第16話 六分の四
「た、たしかに、私にだって嫌いな人はいます。ですから、ドラゴンにだって気にくわない人のひとりやふたりいてもおかしくはないですよ……」
そんな声を聞いて目を覚ます。
目覚めた場所は例のバルコニー、ほんの短い間の気絶だったらしい。とにもかくにも身体を起こそうとして――寝ている僕の両脇に控える、ユースとサレスの姿に気がついた。
「あの……」
「しっ」
が、呼びかけるとふたり揃って唇の前で人差し指を立てた。張り詰める緊張感、了解しましたと口にチャックを閉めるジェスチャーを返すと、ふたりは立てた指の先を――
手すりから身を乗り出して、白い竜と向かい合っている――枯草色の後ろ髪へと向けた。
「でも、だからってすぐに攻撃しちゃだめです! あなたには感謝していますけど、それとこれとは話が別です」
「…………」
「……は、話が別なんです! はい!」
メリルはめいっぱい腕を広げて竜と相対していた。
なぜか僕にだけ敵意を剥き出す竜――その竜の説得に当たっているらしい。
「白竜は今のところ王女様を攻撃する気はないらしい。ゆえに彼女が我々の生命線」
「信じろ。あいつは昔から動物になつかれる」
小声でささやくふたりに倣って、僕もメリルの様子を見守る。
さて、我らが生命線の王女様は――
竜がいかにも機嫌悪そうに一度鼻を鳴らした瞬間、「ひっ」と声を漏らして数歩下がった。しかし自らの双肩にのしかかる責任を理解している彼女は、王女らしく凛と口元を引き結び――竜に向けて、叫んだ。
「ど、どうどう! ステイ! ハウス! おすわり!」
王女は巨大なるドラゴンをそのへんの犬と同レベルに堕とそうとしていた。
「……今のところ、彼女の唱える
「信じろ。あいつは動物によくなつかれたはずなんだ」
ユースは天に祈るような姿勢で刀の鞘を握りしめている。
竜がぴくぴくと長いヒゲを揺らすのを見て、メリルは肩をこわばらせた。
「え、えーと、えーっと、あと他になにか……そうだ、まだあった」
それでも諦めるわけにはいかず、
精いっぱいの奥の手を探した彼女が、
言い放った次の言葉は――
「――ち、ちんち
「王家の威信!」と叫んで僕の耳をふさいだサレス、黙って刀を鞘から抜き放ち『もう俺がもっかい殺るしかねえな……』と無言の決意を表明してみせたユース、ふたりの意志を汲み、とりあえず聞こえなかったことにした。
さて、犬扱いされた竜はいったいいつ雷を落とすか。
一触即発の緊張感が場に満ちる――
「や、やった! わかってくれました!」
「ええ!?」
なぜか竜はゆっくりと息を吐き、気が抜けたようにそっぽを向いた。
まさか<王家の威信!>が効いたわけでもあるまいが、助かってしまったのは確かなので――とりあえず、僕ら三人は頭を下げることになった。
いかに牙を収めてくれたとはいえ、その巨体の存在感は健在。
白竜のそばでの話し合いは、どうも据わりの悪いものとなったが――
「というわけで、この国が終わる前にキーストーンを……”コード:プロメテウス”を回収する。……もう許可を取る先もおまえひとりだ、決断してくれ」
「……決断もなにも。私ひとりしか残らなかった時点で、この国は終わったようなものです」
事情説明はスムーズに進行した。
国に封印された魔法ということだから、扱いには王家の許可が要るのだろう。けれどその王家がもうメリルを残して全滅した。話は早い。とても早い。
バルコニーから燃える街を見渡し、ユースは言う。
「だから、早いとこ神殿まで行きたい、が……ここから、わりと遠かったよな?」
「ヘファイストス山の神殿ですか。はい、ちょうど向かいの山が……」
元が神の力という設定だから、神殿に封じられているのだろうか?
