第23話 誰でしょう?
「――――根来は泥藤に殺されてこのふたりと紅本は接点あり!!」
「ひゃっ」
叫びながら跳ね起きた僕はサレスの鼻っ面に頭突きを叩きこむ形になった。
揺れる髪が漂わせるフローラルな香りにようやく目を覚まして、あたりを見回す。
壁や床にびっしりと書き込まれた魔法陣――例の、隠れ家であるらしい。広場からここまで戻ってきたようだ。
「お、おはよう……。……元気そうで何より」
緑色の瞳を痛みににじませ、鼻声涙声でサレスが言う。
頭突きと、手間をかけさせたことに関して詫びを入れてから、しかし――
「あの、すいません」
「なに」
「その、眠り薬とか、眠らせる魔法みたいなのって、ないです?」
「……?」
「……えっとですね。使ったら即座に眠りにつけて、それで、……十五分くらいでサクッと目が覚めるような、そんなの……」
「……」
きょとんと首を傾げるサレスに、さすがに意味がわからないかと悔いる。
根来を殺したのは泥藤で確定、その場に紅本も居合わせたことがわかった。ついでに、泥藤の殺人の動機も。
新たに手に入れたこの情報、一度エビルと共有しておくべきか――と思いつつ、しかし僕は今気絶から目覚めたばかり。改めて寝直せというのも厳しい。
だから、なにか都合よく寝たり起きたりできる魔法があれば。
話が早くて助かるのだが、さすがにそんなわけのわからない魔法は……
「まあ、あるけど」
「あるんですか」
あった。
ローブの懐から取り出した水色の薬瓶を受け取って、しげしげと眺める。
「……需要、あるもんなんですね、こういうの」
「うん。気に入らない相手に飲ませていたずらをしたり、気に入った相手に飲ませてイタズラをしたりする」
なにか不穏なことをさらっと言われた気がするが、さておき。
一息に、瓶の蓋を開けようとして――
「ちょっと待って。今使うの」
「あ、まあ……。はい」
「今。……なぜ?」
たぶん今までで一番不審なものを見る目が僕に向いていた。
考えてみれば当たり前というか、なんか勝手に魔法剣触って自爆して気絶した輩が目覚めて早々薬まで使ってもう一回寝ますなんてほざいたら僕でもそんな目をするだろう。どう説明したものかと頭を悩ませ――
そこでふとノックの音がして、サレスはその応対に出た。
「……失礼します」
「状況は」
「芳しくありません。魔導士たちは結界の維持と怪我人の治療に手いっぱいで、誰ひとりとして手が離せない」
入ってきたのは、ひとりの兵士。なんとなく見覚えのある顔な気がしたから、たぶん初日に城壁から矢を射って僕を助けてくれた誰かかもしれない。けれど、きわめて真剣な表情で話すふたりの姿を見ている限り、僕などが割って入る隙はなさそうだ。
「それで、僭越ながらサレス様にお願いが」
「わかっている。私も」
「いえ、ではなく……」
自分も戦場に出ると腰を上げかけたところを制されて、サレスは怪訝な顔をする。
手が足りないのは事実だが、しかしお願いというのはそこではなくて――
「……メリル様のことなのです」
さて、話はやや過去にさかのぼり――今より一日か二日ほど前。
長引く魔物との攻防で、結界にわずかなほころびができた。
そしてそのわずかな隙間を縫って、なんと街に魔物が侵入した。
しかも、兵士たちはしばらくそのことに気づいていなかったのである!
……とだけ書くと一大事のように見えるのだが、実際のところその魔物はほとんど何もしなかった。人を襲うこともせず、暗い路地裏をこそこそと隠れるように移動し、街はずれにある公園の
それきり何もしない。
社会に絶望した引きこもりのように井戸の中から出てこないらしいのだ。
とはいえ、現在カイロス王国は非常に切羽詰まった状況。魔物が入り込んでいるなんて騒ぎになったら大パニックだし、そもそも今おとなしいからと言ってこれからも何もしないとは限らない。
そういうわけで手の空いている兵士たちは魔物を追い出しに向かったのだが、なにぶん
一応他国の王女ということでいったん王宮に通されて、とりあえずはおとなしくしておいてくださいと言い含められていたメリルが聞きつけた。
その結果何が起こったか?
