第10話


 ――これで何度目だ。誰かが、僕の身体を揺すぶっている……。

 どっちだろう、とまず思った。


「あ、起きた。……もう大丈夫」

「――おおおお起きたか! よかった、ほんとよかった……!」


 目の覚めるような金髪に、紫色のとんがり帽子――サレスとユース、ここは異世界。今の今まで気絶していたらしい。

 しかし、その間に訪れたのは会議室でなく体育倉庫。エビルの姿はどこにもなかった。

 ――あれは、いったいなんだったんだ?

 ――泥藤省吾というのは、誰だ?


 ――――まさか、あれが僕の記憶か?


 起きて早々考え込む僕の手を、ユースが強く握り締める。


「すまん! 本当に悪かった! あんなことになるとは思ってなかった。……本当に、申し訳ない!」

「え、や、その……」

「痛むところ、ない?」

「あ、はい。別に……」

「ほら。大丈夫だって言ったでしょ」

「それでも、さすがにほっといては行けねーって……」


 文字通り胸をなでおろしたユースは、心の底から安堵したようだった。


「いや、よかったよ。悪かったなほんと。……で、ほんとなら詫びのひとつでもしたいとこなんだが、俺のほうにもちょっと事情があって……」

「いいから、さっさと行ってきたら。焦らなくてもビクテムは逃げない」


 なぜサレスがそれを決めるのだろうとは思ったが、まあ逃げるつもりがないのは事実。ユースは僕にもう一度頭を下げると、サレスと何事か話し始めた。王城行きってどれだっけ、左から三番目、そんな会話ののち――

 ユースは、壁に描かれていた魔法陣のひとつに手を触れて――次の瞬間、陣からほとばしった光の渦に飲み込まれて、消えた。


「………………」

「謁見の時間が、そろそろまずかったから。早めに目覚めてくれてよかった」

「……はい」


 ワープ装置のようなものらしい。そう理解しておくことにした。



 そういうわけで、ふたり残された僕とサレス。

 改めて、向かい合うことになった。


「さて。……ごめんなさい、バカなことをした」

「あ、いえ……」

「怪我は、ないはず。あったとしても、治した。そこは、私が責任を持つ」

「ありがとうございます……いや、そうだ。結局、あれ、なんだったんです?」


 謎のビジョンが間に入ったせいですっかり忘れていたが、たしか魔法剣うんぬんの話をしていたはずだ。触れば剣の声が聞こえると。そして触ってこの様なわけだが。


「魔法剣っていうのは、持ち手を選ぶ。だから、どんな剣かにもよるけど……資格のない者が剣に触れると、とんでもないことになったりする」

「とんでもないこと……」

「私が見てきた中では、美しい女以外は持ち手と認めず、男が手を触れようものなら即座にその男の服を切り刻んで全裸にしてしまう剣というのがあった」

「……」


 とんでもないことだった。


「ちなみに、私はその剣を持てた」

「はあ、なるほ……えっ?」


「……」

「……」



「…………」

「…………」



「……当然のことだと思います」

「よろしい」


 サレスのキャラで急にそんな冗談をぶっ込まれるととんでもなく反応に困るのだが、とりあえず彼女は自分の美貌を遠慮なく鼻にかけていくタイプだとわかった。

 


「全裸はともかくとして、ユースの剣も、同じ。あれは、ユース以外には握ることすらできない魔法剣」

「握ることすら……」

「素質のない人間が触ると、柄が燃えるように熱くなる。握っていることすらできない。私も触ったらそうなった」

「じゃあ、手袋をして握ったら」

「溶けた」

「試したんですか」

「一度は思いつく」

「なるほど……」


 しょうもない質問だと思ったが、サレスは普通に即答してくれた。

 だから、ユースは軽いいたずらのつもりで僕に剣を差し出した。過去何人かに同じようなことをやった実績があるそうなのだが、うおっあっちい何だこの剣は、ははは俺以外には持てねーんだよと、毎回その程度で済んだらしい。が――


