第18話
僕が気絶していたのは、時間にしてみればごく短い間の話――だと思うのだが、目覚めてまず目に入ったのが遠くでズタボロになっているユースの姿だったので自信が持てない。吹っ飛ばされはしたものの、さっきまでいた場所から大きく離れてしまったわけではない――とも思うのだが、気づけばあたり一面が一様に瓦礫と火の海になってしまっているのでやはり自信が持てない。
刀を杖に立ち上がるユース。眉の上あたりを切った右目は流れ込む血に閉ざされて、もともと軽装だった鎧はほとんど弾け飛んでなくなっている。竜殺しの剣士といえども、魔王相手では分が悪いらしい。
当の魔王は宙に浮いたまま気のない拍手を勇者に送る。
「いや、すごい。すげえな。ここまでもったの初めてじゃねえの?」
「俺に聞かれてもな……」
苦笑とともに切っ先を魔王へ突きつけることで返答とした。
――これまで、ユースは戦闘中であろうと余裕を保っていた。魔物の腕を切り飛ばす傍らまったく平常時と変わらずに軽口を叩く実力があった。
そのユースが、こんなにも困ったような声を出している。
ホームラン予告をかますバッターのようなその姿勢、口元に浮かぶ不敵な笑み。それだけならいつものユースに見える。
でも、その視線は泳いでいる。
右に、左に、不安定にさまよう。
と、いうよりは――何かを、探している?
破壊と炎の二重奏で強制的に均されてしまった平らな戦場。そこにユースは何かを見つけ出そうとしている。何かはわからないが――
――そういえば、あの竜はどこへ行った?
瓦礫の隙間に刃先を刺し入れ「コード:バースト」の詠唱と同時にすくい上げるように刀を振り抜く。派手な爆発音を立てながらつぶてが魔王に飛んでいき、しかし魔王の指パッチン一回でもっと派手な音を立てながらすべて消えてなくなる。
ユースが口の端をわずかに上げたのを見てからやっと僕は真上を見上げた。
遥か高空――落下、急降下、
ほぼ垂直に降ってきた白竜の巨体が一度体をひねってさらに勢いをつけ、
――長い尻尾に生きる遠心力。
強烈なフルスイングを、魔王に叩き込――
「うわ……ッ!」
空気が引きちぎられるようなすさまじい音――びりびりと衝撃が走る。
――魔王は、墨汁で作ったシャボン玉みたく黒い瘴気を全身にまとっていた。
球形のオーラが竜の尻尾を完全に受け止めている。
長いつばぜり合い、尾の根本の筋肉がみちみちと怒張していくのが目に見える――
「邪魔」
ハエでも追い払うように魔王が手を振るとそれだけで巨体が跳ね飛ばされる。数度羽ばたくも勢いを殺しきれなかった竜は今度こそ墜落、小さな地震を引き起こしながら大根をおろすかのごとく瓦礫の上を滑っていく。
ちぃと舌打ちをするユースは言わずもがな、見れば白竜もすでに傷を負っている。すぐに態勢を整えて飛翔するその白い翼にはしかし、包帯に点々とにじむ血のような紅色が彩りを添えていた。
見ているだけで背筋が冷えて、手近なところに立っていた瓦礫の山にそそくさと身を隠す。
もはや僕ごときにどうにかできるような状況ではないし、
そもそも、竜とユースが手を焼くような相手を前にして――
僕は、僕らは、ここから生還できるのか!?
次に魔王が取るアクションに、たぶんこの場の全員が注目している。
さて、そんな中、魔王は――
「……ああ、そうだ! 今思い出した」
唐突に、ぽんと手を打った。
いや、今までに会ってきた連中みんな話する前に死んじまうからさあ――と、陽気な口調で付け足して。指を二本立て、ユースに問う。
「三栖ってやつ知らないか? 三栖理人。メガネかけてるやつ」
「ミス……なんだって?」
「それともうひとり、笛木。笛木郁夫っていうデブ。こいつらどこにいるか知らないか? どっかで見たことない?」
「……ああ、何? それがあれか、殺したいふたりってやつ」
「違う違うこいつらはどうでもいいの。三栖と笛木はどうでもいい。でも、俺が来てるならたぶんこいつらもこっちに来てるはずなんだよ。来てなきゃおかしい」
「……魔王ってわりに若いなあとは思ったがね、ちゃんと中身は腐ってるってわけだ。もうボケが始まってやがる」
無理からぬ反応というか、普通に聞けばこんな台詞意味がわかるはずはない。
ユースは流れる鼻血をぬぐって、それから魔王の言葉を鼻で笑った。
――そうしている間にも、ユースの視線はせわしなく右へ左へ動く。
何かを探しているように。
「つーか、何? おまえそれ聞いてどうするつもりだよ。俺が知ってるって言ったら、何すんの?」
「別に大したことはしない。どうでもいいのはどうでもいい、けど、こっちに来たなら、せっかくだから――もう一回、殺してやるだけだよ」
「もう一回だと来たよおじいちゃん――コード:プロミネンス!」
火炎放射器が火を噴くように剣が先端から紅炎を噴き、これまでと違い魔王はなんの防御姿勢も取らず深紅の炎に包みこまれた。が、炎の色はすぐに自然界ではけして見ることのない青黒いものへと変化、むしろ火炎放射を逆流してユースの腕を這い上り、焼く。
