第21話 そこにいたことの責任 ―①
エビルは粗相をした子供のように縮こまって正座をしていた。
が。
「……わりと最近の話で」
「はい」
「でかいやらかしがあったんです。とてもでかい」
「そのやらかしというのは」
「……」
「……」
「……言ったら、絶対ドン引きされるから、言わない」
「…………」
「…………」
あろうことか、この神はここに来て自分のミスの隠蔽に走った。
言ったらドン引きするとは言うが、現時点でもうエビルを見る僕の目は既にドン引いているという話で……。
「……た、たぶんこの件には関係ないから! この件には関係ないはずだから! それに、あたしもその件でさすがに反省したんだよ! それで固定力だって強めた!」
「固定力?」
耳慣れない単語につい僕がおうむ返しに質問してしまうと、追及の手が緩んだと感じたかエビルはいつもより三割増しのドヤ顔で、咳ばらいをひとつ入れてから講釈に入る。
「『こんなイベントがこのとき起こる』と決まったら、よっぽどのことがない限りそこから外れない。不測の事態を排除して、世界全体を予定通りの未来に進ませる力。それが固定力ね」
「……ええっと。レールに沿う、って言いますと……」
「たとえば、あたし前々から『2025年に人類は宇宙人と初めて接触する』ってイベントを現世に設定してるんだけど」
「25年ってわりと近くないですか!?」
「やっば」
といっても僕は死んでいるのでもはや関係などないのだが、それにしたって衝撃の真実だ。とっさに口元を押さえる下から「素でネタバレしちまった……」というくぐもった声。
オフレコで頼むと申し訳程度に付け足して、続ける。
「固定力が弱かった今までは、フライングして第一種接近遭遇しちゃうやつなんかもいっぱいいたのよ。25年より前にね。それが固定力を強化してからはすっかりなくなった。25年に出会うってイベントが固定されたから。そんな感じ」
「……今までに撮影された、UFOとか宇宙人の写真って……」
「いくつかはマジだったと思うよ」
「…………」
ともあれ。
だからこそこの件は妙なんだと、エビルは疲れきった声でぼやいた。
「当たり前の話をするけど、現世のフリーズなんて予定をあたしは組んでないんだよ。これは固定力をぶち抜いて発生した事件。何が起きるか固定されるってことは、起きるはずのないイベントは
「だから、誰か魔法を使える人間が現世にいたってことでしょう!」
一喝すると、エビルは歯切れ悪く首をかしげて考え込み始めた。
「……ほんとに一大事だったからさあ、あんとき。いろんな力を使ったよ。もー何もかもがてんてこまいで、なかったことにするのに手いっぱいで……」
「だからですね、結局何をやらかしたんですか? それを教えてもらえな……い、と……」
間の悪いことにここで
安堵したかのように額の汗をぬぐったエビルは、両手にどこからか取り出したスパナとドライバーを握りしめると白々しく話題を変えた。
「と、とにかくだ! あたしは頑張って二機直すから! がんばってもう一回直すから! そっちのほうでも、なんとか、その……まあ、なんとかしてくれ!」
こ、これが神の言うことか!?
憤りが言葉になる前に、僕の意識は霧散して――
――目が覚めると、そこは病院だった。
いや、病院というか、なんだろう?
