第31話 そこにいたことの責任EXTREME③
「や、そりゃ急に夜勤入ってくれってのもなんだけどね?」
「無理です」
「え?」
「無理です。絶対に」
「え、都ちゃ――」
震える声と腕で電話を切り、頭から毛布をかぶった。
震えた。
人間が惨殺されるところを二度も目の前で見てしまった。
布団の闇の中、紅本はスマホを見る。10:29、4月11日(火)。
戻ってきている。どう考えても。
この流れでもう一度夜勤になど出る気になれるはずがなかった。
どうしよう。警察に行くべきか。それとも店長に伝えるべきか。このコンビニは狙われていると伝えて――
――なんと説明すればいいのか。
「夢で見たんです」と言えばいいのか? 「未来から戻ってきたんです」と?
その説明の方法を考えるより、「そもそも今日は夜勤に行かない」という選択をするほうがずっと簡単に思えた。
そうするだけで、少なくとも自分の身の安全は保障されるだろう。無理に強盗を止めようとするよりよっぽど確実な安全策だろう。
でも、
でも、その場合。
あの客は、いったいどうなってしまうのだろう――――
店にいるのが紅本でも違う誰かでもそこは関係ない。客からすれば知ったことじゃない。そんな事情とは関係なく、彼は今夜も店に来るだろう。
そして、無惨にも殺される。
それはダメだと紅本は思った。
名前も知らないような相手だ。よく来るから顔は覚えているが、それがどうしたという話。まったくもって、赤の他人。純度百パーセントの他人。
その程度の相手ではあるのだが、紅本は二度も見てしまった。
死に際の、光を失った蓮川の瞳を見てしまったのだ。
助けてくれと求める瞳を。
恨みがましく自分を見る瞳を。
ここで、
ここで見捨ててしまったら、それはもう、
寝覚めが悪い――――程度の後悔では、済まない。
「……あのう、すいません」
「あ、都ちゃん? よかった、出てくれる気に」
「えっと、夜中よく来るジャージの人いるじゃないですか。紺の。くらーい感じの、大学生くらいの。……あの人、どのへんに住んでるかって、わかりません?」
「…………は?」
当然、店長はそんなこと知らなかった。
なぜそんなことを聞くんだと迫る店長をあしらいながら思い出した。
『死んだ。……死んだかな? 死にましたか? ねえ蓮川くん、君死んだ?』
一緒に血の臭いと死に顔まで思い出してしまって紅本はえずいた。が、
「蓮川」――と、呼ばれていた。
『あんた弟いるって言ってたじゃん。高校生の』
『クソガキがひとりいるけど』
『その弟に聞いてほしいんだけど』
『ん?』
『ハスカワって名字の知り合いいないか、聞いてほしい』
『ごめん、意味わからん』
『あたしもわかんない』
『ちょ』
たぶん名字だろうとは思うが、ひとり暮らしの大学生はふつうハローページなんか持ってない。持ってたとしてもこの時代個人宅の番号が載ってるかは知らない。
よくある名字ではない、と思う。
あのコンビニの常連ということは、家もたぶん近くにあるはずだ。
弟か妹がいるのであれば、どこかで引っかかるかもしれない――紅本に思いつけたのは、その程度。地元がこっちだという友人に片っ端から掛け合ってみて、ハスカワさん宅の位置を探った。
見つかるかどうかの自信はなかった。
見つからないならそれでもいいと、内心ひそかに考えていた。
その場合は、『私にはどうにもできないことなんだ』ということで、
不可抗力だったということで、あきらめがつく。
許される――
『ハスカワって蓮の川で字あってる?』
『わかんないけど』
『弟知ってるっつってた。プリント届けたことあるって』
見つかってしまった。
『で? 住所送ればいいの? ていうかあんた何すんの? めっちゃ怪しくない?』
『 』
『いや』
『落とし物、拾ったから、届けようと』
『いや警察いけばいいじゃん』
『 』
『おばあちゃんだったから、いや、届ければお礼とかもらえるかなって』
『そんなセコい考えでお宅訪問までやっちゃうんだ……』
『あはは』