「私が行きます!」
昔から動物になつかれた彼女は、竜の言葉がわかる彼女は、ドラゴン相手に《王家の威信!》などと言い放ってみせた彼女は。
人を襲う気配がないならたぶん話も通じるだろうということで、止める言葉も聞かず一目散に交渉へと向かったのだ。
井戸の奥に引きこもる魔物――
くだんの公園は兵士たちによって人払いがされていた。
「なるほど、なるほど。魔物の社会っていうのも大変なんですね……」
だから、ドレス姿の王女様が井戸に向かって話しかけているという奇天烈な光景を見た者は他にいない。落ちても知らないぞと心配になるほど深く身を乗り出して、井戸の底を覗き込んでいる。
「わかります。私も、昔からどんくさいってよく言われてて……。兄さんはなんでもできましたから、それが余計にプレッシャーで」
「あのー……」
「やーっ!?」
顔がすっぽりと沈んでしまっているので、仕方なくその背中にそっと声をかけた。のだが、この王女様は強烈にパニクった。結果苔むした石にずるりと身体を滑らせて井戸の中に――落ちそうになったところに死ぬ思いで飛びついて、なんとか足首をつかむ。
とはいえ人ひとりぶんの体重、僕の身体も勢いを支えきれず上半身を井戸の中へ持っていかれる。逆さ吊りになったメリルが悲鳴を上げ、それが井戸でくわんくわんと反響し、紅色のドレスがめくれ上がって中の――中の――『威信!』と胸中で叫んで目をそらし、井戸の底には薄桃色の水がたまっていて、
最終的に、サレスの差し伸べた
「み、みっともないところをお見せしました……」
「お見せしましたというか、進行形で見せられている」
「あの、いや、わかってるなら下ろしてもらえると」
「…………」
しばらくの間メリルを逆さで浮かせたまま放置していたサレスにも何か思うところがあったのか知らないが、神経と体力を使った僕は芝生の上で大の字になって目を閉じて荒い息をしていたので王家の威信は守られています。
「……そういうわけでですね、魔王が指揮をしてるわけではないみたいなんです」
スカートの裾を気にしながらメリルが語ったところによると。
魔王が復活すると同時に、魔物の侵攻が異様なほど激しさを増した。その理由は別に、魔物たちが魔王にあてられたとか、魔王が魔物を強化したとか、そういうのではなく――
単純に、恐怖政治というやつ。
当初、トポスに現れた魔王は、トポスという国を滅ぼした魔王は――
人間だけでなく、魔物までまるごと皆殺しにしてしまったそうだ。
「
――魔物とは何か? 人間の敵だ。
――人間を殺すのが魔物の存在意義で、
――それをどれだけうまくやれるかが、魔物の価値というものだ。
――俺の世界に価値のない者はいらない。
――価値を示せ。殺してみせろ。
――それができない腑抜けたやつらは、
――轢き殺されても、文句を言うなよ。
「魔王による制裁を……いえ、制裁は少し違いますね。魔王の視界に入れないことを、その他大勢として殺されてしまうことを、魔物たちは恐れているようで。それで必死に、人間を襲おうとしている」
泥藤は、"価値"に拘泥するあの男は、
この異世界からすべての生命を消し去るつもりだとでもいうのか?
ふたり殺しそこなったやつがいると泥藤は言った。それが目的だと。
なら、これは
「そういうわけですから、ついていけない方々もいるみたいで……。あまり戦いの得意でない魔物は、魔王から逃れるように隠れ潜んで静かに生きている」
そんなふうに
サレスは黙って腕を組んでいる。
「教えてくれたと。その魔物が」
「はい」
「……で、その当人は」
「……」
とても、怯えているんです――
メリルは心底からの憐れみを声色に込めてそう言った。
「元いた場所から、ここまでなんとか逃げてきて……けれど、もう限界だと。自分のような弱者には人を殺すことなんてできないし、魔王の侵攻も止められそうにない。結局、自分はここでもダメなんだ、価値なんて何もないんだと。……本当に、つらそうで」
(……言葉、すっごいわかるんですね……)
(幼少期、鹿撃ちに山へ行ってサラマンダーを連れて帰ってきたことがあった)
(えっ)
(実に手間取ったとユースから聞いてる)
(……)
ともあれ、ひどく感情移入しているらしい。
肩をすくめたサレスは、長い杖を構えながらメリルに問う。
「我々の前に、出てきてもらうことは」
「……あのう、スライムさーん! えっと、えっとですね……この方たちは、決して、悪い人じゃないんです! あなたを退治したりなんかしない! だから……」
再び井戸に向かって叫ぶも、返ってきたのは反響のみ。メリルはふるふると首を振った。
では仕方ない、と一言だけ。
ハナからそれを想定していたかのように、サレスは杖を振り上げて――
「コード:フィッシュ」
細くて青い光の糸が杖の先から飛び出して、井戸の中へと飛び込んでいく。
ぴんと糸が張った次の瞬間、ぎしりと重みに杖をしならせ――
サレスは、井戸の中から
――ばっしゃぁん!