広い部屋の中に簡素なベッドが所狭しと並べられて、その間を修道服姿の男女やローブを着た魔法使いたちがせわしなく歩き回っている。設置されたベッドは空きひとつなく負傷者で埋め尽くされて、なんだか映画で見たような気がする、戦場で負傷した兵士たちを治療する施設のような、この場所は――
野戦病院、とでも言えばいいのか。
ベッドのひとつに寝かされていたようで、とりあえず身体を起こす。取り立てて傷も痛みもなし――
隣のベッドが妙に騒がしい。
祈祷なり治療なりの最中なのだろうか、ずらりとベッドを取り囲む僧侶も魔法使いも揃って眉間にしわを寄せ、玉のような汗を額に浮かして、全身ぼんやりと発光している。その人垣のおかげで患者が誰なのか見えなかった僕は、さして深い理由もなく、治療者たちの隙間からベッドの上を覗き見て――
――見なければよかったかと後悔した。
とんとんと肩を叩かれて、ぎこちなく振り返る。
「……おはよう。起きた」
「あ……」
ユースの魔法剣を、大事そうに、胸に抱くようにして持っている、サレス。
返事もできず、ただ隣のベッドを指さして金魚みたく口をぱくぱくさせるだけの僕に、変わらず紫のローブを羽織った彼女は静かに首を振った。
僕の怪我は大したものではなかった、ゆえにもう出歩いて構わない。手短にそれだけ伝えて、サレスは親指で外へ出ろと指した。
いつかも来た噴水広場に、今度はサレスとふたりだけでやってきた。
水場の女神像は相も変わらず凛とした立ち姿を見せているし、行き場のない人々を救う一筋の希望であるところの炊き出しだって、先日と変わらず続いている。
だというのに、広場の隅々にまでいきわたるこの閉塞感は――
前に来たときよりも、避難民が増えているからだろうか? 前に来たときの四国に加えてさらに一国、滅ぼされてしまったからだろうか? それとも――
ユースのあんな姿を見てしまったせいで、僕が気落ちしているだけなのだろうか?
夏の縁側の風鈴みたいに、サレスの声は静かに染み渡る。
「ユースがかばってくれた。私たちを」
僕の隣のベッドで、ユースはうつぶせに寝かされていた。
奇妙なデザインの黒いシャツを着ている、と間抜けなことを一瞬考えて――
それが炭化した皮膚であると、
ところどころのひび割れからのぞく白や桃色や暗紅色の正体が、露出した真皮だか筋肉だか皮下脂肪だか、出血だか、とにかくそういうものなのだと理解して、一気に血の気が引いた。
背中で語る男の生き様――語るにしても、口数が多すぎる。
怒鳴りつけられたようだった。
こうまで身を張って助けた命が、眠っている間エビルとくだらないことを話して、何も知らず調子に乗っていたのだと思うと、急に恥ずかしくなった。
「少し、時間はかかるし……その間、ユースは動けない。でも、直らない傷じゃない。それは保証できる。……心配は、いらない」
「すみませんでした」
「謝罪も、いらない」
「……すみませんでした」
背中で受け止めてくれたのだという。魔法剣の力もフルに活用して、それでも受けきれなくてあの様だが、僕とサレスとメリルと、三人だけは守り通したと。
あのとき、魔王と対峙したユースはずっと何かを探していた。
何の時間を稼いでいるのかと魔王すら言った。転移魔法陣の準備はとっくにできていた。逃げ出す算段は整っていた、にもかかわらず――
「……僕が、ついていったから」
置いて逃げたってよかっただろうに、ユースは、離れたところに飛ばされた僕をずっと探していたのだ。
四つ――いや、今となっては五つの国を滅ぼした、規格外の魔王を前にして。
ほんの数日前に知り合った身元も正体もわからない男のために、
己が身を危険にさらしていたのだ。
「もともと、ついてこいと言ったのはこっち。ビクテムが気に病む必要はない」
「でも」
「それに」
そんな理屈で全部納得して、そうだよ元はおまえらのせいじゃねえかよと全部放り投げてしまうには――いくらなんでも、重すぎるのだ。
目に焼き付いた火傷の跡は、
持ち上げて、どこか遠くへ放り捨てて、それで全部忘れてしまえるような――
そんな重さでは、絶対にないのだ。
「ユースは、そういう人だから」
だから、この理屈は本当に卑怯だ。
助けられた側の罪の意識を、すすぐ機会が与えられない。
まぶしいほどユースは強かった。
どうしてそんなに強いのだろうと思った。
