セレブの館にようこそ①

 学校帰りの通学路を一人とぼとぼ歩いていた私の前を、子猫が横切った。

「あ、子ネコ!」

 子猫はピタリと足を止めて、声の主を見つめている。

 その金色の瞳には、同じく黒い服を来たナナミが映っていた。


 艶やかな黒毛。均整のとれた顔立ち。そしてビー玉みたいなまん丸の目。

 前足を地面から上げて、こっちをジッとみている。

「か、かわいい」

 ボソッとした言葉だったが、その言葉には、この子を愛でる想いがぎっしり詰まっているのが分かる。

 何もギャルギャル『かわいいっ!』と叫ぶだけが想いの表現ではない。

 もっとも、伝わりやすいのは確かだろうが。


 「ちっちゃいなー。かわいいなー!」

 べつに猫が好きなわけじゃないけど、この子はすごくかわいい。


 「やわらかそうだなー。あったかそうだなー」

 触る前から手の感触がうずいている。

 べつに温もりに飢えてるわけじゃないけど、この子をなでなでしたい。


 いっちゃなんだけど、普段の私は子猫やハムスターをみて、かわいいっって叫ぶキャラじゃない。逆にふーんってクルーに装っている。

 その方が楽だから。

 女子同志の連帯って面倒くさい。誰かがかわいいって言ったらグループの皆でかわいいって言わなきゃ、いろいろ面倒なことが起こる。

 そんなの穏やかな時ならできるど、気持ちがササクレてるときは結構辛いのだ。自分にウソをつくのは本当に疲れる。

 でも、このときの私はちょっと違ってた。本当に疲れてたのかもしれない。

 気が付けば、柄にもなくその場にぽふっとしゃがんで子猫に優しく呼びかけていた。


「怖くないから。おいで。おいで」

 すると子猫もゆっくりと体をこちらに向けて、警戒しながらも一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。

 自分でも驚くネコ撫で声。これが母性本能ってヤツ? だめだ本能には逆らえない。

「チチチ、いいこ、いいこ」

 ネコちゃんを呼ぶときって、舌を鳴らすけど本当にこれで安心するのだろうか?

 でも、確かに近づいて来るんだからそれなりに効いているのだろう。


 よしよしとか大丈夫だよなんて、言いながら小さく呼びかけ続けると、子猫は首をかしげながらソロソロこっちに近づいてくる。

 そっと前足を置くしぐさが、かわいい。かわい過ぎる!

 これでにゃーとでも鳴かれたら、私の理性は崩壊しそうなほどに。

「なー」

 なーーーーー!!!! 理性の堤防決壊!! 何がクールだ。あっさり崩壊しました私の理性。だめだ、我慢できない!

 触りたい! あのまるっこい背中をこの手で撫でたい!

 尻尾を上にぴんと上げてコッチを見ている所を見ると意外に人馴れしてるらしい。

 もしかしたら、触らせてくれるかもしれない。

 手の届く範囲にきたところで、そーっと手を伸ばして黒猫の頭に手を乗せる。

「いいこ、いいこ」

 優しくそっと撫でると、子猫はなーと泣いて目をつむり頭をすくめる。嫌がる素振りはないようだ。

 これは脈ありだ! もうちょっと踏み込んで喉もノリノリ触ってみよう。

 喉元をちょいちょいと指で触ると、目を細めて気持ちのよさそうな顔し始めた。

 こ、この子、いちいちかわい過ぎる!

 ああ、抱っこしたい。抱っこしていいよね。いや、抱っこするしかないでしょ。両手を差し出して前足からそっと抱き上げると、


「にゃー」

 ひゃー! たらんと伸びた!

 焦るな! 私。ここで焦ってぎゅっとしたら逃げちゃう。ここはまず、膝の上にそっと乗せるんだ。

 てれんと伸びた足をスカートの上に乗せると、子猫は足をバタバタさせて着地を確認し、そのまま丸くなって居場所をつくった。

 こちらだけ向けた顔には、子猫特有のあどけない瞳。


 オーーーノー!

 いじいじしたいが、せっかく落ち着いたんだ。ちょっとそーっとしてあげよう。

 すると子猫は安心したのか、うにゃーとあくびをして私の膝に顔をうずめてお眠りモードに。

 悩殺!!!

 脳、殺されました! ハートを射抜かれました!

 ああ、私はいまどんな顔してるだろう。絶対クラスの奴らには見られたくない。


 起こさないように毛並みにそってゆっくり背中を撫でてあげると、暖かい体温が手に伝わってくる。

 子猫は気持ちいいのか、無抵抗になでられるままだ。

 私もきもちいい、毛のやわらかさに癒されるー。


 ひとしきり撫でまわすと、んんっ、首のあたりに違和感が。

 撫でる手を止めて、その辺りをまさぐると、そこにあったのは首輪だ。

「あれ? この子飼い猫なんだ。だから」

 指先で首輪を先を追うと喉の方には金属のタグがあり、そこには小さな文字で住所が書いてあった。


 ××区何某○丁目 長谷川


「飼い主さんだ。随分遠いなぁ。この子、迷子なのかな? 子猫なのに。連れて行った方がいいかな」


「なー」


 手を止めるなと言いたげに子猫が鳴く。

「連れけっていうの?」

 また子猫が、なーと鳴く。

「わかったよ、お家に連れてってあげる」

 ああダメだ。無抵抗なワタシ。


 ・・・・


 長谷川さん、長谷川さん。

 「え、ここ? ここのお屋敷?」

 何度も住所を見返すが、確かにここが件の住所のお家だ。

 なんですか? この広さ。石塀の向こうが見えないんですけど。

 それに門扉の荘厳さ。

 大きさだけで気持ちが負ける。腰が引ける。

「どんな人が住んでるのよ」

 子猫を帰さないといけないが、呼び鈴を押す勇気が出ず鉄門扉の前をうろうろしていると、「あっ!」何に反応したか黒猫ちゃんが私の腕からぴょんと飛び出して屋敷の中に入ってしまった。