バランスボール大の水塊が地面に投げ出され、派手な水音を立てる。
でも、水は飛び散ることがない。
それこそ、中に水を入れた透明なバランスボールのような。
薄く水に溶いた食紅のようなピンク色をした水の塊――スライムが、
僕と、サレスと、メリルの三人が見つめる前で、ぶよぶよと弾んでいる。
「……珍しい色をしている」
「あ、ですよね? たしか、普通スライムって水色……」
顔らしきパーツがなにひとつない、正真正銘ただの水のかたまり。ゆえに自信はもてないが、スライムは気まずそうに体をねじっているように見えた。砂時計みたく体の真ん中がくびれて細くなっているので、ねじっているのだろうという推測。
そんなスライムを、異世界出身の女性陣ふたりは興味深げに眺めていて――
僕はといえば、これが"普通と違う"スライムであるという点を、耳ざとく聞き取っている。
「まあいい。……王女様、できるなら、通訳をお願いしたいのですが」
「あ、はい。ええっと……」
すぐに態度を切り替えたサレスの指示に従い、メリルはスライムに向き直り――
そこで、ふと首をかしげた。
「……え、ええっ? どうしたんです?」
言われて観察してみると、スライムはなにやら小刻みに震えているように見える。
加えて、冷えたグラスが汗をかくように、バランスボール状のスライムの体の表面に――それこそ冷や汗のように、細かい水滴がいくつも浮いている。
そして。
なんだろうと身構える僕と、汗をかいているスライムとを――メリルは、あたふたと交互に見つめている。
その視線は、やがて僕ひとりに注がれるようになった。
「……あのう」
「……ビクテムです」
「あ、はい。……いえ知ってます。名前は以前お聞きしました。お聞きしたのですけど、えっと……」
「……お知り合いですか?」
スライムのほうをおずおずと手で指して、引き気味に、そう質問する。
スライムの知り合いなんかいるわけがなかった。
だから、面識があるとするなら――人間だったころの彼と、という意味になる。
「えっと、何か……?」
「言ってるんです。さっきから、このスライムさんは」
「……なんと?」
「『
とても言いづらそうにメリルは口ごもって、困惑しきった表情で続ける。
「『何者だそいつは』『なんのつもりだ』『なんのつもりで、そんな――』こんなことを、何度も、何度も。……あの、この方、本当に怯えています。いったい、どういうご関係で……?」
どういうご関係と聞かれても、という話だが――『おまえは、誰だ?』
六人の転生者のうち、まだ僕が接触できていなかった最後のひとり――スライム。
三栖か笛木のどちらかだろうと踏んでいた、最後の転生者。
それが『何者だそいつは』と来た。
このスライムの
違う。
なにひとつ知らないのであれば、おまえは誰だなんて聞いたりしない。
このスライムは
僕を一目見て
「……すみません」
「え? ……え、何をするつもりですか?」
スライムに向かって一歩踏み出した僕を、いぶかしげにメリルは見やり――スライムをかばうようにして、その前に出た。
サレスが短くそれを制する。何かを察してくれたのだろうか。
メリルはいっそう困惑したように僕を見つめ――
スライムが突如その場から逃げ出すようにぼよんと体を跳ねさせたが、サレスが杖をひと振りすると、縛られたようにその場で動かなくなる。
紫色の魔法使いに、僕は頭を下げてから――
スライムの薄桃色の体に、そっと手を触れた。
電流―――――――
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