警察に頼んで終われるならば紅本だってそうしたかった。
夕暮れにたどり着いたマンションは、少なくとも自分の安アパートよりはずっといいところのように思えた。
親か兄弟が出たらどうしよう、と気づいたのはインターホンを押してから。なんと説明すればいいだろう。蓮川くんの友人ですと名乗るにも下の名前を知らない。
やっぱり帰ってしまおうか。どうせ赤の他人なのだ。
出てこないならしょうがない。私にできることはもうやった。その上でうまく行かないのなら、それはもう私の責任じゃない。
玄関ドアに背を向けて、紅本は歩き出そうとする。
固く目を閉じ、頭を振って、決意して一歩踏み出した瞬間、
動かなくなった蓮川をめった刺しにする泥藤の姿が、脳裏をよぎる。
もう一回。
もう一回だけ押してみて、それで出なかったら帰ろう――
――という工程を、都合五回ほど繰り返した。
やっぱり帰ろう、いやもう一回だけ、をかける五ほど反復して、
それで根負けしたのか知らないが、
がちゃり、とドアがほんの少し開いた。
わずかな隙間から、おどおどと暗い表情をのぞかせる――
まだ生きている蓮川創の姿が、そこにはあった。
「……」
「……」
「……あ、の」
「は、はいっ!」
控えめに口を開いた蓮川は「誰だこいつは」という顔をしていた。当たり前だ。これが逆なら紅本も同じような顔になったことだろう。プライベートで蓮川と出くわす機会があったとして、そのとき「あ、この人バイト先によく来る……」と即座に気づけるかってそんなわけはない。蓮川のほうも同じだろう。
「……すいません。今日、ちょっと、父も、母も、家には……」
「あ……あー、いや、そういうわけじゃないんです。そういう用では」
「……?」
じゃあ何の用だと顔に書いてあった。もっともな疑問だと紅本も思う。
が、蓮川宅を突き止めることで頭がいっぱいだった紅本は、突き止めたあとで何を言うかのプランをまったく持っていない。
これでもかというほどパニクった。
(え……。え? なんて言う? 『今日絶対コンビニ行かないでください!』って言う? それ意味わかんない女じゃない? ほんとにそれで大丈夫? いやでも、『なんかわかんねえけど気味悪ぃから今日はやめとこ……』くらいで大人しくしててはくれる……? ……大丈夫? ほんとにそれで大丈夫?)
混乱にぐるぐると目を回す紅本の頭の中では、今、
過去二回の血に塗れた惨劇の光景がぐるぐると回っている。
(三時……三時。今? 夕方? 強盗来るのが三時。死ぬのが三時。それまで見てないと……見てるって何。夜中まで? どこで? え、どうすれば……)
切られた喉から笛のような音を鳴らして苦しみ悶える蓮川。飛んできたナイフが足にぐさりと刺さって崩れ落ちる蓮川。めった刺しにされて悲鳴も出せずにうめき声だけを上げる蓮川。
どうして助けてくれないのだと、哀しげな怒りのこもった視線を、
黙って見ているだけの自分に向ける、今際の際の蓮川――
「わ」
「……?」
「わ、私の家、来ませんか!?」
紅本は緊張すると極度にテンパる性質だった。
幸か不幸か蓮川の両親はその日家に帰らないらしく、加えて言うと蓮川自身が押しに弱いタイプだった。
そういうわけで、混乱しきった紅本の勢いに押し切られた蓮川は――
ほぼ初対面の女性の家に無理やり連れ込まれることとなった。
「はー……えっと、あの、創造……クリエイトのほうの創造、の、創?」
「ああ、はい。一応……」
「かっこいい名前だね。……あ、そうだ。私はですね、下の名前
「はあ……」
「……」
「……」
そして連れ込んだ側の紅本も今更のように悔い始めていた。
この微妙な空気をどうしろというのか。入る前に一応一言だけ「汚い部屋だけどごめんね」と声はかけておいたのだが、実際に惨状を目の当たりにした蓮川が一瞬(うわっ)という顔をしたのを紅本は見逃していなかった。ほぼ初対面の相手をこんな部屋に連れ込むなんて自分は何を考えていたのか――じゃ、なくて。
――この女は、いったい何を狙っている?
