第17話 誰かの「死」の記憶ー③


 二日で四つの国を壊して回ったスピーディーな魔王だ。五つ目に手をかけたとしても、おかしくないタイミングではある。

 この場に魔王が降臨したことについてはさほど妙でもない。が、

 記憶の中の制服姿の泥藤を知っているこの目には、「いかにも魔王!」という黒絹の外套に悪魔の角を生やしたその格好がとても珍妙に映る。

 でも決してコスプレなんかではない。

 砕けて散った火山の跡地からヒトデみたいな形にマグマが流れ出している。


「俺も一応、学習ってやつをするんだよね。これだろ?」


 宙に浮く魔王――泥藤は、人差し指と親指に挟んだ赤い石を掲げてみせた。

 もっと大きくて武骨なものを想像していたが、手のひらサイズのそれには宝石のような透明感があった。色合いだけならルビーのように見える。

 たぶん光の加減ではないと思うのだが。

 紅色に透けた石の中心に、炎のような揺らめきが見える。


「これが、この世界で一番価値があるものなんだろう? そこはわかってんだよ」

「……まあずいぶんとフランクな魔王だな。こんなのが世界を壊すのか」


 ユースが舌打ちしたところを見る限り、これが"キーストーン"なのだろう。

 四対二なら勝負になると言っていたが、これで魔王が五――


「魔王か。魔王ね。会えたら一回聞いてみようと思ってたことがあるんだよ」


 ユースが刀を振り上げた。

 奇天烈な音もいい加減収まっていて、刃にはうっすらと桃色の光が宿る。

 

「――何がしたい。何が楽しくてこんなに殺す?」

「何がしたいってか……」


 手の中で宝石をもてあそびながら、少し考えるそぶりをして――

 さらりと、魔王は答えた。


「殺したいやつがふたりいる。絶対に殺らなきゃ気が済まない。とりわけあの女は、何がなんでも殺してやる」

「ふたり?」

「ああ。ふたりだけ仕留め損なった」

「……なら、そいつらだけさっさと仕留めて帰れば済む話だろうがよ。五つも国巻き込んでんじゃねえ」

「それが普通じゃ殺れねえんだなー。なんたって世界が違うから」

「は?」


 剣呑な声と視線をもって魔王と相対していたユースは、そこで軽く目を見開いた。


「六つ集めりゃ神の力って言うだろ、それ。どーも神レベルにならないと世界越えるってできねーらしいんだよな。だからコードを集めてる。道端のゴミ掃除はそのついで」

「……魔王が神を語るのか? 馬鹿らしい」


 毒づいて会話を打ち切ったのは、ユースには意味がわからなかったからだ。前提知識のない異世界人ユースに、「世界」の意味などわかるはずはない。

 僕は知っている。

 世界がふたつあることも、この魔王がそのふたつの世界を渡ってきたということも知っている。

 けれどその僕にもわからない。

 記憶の中で見た泥藤はただの高校生だった。

 いくらあくどい不良といえども、所詮は一介の高校生。

 それがなぜ世界を滅ぼす魔王などという存在に成り果てたのか、

 そして、『世界を越える』とは何か――まったくもって、わからない。


「ところで……」


 あくまでも見下ろす位置取りを崩さないまま、ふと魔王が首を傾げた。


「おまえ、もしかしてわりと強い? なんか俺と話す相手ってみんな勝手に血噴いて死ぬんだけど、こんだけ長く喋ったの久々」

「ははは……自覚なしかよ」


 魔王の全身からは黒い瘴気のようなものがにじみ出ていた。たとえ工場の煙突からだってこんな色の煙は出ないはずで、木炭がそのまんま煙に化けたような色の毒。

 刀に触れている腕を伝わって、ユースの全身は薄桃色の光に覆われきっている。それが彼を保護しているのだろうと推測すると同時に、あの瘴気が僕のいるあたりにまで届いたら非常にまずいのではと身震いもする。非常にまずい。まずいのだが、魔王のほうはそもそも僕の存在になど気づいていないだろう。

