第15話 誰かの記憶ー②


 最初にそう聞いたのがいつだったか、この”身体”はもう覚えていない。

「周りの子もなんで止めてあげないのかって思うわ」みたいなことを、テレビのワイドショーを見ながら母が言っていたのかもしれない。

 でなければそのワイドショーだったかもしれない。コメンテーターか誰かが、偉そうな顔で語っていたのかもしれない。

 出所なんて、もうわからない。

 でも、そのとき、僕のこの”身体”の頭の中では――


『見て見ぬふりも同罪』というフレーズが、ぐるぐると渦巻いていたのだ。




「――――やめろよ!」


 やっぱり、そこは異世界じゃない。

 誰か他人の身体の中に入っているようなこの違和感――覚えのある感覚だ。

 昨日、ユースの剣に触れたときと同じ。


 そこは学校の教室だった。

 割れた窓から吹き込む風に、僕の入っている”身体”の前髪がわずかに揺れる――

 ――窓が割れている。

 向こうに見える景色から推定して、ここは二階の教室らしいのだが――

 割れた窓辺に、ふたりの男子生徒が立っている。

 

 安っぽい色の金髪を、整髪料でツンツンに固めた男子が。

 もうひとり、黒髪の男子の首根っこをひっつかんで、窓の外に突き出している。

 今しがた、この金髪の男は窓ガラスに黒髪の頭を叩きつけて割った。そんな光景がありありと目に浮かぶ。

 そして、この金髪には見覚えがあった。

 とても不思議な形でだが、この顔にはたしかに見覚えがあった。


 剣に触れた瞬間見えた謎のビジョン。

 あの体育倉庫で、ひとりの生徒をイジメていた金髪の男――泥藤省吾でいとうしょうご

 その泥藤が、今度は二階の窓からひとりの生徒を突き落とそうとしている――


 ――しかし、今このときの泥藤は。

 手の中の哀れな黒髪のことなど、今は忘れているかのように――ぽかんとした表情を、”僕”に向けていた。

 実際そこでどうでもよくなったのか、泥藤は掴んでいた男子生徒を無造作に床へ放り投げた。ベッドにぬいぐるみを投げるような雑なスローイングに、しかし倒れた男子生徒はもはやうめき声ひとつ漏らさない。

 泥藤は首をかしげていた。


「……なあ、蓮川はすかわ

「なんだよ」

「おまえ、こいつと仲良かったっけ?」

「……関係、ないだろ」


 泥藤に話しかけられたそのとき。『やめろ』と叫んだ瞬間以上の緊張と恐怖が、”身体”の中ではじけた。

 この”身体”は、泥藤をとても怖がっている。それでも精一杯の虚勢を張って、強気な返事を叩き返している――

 ――が、中身の”僕”としてはそれよりも気になる発見がひとつあった。


 今の呼びかけに答えたということは、

 僕が今入っているこの身体の名前、僕が今見ている光景は――

 ――『蓮川はすかわ』という人間の記憶なのだ!


 僕の返事を聞いてしばらく考え込んでいた泥藤は、ふと、その場にかがみこむ。

 猫でも持ち上げるような気軽さで、倒れている男子の襟首をつかみ上げる。

 それで一瞬だけ見えた。

 首と背中の境目あたり、普段は襟で見えないその場所に――点々と、火傷の跡がある。


「おい。おい根来ねごろ。おいっ」

「……う……」

「なあ、根来。おまえと蓮川ってさ、仲良かったっけ? 友達?」

「……」

「友達かって聞いてんだけど」


 もうひとりのほうは根来ねごろというらしい。ぺちぺちと頬を叩かれて、絞り出すような返事をした。


「ち、がう」

「違うらしいぞ」


 泥藤はそれを聞いてからからと笑った。

 実際、僕は――僕のこの身体は、根来と特別の接点があるわけではなかった。泥藤にいじめられる彼を横目に見ながら、気の毒にと十字を切って通り過ぎる。その程度の距離感だった。たぶん僕だけじゃなく、クラスの全員が。

 それがいい加減耐えられなくなっただけだ。

 助けが必要な人が目の前にいると知っておきながら、見て見ぬふりをしてしまうのは――それだけで、罪になるんじゃないかと。

 それが、その場に居合わせた者としての、責任なんじゃないかと。


「わっかんねえなあ……」


 そんな僕の行動原理を、たぶん泥藤は理解できない。

 心底から不思議そうな顔をしていた。


「俺は、根来のことをゴミだと思ってるよ。生きてる価値のない人間。わかる?」


 わかるわけがないけれど、真っ向から否定するには泥藤が怖すぎた。それでも僕の身体は、精いっぱいの敵意を込めた視線を送る程度の抵抗を見せる。


「でもまあ、たぶんゴミならゴミでゴミなりのつながりってもんはあるだろ? そこは俺にだってわかるんだよ。だから、おまえと根来がもし仲いいって言うんなら、おまえが根来助けに入ってくんのはわかる。それはわかる」


 わかるんだけどさあと身勝手な腕組みをして、結局、泥藤の言うことは――


「友達ってわけでもないんだろ。……なんで?」


 ここに戻ってくる。

 泥藤の言葉にはただ疑問だけがあった。そこに僕への敵意などはない。本当にわかっていないようだった。

 それが余計に怖かったのと、仮に説明したところでわかってもらえる自信がなかったので、僕は黙って泥藤を睨む。

 肌がピリピリする沈黙があった。

 目線を泥藤から外せない緊張感。眼球を動かすことの許されない状況下、それでも視界の端に見える。

 他のクラスメイトたちは、泥藤と僕を遠巻きに見ていた。我関せずと無言で主張しつつ、それでも事態の行く末だけは見届ける、そんなポジショニング。

  

