第19話 誰かの…?―④


「……とりあえず、無事なようで何よりかな」

「……無事なんですかね?」


「……」

「……」


 ……さて。


「……いや、まあ、こうして戻ってこれたわけだからね。寝てる間は魂が抜ける」

「……抜けたまんま、もう戻る身体が燃え尽きちゃって無い、みたいなのでは……」


「……」

「……」


 ……さて!

 どうにかこうにか、あの死地からこの会議室まで戻ってくることができた。ほんとに死線を潜れたかどうかは目覚めるまでわからないが、ひとまずよしとしておく。でなきゃ話が進まない。

 エビルは机に両肘をついて、目を閉じ、静かに手を組んでいた。乱れた灰髪、黒ぶちメガネのレンズの向こうで――考えを、整理しているらしい。


「とりあえず……そっちにも、いろいろと言いたいことはあるだろうが」


 ここでノックの音がして、会議室の扉ががちゃりと開いた。入ってきたのは、白い液晶テレビにキャタピラと長い腕を生やしたロボット――最初見たときの黒くすすけた姿と比べればずいぶんと綺麗になった、リンカネくん。スクリーンには【・ー・】の記号がやけに間隔を空けて表示されているが、もしかしてこれは顔のつもりだろうか。

 視力検査のC字のようにシンプルな造形のその両手で、コーヒーカップをふたつ乗せた盆を器用に挟み持っている。キュラキュラとキャタピラ音を立てながら絨毯の上を進んでくると、カップを僕とエビルの前に置いた。


「ある程度、ではあるんだけど。リンカネくんの修復によって、サルベージできたデータがある。そこからまずは見ていこう」


 ちょいちょいと指で僕を招きつつ、エビルはリンカネくんの液晶に触れた。

 【・-・】の顔がふっつりと消えて、代わりにディスプレイへと浮かび上がる――




【転生ログ@リンカネくんver1.03】


   転生先   転生者名   転生時刻

1. スライム / ---- 2017/04/12 3:22:51

2. 魔法剣  / ---- 2017/04/12 3:22:51

3. ドラゴン / ---- 2017/04/12 3:22:51

4. 魔王   / 泥藤 省吾 2017/04/12 3:22:51

5. ---- / ---- 【ERROR】2017/04/12 3:22:51

6. ---- / 紅本 都 【ERROR】2017/04/12 3:22:51



 まだ完全には直っていないせいで穴埋め問題みたいになっている表。


「今わかってるのが、こんなところかな……」


 エビルと肩を寄せ合って覗き込み、それから――

 ――どこから触れたものだろうと考えて、とりあえず。


「えっと、この六番目の……」

紅本都べにもとみやこ

「紅本、って人は……なんなんですかね?」

「……え、見覚えないのか?」


 あたしはてっきりあんたに見せればわかるもんだとばかり――ふたりして顔を見合わせるが、本当に心当たりがない。なくした記憶の奥のどこかに埋もれている可能性はあるが、少なくとも現状なにかを思い出しそうな気配はまったくない。

 気まずい沈黙が場に満ちる。


「……ええっと、まあ、でも、あれです。『五番目もしくは六番目』って、最初に言ってましたけど……」


 もはや遠い昔のように思えるが。最初エビルに事情を聞かされたとき、『六人中ふたりにエラーが出ている』『どちらかがおまえだ』と言われた、あれ。

 六番目が紅本なる謎の名前で埋まっているということは――


「僕、五番目ってことですよね?」

「そうなる。……そうなるからなんなんだって話だが」


 全員時刻は同じだというのに並び順がどうしたという話だった。

 連日連夜研究室に泊まり込んで実験を続けた理系学生のような疲れきったため息をついて、しかしだ、とエビルはこう続けた。


「一応、異世界で見てきた連中……竜だの剣だの魔王だのが転生者だって裏付けは、これで取れたことになる。中身・・が誰かはともかくね」

「あの、ところでこの最初の……スライムっていうのは」

「あんたが見てないならあたしも知らないよ。竜とか魔王とかあのへんみたいに派手ではないから、会わなくても不思議じゃない」

「……」


 スライム――いまいち、ぱっとしたイメージが湧かない。竜や魔王ほど派手ではないと、創造神だって言っている。

 誰だか知らないが、なんでまたそんなものに生まれ変わろうと思ったのだろう――


 ――誰だか知らない。本当に、そうだろうか?