 しばらくユースを眺めていた泥藤は、やがて楽しそうな声を漏らした。


「ちょっとは見どころありそうな感じか?」

「まみれかな。見どころまみれ」

「へえ」


 煽るようなユースの言葉に――

 しびれを切らしたと言わんばかりに、白竜が雷のブレスを吐いた。


 竜の体内が雷雲、避雷針は魔王。

 白紫色のぶっとい雷撃が虚空を駆け――魔王の目前で消滅した。

 なにげなく右手を突き出しただけで、魔王は雷を消し去ってみせた。

 牙と敵意を剥き出しにして白竜が低い唸り声を上げる。

 ちらりと目だけを動かして、その様子を捉えた魔王は――

 ため息をついて、指を鳴らした。


 雨が降るみたいに雷が降ってきた。


「っ……!」


 今しがた竜が出したのと違う、赤みの強い雷レッドアラート――

 天と地を繋ぐ柱が何本も何本もくどいほどに立ち上がっては消えていく。

 そのわりに雷鳴が聞こえないのは既に僕の耳が終わってるだけの話で、ユースは咄嗟に蓮の防御壁を展開、竜は咆哮とともに翼を打ち払って雷を耐えている。

 が、僕は。

 僕は!?

 それこそ電流のような悪寒が全身を駆け巡り、安全な場所へ退避しなければと必死に身をよじったものの――数秒ほどですべて無駄な抵抗と帰した。

 僕が埋まっていた瓦礫のところにちょうど雷が落ちたのだ。

 視界を灼く鮮紅は下半身を圧迫する瓦礫をまとめて砕いてはくれたのだが、

 それは下にいた僕ごと瓦礫を吹き飛ばすというのとほぼ同義で――




「――――ぐぇえっ!」

「うわびっくりしたァ! ……え、なんだ、どしたのそんな」


 文字通り会議室に転がり込んだ・・・・・・僕は机の脚に背中から激突して止まった。テーブルの上に置いてあった工具が揺れで落下してごとりと音を立て、床にあぐらをかいてリンカネくんを磨いていたエビルが飛び上がる。


「や、やたらダイナミックな入り方・・・してきたね……」

「……たぶんちょっと気絶したんだと思います。魔王」

「気ぜ……え? 魔王?」

「接触しました。魔王は転生者です」


 たぶん肉体のほうはかなりつらいことになっていると思うのだが、とりあえずここは天国だ。ひとまず魂に影響はなし。

 腰をさすって立ち上がりながら、あれを接触と言っていいのかどうか少し迷ったがどうでもいい。目視しただけだが間違いなく泥藤だ。

 雨の日、気圧が低い日のように、締めつけられるように頭が痛む。


「――会ったのか! それで!?」

「僕の能力もわかりました」

「おう! ……え? 能力?」

「僕には、他の転生者の記憶が見える。剣と竜の……根来と蓮川の記憶を見た!」

「え? ……え、それが能力? 転生時の?」

「それと同時に思い出してもいる。自分の記憶も!」

「お、おお!?」

これに関しては僕の記憶だ・・・・・・・・・・・・

「…………何がだ!?」


 頭痛の中に見えるビジョンがある。

 今までに見たふたつの記憶は、意識を失っている間に見た。あれは他人の記憶。

 これに関しては違う。

 これに関しては普通に思い出している・・・・・・・・・・

 全部ではない。

 ところどころ、もやがかかったように思い出せない部分もあるのがもどかしい。

 でも――これに関しては、間違いない。




「殺人です。僕は殺された。現世の僕は――泥藤に、殺された!」




  *   *   *



 もどかしさの極みという話だが、どうしてそんな場所にいたのかについてはまったく思い出せていない。やむなくそこを除外して語るが、そのとき、僕はビジネスホテルに泊まっていた。

 そのとき僕がいた場所は、自宅からずいぶんと離れた街――自宅がどこかというのがまず思い出せないのに、離れていたということだけはなぜか覚えているのが気に入らない――隣町どころではなく、県をひとつまたぐくらいの遠方。

 遠く離れた街のビジネスホテルに僕は泊まっていた。

 ひとりではなく、ふたり連れで。

 不思議なことになったものだなとそのときの僕は考えていた。どうして自分はこんなところにいるんだろうと苦笑していた。その理由わけについては何よりも今の僕が知りたくてしょうがないのだが、記憶の中の僕はそこで思考を打ち切ってしまったので思い出せない。くそっ!