「あの人は、どうして、あんなに……強く、なれたんですか?」
「少し違う」
「え」
「それでは、少し語弊がある」
けれどこの問いはこともなげに否定された。
「昔から、ユースは剣技に秀でていて……カイロス王家始まって以来の、それどころかこの世界始まって以来の、不世出の天才だと言われた。魔法の才だってあった。ゆえに、『どうして強くなれたのか』と聞かれると、答えに困るところがある」
「……」
「ユースは、もともと強かった。
淡々と語るサレスの目はあくまで淡白に僕を見据えている。
五年前。カイロス王国に、王家に、
「ただ、いくら強いとはいっても、ユースは別に聖人ではない。人並みに恐れるし、人並みに怒る。妹とケンカをすることだって、あった」
「妹さんと……」
「その日は、王女様の誕生日だった。当然、立派な祝いの席が設けられ、けれどふてくされていたユースは誘いを蹴って遠くに出ていた」
「……
「そう。嵐の日」
サレスが胸に抱く魔法剣。持ち主を選ぶはずの魔法剣。
その剣を今、サレスは苦しむこともなく手にできている。
剣にも意思があるというのなら、――その正体が、根来であるというのなら。
彼にも、なにか思うところがあるのだろうか。
「ユースは、昔から強かった。それこそ――」
そこにいない誰かをいたわるように、
刀を優しく抱きしめたサレスが、一瞬聖母かなにかに見えた。
「
そもそも、戦うことができなかったそうだ。
「戦って負けたわけじゃなくて、ユースはその場にいなかった。当時でも、きっと黒竜と渡り合うことができるくらいには強かったのに、そもそもその場に居なかった。だから、ずっと後悔してる」
「『殺されそうになっている人がいた』」
「『それを助けるだけの力が、自分にはあった』」
「『なのに、助けなかった』」
「『助けられなかった』」
「――『
底冷えのするような声色で言って、サレスは静かに目を閉じる。
「ここまで、本当にあっという間だよ。罪悪感っていうのは、すごく重いから。簡単に、そう思い込む。そうじゃないってどれだけ言っても、納得してくれない」
あの場で、ユースはなんと言ったか。
勝てないことがわからないわけでもないだろうに、なぜ逃げない?
魔王にそう聞かれて、彼は――
――人殺しにはなりたくないと、誰に言うでもなく、呟いた。
もう誰も何も言えなくて、しばらくの間沈黙があった。
気まずさを打ち破るためにというようなガラでもないだろうが、サレスがふと刀を見つめて口を開く。
「この剣。治療に影響を及ぼす可能性があるからと言われて持ってきたけど……今日はなぜか、私にも持てる」
「……そうですか」
「なぜだか、声まで聞こえる」
「……」
「ユースも、言ってた。君と一緒にいる間、この剣は決まって同じことを言うと」
「……どういうことをです?」
ちらりと、サレスが視線を流した。
「『そいつに近寄るな』『そいつは危険だ』『間違いない』……こういう台詞」
ずいぶん嫌われてる、とつぶやいてサレスは笑った。
あまり深刻にはとらえていないようだった。
記憶がないとほざく僕を、一切の正体がわからない不審者を。仇討ちを果たさせてくれた魔法剣がそう言うにもかかわらず、僕を怪しむこともなく、むしろ身を投げ出して救ってくれた。
恩を、返さなくてはならない。
「すみません」
「なに? ……なに?」
ゆっくりと歩み寄ってくる僕の姿に、サレスはわずか眉をひそめた。
けれど今は知ったことではない。
もう一度――
もう一度、同じことをすれば。
なにか手がかりが得られるかもしれない。否、
なにか、手がかりを得なければならない。
「今から、僕、また吹っ飛ぶんで……できれば、こう、フォローというか、うまくキャッチしてくれると嬉しいです」
「は……?」
サレスがきょとんとした表情を浮かべたその隙を突いて、
腕の中にある刀の柄を、僕は掴んだ。
触れた指先から高圧電流が這い上がってくるような強烈な痛みが腕にあって――
勢いよくはじき飛ばされた僕は、今度は、女神像に激突することはなかった……気がする。
たぶんサレスが魔法で受け止めてくれたのだろうとは思うのだが。それを確かめるより早く、全身を駆け巡る雷撃のような痛みに――僕は、気を失った。
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