鍵はただひとりの記憶

第20話 『創世こぼれ話』―①


「……どうしたものかな」

「また直すしかないですね……」

「リンカネくんもミスフォーちゃんも使えなくなった以上……」

「また直すしかありませんね……」

「やっと事情が呑みこめてきたってのに。ここで手詰まりとは……」

「また直すしか」

「……ううぅうううー……!!」


 リンカネくんの残骸という賽の河原からエビルは目を背けようとしていたが、ここで背けられると本当に詰んでしまう。

 白衣というか灰衣みたいな色になってしまったお召し物はところどころ穴も開いて地肌が透けており、けれどさすが神のメガネというべきか(?)メガネだけは無傷で残っているためかなり倒錯趣味っぽい格好になっている。その格好で子供みたいに頭を抱えてうずくまっているのが神だというのだから本当にどうしたものか。


「大変だろうとは思いますけど、でも本当に大変なんですよ。六つある"プライマル・コード"の五つが魔王に取られた。二対四なら勝負になるって言ってたのが一対五です。これじゃ魔王を倒す術がない」


 それに――と、付け加えて。

 "プライマル・コード"を六つ揃えれば、神にも等しい力が得られる――魔王は、その力を求めていた。何のために?

 殺したいやつがふたりいる。

 ふたりだけ仕留め損なった。

 世界が違うから、普通じゃ殺れない。

 神レベルにならないと世界越えるってできねーらしいんだよな――――


「このまま泥藤を放っておいて、"コード:カイロス"まで奪われてしまったら……六つ、揃ってしまったら。異世界が終わるだけじゃなくて、魔王は現世にまで手を伸ばすかもしれない。現世まで、滅ぼされてしまうかもしれない!」

「……滅ぼされるかもって、もう止まってるだろうよ」

「それだって、魔王の力かもしれない。現時点でもう魔王は現世への侵攻を試みていたのかもしれない! それで無理があるとわかったからフリーズにとどめてコードを探すことにしたのかも。それで今、ついに五つ集まった――」

「それに関しては」


 す、とエビルは腕を突き出した。レンズの奥に光る薄青の瞳、いつになく冷たく光るその瞳、神の英知が溶け込んだ青色。

 突き出して大きく開いた手の指を、三本折って――なぜ急にピースサインを、なんて疑問がよぎった僕の脳もだいぶ緊張している。

 

「二重の意味で、心配いらない」

「……二重?」

「まずひとつだけ言っとくけどね、異世界にいるやつが魔法で現世を攻撃するなんてのはどうやっても不可能だ。こればっかりは魔王がどんなに強かろうと関係ない。世界のルールの問題だから」


 顔も声も真剣そのもの。いつもの間の抜けた調子ではない、神の言葉でそう語る。


「ルール……ですか」

「そう、ルール。そりゃあ異世界にはいろんな魔法があるよ、でもね、世界の壁を飛び越えて現世にまで届く魔法なんてのはない。ふたつの世界へ同時に働きかける魔法なんてのは、ない!」


 いいかいと指を一本立てて、僕にびしりと突きつける。


使。これが絶対のルール。っていうか、これ逆でもそうだからね? 仮に現世で魔法を使ったとして、でもそれが異世界に届くことは絶対にない」


 そこまで一息に言い切って息継ぎをし、エビルは話をまとめに入った。


「ひとつの世界の住人が、違う世界に触れることなんてできない。ふたつの世界の両方に干渉できるのはあたしだけなんだ。そのあたしだってふたつ同時に弄るようなことはできない。ひとつずつ触ることができるってだけ」


 神でこれなんだから強い弱いの問題じゃない。

 これは絶対の、ルールの話をしている。

 