 ともかくホテルに泊まっていた僕は、深夜――寝苦しくなって目が覚めた。喉が渇いたし小腹も空いた、だから僕は、連れをひとりだけホテルに残して、近くのコンビニへ買い物に出たのだ。

 ホテルを出たときにちらと見た時刻が、たしか深夜の三時過ぎ。

 適当に食べるものを買って、それからホテルに戻った僕は、

 ちょうど、ホテルの前のところで、背後から――



「よう! いや、すげえ偶然。なに? おまえこんなとこで何してんの?」



 泥藤に、声をかけられたのだ。

 いやに陽気な声と笑顔だった。教室では見たことがないくらいの。

 その姿を一目見た瞬間、僕は持っていたレジ袋を取り落とすほどの恐怖を全身に感じた。

 記憶の中の僕は泥藤を異様なほど怖がっていた。

 僕には、泥藤を恐れる理由があった。過去に何かがあった。それはわかる。でも、それが具体的に何だったのかは、記憶の中の僕の考えがそこまで至らなかったのでわからない。

 だってこのときの泥藤は純粋に外観も怖かったのだ。


「このへんだったらあれか、スペクタクルワールドか? 昼間遊んできた感じ? っはは、おまえ彼女とかいたの? めっちゃ意外」


 台詞と声色だけ聞けば、仲のいい友人同士の会話にすら聞こえる。

 それが非常に空恐ろしい。

 が、聞いている今の僕には貴重な発見があって――

 スペクタクルワールドというのは、地元では有名な遊園地だった。『一度は行きたいデートスポット』として、クラスでもよく話題になった。



 記憶の中の僕は、その日、その遊園地を訪れていた。

 デートをしていたのだ。

 でも相手は彼女ではない・・・・・・・・・・・

 僕には彼女なんていなかった・・・・・・・・・・・・・

 デートの相手は――今、ビジネスホテルで眠っている、連れの女性。



 記憶の中の僕は、あまりの恐怖に震える指先を泥藤に向けた。なぜおまえがここにいるのか、おまえは何をしているんだと問うた。そのせいで今の僕が得るべき情報は中途半端なところで止まる。連れの女って誰なんだ!?