広がる街並みのずっと向こう、遠くに見えるひときわ大きな火山を指すメリル――赤い炎と立ち上る黒煙をバックに、紅色のドレスを身にまとったその姿。地獄のツアーガイドか何かに見えたと言うのは、さすがに不謹慎だ。
いまだそっぽを向いている白竜のほうをちらと見て、メリルはため息を漏らす。
「……乗せて飛んでもらえたら、楽なんですけど」
竜は黙って鼻を鳴らした。なんせ五十メートル超の巨体、それだけの動作で人間は十分にビビる。
あんなに優しかったのに、どうしてしまったんでしょう――身を縮こまらせてぼやくメリルを、ユースは刀を担いで見ている。
肩と耳で、鞘にくるんだ刀身を挟むようなその姿勢――
「……剣の声が、たまに聞こえるって。前、言ったっけ?」
ぐるりとユースは僕に向き直る。
「実は今も、っていうかちょっと前から聞こえてるんだよな。それで……」
髪と同じ金色の瞳が、僕の目を覗き込んでいる。
しばらく意味ありげな沈黙があったのだが、結局ユースは「それで」の先を言わなかった。白竜のほうを一瞥して、一言だけ。
「記憶がないってのも不思議なもんだ。……なんで嫌われてんだろうね、おまえ」
「それは……」
具体的な心当たりはない。
でも、もっと大雑把な理由でいいなら――僕はすでに、答えまでたどり着いている気がする。
それを確かめるため、ひとつユースに聞くべきことがあった。
「あの、こんなときに聞くことじゃない気もしますけど……」
「なんだよ?」
「……ユースさんは、その魔法剣を……いつ、どこで、手に入れたんです?」
ほんとに今聞くことじゃねえなと笑いながら、ユースは指を折り始めた。
後ろで聞いていたサレスが横槍を入れる。
「実は、意外と最近の話だったりする」
「そうなんだよな。……六日か?」
「六日前で合ってる。入ってすぐの、倒す前日だから」
さて――ふたりが語るところによると。
「信じられるか? 宝箱ん中に入ってたんだぜ、この剣」
母と妹の仇である黒竜は、どうやらとある洞窟を根城にしているらしい。それを突き止めたユースは、まるで迷宮のようなその魔窟にサレスとふたりで潜り込んだ。
で、その竜の巣の中で見つけたのがこの日本刀――魔法剣だという。
一目見て尋常一般ではない逸品だと看破したユースは、剣を手に洞窟の奥深くへと進み――そこで黒竜と相対し、剣の力で打ち倒したらしい。
細かい日付はどうでもいい。ただ、
ユースが魔法剣を手に入れたタイミング、
謎の白竜が目撃されたタイミング、
そして、魔王が復活したタイミング――
すべて、この異世界では比較的
「え、えっとですね……」
これはもしやと息を呑む横で、メリルが控えめに手を挙げる。
その挙げた手を僕のほうへと向けて、
「そちらの……」
「……」
「……」
「……」
「……えっと」
「ビクテムです」
「あ、はい」
……という寸劇は置いておいて。
「そちらのビクテムさん抜きでなら、あそこまで飛ぶのも、嫌ではないと……」
「……え。言葉、わかるの?」
「はい。多少ですけど」
「だから信じろって言ったろ」
「知ってたんですか?」
「いや、十年来の真実……この女マジかよ……」
メリルは竜の意思を通訳していた。それが正しいかどうか傍からはわからないが、真実だとすればやはり竜は僕だけをピンポイントで避けている。
どうしたものかと、ユースは遠くの目的地――ヘファイストス山へ目をやった。
「置いてくのもどうかとは思うが。時間もないしさすがに遠い……」
――そこで、火山が不意に爆発した。
いや、なんと例えればいいのだろう?