 そう結んだエビルの言葉に、気になることが、ふたつ――

 些細な疑問のほうから聞くことにした。


「あの、すいません。しょうもない話なんですけど」

「なんだい?」

「『現世で魔法を使ったとして、でもそれが異世界に届くことは絶対にない』……って、今言いましたけど……」


「ありえる仮定なんですか? それって」


 現世には魔法なんてない、それは今まで現世で暮らしていた僕が保証できる(記憶はちゃんと戻ってないにしても)。そんな魔法が当たり前のように存在する世界だからこそ、異世界は"異"世界と呼ばれるのだろう。

 それが、現世でも魔法を使えるみたいな言い方をしたエビル――

 もののたとえと言ってしまえばそれで済む程度の話だが、少し気になったのだ。

 

「あー……。まあ、そのへんは……そこ説明しようとすると……その……」


 組んだ腕の二の腕の上で人差し指をぺちぺちと叩き――

 エビルは、口元を斜めにひん曲げている。


「……二重の意味って言ったよね。ひとつは今の。世界は越えられないってやつ。で、もうひとつの理由が……『プライマル・コードを六つ揃えると神の力を得られる』ってのが、まず嘘なんだって話になるんだけど」

「はあ……」

「で、『なんでプライマルコードが嘘なのか?』という疑問と『現世でも魔法って使えるの?』という疑問は、実は根っこのところでつながっている」

「……はい?」

「だからまとめて解説することになるんだけど、これを説明しようと思うと、ちょっと回りくどいところから話を始めなきゃならなくて……」


 いまひとつ歯切れの悪い、弁明のような台詞を並べ立てるだけ並べ立ててから。

 結局、エビルは――照れくさそうに、恥ずかしそうに、頬を掻いていた。



「……聞きたい? 



 裏話の類であるらしい。






「異世界は、現世よりも後に創った世界……って、いつだか言ったよね」

「はい。いつだか……」


 もはやいつだったか思い出せないが、たしかにそんなことを言っていた気がする。


「そういうわけで、あたしが最初に創ったのは現世のほう。さて……世界を創るって簡単に言うけど、それにはいろんなものが必要になるよね?」


 ここで、エビルはいたずらっぽく口元を吊り上げた。


「まずは大地が必要になる。当然、海も要るよね? っていうかあれだ、太陽。火がなくちゃ困る」

「…………」


 さて。

 最初の一言目で、虚空にジッパーを開けるかのように何もない空間に穴が開いた。かと思うとその穴からざばざばと大量の土砂が流れ出してきて足を取られる。

 次の二言目でまた穴が増え、そこからはどばどばと大量の水があふれ出して僕の全身にかかる。しょっぱかったからたぶん海水。

 三言目では、会議室の天井にミニチュア太陽のような炎の球――魔王が使ったコード:プロメテウスと似ている――が出現し、濡れた僕の服を乾かす。


「とまあ、こんな具合にいろいろ出していったわけだよ。なんたってあたしは神様だから、それだけの力が当然ある」


 もちろんこれはだいぶ出力押さえてますけどねー、と楽しそうに笑ってぱちんと指を鳴らすと、土も水も火も手品みたいに一瞬で消えた。それはいいのだがサレスといいなぜ魔法使いどもは僕で実演しないと気が済まないのか。


「こーいう力を使って、まずは土台を作る。生命を作る。で、そうやって作った世界がうまく回り始めたら、今度は様子見と微調整の作業が入るわけです」

「微調整ですか」

「そう。『え、なんでエアーズロックメキシコにあんの!? そこじゃない予定と違う! オーストラリア!』って焦りながら移動させてみたり」

「エアーズロック」

「さて、この調子だと百年後には何が起こるのかなーとちょっと未来を覗いてみて、『え、隕石で恐竜滅亡……!? 止めな……止め……止めたほうがいい? あれ、でも止めなくても案外大丈夫……?』みたいに頭を悩ませてみたり」

「恐竜……」


 だいぶ『神様』のイメージから外れた裏話を語ってくれたが、ともあれそれがエビルの力であるらしい。火や土や水を出してみせたり、巨岩を動かしたり、未来を見たり――そういう力が、神にはある。


