第14話


 学校のプールというのは、だいたい幅が二十五メートルになっていると思う。

 競技用のもうちょっとちゃんとしたやつだと、これが五十メートルになる。が―― たぶん、五十メートルプールでも、この竜の全身は収まらない。

 これまでの疑問がすべて腑に落ちた。

 こんなサイズの竜が何匹もゴロゴロしてたらそりゃおかしいし、

 こんなサイズの竜を人の手で殺したと言われてもそりゃ信じない――


 なんだか鼓膜のへこむような感覚があった。


「――うわっ!」


 ワンテンポ遅れて咆哮だとわかった!

 体格のいいオペラ歌手はそれだけいい声が出るというけれど、その理屈で行くとこの巨体からはいい悪いを通り越して暴力が出る。耳をふさいでも肉が震える骨へと響く音の圧!

 おかげでコードの詠唱は聞こえなかったが、ユースが何事か呟いて剣を振った。僕ら三人をすっぽりと包みこむように巨大な蓮の花が生えて、それで耳が楽になる。

 魔法だからか蓮の花びらは透けていて、外の様子が見える。三人して空を見上げながら、代表してユースが叫んだ。


「……なんだ、あいつは!?」


 一対の翼に両足に、手はなし。つるりとした肌をしている。

 そして、鼻先から生える長いヒゲ――あれだけ空高くにあっても見えるほど太くて長い白いヒゲ。ちろちろと揺れる様を見ていると、なんだかシュールな気分にすらなる。

 が、その揺れと連動するような形で――

 噴煙と炎で赤黒くなった空に一筋の稲妻が光る。

 そびえ立つ数々のとぐろが避雷針であるように、

 黒煙の雲から放たれた雷が蛇たちを直撃して焼いていく。


「魔物を、攻撃している……?」

「……」


 どう見てもこれは竜の力だ。電波塔みたく巨大な蛇がバタバタと地に伏していく。

 が――竜というのは、魔物を攻撃するものなのだろうか?

 街を襲う魔物たちを、人を大勢殺す魔物たちを自らの手で焼き払っていく――そんなヒーローみたいな真似を、竜というのはするものなのか?

 現世出身の僕にはそのあたりの事情が一切わからないし、

 今まで竜を家族の仇と見てきたユースにも、わからないのだろう。

 複雑な表情で竜を見上げるユースにわかったのはひとつだけ。

 竜の背中から誰かひとり、人間が飛び降りたということ――


「え!?」


 見間違いかと思ったが、直後人影はシャボン玉のような球に包まれた。

 バルコニーで咲いている蓮の花――僕らをめがけて、ふわふわと降りてくる。

 蓮もシャボンも両方透けているから、だから僕以外の三人は一目でお互いを把握したようだった。枯草色の短い髪の毛を後ろでひとつくくりにしている、鮮やかな赤いドレスの女性――


「――メリル! 無事だったか……!」

「え、あ……ゆ、ユース様!?」

「ご無沙汰しております、王女様」

「……」


 さて、どうしたものだろう。

 サレスは目を閉じて静かに一礼した。

 メリルと呼ばれた女の人は、驚きを隠せないといった様子で口元に手をやってわたわたしている。

 ユースは心の底から安堵したという表情でつかつかとメリルに歩み寄り、彼女の両手を強く握った。

 それでアウェーはどうすればいい?


