再会のひととき

 風に遊ぶカーテンのまばたきに目が覚めた。

 外はもう明るい。疲れのあまり随分遅くまで寝てしまったらしい。

 小さく開けた窓の隙間からひんやりとした、でも心地良い澄んだ空気が入ってくる。

 一緒に遠く街の喧噪も聞こえてくる。六階という高さに負けずに。

 はぁ~

 私もダルさに負けずに体を起こそう。ベッドから体を引っ張り出し上半身を起こす。

 うー、体が重い。頭が痛い・・・・。


「よう、やけに遅いお目覚めだな。ガキの本分は早起きと勉強だぜ」

「えっ!」

 思わず声が上ずった! この声はうーちゃんだ!

 だが視線を部屋中に走らせどもウマの彫刻のステッキはどこにも見当たらない。

「うーちゃんでしょ!! どこ! どこに居るの!?」

「お前の足元だよ」

「えっ、どこ?」

「窓側の」

 言われたと思しき場所に目をやるとそこに見えたのは、現代アートのようないびつな小さな固まり。消しゴム大の黒ずんだ金属塊だった。


「うーちゃん、なの?」

 見つけた金属塊はふわっと浮かぶと、私の鼻先にピタリと止まった。

 答えは返ってこない。私の事をじっと見つめている。

 いや見つめるは適切ではない、その塊には目も鼻もないのだから。


 本当にうーちゃんか確かめるために目を凝らして見ても、その面影はまるでない。表面がブツブツした金属塊の真ん中に貫通した穴が一つあるのみだ。

 そもそも大きさが違う。随分小さくなっている。

「本当にうーちゃんなの?」

 初めて会った時のようにそっと手を伸ばす。ゆっくり。ゆっくり。

「随分・・・・」

 手がぴくっと止まった。

「随分、痩せたな」

 ハッとして自分の腕を見た。筋肉のない折れそうな腕。

 筋が浮き出て、二本の骨の形が分かるほど細い。

「ガリガリじゃねーか」

 それは私に気遣って誰も言わなかった言葉だ。


「よくそんなカラダで・・・・。がんばったな」

 ちっともらしくない。ちっともらくないよ!


「辛かったろ。もういいぜ、我慢しなくても」

 もっとボロクソいうんだよ、うーちゃんは!


 この死にぞこないとか、デブが治ってよかったとか、そう言うんだよ。そう言ってよ!

