第7話

 ――なんだろう、この感覚は。

 誰かが、寝ている僕の体を揺すぶっている……。


「おい。おーい」

「……」

「おーい。せっかく戻ってきたんだろ? あたしのほうも、ちょっとくらいは話聞かせてほしいんだけど……」

「……!?」


 聞き覚えのある声に、思わず顔を上げた。

 どこだ、ここは?

 僕は机に突っ伏して眠っていた。大きな円卓。座っていたのは柔らかい皮の椅子、というかここは例の会議室、隣にいるのは――


「――おかえり。とりあえず無事なようでなによりかな」


 よれた白衣にズレた黒メガネ。無地のカップでコーヒーをすする姿がとてもくたびれて見える――二世界の創造神こと、エビル。

 もともとよれよれだった白衣には、油汚れのような黒ずみが追加されていた。ふと奥を見ると、円卓の上にはドライバーや六角レンチといった工具がいくつも転がっている。見ればエビルも腕まくりをしていて、神の肌は生白いという知見を得た。

 テーブルの脇には、分解途中とおぼしきリンカネくんの姿があった。腕とキャタピラは取り外されて、モニターも基盤がむき出しになっている。『リンカネくんの修復』という仕事は、思ったよりアナログな作業らしい――

 ――ではなく。

 ここにエビルがいるということは、

 天国ここに戻ってきてしまったということは!


「……僕、また死んだんですか!?」

「ああいやいや、そうじゃない」


 エビルはちょっと呆れたように笑いながら(死んだと考えるのが普通だと思うのだが……)事情を説明してくれた。


「一応、君には頼みごとをしてるわけだからね。神から直接の頼みごと。経過報告とかも聞きたいわけだし、だから、転生のときちょっと小細工をした」

「小細工……?」

「まあ単純な話で。異世界で君が眠っている間、君の魂は天国に来て、あたしと話をすることができる。そういう仕組みにしておいた」

「……」


 しばらく、言われた意味を考える。


「……えっと、つまり僕の体のほうは、今も異世界の避難所で問題なく眠ってるってことですか? 起きたら戻れる?」

「避難所……避難所ってなんだ? まあどこでもいいけど、合ってるよ。体が起きれば魂は戻る」

「寝てる間だけ魂抜けるってことですよね?」

「そうなる」

「大丈夫なんですよね? 本当に?」

「……最初話したときも思ったけどさ、あんた、あたしのことあんま信用してないよね……? あたし神だよ? 一応は。もうちょいあてにしてくれていいんだよ?」

「……」

「……」


 自分の胸に聞いてみろ、という思いを神に対して抱く日が来ると。

 まだ生きていたころの僕は、はたして予想することができただろうか?

 いまだ、記憶は蘇らない。でも、ひとつだけ、間違いなく言えるのは――そんなの無理に決まっている、ということだ。



 とりあえず、ひと通りの事情を話した。

 というか、半分くらいは恨み言になった。ユースたちに助けてもらえなかったら転生早々死んでいた、という点について。

 魔物の群れに襲われたと言うと、エビルはきょとんとした表情を浮かべた。


「あれ、……え? 勝てなかったのか?」

「勝てなかったって」

「いや……大抵の転生者は、そのへんの魔物なんか相手にならないくらいの力を、最初から持ってるもんなんだ」

「そうなんですか?」

「そうだよ。じゃなきゃ幸せになれない」

「……全然効いてませんでしたよ、パンチ」

「……戦闘向きの能力じゃないのか……?」


 エビルは首をかしげているが、ひとまず今大事なのはそこじゃない。


「あの、それで……今、異世界、すごいことになってましたけど……」

「……ああ。見てきたわけだね」

「で、その……僕、異世界がどんなところかってのも、ちゃんと聞かないで行っちゃったんで。今のうちに、説明、してもらえるなら……いろいろ、教えてもらえたら、と」

「……」


 ユースからざっと説明は受けたが。製作者かみさまの口から聞けるなら、これ以上のことはないだろう。

 エビルはしばらく考え込むような表情をしていたが、やがて一度うなずくと、どこからかホワイトボードをカラカラと引っ張り出してきた。白衣のポケットから取り出した指し棒で、ボードをひと叩きすると――