そんな露骨な不信感が、蓮川の全身からずっとにじみ出ている。
「ええっとですね、なんだったっけ。キャピタル彗星……っていうのが、昔あったでしょう。あ、いや、あったの。あったんです。ちょうど私が生まれる年に」
「……いや、それはまあ、知ってます」
「あ、知ってた?」
「なんか、……地球に、ものすごく接近したとか、なんとかの……」
「そうそう、それ。まあそれで、ああいうの誰が名前付けてるのか知らないけど、capitalって首都でしょう。だから、それにちなんで都って名前になっちゃった」
「……はあ」
「ほんとに近くまで来たって話だったでしょ? だから、地球に当たんなかったのは神様のご加護がなんとかって、親が妙に感銘受けちゃったみたいで……」
「……」
「はは……」
初対面らしく名前の由来がどうとかの話もしてみたが、その程度で拭い去れるはずもなく。ゴミ山の中、蓮川はずっと不可解そうな表情を浮かべていた。
「……あの」
「は、はい」
「……なんで、急に、こんな……家なんか……」
「あ、……えーっと……」
そして蓮川は出て当然の疑問をついに紅本へとぶつけた。
出て当然の疑問ではあるのだが、紅本は答えを用意できていない。
「……その、よく、来るでしょう。コンビニ。私のバイト先の。夜中に」
「……ああ、はい」
「いつも、なんか、……暗そうな顔してるから。つらいこととか、あるのかなって」
「……」
「まあ、……常連さん、だからね。いつもいつも見てると、なんか気になっちゃって。だから、何か悩み事があるなら、一晩、相談に乗ってあげられたらなー……って、思った」
「……」
「……」
「……そ、」
「……それだけの、理由で……?」
「……はい……」
それだけの理由しかでっち上げられなかったというのが正直なところだった。
なにが「だから」なのかまったくわからないと言いながら自分で思ったし、「なぜ家を知っていたのか?」という疑問については一切の説明がされていない。「こいつは絶対に怪しい」と即断して逃げ出してもおかしくない状況だ。
時計を見る。十時すぎ。むしろここまでよく引き止めた――
――けれど、蓮川は逃げ出さなかった。
状況への対応で手いっぱいだった紅本自身は気づいていない。
見るからに混乱している様子でわけのわからないことを言う姿を見て、「とりあえず、悪だくみのできる人間ではなさそうだ」と蓮川が判断したことにも、
口から出まかせのつもりだった「つらいこと」が蓮川の境遇をどんぴしゃりで言い当てていたということにも、紅本は気づいていなかったし、
今まで、ろくな目に遭ってこなかった蓮川が――それが露骨に怪しい赤の他人からのものであったとしても――気遣いの言葉をかけられて、どんな気持ちになったのか。
紅本自身は、気づいていない。
「あれかな、枕変わると寝れないタイプみたいな」
「そんな感じです」
「実は私もそんな感じでして……」
「……や、そっちは枕変わってないんじゃ……」
「いや、あはは……」
時刻は深夜三時を回って、紅本はどうしても寝付けなかった。
前回前々回と同じなら、そろそろ凶行が始まる時間。
さすがに大丈夫だろう、とは思う。
それでも、怖くてしょうがない。
もぞもぞしているうちに蓮川まで目を覚ましてしまって、けれど寝付けない事情を話すわけにもいかず、紅本はトイレに席を立った。
大丈夫。
大丈夫。
何をどうしたらコンビニ強盗がこんな安アパートに来るというのか。
一晩やり過ごして、それで終わりだ。
出すものも出さず便器に腰かけ、祈るように両手を組んでいた紅本は――
ベランダのほうから聞こえた物音に、背筋が凍る思いをした。
「いや、夜の散歩ってしてみるもんだよな。おまえん家こんなとこにあったのか?」
サルみたいに雨どいを登ってきた泥藤が降り立ったそのベランダには、
うずくまっている蓮川の流した赤い血だまりができていた。
呆然と立ち尽くす紅本を、泥藤と蓮川が同時に見た。
「あ、どうも。……どうも? どちらさま?」
蓮川と紅本を交互に見やり、それから足元の蓮川を蹴飛ばして、へえ、と泥藤は感心したような声を上げた。
「あれなに? 姉? 似てない。彼女か。え、おまえ彼女とかいたんだ。まじ?」
失血に焦点の定まらない目で、しかし蓮川は紅本を見る。
その瞳が、前回見たものよりいくらか優しい色をしていたことと――
ぜえぜえと空気の漏れる喉から、最後に、「にげて」という言葉が、自分に向けて紡ぎ出されたことに――
こんなときだというのに、紅本はたしかに安堵した。
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