 喉から何かが込み上げてきて、私の意思とは関係なく涙がぽろぽろとこぼれてきた。

「うっ、うっ、うっ、うーちゃん!!」

 こみ上げてきた混沌としたモノにあがらえず、私は金属塊になったうーちゃんをギュッと掴んで胸元に抱き締めると、わんわんと泣いた。

 病院のベッドで白い天井を見てから、初めて声を出して泣いたと思う。

 声が漏れぬよう布団をかぶって、泣くにいいだけ泣いた。

 私の中にあった何かのつっかえは外れてしまい、今までのことを吐き出すようにうーちゃんに話した。


 パパが変になっちゃったこと。

 誰もお見舞いに来ないこと。

 みんな私に気を使っていること。

 私のお家はどうなったのかとかも。


 泣きながら早口に喋ってるから、きっとうーちゃんは何を言ってるか分からないと思う。

 でも、うーちゃんは「ああ」とか「そうか」とか「大変だったな」とか答えてくれた。

 うーちゃんの声がやさしい。こんなトーンで話を聞いてくれるうーちゃんは初めて、いや、ここに来てこんな風に話を聞いてくれた人は初めてだった。


 何時間話しただろう。涙もしゃっくりも収まり、話すだけ話してやっと私は落ち着きを取り戻した。

 ベットにコロンと倒れて天井を見上げる。握られた右手の中にはうーちゃん。その手はグーのまま私のお腹の上に乗っかっている。


「佐藤さん、603からお願いしまーす」

「山田さんは経口移行ですよねー」

 昼食を運ぶカートの音が廊下を走る。本当に何時間も話してしまったんだ。

 その現実感に、ふと我に帰った。

 確かに再会した実感を噛みしめるように、右手にいる小さくなってしまった、うーちゃんを見やる。

「あずさ」「うーちゃん」

 二人の声が被った。


「おまえがしゃべれよ」

「うーちゃんこそ」

「いや、おまえから」

「う、うん。うーちゃん、うーちゃんは、あれからどうしたの?」

 そう、あの大惨事の中、うーちゃんはどうなっていたのだろう。自分の事ばかり喋ってしまったが、私は全く何も知らないのだ。

「俺か?」

「うん」

「逃げ遅れて、三日間瓦礫の下だったぜ」

「三日も! 大丈夫だったの?」

「ああ、復旧するのに時間がかかったが、体が残って良かったぜ」

「うーちゃんがこんなになっちゃうなんて。そんなに酷かったんだ」

「ああ」

「じゃママは・・・・」

「分からねぇが多分。色々調べて、やっとお前の居場所が分かったくらいだからな」

 ママのことを考えると、今まで感じなかった不安が自分の中で増大してくるのが分かる。それを打ち消したくて、あえてふざけた口調で話を切り替えてみた。

「うーちゃんは、もう馬の形じゃないから、うーちゃんじゃないね」

「・・・・」

「黒くなったから、くろちゃん? 安田大サーカスみたいな?」

 へへへと笑ってみたが、自分でも無理に作った笑いだと思う。

 気まずい時間が流れる。

「無理すんな。いままで通り好きに呼べばいい。俺はうーちゃんは気に入ってるぜ」

「ありがとう。やっぱりうーちゃんは・・・・うーちゃんだね」


「すまなかった。お前のお袋さん。どうにもできなかった」

 その意味するところは測りかねたが、うーちゃんは私を守るためにママを犠牲にしたのかもしれない。

 そんな悪い想像が膨らむが、でも怖くて真実を確認することなど私にはできなかった。

 やっと出会ったうーちゃんは、安心や温もりだけではなく不安や恐怖も運んできた。

 聞けば聞くほど、本当に一瞬で私の周りの全てが破壊されたことが分かる。

 そして残ったのはパパと私だけ。そのパパも力なく呆けていて昔の面影はない。

 分かっていた事だけど、やっぱり現実を知るのは辛い。

 そして記憶という名の時を戻すほどに、自分の家の居間から飛び出した瞬間に見た、ぽかんとしたママの顔が思い出される。

 まさかアレが最後になるなんて。

 もっと、もっとママと・・・・。

「ママ」

 ぽろりと抜け落ちたように言葉が出た。

 本当に悲しい時って声を出して泣くなんて出来ないんだ。


 もっとちゃんとすればよかった。お手伝いももっとすればよかった。面倒くさいなんて言わずにお庭の草むしりも一緒にやればよかった。ママが子供の頃の話も一杯すればよかった。

「もう一度、ママに会いたい・・・・」

 どうにもならないのは分かっているが、言わずにはいられない。

「・・・・一度なら、会えるかもしれないが。どうする」

「え、ほんと!」

「ああ、お袋さんの思いが詰まったものがあれば、それを触媒に会うことができるかもしれない」

「触媒?」

「形見だ。ただ使っちまうとそれは消えちまうが」

「いい! それでも会いたい!! 最後にもう一度!」

「何かあるのか」

「えーっと、えーっと、ある!」

 そうあるんだ。胸元にある銀色のチェーンのネックレスが。

 瀕死の私が唯一身に着けていた、私を救ってくれたママの形見。

 プラチナのチェーンに小さなリングとプレートが組み合っているもので、私の10歳の誕生日にママからプレゼントしてもらったものだ。『あずさももう女の子だから』って。

「これを使えば、ママに会える?」

「お袋さんの思いが詰まってれば」

「うんっ!」

 もう一度ママに会えるなら躊躇なんかない。


 ネックレスを外そうと胸元からチェーンを引っ張り上げると、ネックレスはシャリンとか細い音を奏でて、キラキラと光のダンスを踊り始めた。

 チェーンをたどり、首の裏にあるフックに手をかける。

 ネックレスを外すのなんて簡単な事だ。なのに指先が思い通りに動かない。

 こんな事も思い通りにできないなんて。

 自分の衰弱っぷりに情けない気持ちで一杯だ。

 だが、いつもなら「どんくせー野郎だな」くらい言いそうなうーちゃんが、ネックレスを外す私を黙って見守ってくれている。


 外したネックレスはそっとベッドの上に置いた。重なり合うリングとプレートがツッとずれて良き具合に落ち着く。まるで準備ができたサインのように。

「本当にいいのか」

「うん」

「じゃ呼び出すぞ、お袋さんのことをしっかり念じろ」

 こくりとうなずき、静かに目を閉じる。

 うーちゃんが何かを始めたのだろう。辺りにウワンという共鳴音が響きわたり、瞼越しにネックレスが色を変えながら光っているのが分かる。

 何かお香のような匂いがする。白檀びゃくだんのようないい香り・・・

 その光とお香の香りに身をゆだねているうちに、夢うつつの気分になってきた。

 ・

 ・

 ・

 気が付くと私は光のドームのようなものに包まれ暖かな場所にいた。でも場所は元いた病室のようだ。

 金色の光のラインが天井を抜けてここに降り降りてきている。

 その光の筋のまわりにチンダル現象のような金色の粉が舞う。

 なんて幻想的な景色。

 その横に人の気配を感じて振り返るとそこにいるのはママ!