「……僕は、剣と竜の記憶を見ました」

「ああ。なんか言ってたね」

火傷の跡がありました・・・・・・・・・・

「あん?」


 体育倉庫で男子生徒がいじめられていたあの光景――

 いじめの主犯である泥藤は、高校生のくせに煙草なんか吸っていた泥藤は、

 その煙草を見て「根性焼き」を呟いた。

 そして、教室で根来を痛めつける泥藤を蓮川が止めに入ったあの光景の中で――

 根来には、首の付け根あたりに火傷の跡がいくつもあった。


「誰か、他人の身体の中に入ってるみたいな気分だった。他人の目から世界を見ているみたいな、そんな気分でした。――僕が見ていたのは、視点人物の記憶。たぶん、そういう能力が僕には転生時に備わっている!」

「……つまり?」

「剣に触れて見えたあの光景は、剣の記憶――剣に転生した、根来視点の記憶。竜と接触して見えたあの光景は、竜の記憶――竜に転生した、蓮川視点の記憶!」

「……で、そのふたりが死んだのは……」

「泥藤です。きっと泥藤が殺した。なぜなら、泥藤は少なくとも三人殺している! 僕と! そして――」


 ――『せっかくだから、ふたりとも殺しといた』

 ――『俺が来てるならたぶんこいつらもこっちに来てるはずなんだよ』


「三栖と、笛木。……これだけ殺してる。『せっかくだから』で殺してるんだ! 根来と蓮川も、間違いなく、泥藤に殺られた! そうに違いない!」

「ちょ、ちょっと待った。三栖はさっき聞いたけど……笛木って? 誰?」

笛木郁夫ふえきいくお。クラスは違ったけど、根来の友達です」

「……知ってんの?」

「なんでかはわかりませんけど」


 記憶喪失の人間が、しかし日本語はしゃべれるし自転車にだって乗れるように――

 忘れていない記憶がある。

 自分が何者かは思い出せないのに、しかし泥藤・蓮川・根来・三栖の四人は高二のときクラスが同じだったとか、蓮川と三栖は友達同士だったとか、根来と笛木も友達同士だったとか、泥藤は有名な政治家の息子で学校では好き放題していたとか、そんなことだけはなぜか頭の中にしっかりと残っている。

 エビルは腕組みをして考えていた。


「紅本都はいまいち謎だが……それを知ってるってことは、たぶんおまえも同じ高校だろう? 六人、つながりがあるとは思ってたけど、にしても案外狭い輪になる」

「紅本についてはともかく。僕もたぶん同じ高校、っていうよりは――」


 泥藤は三栖と笛木を殺した。そして、『自分が来ているならあのふたりも異世界こっちに来ているはずだ』と、そう述べた。

 あくまで魔王の言うことではあるが、仮にこの言を信じるとする。その場合。


 ② 魔法剣 / 根来、

 ③ ドラゴン / 蓮川、

 ④ 魔王 / 泥藤、

 ⑥ ---- / 紅本【ERROR】。


 計六人の転生者から、身元・・のわかっているこの四人を除くと――

 

