第8話
――なんだろう。
この感覚、ついさっきもまるっきり同じことをやったような――
「――起きて。起きて」
「……」
「起きて」
「……!?」
聞き覚えのある声に、思わず顔を上げた。
どこだ、ここは?
真上には、大きなシャンデリア。外がすっかり明るくなっているから今はもう朝で、だから明かりもついていない。それが少し寂しくて――
そんな寂しいシャンデリアの下、外は明るいというのにお先真っ暗以外の形容が見当たらないほどに死んだ目の人々がたむろしているのは、ちょっとつらいものがあった。
酒場、というか避難所だ。昨日一夜を明かした場所――ここは、異世界。
ぼんやりと思い出してきた。昨日、あの会議室で、予想以上の僕の弱さに頭を抱え始めたエビルとひとしきり口論をしていたら眠くなって、それで眠りについたのだ。夢の中で寝るような奇妙な話だが、それで肉体に戻ってきたらしい。
しばらく放心していると、とんとんと二度肩を叩かれた。そういえば誰かいるんだったとそちらを振り返った瞬間――
僕の頬に、細長い木の杖の先端が突き刺さった。
よくやるやつだった。
とんとんと肩を叩いて、振り返った相手の頬に人差し指をブスリとする、あれ。
「おはよう、ビクテム」
「……おはようございます」
「ま、昼だけど。よく寝てたね」
「……」
一連の流れをすべて無表情でやってのけた紫色のとんがり帽子を見て、とりあえず振り向きトラップのコミュニケーション形態は全世界共通なんだなと、それだけ理解した。
「あの、今日はその、ユースさんは……」
「野暮用。すぐ来る」
「なるほど……」
だからひとりで来たのだろうか、サレスはすっくと立ち上がると杖をついて僕を見下ろした。慌てて僕も腰を上げようとするが、彼女は黙って首を振るのみ。
中腰、半端な姿勢のままで、見つめ合う形となった。
こうして見ると、髪が長い。
黒々とした両サイドの毛が、紫色のローブの上に垂れている。
魔法使いというからには、日の下に出ないことも多いのだろうか。それら暗色と対をなすように、肌はうっすら光って見えるほど色白で、
その白い顔の中にある、濃い、深緑色の瞳が――やけにはっきりと僕を見ている。
にらめっこに耐え切れなくなって、僕が目を逸らすと――
サレスは、すんすんと鼻を鳴らした。
「……」
「……あ、あの?」
「ちょっと、失礼」
「え」
中腰の僕の手を取って(指が細くて手が冷たい、と一瞬どきりとしてしまった)、サレスは手の甲を顔の前に持っていく。
何をするのかと思ったら、
どうやらにおいを嗅いでいるらしかった。
「…………ええ!?」
何を取り繕う余裕もなく、とっさに腕を振り払ってしまう。
なんだ、そんなに臭うのか、そんなにか、そんなにか!? ショックのあまり自分でも嗅いでみるが、別に何のにおいもしない。でも、こういうの自分じゃわからないというし――
「……」
「……あ、あの……」
人差し指を顎にやり、サレスは首をかしげている。ぶつぶつとなにか呟いたあと、ひとりで納得したように頷く。
「うん。やっぱり、一緒に来て」
「え」
「いいから」
サレスは僕の腕を引っつかむと、スタスタと足早に避難所を出る。
あまりに当然のような歩みに逆らうことすらできなかった。
石畳の道をずんずん歩いて、たどり着いたのは噴水のある広場。
水瓶を抱えた女神像、その瓶からこんこんと水が噴き出ている。美術の教科書にでも載っていそうだと思ったこの第一印象、腕のある彫刻家の作に違いない。
が、噴水の周りにどんよりと渦巻いている、重苦しいこの空気。
炊き出しのようなことをやっているらしい。広場の片隅に立ったテントに、長蛇の列ができている。並ぶ人々の髪と肌の色、着ている服のバリエーション――とても国際色豊かな光景で、四つの国が滅んだという事実をまざまざ見せつけられている気になる。
広場だけでなく、ここまで来る道にも人はばたばた倒れていたし、食料を受け取る人々の表情も、一様にうつむきっぱなしで、暗い。
『終末』の空気を、これでもかと感じる――
サレスはきょろきょろとあたりを見回し、やがて女神像の真ん前、噴水の縁に腰を下ろしている男を発見。歩み寄りながら、呼びかけた。
「ユース。済んだ?」
「済んだ済んだー……つっても、これからだが。……お? なんだ、ビクテム?」
鞘にくるんだ刀を肩に担ぎ、ユースは噴水に腰かけていた。サレスの後ろの僕を見つけると、立ち上がって軽く手を振る。
「なー、ビクテム。めんどくせーと思うよな? 俺、これでも王子様なんだぜ。王っつったら俺の実の親だぜ? なんで親父と会うのにいちいち七面倒な手続きが要んのかって。しかも呼んだの親父のほうなのによ」
「あ、えーっと……」
「この男は、これからカイロス王と謁見をすることになっている。でも、王様に会うにはいろいろ面倒な役所手続きが必要で、それを今やってきたところ」