「……ここまで激しい反応が出たのは、はじめて」


 まさかこんなことになるとは思っていなかった、という。


「……なんででしょう、僕だけ変なことになったの」

「剣のほうが、強烈に君を拒否しているか、でなければ……」

「でなければ?」



「君のほうに、なにか、特殊な事情があるか」



 深緑色の瞳は、今、この異世界にいる僕ではなく――

 その背後に横たわる事情まで、見通しているように見えた。


 いっそここで話してしまおうかと思った。別の世界から来たんですと言えば、サレスはなにか核心を突くようなことを言ってくれるんじゃないかと。

 でも、なにか口を出す前に、サレスは僕に背を向けてしまう。つかつかと壁際に歩み寄ると、立てかけてあった銅板のようなものを持ち上げて、戻ってきた。


「……と、いうか……そういえば、その」

「なに?」

「ここ、どこなんです?」


 磨き抜かれた鏡のような、絵を描くキャンバスくらいのサイズ。そんな銅板が立てかけてある、がらんどうの小屋。

 イメージとしては、車のガレージ。この世界に車があるとは思えないけど、なにもない広々とした小屋は、車のないガレージか、からっぽの倉庫を思わせる。

 壁と、そして床いっぱいになにか魔法陣のようなものが描いてあるあたり、たぶんサレスの管轄なのだろうが……。


「ここは、まあ。あとでわかる」

「あとでって……」

「……そろそろかな」


 答える気はあまりないようで、サレスは手元の銅板を見ている。こつんと表面を杖で叩き、それから無造作に手を放すと、板はふわりと宙に浮きあがる。

 空中で固定されたその板に、もう一度、杖の先で触れる。


「コード:ヴィジョン」


 水面へ石を投げ込んだように、銅板の上に波紋が立つ。

 しばらく波打っていた表面が、ようやく平らに戻ったかと思うと――




「――カイロス王国第一王子、ユース・クロノカイロス。ただいま、帰還いたしました、王よ!」

 

 赤絨毯にひざまずくユースの姿が、銅板に映っていた。


 とても大きい、ホールのような部屋だ。赤いカーペットは部屋の奥に伸びていて、階段のところで段々になっている。

 そう、階段。

 床よりも数段高くなっているその場所には、金と赤で彩られた玉座。

 そこに座るのは、白い口髭に、分厚い衣装を羽織った、恰幅のいい――


「……あのう」

「なに」

「これって、その、もしかして……」

「ユースと王様の謁見現場。魔法で盗み見してる」

「やっぱり」


 もしかしたらとは思ったが、サレスははっきり『盗み見』の言葉を使った。

 異世界といえど盗撮や盗聴の概念はあろうにと不安になる――

 と、いうか。そもそもの話。


「……僕がこういうの見ても、しょうがなくないですか?」


 こんな王室のワンシーンを一般人に見せて何がどうなるというのだろう。

 目的がさっぱりわからない。


「いろんな思惑がある」

「え」

「とりあえず事情は知らせておこうと、私は思った」


 それでもサレスのほうには何か思惑というものがあるようで、黙って腕を組んでいるだけだ。

 画面の中のユースは、逆に大きく腕を広げている。いつものおどけた調子の軽口が、銅板越しに聞こえてくる――


「……なあ親父、ぶっちゃけこーいうカタいのはやめにしていいかな」

「構わん」

「助かる。……で、これ何の話? 何しに呼んだ?」

「さあな」

「さあなって。ボケた?」

「儂も、なんと声をかけるべきか、わからん。聞きたいことがありすぎる」

「じゃあ順番に聞けばいいんじゃないか。簡単な話だと思うがね」


 そこで、王様は玉座を立った。

 背中の後ろで腕を組み、ゆっくりと階段を下りながら話す。


「帰って来て早々、ドラゴンスレイヤーがどうだこうだと吹いて回っておるそうだが……」

「吹いて回るってひどいな。事実だよ」

「いいや、ホラだ。人に竜が殺せるか」

「ちっとは息子の力を信じろよ。いや、この際息子はどうでもいいけど、この剣の価値くらいは見てわかれっての」


 ……帯剣したまま王の前に立てるのは、血のつながりによるものだろうか?

 ユースは、腰に提げていた刀を外し、それを高らかに捧げ持ってみせる。


「……それは?」

「魔法剣だよ。一級の。これで殺した」

「……」


 けれど、王様は刀を見ていない。

 刀を持つユースの瞳だけを、さっきからずっと見つめている。

 ユースも、そんな気配を感じ取ってか――

 一語一語、ゆっくりと区切るように、言った。



「仇を、この手で、討ったんだよ」



 赤絨毯の上で向かい合うふたり――重苦しい沈黙が生じた。

 その沈黙の間に聞いておく。


「……あの、これどういう話なんですか? ドラゴンスレイヤーって……」

「ユースには、妹がいた」

「え、……はい」

「お母さんも、いた」

「……はい」


 妹はともかくとして。

 木の股から生まれたのでもないかぎり、お母さんはそりゃいるんじゃないのか?