「俺かよ? 俺は知っての通り、ほら、落ちぶれてそれっきり。有り金尽きるまでテキトーにフラついて、そっからどうするかは知らね」


 泥藤は赤く汚れたナイフ・・・・・・・・をくるくると回しながら答えた。

 職質されれば銃刀法は免れないほどの刃渡りを、僕は学校でも見たことがあった。


「……あ? そっか。おまえもしかして知らないか。ずっと学校来てねーし」


 悪い悪いと泥藤は言ったが気にするのはそこではない。どう考えてもそこではないのだが、なぜか記憶の中の僕は律儀に答えていた。頭の中でだが。


 たしかに、僕はもう長いこと学校に行けていない。学校の事情には疎い。

 でも、泥藤はこのときすでに高校を退学になっていた。

 そのことを、記憶の中の僕はちゃんと知っていた――



「――ところでさあ」


 泥藤は頭の上に疑問符を浮かべると、僕の背後を覗き込むように首をかしげる。

 血まみれのナイフをちょちょいと動かして、僕の肩越しに、ホテルのほうを指す。



「後ろのあいつって、おまえの知り合い?」



 間抜けなことに、それとも異常な状況に頭脳が麻痺してしまっていたのか、

 それを聞いて僕は真後ろを振り返った。


 ホテルの入口のところに、ひとりの女の人が立っていた。


 長い茶髪を後ろで結んだポニーテール。いまいち覇気のない茶色の瞳。

 ”今の僕”は、異世界にいる間ずっとサレスの美貌を見てきたわけなので――

 それと比較してか知らないが、あんまりパッとしない顔立ちだと思った。


 知り合いかと聞かれたがその通りで、その茶髪の女が僕の連れだった。

 昼間遊園地でデートをした女だった。


 茶髪の女は、僕に向かって何かを叫ぶ。

 あるいは、叫ぼうとして声にならない。


「――――――――!」


 どちらだったのかわからないが、とりあえず僕には何も聞こえなかった。

 でも、叫ぶようなその顔は非常に凄絶な表情をしていた。

 驚きと恐怖と絶望を混ぜて混ぜっぱなしで割らなかったような、

 そんな感情が顔に出ていた――


 足音を聞いて、僕は振り返る。

 泥藤はいつの間にやら吐息が聞こえるほどの距離にまで近寄ってきていて――


「冥途の土産に教えてやるけどー、……冥途の土産ってマジで言っちまったよ! いや冥途の土産であってんだけどさ!」


 逆手に握った巨大なナイフを、僕の喉元に突き立てた。

 痛みは記憶に残っていない。

 熱いと思ったような気はする。


「俺も今日ちょっとブラブラしてたんだけどよ、そしたら三栖と笛木に会ったんだ」


 ナイフを引き抜いた泥藤は、世間話でもするかのような声色で――


「せっかくだから、ふたりとも殺しといた。ま、あの世でゆっくり仲直りしろよ」


 これが初めての殺人ではないと、そう言ってみせたのだ。



  *   *   *


 かなり支離滅裂な説明になったと自覚はしているのだが、それでもエビルは断片的な情報を拾い集めて話を理解してくれた。


「――”僕”はあいつに殺された。三栖も笛木もあいつが殺した。泥藤が殺した! 殺人だ! これは、殺人だったんだ!!」 

「ちょ、ちょっと待て。言ってることがおかしい」

「何がです!? 剣も竜も、根来も蓮川も! あいつが殺したに決まってる!」

その泥藤が魔王なんだろ・・・・・・・・・・・?」

「え」

「魔王に転生してる・・・・・んだろ?」


 ゆえに、蘇った記憶を前にして完全に暴走していた僕とは違い――

 エビルは、とても冷静な意見を出した。




「おまえと他のやつらが死んだのが全部泥藤の仕業だったとして……だとしても、その泥藤も一回死んでる・・・・・・・・・・・ってことだぞ!?」




 ――ふたり、

 ふたり仕留め損なったやつがいると、泥藤は言った。

 ――――誰だ?

 間違いなく、そいつらが鍵を握っている!



「ふた……」


 り殺せなかったやつがいる、まで続けようとしたのだが、エビルに伝えようとしたのだが、そこで不意に体の力が抜ける。気絶から目覚めそうになっているらしい。体が無事なのは喜ばしいが、この状況にあっては余計なお世話。

 というか、目が覚めるということはまた魔王の暴威の前に出ていくということだ!


「――……とにかくだ!」


 僕がもうすぐ異世界に戻ると察したエビルは、灰色の髪をわしゃわしゃともどかしそうに掻きむしり――

 床に置いてある、ピカピカになったリンカネくんを指さした。


「あたしのほうもリンカネくんの修復はだいぶ進んだ。改めて情報共有がしたい」


 だから――だから、と続けて。

 その場に膝をついたエビルは――

 今にも眠ってしまいそうになっている僕のこの両手を、

 自分の両手で、ひしと握りしめた。


「いいかい、これだけは忘れるな。今ずいぶんとごちゃごちゃしてるけど、あんたはもともと不幸な死に方をした。現世で幸せになれなかったんだ。転生はその埋め合わせのはずだった! ほんとなら、おまえは異世界で幸せにならなきゃいけないんだ。こんなところでもっかい死ぬなんて、絶対あっちゃならない!」



 落ちゆくまぶたの向こう側、薄れゆく意識の中で聞こえたその台詞――

 くたびれた理系の女子大生のような、とてもじゃないが冴えない神様の。

 どこか抜けてるところばかり見てきた神様の口から出てきたにしては――

 妙に、熱い・・台詞だなあと、最後に思った。



「――神の立場から命令するよ。なんとしても生きて戻ってくること!」


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