 ホワイトボードに、世界地図が浮かび上がった。


「ひとまず、これが異世界のワールドマップね」


 見慣れた現世の世界地図とはちょっと違う――けど、なんとなく似ているような気もする、そんな地図。

 見たままの感想を述べると、アフリカ大陸が六つある、そんな感じ。

 五つの大陸がちょうど五角形を描く形になるよう意識した配置、そんなふうに見える。で、その五角形の中心に、六つ目の大陸を置く。これだけちょっと大きい。そんな世界地図。

 五角形を描く大陸には、五角形の頂点から、時計回りに――

 プロメテウス、キネシス、ワダツミ、ガイア、トポス。

 そんな名前が振ってあった。そして、一番大きな真ん中の大陸には――


「で、君が今いる場所が、真ん中の――カイロス大陸だ」


 ――ユースが言っていた名前が書いてある。

 どれもこれも、一応耳になじみのある単語ではある……気がする。けど、いまいち統一感のない名前だ。

 首をかしげる僕の目の前で、エビルは小さくため息をつく。


「ま、カイロスは見てきた通り。今はああいうことになってる。けど……あれでも、他よりはまだマシなほうでね」


 そこでエビルはパチンと指を鳴らした。すると、世界地図に異変が起きる。

 カイロスを取り囲むように、五角形を描くように配置されていた五つの大陸――

 てっぺんのプロメテウスを除いた四大陸すべてに、大きな×印がついた。


「言ってました。四つの国が滅んだって……」

「見るかい?」

「え」

「魔王が最初に現れたのは、トポス。そこからぐるっと回っていった感じかな……」


 エビルはホワイトボードのほうを向いていた。だから、その表情は見えない。


「ワダツミってあるだろう? そこは海の国なんだけど……」

「あ、はい」

「沈んだ」

「え」

「大陸、まるごと海に沈んだ。……イメージできる?」

「……」

「ガイアは土の国、地震と地割れでひどいことになった。トポスは、ちょっと説明しづらいんだけど、空間をいじる魔法が得意な国で……まあ愉快なことになったよ。他も似たようなもんだ。大勢死んだ」


 色とりどりだよ本当に、と、エビルは小さく言い捨てて――


「カイロスとプロメテウスを除く四大陸はすでに滅亡した。……たった二日間で」


 僕に向き直ったその顔には、表情らしい表情はなかった。

 ある意味で創造主らしいと言えるのかもしれない。人死にごときで心が動くようなら、神様なんてやってられないだろう。

 だから、僕が気になったのは――


「……二日間?」

「そ。封印されていた魔王が蘇った――と、されているのは、今からちょうど二日前。その二日間、魔王はまるで散歩でもするかのように――四つの大陸を飛び回って、そのすべてを滅ぼして回った」


 頭の中で計算する。

 2017年4月12日、現世の時間はここで止まった。このとき、六人の人間が現世から異世界へと転生している。しかしそのうちふたり、五人目と六人目の転生時にリンカネくんがエラーを吐いた。そのエラーでエビルは異変に気付き、真相究明のため、僕を異世界へと送り出した――


「ちなみに、現世と異世界で時間の流れ方が違うとか、そういうのは基本的にない」


 僕が何を考えているのか、エビルも察しているらしい。聞く前に補足してくれた。

 と、いうことは。



「現世がフリーズしたのと同じようなタイミングで、異世界でも魔王が蘇った……」

「そう。そういうことになる」



 現世の日本時間にして、2017年4月10日。この日に魔王は蘇ったことになる。

 二日のタイムラグはあるが――無関係とも、思えない。


「まあ、リンカネくんのエラーと現世のフリーズが本当に同時だったのか、あたしがフリーズに気づいたのは本当にフリーズ直後なのか、ってのは、ちょっとわかんないから……気づいた時点で実はフリーズから丸一日経ってましたとか、そんな可能性もあるっちゃある。日付は、多少ズレるかもしれない」