 異世界では出産の形態が違うのだろうか、なんてバカなことを考えてしまって――

 過去形の意味を察するのが、少し遅れた。


「この世界には、巨大なブラックドラゴンがいた。普通のドラゴンとは比べ物にならない、そのくせ俊敏に空を翔ける、タチの悪い黒竜が。世界のみんなが手を焼いた」

「……はい」

「六大国を気まぐれに飛び回って、行く先々で人を食い殺す。どこに巣を構えているのかわからなくて、なによりあまりに強すぎたから、嵐のような竜と言われた」

「……」

「当然、この国も例外ではない。一番、嵐のひどかったのが、五年前……」


『五年前』の先をサレスは語らない。察しろと言われたのだとわかった。

 人の手ではどうにもならない、災害のような竜――

 つまり、ユースの妹と、母親――王女さまとお妃さまも、つまり。

 嵐に、さらわれてしまったのだろう。


 でも、サレスは竜に対しても過去形を使った。


「そんな凶悪な竜がいた。四日前までは」


 やけに具体的な数字が飛び出す。

 その先を求めるつもりで、サレスの横顔に視線を向ける――

 彼女は、珍しく顔を背けた。

 どこを見るでもない、どこでもない遠くを見るような目――そんな目で、ぽつり、ぽつりと語り出す。


「ユースは、ずっと――」


 そこでサレスは少し黙った。言葉を探しているかのように。

 何か言おうとしてはやめ、口をもごもごとさせながら。しばらくの間があって、ようやく彼女は適切な表現を見つけ出したようだった――


「……ずっと、悔やんでいた。母と、妹を、失ったことを」

「……」

「それで、ユースは旅に出た。竜退治の旅――復讐の旅へ」

「……なるほど」


 ――仇を討ったとユースは言った。復讐の旅とサレスも言う。

 でも、サレスはユースを評して、『悔やんでいた』と言葉を選んだ。

『悲しみ』とか『怒り』でなく、『後悔』。それが復讐の動機であると。

 それが、少しだけ引っかかった。

 でも、そこを掘り下げて聞けるような雰囲気ではなかったから――

 とりあえず、控えめに手を上げる。


「じゃあ、その……。四日前まで、ってことは」

「その復讐を果たしたのが、四日前」

「……嵐と呼ばれたドラゴンを、人の手で?」

「そう。……あんなだけど、ユースはすごい」


 どんよりしていた空気の中、サレスは久しぶりに軽く笑った。

 僕もつられて笑みを浮かべてしまうほどの、優しい笑顔。

 でも、再び銅板を覗き込んだ顔は、すぐにこわばっていく。 


「そう、ユースは竜を殺した。それは私だってこの目で見た。なのに……」


 王様と王子、父と息子。ふたりの間の沈黙は、王の側から破られていた。



「わが妻と愛娘の無念を、息子が晴らしたと。そう言うのか」

「首でも取ってくればよかったか? 俺だって親父がここまで頭固えって知ってたら持ってきたよ。クソみたいに重てえ頭を、殺したってのに見てるだけでまだ憎くて憎くてしょうがねえ頭をさ。バカみてえに担いで持ってきたよ。信じてもらうために」

「いや、いい。……それが事実なら、ふたつ聞くことがある」

「ひとつめから、どーぞ」


 ユースはあくまで軽い調子に、刀の先を王様へと向ける。先を促しているのはわかるが、王に刃を向けるその絵面はかなり不穏なものになっている。

 王様も王様で、問いただす声色はずいぶんと厳格なものだった。


「まさか、伝説を知らなかったわけではあるまい?」

「バカげた噂話だろ? 知ってたよ」

「知っていて、あれを殺したのか」

「ああ。……なあ親父、俺のことこんだけ疑ってなんであのホラ話信じたの?」

「なぜ信じたか、と……」


「……逆に聞くが、事ここに至って、おまえはまだ――信じていないのか?」


 また重苦しい沈黙が生じた。

 その隙に、聞いておく。


「……あの、伝説とか噂話っていうのは」

「地の底深くに封じられた魔王は、復活のために策をめぐらせた。そこで思いついたのが、魂と肉体を切り離す策」

「魔王。……え、魔王?」


 玉座の間の雰囲気に押されて、隣のサレスに語り掛けるのもなんだか小声になってしまう。が、サレスのほうはあらかじめ用意していたかのように、流暢に答えた。


「身動きの取れなくなった魔王は――封じられた肉体は一度捨てて、魂だけの身で地上に逃げる。そういう作戦を思いついた」

「……はあ」

「で……、この作戦は、うまく行ったらしくって。魔王は地下に封印されたと今の時代には伝わってるけど、実際のところ、魂だけはすでに解き放たれている。今も、地上に存在している――っていう、噂」


 だから、一瞬置いて行かれてしまう。

 なぜここで魔王の話をするのか、と。


「でも、魂だけじゃ生きられないから、魔王は魂の器を求めた。肉体を取り戻すまでの間、仮の住居として利用する肉体。それもできるだけ強いのがいい」

「……」



 ――その肉体というのは。



「ドラゴンは、もともと強靭な生き物だけど――あの災害のような強さは、そうでもなければ説明がつかないって。みんな考えた」


 

 人間でなくても、構わないのだろうか――?




 銅板の中で、王様は憂うように両目を閉じている。


「なあ、親父。親父よ、マジで信じてんの? 昔は世界を手に入れた魔王が、今はドラゴンの中に潜り込んで、それでたまに人襲って食うだけの、動物みてえな生活送って満足してたんだって、そんな話を、マジで?」

「魂は、肉体に引きずられるものだ」

「ああん?」

「ある意味で、魔王は封じられていたのだ。魔王はドラゴンの肉体を利用しようと考えたが、それはドラゴンという名の檻に入ることでもあった。竜の体に入った以上は竜の本能から逃れられん。それが人間にとっての救いだった」


 ユースが赤い絨毯を蹴った。


「檻か。檻な。都合のいい言葉の選び方するよなあ、親父……」


 ――言いたいことがあるなら、はっきり言え。

 刺すようなユースの言葉に――王はひるまなかった。


「あのブラックドラゴンを、おまえが殺した。それが事実であるとするならば――」




 ――おまえは、魔王の魂を解き放ってしまったのではないか?



 三度、とげとげしい静寂が訪れた。

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