 いまだ姿の見えない①スライム、

 いまだ記憶の戻らない⑤僕【ERROR】。


 このふたりだけが、中身・・のわからない転生者として最後に残る。


 転生元の候補はふたり、

 転生先の空き枠もふたつ。となれば、ごく単純な話で――



「僕と、スライム。どっちかが三栖で、どっちかが笛木。そうなるはずです」



 これで、転生表はフルオープンするはずだと。

 ひとつ大きな見落としがあると気づかないまま、僕はそう思っていた。

 だから――だから、普段いまいち頼りないとさんざん馬鹿にしてきたエビルから、この指摘を受けることになる。


「自分が死んだときの記憶を思い出した、ってさっき言ってたね。ホテルの前で殺されたってやつ」

「ええ」

「そのときに言われた。『ふたりとも殺しといた』って」

「はい。『今日、三栖と笛木に会った』って――」

おまえの記憶・・・・・・なんだろう? それは」

「……はい?」


「『三栖と笛木も俺が殺した』って――それ、おまえが・・・・言われたのか?」


「……あっ!?」


 そう、これはごく単純な話で――

 僕の正体が、三栖と笛木のどちらかであるとするのなら。

 その僕に向かって「三栖と笛木に会ったから殺した」と告白するのは、おかしい。


 だが――そうなると、数が合わない。

 誰かのどこかが確実にズレている・・・・・・・・・・・・・・・

 けれどそれがどこなのかわからない。


「そもそもだな。六人目べにもとはまったく情報がないから除くとして、それでおまえを含む残りの五人が全員同じ高校の関係者だったとしてだぞ」


 その答えは創造神にもわからないようで、エビルは眉間にしわを寄せながら五本の指を順番に立てた。


「高校生が五人。……この面子で、どうやったら世界が凍る?」


 当然、神にわからないことを、僕がわかっている道理などない。

 行き詰まりの静寂が室内を満たし――

 エビルは、自ら頬を叩いた。


「……そーいうわけで何もわからないから、あんまり使いたくなかった奥の手を、今、ここで、出すことにします」

「奥の手。……奥の手!?」

「そ。名前がわかったから使える奥の手……」


 しばらく掌底で頬を揉んでから、右手の指をぱちんと鳴らす。

 すると再びノックの音がした。

 今までこの会議室の戸を叩いたのはリンカネくんただひとりだけ。そのリンカネくんは室内にいる。

 では、これは何か?

 がちゃりと音を立てて開いたドアから、ゆっくりと入ってきたのは――



 白い液晶テレビにキャタピラと長い腕を生やしたロボット。

 どう見てもリンカネくんの同型機だった。


「……」

「……」


 キャタピラ音を立てながら近づいてきたロボットは、リンカネくんの隣へ並ぶようにして止まった。立体視ができそうなほどにそっくり瓜二つなこのロボット、ただ一点だけ違うのは、スクリーンの角にピンク色のリボンがかわいらしく結ばれていること。

 液晶の端に貼られたシールに、マジックで書かれた丸文字が見え――

 ――僕の見間違いでなければ。

 リンカネくんのそれより幾分か雑な字で、『不幸度合いの記録担当 ミスフォーちゃんver1.07』と、そう書かれている……。


「と、いうわけで。紹介しよう、ミスフォーちゃんだ」

「…………」

「ミスフォーちゃんだ」

「……女の子なんですか?」

「もちろん」


 それ以上はもはや触れるまいと固く心に誓った僕は、しかし固く誓いすぎたせいで「で、これは何をするロボットなんですか?」という当然あってしかるべき合いの手を入れるまでに数分の沈黙を挟んでしまった。一度咳ばらいをするエビル。


「不幸な死を迎えた人間を異世界に転生させるのがリンカネくん。じゃあ、その『不幸な人間』はどうやって見つけ出してると思う。全国の死んだ人間をあたしがひとりずつ手作業で鑑定して、こいつは不幸こいつは不幸じゃないって選り分けてると思う? んなわけない。自動化できるとこはしておきたい」


 現世で不幸な死を迎えた人間は、異世界に転生する――

「不幸な死」の選別をするのがミスフォーちゃんの仕事で、その先の「転生」がリンカネくんの領分。そういう分業体制になっていて、つまりミスフォーちゃんには転生者ふこうなにんげんについての記録が蓄えられている。


「不幸な魂の辿った経路なんか、あんまり……見たくは、ないんだけどね」


 ただし、人間社会はいつも世知辛い。いつの時代も不幸な人間というのはとても、とても多い。だから、ミスフォーちゃんに記録されているデータはそれはそれは膨大な量を誇り、まったく何のあてもなしにピンポイントで目当てを探り当てるのは難しいとのこと。

 けれど、何もわかっていなかった最初のころとは違う。

 今はもう転生者たちの名前がいくらか判明しているのだ。


「だからまあ、こっから辿っていけばなにかしらの手がかりは出るはずだ!」


 平たい胸を気を取り直すように張り、ミスフォーちゃんのディスプレイを叩く。

 隣に並んでいたリンカネくんのディスプレイが一瞬点滅した。


「……?」


 リンカネくんのほうが・・・・・・・・・・点滅した。

 意気揚々とミスフォーちゃんの液晶をいじっているエビルを横目に、そろそろとリンカネくんに近寄った僕は――



[ 6. ---- / 紅本 都 【RESTART】2017/04/12 3:22:51 ]



【転生ログ】の一番下の段、『紅本都』の名が赤く光っていることに気づいた。

 なんだこれはと思った次の瞬間、突如リンカネくんが男声の機械音声を発する。


『エラー、一時的に、復帰』

「は? ……え? なんだ!?」


 その声に振り返ったエビルは――

 いきなり真っ白に輝き始めたリンカネくんの液晶に目をやられて後ずさる。

 まばゆい光が会議室の壁に投射され、

 プロジェクターのような格好になったリンカネくんが――――



『No.06――途絶していた《紅本 都》の転生を、これより再開します』



 そう告げた途端、閃光弾でも投げ込まれたかのようなホワイトアウト。

 まぶたを突き抜け眼を焼く白光!