「で。……で、だよ。ここからはちょっと説明しにくいから、感覚で理解してもらうしかないんだけど……」



「……金魚とか、飼ったことある?」

「はっ?」



 世界創造の話が突然金魚の飼い方についての話になった。

 列車が線路を切り替えるどころか180度ターンするレベルの切り替わりだった。


「たとえだよ、たとえ。金魚鉢の中に金魚がいて、君がそれを飼ってるとしよう。当然、エサをやる。なんていうの、あの、フレークみたいなやつ。袋入りのね」

「……は、はあ……」

「あたしがやってたのも、言ってみればエサやりみたいなことだったわけだよ。水槽せかいを用意して、中の環境を調整して、エサやって……金魚からしてみれば、飼ってる君は神様みたいなもんなんだ」


 それは、つまり――

 神にとって人間は金魚みたいなものと、そう言っているのだろうか?


「あたしは金魚の世話をしていた。金魚にエサをやっていた。そのときに……」


 一瞬、言葉が完全に切れた。

 何の音もない静寂。

 何の色もないエビルの表情――




「一食ぶんだけ。今食べるぶんだけのエサをやろうと思ってたのに、ちょっと手元が狂って、大量のエサを水槽の中にぶちまけてしまったり……もっとひどいときで」



「手が滑って、エサの袋をまるごと水槽の中に落としてしまうことがあった」




 完全に、真顔。

 真顔でそんなことを言われた。



「限られた時間に限られた量しか与えられないはずのエサが、大量に詰まったその袋は――金魚からしてみれば、"魔法"のように見えただろうし」

「……ええっと」

「一匹の金魚が、その袋を自分のものとしたのなら――無尽蔵に湧いて出るエサを手にしたその金魚は、周りの金魚からすれば"魔法使い"のように見えただろう」


 君はたぶん日本人だろうとエビルは言った。たぶんそうでしょうねと僕も頷く。

 ――じゃあ、陰陽師とか知らないか?

 知っていますと、僕は答える。


「タイムトラベラーとかさ、知らない? 未来から来たって名乗るやつら。超能力者とかさ、そういうのいるじゃん」

「……聞いたことくらいは」


 ――感覚で理解しろと、エビルは言ったのだ。



「百年先の世界はどうなってるか、ちゃんと滅ばずに存続してるかなって不安になったあたしが、未来を見る力を使ったとする。現世の未来を見るとする」


「そのとき、ちょっとした手元の狂い、ちょっとしたあたしのミスで、"未来を見る力"の欠片が現世に落ちる。……その欠片を、たまたま拾った人間がいたとしよう」


 そこでいったん言葉を切って、エビルはわずかに訂正を入れた。

 拾った、という言葉が適切かはわからない。

 隕石にぶつかって死ぬ不運な人もたぶんこの世にはいるだろう。

 それと同じように、たまたま落ちてきた欠片にぶつかっただけかもしれない、と。



「その人間は、未来を見ることができるようになる。――"神の力"の一部を、人間が手に入れた形になる」



 火を噴く力、風を吹かせる力、雷を落とす力、未来視、読心術、時間移動……

 すべて同じだとエビルは言う。

 だと。


「あたしが現世をいじくるために使った"力"が現世に落ちて、それで現世に"神の力"を使える人間が誕生する――これが、になった」

「着想」

「そ。人の身には余る力だからね、気づいたときにはあんまり喜ばしい状況じゃないなって思ったよ。力を持ってる人間、普通から外れた人間ってのはたいていの場合疎まれるから。でも、同時に……」


