第24話 誰かの記憶―⑥
記憶の再生はいつになくあまりにも淡白に始まった。
なにせ――
「おお。すげえ偶然!」
コンビニの自動ドアをくぐったらすぐそこに泥藤がいたのだ。
乾いた血がこびりついたナイフをレジの店員に突きつけて、カウンターに肘をついている。そんな姿勢で、店内に入ってきた僕の姿を横目に捉え、よっ、と手を挙げたりしてみせた。
当然、この身体の主はとても困惑した。恐怖より先に混乱が来た。
「え、あ、え、……え、なんで……」
「コンビニ強盗なーうっ」
ばっちりポーズを決めてから、しかしなうってもう古ぃよなあnowなのによお、と泥藤は自分で言って笑った。
まさかこんなものと遭遇するなど想像だにしなかったこの身体は、眼前に広がる奇妙な光景を前にして完全に凍り付いている。視線を泥藤から外すことはできず、しかしコンビニの掛け時計はギリギリ視界の端の端に入っていた。
だから、この身体に入っている僕は、おおよそだがそれを読むことができる。
三時十分前後くらい、だろうか。窓の外の暗さから見て深夜。
「いやなに、家追い出されたからさあ。何するにしても先立つもんっていうのが要るわけよ。だからまあとりあえず、コンビニでも襲うかなって」
月曜だからジャンプ買って帰るわ、くらいのノリで泥藤は言う。
レジの奥で刃を向けられている店員も、もはや声すら出せなくなっているようだ。後ろで結んだ茶色の髪、メガネの奥の瞳は入口のこの身体と泥藤との間を小刻みに行き来して――
――この店員、紅本じゃないか!?
時刻と店員が一致している。
つまり、これはさっき見た――根来が殺された場所と同じコンビニか?
「いや、なーんか隠し子みたいなのが見つかったらしいんだよなー。いや違うか、この場合は俺のほうが隠し子か? まあなんでもいいけど、なんか俺よりもーちょい
どーやって生きていこっかなあ。
ため息と一緒に漏らしたその台詞、声色、表情だけを追えば、それは悩める思春期の、十七、八の子供でしかなくて――
けれど、その手の中の刃は、子供のおもちゃと片付けるには赤すぎたし――
後に続いた台詞も、血に濡れていた。
「あ、そういやちょうどよかった。今日さ、三栖と会ってきたんだよ」
「え」
「三栖。殺してきた」
「……え」
「殺してきた」
あまりにも唐突に投げられた台詞に身体の主は凍り付いた。
それがよくなかった。
レジと入口の間のあってないような距離を泥藤はものの数歩で詰めて、
驚きに目を見開く暇すら与えず、身体の主の首を掻き切った。
「なんにも言わなかったよ、おまえのこと。さみしい友情だよな」
悲鳴を上げるにはもう遅すぎた。
喉に開いた大きな穴から叫び声が空気に化けて抜けていき、
「――いやああああああああああああああ!!」
その代わりというわけでもないだろうが、レジの奥で紅本が叫んだ。
どうでもよさそうに泥藤は振り返り、やはりどうでもよさそうにつぶやく。
――じゃ、ついでに二キル目いったほうがいいかな?
猛烈に後ずさった紅本が背後の壁にぶつかる音を床伝いに拾いながら、しかし身体の中で渦巻く感情はもはやそんなもの気にしてはいない。
死にゆく身体はただひとつだけのことを考えていた。
夜のコンビニに入ったらなぜか知り合いが強盗に入っていて、出会い頭にあっさりと殺された。
本当にゴミみたいな死に方だ。
なんなんだよこの人生は。
この生涯にどんな意味があった。
僕の人生、なんだったんだよ―――――
* * *
「三栖じゃない。なら笛木……」
「――おい」
「……三栖と笛木って知り合いか。知らない。知らない知らない思い出せない!」
「おい!」
「泥藤……泥藤ぉぉ……あの野郎……」
「落ち着け。……落ち着け!」
「でいとぉぉおおぉぉ……クソ野郎クソ野郎クソ野郎……っ!! あの野郎!」
気づくと、僕は床に手を打ち付けながら泣いていた。ほとんど過呼吸寸前の荒い息をしながら、柔らかい絨毯の毛をひっつかんで、むしり取って、泣いていた。
テンションが異様なことになっている。
他人の記憶を見すぎたせいでいろいろと混線しているのだろうか。
剣を、スライムを、そしてこの僕を、理不尽に、無残に、身勝手に――
殺し続けた泥藤というクソ野郎への憤り!
