」

「その代わり、幸せになって」


 少し遅れた後に、鹿子の笑い声とうん、という小さな呟きが聞こえた。

 これでようやく私も前に進める。


「待ってろ!大学生!」


 日が暮れそうな空に向かって、私はそう宣言した。


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