「生きててくれたか。……よかった。本当に……」

「あ、う、はい。……はい。私は……私は……」


 メリルを抱きしめんばかりの勢いがユースにはあったが、当のメリルのほうはなにやら混乱しているようだった。オレンジ色の瞳は左右に揺れていて、握られた両手もガタガタと震えている。

 やがて動揺が極まったメリルはユースの腕を振り払うと、その場で勢いよく膝を折った。右拳を地面へと叩きつけ、ほぼ土下座でもするような低さで、頭を下げる。


「申し訳ありません! メリルは……メリル・プロメテウス第一王女は、この私は、今、ただひとり、恥知らずな命を未だ長らえさせております!」

「いいか、メリル」

「はい。はい! 私も王族の一員として、皆に倣って戦場に身を散らす覚悟を――」

「――落ち着いて、手短に、シンプルにしゃべれ!」


 ぺち、ぺち、――ぱちぃん、と。ユースは三回メリルの頬を張った。

 痛くはなさそうだが小気味のいい音、それで彼女は我に返る。


「聞くことがある。答えてくれ。――王は? ハリルは? 他のやつはどうした」

「ち、父は……兄は、いえ。……城の、他の者は、皆……」

「……そうか」

「魔物の、襲撃を、どうにも、できず……」

「わかった。……わかった。大丈夫だ」


 しゃくりあげる背中を優しく撫でながら、ユースはうなずいている。

 が――その顔はだんだんと険しくなって、やがて視線は空へと向いた。


「次だ。……あの竜は、なんだ?」


 赤黒い空ではいまだに白い翼が翻っている。その周囲を羽根が燃えているプテラノドンの群れが飛び回ってはいるが、竜が鬱陶しそうに巨大な翼をひと振りするだけで、ハエのように叩き落とされていく。

 メリルは、竜を見上げるユースの顔をしばらくぼうっと見つめたのち――

 なにかまずいことに気がついたかのように、泡を食って語り始めた。


「あ、あれは、その……わかりません!」

「わからない?」

「わ、わからないっていうか……数日前、ちょうど魔物の侵攻が始まったのと同じようなタイミングで、現れた竜で……なんなのかは、わからないんですけど。でも!」


 それだけは違うんですと、メリルは必死に身を乗り出して否定した。


「あの白竜は、ずっと、この国を……人間を、守ろうとしてくれています。たしかに、あの・・黒竜と似てはいますけど……でも、そういうのじゃないんです!」


 やや目を逸らしたところを見るかぎり、彼女もユースの事情を知っている。

 城下の街に目をやると、そびえ立っていたひときわ大きな蛇に三本の雷が落ちた。黒焦げになって崩れ落ちる蛇――見える範囲に、もう生きている蛇はいない。

 それでひと仕事終えたということか、竜は大きな翼を翻して方向転換をする。

 で、

 ゆっくり、ゆっくりと羽ばたきながら――こちらに、向かってくる。


「……っはは」


 ユースは呆然と立ち尽くして笑っていた。


「はははは……」


 バルコニーに強烈な風を巻き起こして、竜は部屋よりずっと下の地面に着地した。 それでもなにせ首が長いので、竜の頭は手すりの向こうにしっかりと見えている。

 ユースは額に手をやって、前髪をかき上げるようにしながら、笑っていた。


「はははははははは……節穴か?」


 大きく、息をつく音がして――

 肩をすくめて振り返ったユースは、固唾を呑んで見守っていたサレスに話を振る。


「あれの、どこが似てるって? なにがだよ。角生えてねえし鱗もねえし……ぜんっぜん、デザインが違えだろうよ」

「……たしかに、サイズ感は似てる」

「サイズだけだろうがよ。黒くねーし」


 あらためて、竜の姿をまじまじと見つめるふたり。

 仇の姿を知っているふたりには、なんらかの納得があるようだが……。


「あの……」遠慮がちに挙手をする。

「なんだ?」

「えっと。じゃあ、この白い竜は……例の黒竜とは、何の関係もないと?」

「色もそうだが、なにもかもまるっきり違う。見た目も雰囲気もぜんぜん違う。あの黒竜はもっと人相が悪かった」

「人じゃない。竜相」

「やかましいわ。とにかくだな……殺した俺が言ってやる。母と妹の死後の冥福にかけて、言ってやるよ」


 憑き物が落ちたような表情で、ユースは反り返って言った。



「たしかに同じくらいでけえけどな。あの竜は、黒竜と何の関係もない」



 だが――それでは、辻褄が合わない。

 あんなサイズの竜は二匹といないとエビルが、神が言ったのだ。いや、まあ、ずいぶんアテにならない創造神ではあるのだが、それでも神の言うことだ。

 この白竜は、どこから来た?