壮絶な唸り声で痛みをごまかし腕を消火するユースを横目に――
「……わっかんねえなあ」
魔王は、不思議そうに首をかしげた。
「いや、ほんとに見どころあるやつだよ、おまえ。これまで俺が見た中じゃ一番。こんだけ長く遊べるやつっていなかったからさ、機嫌はいいんだよ俺」
焼けてなくなった袖の下から黒く焦げた皮膚が露出している。
――それでも、ユースはまだ、何かを探している。
「だから、時間稼ぎがしたいなら、そのくらいは俺も付き合ってやる。でもさ……おまえ、そもそも何の時間稼いでんの?」
「……それ、俺に聞いてどうすんだよ?」
「ほんとにわかんねえんだって。だってさ……」
生えた角の少し下、こめかみのあたりを掌底でごすごすと叩きつつ。
ふと、ユースの背後にうずたかく積み上がっていた瓦礫の山めがけて――魔王は、一筋の光線を発射した。
白く、とても細いその光線は、しかしきっちりと瓦礫を吹き飛ばし――
「逃げる準備なら、とっくにできてんじゃねえかよ」
――その裏に隠れていたふたりの姿を暴き出した。
うずくまったメリルをかばうように、サレスが杖を握りしめて立っている。華奢な手の甲に浮いた骨の筋が緊張を感じさせ――
ふたりの足元では、複雑な幾何学模様の魔法陣がぼんやりと青く光っている。
話の流れから察するにその陣は、ここへ来るときに使ったのと同じ。
空間転移の魔法陣。
素人目だが、それはどう見てもすでにスタンバっている。
「それがほんとにわかんねえ。用意できたならとっとと逃げればいいじゃん? そのくらいは俺も見逃してやるよ今日くらいは。でも、なんかおまえはいつまでもいつまでもたらたら
淡々と並べ立てる魔王が、むしろ逆に恐ろしく感じて――瓦礫の裏に隠れていた僕は、少しでも距離を取りたくなって、魔王とは逆サイドに移動する。
それで、僕の体がほんの少しだけ、瓦礫からはみ出した。
様子を見ようと、そっと顔を出し――
こちらを見たユースと、ちょうど目が合った。
「……なんでか、か――」
ふ、とかすかな笑みを浮かべて――ユースは、刀を腰の鞘へとしまった。
そして改めて、その柄に手をかける。
腰を落としたユースは、一瞬の沈黙ののち――
「――人殺しには、なりたくないから」
それだけぼそりと呟いて、駆けだした。
何の策があるようにも見えない、ただの特攻。向かってくる馬鹿を見た魔王すらも不可解そうな表情を浮かべている。
そうした表情をそのままに、魔王は頭の横でぱちんと指を鳴らすと――
瞬間、天から降り注いだ極太の雷がユースを直撃した。
空気が焼ける音、肉が焼ける音、耳が焼ける
――灰の山が風に吹かれて散っていくように、
霧が晴れてかき消えていくように、ユースの死体はさらさらと消滅し――
紫色に光る杖を握りしめて目を固く閉じていたサレスが、
そこで、ほんの少しだけ笑った。
「――よいしょっとォ!」
その後なぜか、ユースは僕の
「え。……え!?」
「てめーの言う通り。さっさと退散だ!」
「え、ええ!?」
僕に自分で走らせるより早いと判断したのだろう、ユースは僕の体をひょいっと肩に担ぎ上げて走り出す。
魔王はと言えば風に吹き消えていく感電死体をしばらく眺め――
「……やるじゃん。やるじゃん! なんだこりゃ、分身か?」
「そのとーり……コード:ドッペル! 分身だよォ!」
「っはー、すげえ。でもちょっとイラついた!」
ユースは振り向きもせず走り続ける。そんな余裕などないからなのだが、でも担がれている僕からは見える。
魔王は――さっきは見逃すと言ったはずの魔王は、
頭上に、太陽を展開していた。
「ゆ、ユースさ、ユースさん!」
「ああん!? ……ああ!?」
太陽と見まごうほどの巨大な炎の球を、頭上で生成していた。
一瞬だけ振り返ってそれを確認したユースが驚きにもう一度振り返る。
「いー機会だし使ってやるよ。”コード:プロメテウス”! ”神の炎”! 死ね!」
「――――ちいっ!」
このときのユースの決断はとても早かった。
肩に担ぎ上げた僕を、サレスが展開した転移魔法陣のほうに向かって全力で放り投げ――勢いあまって転がって陣からはみ出しそうになった僕を、サレスは力いっぱい背中を踏みつけるという手法によって止めた――身軽になった自分は必死で走る。
「あ――あ、あっ!」
そこで、不意にメリルが顔を上げ――
魔王に食らいつこうとしては黒い障壁に阻まれている、白竜のほうに目をやった。
「ど、ドラゴンさんは――」
そこで竜が大きく吼えたのは、果たしてメリルへの返答だったのか否か。
わからないが、当のメリルは肩を震わせて縮こまった。
「――サレス! 起動しろ!」
「言われなくても――」
――かなり、微妙なタイミングだった。
わからないまま、僕の、僕らの視界はホワイトアウトして―――――
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