吠えた。
「――にが価値だよクソ野郎ッ!! 泥藤おおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」
「――――大丈夫だから!」
油のにおいが漂う白衣に、ふと抱きしめられて我に返った。
ここは――いつもの会議室だ。
スライムの記憶を見終えてなお、僕はまだ気絶したままらしい――
――エビルの顔は見えないけれど、その声はすぐ耳元から聞こえる。
「……大丈夫。大丈夫だから……ちょっと、落ち着け。な。大丈夫だから」
ちょっと痛いほど強い力でエビルは僕を抱いていた。
悪夢を見て目を覚ました子供をあやす母親のように――
背中をぽんぽんと叩いて、大丈夫だから、大丈夫だからと、優しい声で繰り返す。
「何か、あったか? ……何か、思い出したのか?」
背中をさする温かい手に、少しずつ呼吸が整っていく。
詰まった喉がそれでようやく言葉を通すようになり、僕はぽつぽつと語り出す。
「なんか」
ただし、それでも
低気圧の日のような頭痛。覚えのある、この頭痛――
「なんか、言ってたんです。思い出した」
痛みの中に見えるビジョン。
スライムの記憶を見たのがきっかけなのかどうかは知らないが、
また僕は
思い出したことがある。
「でも思い出せない」
でも、全部ではない。
一番、一番大事な部分が、もやがかかったように思い出せない――
「――何を信じてくれって言ったのか全然思い出せない!!」
* * *
それは、たしかふたりでコーヒーカップに乗っていたときのこと。
「え"」
くるくると回るカップの中、線になって流れていく背景をバックに、紅本が素っ頓狂な声を上げたのは――
「十八歳。……高校生?」
「あ、まあ……一応、はい。誕生日が四月の頭で……」
「……高校生?」
年齢を聞かれて答えた、そのとき。
無地のパーカーに適当なジーンズ、髪は下ろしていてメガネもかけていない。これまで見てきた制服姿とは少し違う印象の、しかしやっぱりいまひとつ冴えない。そんな格好の紅本は、カップ中央のハンドルに手をついて、呆然と言った。
「……と、年下だったんだ……」
「……ええっと、じゃあ年上なんですか?」
「私は一応もうお酒飲めるよ。っていうか、じゃなきゃ夜中のバイトなんか……」
まったく中身のない返し方をしてしまったが、なんと返せばいいかわからないほど紅本は動揺していた。けれど動揺しているなりに察してそこで突如身を乗り出す。
「いや、高校生があんな時間にコンビニ通い詰めてるって、どうなの」
「あ、……あー……まあ、はい」
それに答えようとすると、ちょっと面倒な自分語りを挟まねばならない。
ちょうどそのとき時間が来てコーヒーカップが止まってくれたので、ひとまずこの話はうやむやになってくれた。
けれど、何もかもうやむやにするわけにはいかなくて――
「……あの」
「なに?」
次どこいこっか、などと気楽に目を輝かせる紅本を呼び止め、
聞かなければならないことを、聞く。
「……なんなんですか? これ」
紅本は僕の年齢を知らなかった。知らなくて当たり前なのだ。
だって彼女と僕の関係は「よく行くコンビニの店員と客」というそれだけのものでしかなかったわけで、名札に書いてあるとはいっても僕はこの店員の名前すら記憶していなかった。言われてなんとか「べにもと」だと、そういえばそんな名前の人がレジにいたなと思い出しこそしたものの、名札はひらがなで書いてあるから漢字だとどうなるのかさえ知らない。その程度の関係でしかない。
それは紅本も同じであるはずだった。僕が彼女を知らない以上は。
でも、どういうわけだか今朝、紅本は僕の家に押しかけてきて――
この人誰だっけと目をぱちくりさせている僕を強引に連れ出した。
県ひとつ越えた先にある有名な遊園地まで、強引に。
流されるだけ流されてしまったが、意味も目的もわからなかった。
電車賃どころの話ではなく遊園地代からホテル代まで全部紅本が持つという。
アヤしい事件に巻き込まれでもしているのかと疑うレベルである。
「……なんなんだろうね、ほんとうに。なんでこんなことしてるんだろう」
聞いても紅本は答えてくれなかった。
僕より年上、酒が飲めるというからには、たぶん大学生くらいだろうか。
それにしては妙に疲れきった、その年頃の人間が見せるには悲壮感が強すぎる表情を、一瞬だけ紅本は見せて――
一度、深くため息をついた。
「……実を言うと」
「はい」
おどけた調子で指を一本立て、
それから、
紅本は、それから――
「私、実は―――――――――――」
「―――――って言ったら。信じて、くれるかな?」
一番肝心な部分、
よりにもよって一番肝心な部分の記憶だけが、
鍵でもかかっているかのように、どうしても、
どうしても、思い出すことができない――――
* * *
「……待てよ」
ときどき僕の背をさすりながら黙って聞いていてくれたエビルが、そこでふと、思いついたように。
「剣の中身……たぶん根来、が殺されたコンビニと、スライムの中身が殺されたコンビニがたぶん同じ。店内か店外かの違いはあるにしても……」
口元に手をやってしばらく考え込み、それから改めて首を傾げた。
「……え? じゃあ、なんで――」
けれど僕はもうほとんどエビルの言葉を聞けていない。
スライムの記憶を見た余りの時間でこの会議室に来た以上、とどまれる時間はそう長くない。すでに身体が目覚めそうになっている――
力の抜けきった体で、ずるずると胸板に頬をこすりながら崩れ落ちていく僕を、エビルは抱きとめる。
「え、ええい……またかよ、もー! わかった、わかったから……次は、もうちょっとまとまった時間取って来い! あたしもちゃんと頑張ってるから!」
眠気に抗い視線を上げ、見ればエビルは灰色の髪の上から『成せば成る!』と達筆な字で書かれたハチマキを締めていた。
油に汚れた手が示す先には、ピカピカになったリンカネくんとミスフォーちゃん。
「次来るときまでには、たぶん何とかなってる! だから……」
僕の頬にそっと両手を添えて、エビルは、噛んで含めるように――
「……どんな危ない目に遭ってんのか、わかんないけど。ちゃんと寝て、ちゃんと戻ってくること! わかった!? わかったら……行ってこい!」
そう言い聞かせる姿が、まるで母親のように見えたと。
母親の記憶なんてまだ戻っていない僕が言うのは、おかしいだろうか?
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