「……ありがとうございます」
ちらりとサレスに視線を向けると、よどみなく状況の解説をしてくれた。
退屈な時間だったとぼやきつつ、ユースは刀の素振りをしている。
「こんなご時世に手続きも何もあるかよって思うだろ? 俺も思う。でも、それ言ったら『こんなご時世だからこそ』って怒られたんだよな。もーほんと親父も役所の連中も昔から頭が固くって固くって……」
「えー、っと……王様に会うって、なにかあったんですか? どんな話を……」
「どんな話だと思うよ? 俺にもわかんない」
一般人が首を突っ込んでいい話題かはわからないのだが、とりあえず間を持たせるための質問。ユースのひときわ大きなスイングと同時に、サレスが口をはさんだ。
「想像くらいは、つくけど」
「……と、いうと」
「みっつだな。たぶん可能性はみっつ。ねぎらいの言葉をかけてもらえるか、今後俺のなすべき仕事についてか、そうでないなら――」
そんなに振ってると鞘がすっぽ抜けてしまうのではないか、と心配になる勢い――
「――責任の追及か、だな」
素振りからも、声からも。
ストレスがにじみ出ているような気がした。
責任。責任という単語――気にはなったが、しかし今度はサレスの解説が入らない。ということは、軽々しく触れてはいけない領域なのかもしれない。
刀をぐるぐる回しながら、ぼんやりと空を眺めているユース――なんとなく、踏み入れない空気があった。
――ところで。
昨日から気にはなっていたが、ユースの持っているこの剣――
どう見ても、日本刀だ。
金髪碧眼の勇者様が、刀。
――世界観、どうなってるんだろう?
広場を見渡してみると、中国風の衣装を着ている人たちも大勢見かける。となると日本風の、日本っぽい武器があってもおかしくはないのかもしれないが……
「……お? どした?」
僕の視線が注がれているのに気づいて、ユースは刀を止めた。くくくと笑い声を漏らすと、刀を、見せびらかすように、僕の目の前へと持ってくる。
「っはは、やっぱわかっちゃう? やー、いいものってのはたとえ記憶がなくてもいいものだってわかるもんなんだな」
「……まあ、はい」
「見ない形の剣だって思うだろ? そう、実を言うとだな、これは――」
「ユースの持ってるそれは、魔法剣。魔法が使える剣」
「ねえ、なんでおまえがバラしたの? なんでおまえが言っちゃったの?」
「魔法剣……?」
「……ああ、そうだよ、魔法剣。最近手に入れたばっかの魔法剣ですよー」
タメにタメたユースの言葉をサレスがあっさりと引き継いでしまい、ユースはふてくされたようにまた刀の素振りを始めた。
「たまにあるの、そういうのが。剣自体が意思を持っていて、剣自体が魔法を使う。波長の合う人間が使えば、絶大な力を発揮する。そういう武器」
「意思を……意思? 剣?」
「そ。ま、俺はまだ波長合いきってないみてーなんだけど、それでも十分すげーし、たまに声だって聞こえるよ」
「声。……剣のですか!?」
「そうそう、剣の。たまにだけどしゃべるんだよ、こいつ」
「剣に触れている人間にだけ、剣の声が聞こえる」
「はー……すごいですね」
しゃべる刀――しゃべる刀。そんなものが、この世界にはあるのか。
そうだ、ここは魔物がいれば魔法だってある異世界なのだ。覚えてないとはいえ僕も人間、もやのかかった記憶の奥で、童心に火がついたのを感じる――
僕の目を見て何かを察したのだろう。
「……触ってみるか?」
ユースは、一度いたずらっぽく笑うと――刀を、僕の前に突き出した。
「いいんですか?」
「おう、おう。触ってみろって」
「…………」
「いいから、いいから」
目を輝かせる僕に、にやにや笑うユース。サレスが、横から冷ややかな視線を僕たちに――というよりは、ユースに対して注いでいるが、ユースはそれを手で制し、僕に刀を押し付けてくる。
たまにしかしゃべらないとは言ったが。
もしかすると、僕にも聞こえるのだろうか? ――剣の声というやつが!
僕は、ユースの笑顔の意味をまったく疑うことなく、ユースが差し出した刀の柄に、手を触れ――
た、次の瞬間。
触れた指先から高圧電流が這い上がってくるような強烈な痛みが腕にあって――
刀か、でなければ僕の体の中から、
山火事の現場にヘリからダイナマイトを大量に投下したような、そんな猛烈な爆発音がして――――
勢いよくはじき飛ばされた僕は、噴水の女神像に激突。
そのまま、水の中にドボンした。
「――あ、あれ!? いや、まさかここまで――」
「そんなこと言ってる場合じゃない」
「だ、大丈夫かー!? 大丈夫か、ビクテム――」
水の中なので聞こえ方がおかしいが、ふたりの慌てた声を聞いた気がして――
それを最後に、僕は気を失った。
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