「まあ、はい。それはわかります」

「……わかられんのも、なんか釈然としないけど……」


 異世界にしろ現世にしろ、エビルはあまり下界を見ない。そこは僕も把握した。

 アパートで首を吊った死体が、異臭を発するようになるまで発見されることがないように――現世がフリーズしてしまったことに、ひと月経つまで気づかなかったとか、そんなことも普通にありえるのだろう。

 そう考えると、魔王の復活については二日で察知しているわけだから、むしろこちらは素早い対応と言ってしまってもいい気がする。


「……」


 首吊り死体に例えられるという不名誉まで察しているのだろうか、エビルは冷たい目で僕を見ている。弁解するように腕を振りつつ、とりあえず聞いてみた。


「……でも、ただ単にタイミングの悪い話、ってわけじゃないんですよね? 偶然、魔王とフリーズが重なったってわけでは」

「まあ、な……」 


 エビルは真剣な表情を浮かべて黙った。

 無言のまま、まっすぐに僕を見据え――


 人差し指を一本立てて、それを唇の前に持っていった。

 うるさい子供を「静かに」と制するときのようなそのしぐさ――

 声をひそめて、エビルは語る。



「おもいっきり、ネタバレをするけど――」

「……ネタバレ?」



「――魔王なんていないはずなんだよ。あたしはそんなもの作ってない」



「……作ってない?」


『ネタバレ』も『作ってない』も両方まったく意味がわからなかった。

 たしかに設定はあるけどね、とどうでもよさそうに灰色の髪が揺れる。


「『かつて魔王と勇者の争いがあって、勇者に打ち倒された魔王は地下深くに封印された』そういう伝説はあるよ。でも、それはあくまで、『あたしが"そういう世界"として作った』ってだけの話で……本当に魔王が封印されてるわけじゃない。あたしがあの世界を創るとき、魔王なんてのは創らなかった」

「……えっと……」

「”異世界”はね、”現世”よりもだいぶ後に作った世界なんだ。だから歴史が浅い。だから現世とは違って、最初から『そういう歴史がある』って設定で作った」

「……」


 わかるような、わからないような、微妙な話だが――

 とりあえず、挙手。


「つまり……『世界を滅ぼす強大な魔王』なんて、ほんとは存在しないはずだと?」

「一番魔王に近いので、人を喰らう邪悪なドラゴンとかそのレベルだよ。世界をまるごと滅ぼせるような器のキャラなんか、いないはずなんだ」

「……え、どういうことなんです?」


 なら、あの魔王はどこから湧いた――そう考えたところで、エビルと目が合う。

 ズレたメガネのレンズの向こうに、薄青色の瞳が見える。



 魔王なんて異世界にはいない。でも神はふたつの世界を創った。



「魔王は、もともと異世界に存在していたものではない。でも、今の異世界には魔王がいる。――となれば、外部から来たと考える以外ない」

「……転生してきたってことですか?」

「だろうと、あたしは思ってる」


 転生者には、とても強い力が与えられる――それが、"転生救済システム"の基本。

 その力を用いて異世界を破壊しようともくろんでいるのが、今の魔王だと?

 ……となれば、僕のやることは?

 神は、難しい表情で腕を組んだ。


「ぶっちゃけると、六人の転生者のうちの一人が魔王だとあたしは思ってる。そして君も、六人の中の一人だ」

「……つまり」

「まったく同じタイミングで転生した六人――まったく無関係の六人ってことはないはずだ。現世でなんらかの接点があったと、あたしは見てる。会えば、何かがわかるかもしれない」

「……と、いうことは……」


 いわば、それは神の宣告。

 エビルが指先で眼鏡を押し上げた――




「なんとか、魔王と接触してほしい。それが当面のミッションだ」




「……四つの国を滅ぼした魔王と?」

「四つの国を滅ぼした魔王と」

「トカゲ一匹にも勝てなかった僕が」

「トカゲ一匹……にも、勝てなかったのか!? え、マジで!?」


 ……無茶なことを言う神様だった。

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