「ママ!」

 優しく微笑んで椅子に座っている。


「あずさ」

 今度は嬉しさのせいだろうか、言葉にならない感情が湧き出て来てまた涙が出てきた。

 今日は泣いてばかりだ。


 ベッドにもたれていた体をひねり起こしてママに触れようとすると、あれ、もう触っている筈なのに掴めない。

 温もりはあるのに、スカッと通り抜けちゃう。

 そんなスカスカを繰り返す私を見ていたママは、にっこりほほ笑むと落ちつた風に話し始めた。

「ごめんね、あずさ」

「ママ・・・」

「あなたを残して死んじゃって」

 そう言ったのだ。そう確かに死んだと。

「ううん、私が悪いの、ごめんさい、ごめんなさい」

 涙声になってしまう。

「あずさは悪くないわ」

「だって・・・・」

 もうくちゃくちゃの顔になっているだろう私を見て、ママは困った子ねぇという表情を浮かべている。

 そして脈絡もなく、ひょいと話題を切り替えた。


「ねえ、あずさ。あなた、いつから魔法少女なんてやってたの?」

「へっ! なんでそれを!?」

「こっちにいるとね、いろいろわかっちゃうのよ」

「黙ってて、ごめんなさい、私が魔法少女なんてならなかったら、ママは・・」

「いいのよ、あなたが魔法使いにならなくても、同じ結果が待っていたわ。ママのことは気にしないで。あずさがやるべきことをやりなさい」

「やるべきこと?」

「不思議の国のアリスみたいな子があずさのことを待ってるわ。一人ぼっちで助けてって言ってるわよ」

「あの子。ゴスロリの子!」

「助けてって声がするの。あずさ助けてあげて」

「でもママを殺した子よ!」

 なぜという思いが、否応なしに荒げた声に現れてしまう。

「そうね。でも、ママはあずさにあの子を助けてもらいたいの。ママのお願い」

 だんだんと、ママの姿がぼんやりしてくる。

「ママ! 待って! 私もそっちに行きたい!」

「パパをお願いね。パパは寂しがり屋さんだから、あずさがいないとダメなの」

「ママ!」

「最後に会えてよかったわ。一緒の時間をくれてありがとう。あずさのこと本当に愛してる。抱いてあげたい」

「ママ!」

 そしてあずさのママは、抱くことはできなのだけれど、ベッドの上にふわりと移り両手を広げると私を抱いた。

 その姿が霧が消えるようにふわーと虚ろになっていく。

「マ・・マ・・」


 ハッとして意識が戻った。

 何が起こったのか? 一瞬、夢かと思ったが胸の真中と背中の辺りにさっきまで誰かに抱かれていたような暖かさが残っている。

 そして、チェーンを残して消えたネックレス。


「会えたか」

「うん」

 チェーンだけになったネックレスを両手に乗せて、しみじみと眺める。

「なくなっちゃった・・・・」


「ママがね、ゴスロリの子を助けてあげてって。なんでだろ。ヒドイ子なのに・・・」

 じくじく泣きながら、そのことをうーちゃんに訴えると、うーちゃんは人間っていのは魂の存在だ。魂ってのはエネルギーそのもので意思そのものだ。おまえのお袋さんは、そういうのを全部許せる魂なんだろう。だからお前が魔法少女の選ばれたのかもしれないと言った。

 適当に言ったみたいな内容だったが、うーちゃんが言ったことは本当なのだろう。まるで別人のような響きを持った声だったから。


「助けるって言ったって、何をすればいいのかも」

 やや暫くの間があって、うーちゃんが口を開いた。

「・・・・おまえはどうしたいんだよ」

「そんなの・・・・だって、魔法少女が何かって事も分かんないのに」

 そして当たり前のしじまが訪れた。

 空調音だけが聞こえる部屋は、時が止まったような息苦しさに満ちている。

 差し込む日差しがベッドに届き、もうお昼を随分過ぎた時を示していた。

「教えてやるよ」

 うーちゃんは、躊躇ためらいながら、ゆっくり言葉を紡ぎ始めた。

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