「ちょっとっ!」

 まだ子猫なので、鉄柵の合間なんか関係ない。てててと入り口から通じる石畳をかけてゆく。

 その視線の先に人影が。

「あっ!」

「あっ!」

 向こうもまさか誰か居るとは思わなかったのだろう、お互い突然現れた相手にびっくり。

 鉄柵の門扉を挟んで、二人の視線がバッチリ合った。

 扉の向こうの少女は片膝にかがんで、いま飛び込んだ子猫を胸に抱えているポーズで静止している。

 きっとご主人様だ。

「・・・・あなたが、連れてきてくださったの」

「は、はい」

「ありがとう、昨日の夜から居なくなっちゃって探してたの。どこにいたのかしら」

「私の学校の近くに」

「ごめんなさい、それって結構遠いところかしら」

「あ、いえ、そんなに、ここから歩いて40分くらいですから」

「そんなに遠くから! わざわざ連れてきてありがとう」

「そんな。かわいくて離れがたくなっちゃって」

「まぁ、猫ちゃんがお好きなのね。遠くからいらして疲れたでしょう、ちょっと一休みしていかれませんか」

 いらしてって、そんな言葉づかい初めて聞いたよ。

「でもわたし」

「時間だったら大丈夫よ。車で送らせるから。このまま恩人を返せないわ」

 いや猫一匹で恩人なんてと思いながら、ご主人の腕のなかでなーなー鳴く子猫がかわいくて、ついお邪魔してしまった。

 客間に通されて、やたら豪奢なソファを勧められる。

 超緊張。

 座るとふんわり包まれるような座り心地。布団ですかこれは。


「私は、レベッカよ。ベッキーって呼んでね」

「わたしナナミです。藤原七海。わたしもナナミでいいです」

「ナナミちゃんね、よろしく。ナナミちゃんもネコちゃんが好きなのね」

「いえ、そんな好きってほどじゃないですけど、かわいいなと思って」

「かわいいって思うんすもの、きっとお好きなのよ」

 ですものですか。この人お嬢様かしら?

 見たところ、中学生? 高校生かもしれない。大人のお姉さんって感じだ。

 髪はブロンドで軽い縦ロールが入っている。でも目は茶色。おっきいなぁ160センチ以上あるよなぁ。

 もっとも私のサイズから見たら、みんな大きい人だけど。

 そして、柑橘系の香水の香り。


 初対面なので話題もなく、無難な年とか学校の話しをするが、慣れない家にいる緊張感から自然とネコちゃんに目がいってしまう。

 その子猫は、部屋中をのんびり回った後、すっとテーブの上に飛び移ると、そのままぴょんと私が座るソファーに飛んできた。

 そして皮地に足を鎮めながら悠然とソファの上を歩くと、私の膝の上にぽにっと陣取りそこに落ち着いた。


「ムールは、あなたのことが気に入ったみたいね」

 膝をキッチリそろえて座る私の膝の上を見つめて、ニコニコ顔で言う。

「ムール?」

「だって黒いでしょ」

「もしかして貝の?」

「そう。響きもかわいいじゃない」

 両手をパンと叩いて、嬉しそうに笑う。

 変わったセンスの持ち主だが、その屈託のない笑いを見ると悪い人ではなさそうだ。

「そうだ、私が作ったクッキーあるの。ちょっと待ってくださる」

「いえ、おかまいなく」

 と言い終わる前にベッキーは席を立って部屋を出てしまった。パタパタという足音だけが遠くなる。

「はぁ」

 主が居なくなったのでちょっと息が抜ける。

 背筋の緊張を解いて、部屋の中をぐるっと見回すと、煉瓦の暖炉? バッファローの剥製? ここ日本だよね。

 それに見慣れぬ調度品の数々。

 かつて家具屋で見たことのある、どこに家にあるんだろうというネコ足の椅子や、彫刻が施された角家具があり、その中にはロイヤルコペンハーゲンやエインズレイの食器がさり気に飾られていている。

「すごー、別世界だなぁ」

 あ、食器の名前は適当だけどね。


 感心しながら遠目に天井の飾り彫りやらシャンデリアやらを見ていると、お手伝いらしき人がお茶を運んできた。

 きっとメイドさんだ。でもテレビで見るような若い女性がピラピラの服を着たそれではない。本当のメイドさんって年も上だし地味~な黒服なんだ。エプロンみたいのはしてるけど。

 そのお手伝いさんが、銀トレイから慣れた手つきでお茶を入れる。


 何? なんか美しい花柄が書いてる器なんですけど。

 飲み口が薄い。取っ手も華奢で乱暴に扱ったら絶対壊れる。

 これは落とせない!

 緊張で手が震えてきた。

 カチカチ言わせながらソーサーにカップを置くと、ベッキーがクッキーを持って部屋に戻ってきた。


 小走りに対面のソファに座ると、「どうぞ、召し上がれ」とクッキーを差し出してくれた。

 イチイチ言葉が聞き慣れない。

 別段、我が家が粗野なわけではないが、召し上がれなんて使わない。

「じゃ、いただきます」

 サクッ

 いい歯ごたえ。

 香ばしい香りが口いっぱいに広がり、それが鼻に抜けるふくよかさ。

「おいしい・・・・」

「ありがとう。そう言っていただけて嬉しいわ」

 おいしいお菓子を食べたせいか、さっきまであった緊張も空の彼方に飛んで行ってしまい、なんだか俄然幸せな気持ちになってきちゃった。

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