火口に核爆弾でも投げ込めばいいのだろうか。そうしたら、
火口から奥へと転がり込んだ爆弾が山の内部で爆発して、『火山が粉々に砕け散る』という現象を再現することが――
できるはずがない。
ただただありえない光景。
巨大な火山がまるごと一つ、跡形もなく砕け散り――
「―――――:ロータス!」
反応の早かったユースが僕らの前に巨大な蓮の花を展開させ、
その表面で強烈な破裂音がしたことでようやく、破壊の余波を受け止めたことに気づく。
けれど建物のほうが耐えられなかった。
立っていたバルコニーが城ごと崩れ落ちて――――
「……大丈夫か!?」
刀を突き上げて瓦礫を跳ね飛ばしたユースが、一番最初に立ち上がる。
その姿と、巨体ゆえにもともと瓦礫などものともしていない白竜の姿は、僕の位置からでも見えた。しかし女性ふたりはどこにいるのかわからないし、そもそも当の僕の身体はちょうど下半身が埋まってしまって動かない。
いったい何が起きた?
「サレス! メリル! ビクテム! 三人! おい生きてるか!? 返事しねえならとりあえずまとめて吹っ飛ば――っげえ!?」
さて、ユースは広がる瓦礫の山をとりあえずどかそうとした。刀を頭上に振り上げて、それから何らかのコードを詠唱しようとした――が。
瞬間、それはそれは強烈な異音が刀身から発された。
黒板を爪でひっかく音をスピーカーで増幅したような不快音――ユースが咄嗟に耳をふさぐほど、僕のところまで届くほどの大音量。
それが耳に入った直後から猛烈に気分が悪くなった。
方向性は車酔いに似ているが、絶対値がまるで比べ物にならない。脳みそを直接シェイクされているかのように激烈な不快感――
白竜が苛立ちもあらわに咆哮した。
「――誰だ、おまえは!」
依然剣の異音は止まらないが、竜の咆哮がかき消してくれるので多少の余裕はできた。顔を上げる程度の余裕は。
ユースは空の一点に向かって剣を突きつけている。
白竜も空の一点を見つめて吼え猛っている。
暗幕のような漆黒のローブを身にまとったひとりの人間が、ゆっくりと空を降りてきていた。
目深にかぶったフードで顔を隠しているが――頭蓋骨をなぞるはずの曲線は、不自然な形に膨らんでいる。
まるで、
まるで――角でも、生えているかのように。
「何者って、いや、見てわかれよ。それ聞かれたの初めてだなあ……」
竜の咆哮、剣の異音、そしてこの僕の猛烈な不快感。
さらにもうひとつ付け加えて――
この状況に、僕はなぜだか名前を付けることができてしまう。
これは、たぶん――
体育倉庫の記憶を見たとき、僕はまずそれを自分の記憶かと疑った。
でも、ふたつめの――教室の記憶を見て、考え直した。
このふたつの記憶は繋がっている。
体育倉庫でいじめられていた男子生徒が、根来。
根来いじめを見ていられずに割って入ったのが、蓮川。
剣に触れて蘇った記憶は、剣に転生した根来の記憶。
竜に相対して蘇った記憶は、竜に転生した蓮川の記憶。
おそらく、僕は
どういう理屈かはわからないが、しいて説明を付けるなら――
おそらく、これが僕に与えられた能力。
異世界の異常を究明するため、神に送り出された僕が、神から与えられた能力。
地上まで降りてくることはなく、黒ローブの男は空中で静止した。
けたけたとおかしそうに笑いながら、ユースと白竜を見下している。
「まあ、せっかく聞かれたんなら、答えてやるけどね。俺は――」
そっとまくり上げられたフードの下から現れたその素顔――――
「俺は、魔王。知ってんだろ? この世界をぶっ壊す、魔王だよ」
安い金髪をツンツンに逆立てて、黒い瞳にはハイライトがない。
山羊のようにねじくれた一対の角が生えていることを除けば、その顔は――
僕の垣間見たふたつの記憶、その両方で姿を見せる男。
泥藤省吾の顔、そのもの。
止まらない魔法剣の異音、未だ咆哮し続ける白竜、引く気配のない僕の不快感。
これらは、すべて
絶大な力を持つ
世界に二匹といない
四つの国を滅ぼした
記憶のない
今、この場に居合わせた四人――――この四人、すべてが転生者だ!
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