 閉じっぱなしにもかかわらず、白く輝くこの視界――

 光が弱まり、視界がようやく真っ当に暗くなってくれたのを感じて、僕はおそるおそる、目を開ける。



 僕と、エビルと、そしてもうひとり――

 ――会議室に、人間がひとり増えていた。



 コンビニの制服を着た女の人だった。

 長い茶髪を後ろで結んだポニーテール、いまいち覇気のない茶色の瞳、

 ちょっと顔の印象が違うのは、オレンジ色のフレームのメガネをかけているから。


「……な、なんだ。なんだこれ? 何が――」


 エビルがようやく目を開けたころ、僕はもうとっくに顎を落としている。

 きょとん、とその場に突っ立って、目をぱちくりさせているこの女は、

 これは、

 これは――――


 僕が泥藤に殺されたあの日、僕と一緒に遊園地に行って、僕と一緒にホテルへ泊まった――謎の女の人。


「……あ、あの! え!? いや……も、もしもし!?」


 わけがわからなくなってしまってわけのわからない声のかけ方をした。

 それでようやく我に返った茶髪の女――紅本都べにもとみやこは、僕のほうに顔を向けて――


 とても凄絶な表情を浮かべた。


 驚きと恐怖と絶望を混ぜて混ぜっぱなしで割らなかったような。

 僕が泥藤に殺されるときに見せたのとまるっきり同じか、

 それよりもさらに深い絶望の色をたたえた、どん底の顔。


 どうしたものかわからなくなって、呼びかけに上げた僕の手が揺れる。

 その揺れがとても恐ろしいとでもいうように、紅本は弾かれたように後ずさった。


「ご、ごめんなさい」

「え?」

「ごめんなさい……!!」


 そのまま流れるように膝を折って、土下座の態勢へと移行する。

 床に額を打ち付けながら、こぼれた涙を絨毯に撒き散らして、何度も、何度も――


「許してください。許してください。許してください。私には……私には、私なんかには、できなかった。無理だった。ごめんなさい! ごめんなさい……!!」


 悲痛――というより、鬼気迫るような勢いで、執拗に、詫びる。

 誰に対して? ――僕に対して。

 後ろで見ているエビルが、神までもが完全に気圧されてしまって。

 一切口を挟むことができず、呆然と見守るしかないほどに――狂ったように、謝り続けている。

 無論、謝られている僕のほうも、一切のリアクションが取れない。


『エラー』


 そんな異様な空間に響き渡った機械音声は、いっそ滑稽ですらあった。

 僕もエビルもふたり揃って反射でリンカネくんのほうを向く。


『エラー発生。エラー発生。エラー発生。エラー発生』


 転生ログの画面を上書きするかのように、大量のウインドウがポップアップする。

 そのすべてに【DANGER】と黒文字で記された、黄色いウインドウが――



 露骨な警告音が聞こえたと思ったら、もう、


 次の瞬間、リンカネくんは大爆発を起こしていた。





 

 異世界で寝ている間、僕の魂はここ天国に来る。じゃあ天国でも意識を失ってしまったらどうなるのだろうか。今のは確実に意識が飛んだ。数秒ほど飛んでいた――

 はちゃめちゃに吹き飛ばされて積み重なった椅子の山をはねのけて、立ち上がる。少し離れたところで、エビルも机の下から這い出してくるのが見えた。

 全体的に失敗したトーストみたくなった会議室の中――

 紅本都は、もうどこにもいない。

 並んで立っていたリンカネくんとミスフォーちゃんはふたり仲良く並んで倒れている。ふたりのディスプレイは両方とも、縁日でやる型抜きみたいに綺麗にえぐれて穴が開いている。むき出しになった配線がバチバチと音をたててショートしていた。

 エビルと顔を見合わせる。

 ふたりして呆然と見つめ合う。

 たぶんいろいろと語るべきことはあったはずだと思うのだが――

 会話は、とてもシンプルな一言だけ。



「知り合いか?」

「知らない人です」



 とっさに知らないと言ってしまったが知っている人ではあるはずだった。なにせ死の直前一緒にいたわけだから。

 でも全然思い出せない。

 こうして直に対面して、口から黒い煙を吐くような目に遭ってなお。


 あれは何者なのだろうか。

 煤けた顔をぬぐうことも考えずにしばらくその場で立ち尽くしていた。

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