 僕が首をかしげる前で、ユースとサレスのふたりはつかつかと白竜のほうへ歩み寄っていく。歩きながら、後ろのメリルに聞いた。


「ってことは、なにか。おまえが助かったのも……」

「……はい。助けてくれたんです」

「そうか」


 手すりから身を乗り出して――ユースは、深々と礼をする。


「どこの、なんて名前の竜かは知らないが……ありがとう。メリルを助けてくれて」


 私からも、と隣に並んで頭を下げるサレスの姿を見て――

 竜は、どんな反応を返したか?

 僕の見間違いでなければの話だが……


 竜は、ゆっくりと両目を閉じると、たしかに、一度――うなずいた。

 こちらの礼に答えたのだ。

 きわめて理性的に「どういたしまして」と返した、ように見えたのだ。


「…………」


 これはなんだろう、僕も一応頭を下げたほうがいいんだろうか?

 ついてきたはいいが完全にアウェー。どうしたものかとおろおろしているうちに、

 ユースとサレス、それから少し離れてメリル、

 この三人へと、竜は順番に視線を向け、それから――

 それから、僕のほうを見た。


 そこで初めて、竜は僕の存在を認識したようだった。


 なにせ桁外れの巨体だから、

 なにせ、眼球までとても大きいわけだから――はっきりと、見えた。

 琥珀のような瞳、とでも例えればいいのだろうか。竜は、



 竜は、僕を見た瞬間――

 文字通り、目の色を変えた・・・・・・・

 茶色の瞳からどんどん色が抜けていって、肌の色と同じ、白い目がそこに現れる。

 ただし虹彩の黒だけは最後まで残っていた。

 やはり爬虫類に近いのだろうか、トカゲのように縦長の虹彩を、めいっぱい細く引き絞り――


 音と風の強烈な圧力を全身に感じて、僕は後ろにひっくり返った。


「うわ……っ!」

「なんだ……!?」


 僕よりも竜に近かったサレスとユースが耳をふさいで膝をつく。

 もともと割れていた背後の窓ガラスが、とどめを刺されたかのごとく粉々になって室内に吹き込んでいく。さっきとは違う、至近距離での咆哮――

 ――竜は、吠えている。

 さっき魔物に対してそうしたのとまるっきり同じ敵意むき出しの吠え声を―― 

 他の三人には目もくれず、僕ひとりだけをまっすぐに見据えて、浴びせている!


「お、怒っている……? どうして……」


 そして残されたメリルはといえば。

 完全に呆けきった表情で、僕と竜を交互に見ている。


「――あ、あの方は! あの方は、どちらさまですか!?」

「どちらさまって……」

「私たちの、知り合い」

「し、知り合い? ユース様の? いや、でも……」


 不安げに両手を握り合わせて、メリルはただただうろたえている。


「……やさしいんです。この竜は、とても、私を助けてくれるくらい……。なのに、なのに……見たことない!」


 もはや絶望とすら言えそうな表情を、彼女は僕に対して向けた。



「この竜が、人間に対して、こんな……こんなに、敵意を、むき出しに……」



「――ビクテム! 危ない!」



 サレスが杖を振り上げたその瞬間、――頭の上で、雷鳴を聞いた。

 杖のほうから吹いてきた突風が、僕の身体を背後に押しやる。

 が、かなり近いところに落ちた。

 バルコニーの床を焼く雷の衝撃――風の勢いに雷までプラスされて、僕の身体は宙を舞う。

 頭は打たなかったはずなのだが。

 床にべしゃりと落ちた僕は、そのまま――眠るように、気を失った。



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