「えーっとな。あれだ……三栖! いるだろ三栖。今いない?」


 その観衆に向けて泥藤が言った。


「いや、おまえ仲良かっただろたしか。ちょいちょい話してたような……いるじゃん三栖。おい三栖」

「っ……な、なんだよ」


 ざわざわと人波が割れて、後ろのほうにいたメガネの男子が教室全体の注目を集める。

 急に名前を出された三栖はひどく緊張していたが、お構いなしに泥藤は続けた。


「なあ三栖、おまえどう思う? おまえ友達だろ、蓮川の」

「と、友……だち、って、なんだよ」

「友達なら知ってんだろ蓮川と根来が別に仲良くねえってさ。けどこいつなんか根来庇うって言うんだよ。おまえ意味わかる?」

「…………」


 三栖はわかるともわからないとも言わなかった。

 付け加えて言うならば、彼は「おまえ蓮川の友達だろ?」という質問にも答えていなかった。


「なあ、蓮川」

「……」

「……三栖は、わかんねーみたいだけと?」


 僕のこの"身体"は、三栖のことを友達だと認識していた。

 でも、三栖の顔には書いてあった。

「厄介事に巻き込まれたくない」と、一字一句間違いなく見えた。



 蓮川創はすかわそう

 根来優斗ねごろゆうと

 三栖理人みすりひと

 そして、泥藤省吾でいとうしょうご

 この四人は高校二年のときにクラスが同じだった四人だ。

 そして、泥藤は根来をいじめていた。

 度を越した暴力を見過ごせなくなった蓮川は、それを止めに入る。

 でも、友人の三栖は蓮川の行動を歓迎してはいなかった――


 ――これは、この知識はなんだ。

 どうして彼らのフルネームが出てきた?

 たった今見たこの映像は、昨日見たあの映像は――

 これは、僕の記憶なのだろうか。

 

 本当に?



 これは、いったい誰の記憶だ――――





「――――おい。おーい!」

「――!」

「おーい……。異世界で寝てる間はこっちに来るって言ったじゃん、それがなんでこっち来てまで寝てんのさ」


 目を開けると、ごっついスパナを肩に担いだエビルが僕を見下ろしていた。

 床に寝かされていた僕は、白衣の裾をひっつかんで立ち上がると同時に詰め寄る。


「神様。――神様! ひとつ、聞きたいことがあります!」

「お、おう? ……え、どしたの改まって」

「現世で不幸に死んだ人間は異世界に転生する……。その転生って!」



「人間じゃないものに生まれ変わることも、可能なんですか!?」



「可能だけど、それがどうかした?」


 僕の稲妻のごとき閃きに、エビルはなんでもないような顔をして答えた。


「いや、最近はいろんなニーズがあるからね。来世は金持ちの家の猫になりたいとか、そういうこと言うやつはよくいるよ。リンカネくんの統計データにも出てる」

「――じゃあ!」


 その胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで僕は続ける。


「生き物ですらない――モノ・・に、転生することは!?」

「可能だよ?」


 これにも、あっさりとエビルは答える。


「いや、ほんといろんなことを考えるもんだよ人間って。リンカネくんの記録見てるとね、『来世は女の子のパンツになりたい』って要望を大真面目に出してるやつが結構いるんだよ。これに関しちゃこっちのほうでもだいぶ迷ったんだけどね、本当にそれがそいつの幸せになるのかって……」

「じゃあ……じゃあ、ですよ。たとえば――」


 なにかエビルが神妙な顔で人間という生き物の暗部について語っているが、そんな話に構っている場合ではない。


「――とても強力な魔力を持った魔法剣に転生する、とか。そういうことも、可能なんですね?」

「――!」


 持っていたスパナを取り落としたエビルは、そこでようやく感付いたようだ。

 と同時に僕は強烈な眠気に襲われた。エビルの白衣に掴みかかったまま、ずるずるとその場に崩れ落ちる。


「そうか! そういう――って、おい。どうした!?」

「すいま、せ……時間……切れ……」


 異世界にある僕の肉体が目覚めそうになっているということだ。

 起伏のない胸にすがりつく僕を、神は力強く抱き止める。が、それでもダメだ。ひどく眠い。

 せっかく大事なことに気づいたのに、もはや寝言のような声しか出せない――


「――自分の、記憶だと……思ってた、けど……」

「え? ……おい、おい、頼むからもうちょっとしっかりしゃべれ!」

「ちがった……」

「ああ。……なにがどう違う?」

「あれは、ぼくの、記憶じゃ、なくて……」

「おう!」

「……」

「……」

「……」

「……おい!」


 ほぼ完全に眠ってしまった僕の頬を、エビルがバシバシと遠慮なく叩く。だいぶ遠慮なく連打する。

 が、僕のほうはもはや答えることもできない。


「……ちょ、ちょっと待て。なんか意味深なこと言うだけ言って消えんのマジでやめろ……!! あたし神だよ? ねえ、一応神なんだよ? おい、こら! おーい……」

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