「むしろ、これを大々的に解禁してみるのも面白いんじゃないかって思った」


 この瞬間のエビルの顔は、その当時を思い出しているようなエビルの顔は――

 無邪気な子供のような笑みをたたえていた。

 これから組み立てるプラモデルのパーツをテーブルに並べて、わくわくを隠し切れなくなったような、そんな。


「神の力の一部――"魔法"を使えるのが、当たり前の世界。そんな世界を別で作ったら、それはそれで面白いんじゃないかと。そう思ったんだ」

「それが……異世界」

「そのとーり。そーいうわけで、現世の読み物とかゲームとかそういうのを参考資料に新しい世界を創ったわけね。まあ世界創るってのも手間だから、基本設計は大部分が現世のやつを流用してるんだけど」


 だから、といったん話を打ち切って、エビルはすべてをまとめに入る。


「六つの大陸に封じられた、六つの魔法。……なんか異世界のほうで"プライマル・コード"なんてカッコいい名前がついちゃったこの六つの魔法は……」


「世界を創り維持するにあたって、あたしが使六つ。つまり、六つなんだ」


「あたしが異世界を思いつくきっかけになった経緯を考えて。一番よく落とした六つを、異世界の基本設定に据えた。……それだけの裏話なんだよ、これは」


 よく使っていたというくらいだから、六つともとても便利で強力な力であるのは間違いない。が、六つ揃えると神にも等しい力が得られるなんてのはホラだ。神の力は六つどころじゃない、その程度で神になれるわけねえだろと、エビルは毒づいた。

 さて――。



「……という話をした上で振り返ると、『プロメテウス』っていい名前だろう?」

「へっ?」

「思い付いたとき、我ながらうまいなって思ったんだ。プロメテウス。なんの神様か、知ってるだろ?」

「…………」

「って知らんのかーい」


 ギリシャ神話の神様だよと、ずっこけたメガネを直しながら教えてくれた。

 創造神から、ギリシャ神話についての講義を受ける――ニワトリに卵料理を教わるみたいな違和感があるが、まあさておき。


「もともと、炎ってのは神のものだったんだ。けどプロメテウスはそれを奪った。炎を神様の手から奪って、人間に与えた。人間が火を使えるように、って。それがプロメテウスって神様で、――あたしが落とした炎の力、人間にも使えるようになった炎の魔法。だから、コード:プロメテウス。ぴったりだと思わない?」

「そこじゃなくてですね」

「ま、プロメテウスでセンス全部使い切ったみたいなとこあるから。あとの五つはだいぶテキトーにそれっぽい名前あてはめただけなんだけど……」

「そこじゃなくてですね」


 今まで聞いてきた魔法コードの名前がなんか適当なものばかりだったのはこの神のセンスのせいだったのかという納得が生まれたが、大事なのはそこじゃない。


「つまり、使ってことでしょう、その話」

、っていうかっていうか……。気づいてからはあたしも用心するようになったからね、さすがに現代じゃそういないはずだよ。あたしだってそんなしょっちゅう手ぇ滑らせてるわけじゃない」

「エビル」

「ん、なに?」

「胸に手を当てて」

「……?」平らな胸に手を当てる。

「神に誓って」

「……?」え、あたし? と自分の胸を指す。

「現代には、超能力者などいないと」

「……」

「現代では、手が滑ったりしたことなんて一回もないと」

「……」



「……断言することが、できますか?」

「…………」



 起伏の乏しい、白衣の胸に手を当てて――

 ……エビルは、だらだらと冷や汗を流し始めた。



「怒ってるわけじゃなくて」

「はい」

「状況は、正しく把握しなくちゃならない」

「はい」

「だから、正直に答えてくれればいいんです。別に怒ろうってわけじゃないんです」

「……ごめんなさい……ごめんなさいぃ……」


 断言なんてできません、もしかしたらどっかでミスってるかもしれません、すいませんすいませんと、エビルは嗚咽と共に語った。

 この神様があてにならないことは重々承知している。となると――

 魔法がある異世界ならまだしも、そんなもの基本的にはないはずの現世でフリーズなんて事態が発生したのは――もしかすると、もしかするんじゃないのか?

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