第6話

 

 街の中は悲惨なことになっていた。

 外から見たときは立派な城だと思ったし、その印象はそんなに間違ってない。石畳で舗装された街並み、立ち並ぶレンガの家々――RPGに出てくる城下町のようだと、街並みだけを見ればそう思った。

 悲惨なことになっていたのは、人。

 至るところに疲れきった様子の人々が座り込んでいるのだ。いや座っているならまだいいほうで、ぼろきれ一枚だけをかぶって路上で眠っている(のか死んでいるのか判断がつかない)人もゴロゴロしている。

 壁の外側ではトカゲやカラスがみっちりとひしめき合っていたが、ここでは人がぼろ雑巾のように転がされている――

 ユースとサレスの先導に従って僕は街を歩いていたのだが、あまりに凄惨な光景を前に、何度も足を止めてしまった。


「――さて」


 最終的に、ユースは僕を大きな酒場へと案内した。黄色く塗られたジョッキから溢れる白い泡を描いた看板、酒屋でなければなんなのだという看板。

 広いホールの高い天井から釣り下がるシャンデリア――立派な店だと思ったのだが。やはり店内にも、死んだような目をした人々がたむろしている。中には怪我をしている人もたくさんいて、修道服を着た人たちがその治療をしていた。


「ま、今は避難所みたいなもんだな……」


 ユースが店に入っていくと、店員や、その修道服の人たちがすぐに立ち上がって礼をする。片手でそれを制して「テーブルひとつ貸してくれ」とだけ返すユースは、正真正銘の王子様であるようだ。

 四角いテーブルの一辺に僕、その向かいにユースとサレス。面接のような位置取りになった。


「改めて、自己紹介な。俺はユース。この国の王子様。で、こっちがお付きの魔法使い」

「お、つ、き、の? ……魔法使い、サレス。よろしく」


「お付きの」でリズミカルに四回、ユースの頬が杖先でつつかれる。「この偉そうなのは無視していい」とか「お着きなのは事実だろうがよ」とかしばらくやいのやいのした後で、ようやくふたりは僕のほうを見た。


「で、そっちは? どっから来た誰?」

「え」

「きみの名前。教えてほしい」


 当然と言えば当然の流れだった、が――

 ――どうしよう?


「えっ……と、ビクテムです。僕の名前、ビクテム」

「おう、ビクテム。どこ出身?」

「……」

「どうして、ひとりであんなところにいたのか。聞きたい」


 とりあえず、エビルがつけてくれた名をギリギリのところで思い出し、それでごまかせればと祈ったのだが、無理だ。ふたり分の視線が、まっすぐ僕に注がれている。

 さて――本当に、どうしよう?



「……記憶がない?」

「はい……」


 まあ、記憶喪失は本当だ。

 気づいたら僕はあの場所にいた、それ以前の記憶がまったく思い出せない。いきなり大量の魔物に襲われて僕は非常に混乱している、この国ではあんなのが普通なんですか、そうじゃないなら何が起きているんですか――

 そんな具合の事情説明を、つっかえつっかえ話しきった。ところどころ「この国」を「この世界」と言いそうになって不審な目で見られたものの、それを除けばふたりとも、相槌を打ちながら聞いてくれた。


「……どう思う」

「ない話じゃない」


 僕のほうを見ずにふたりだけで、低い声で、短く交わされた不穏な会話――一瞬の台詞を僕は聞き取ってしまったが、不穏な声色を聞いてしまったが、まあふたりとも笑顔だったから、たぶん、セーフ……。

 ユースは、僕の顔をじろじろと眺めまわしている。


「トポスとか、キネシスとか、あっちのほうの出身って感じには見えないが……」

「……」

「まあ、こっちに逃げてきてたってことは、たぶん潰れた国どっかの出だろう」

「ユース」

「ん?」

「その話がまず意味わかんないですって顔、してる」

「………」


 杖の先で僕の頬をつんつく突っつきながら、サレスが割って入った。

 その通りといえばその通りで、固有名詞の意味がまったくわからない。

 ユースはしばらく腕を組んで考え込み、指を一本ずつ立てながら話した。


「でかい国が六つあるってのは、覚えてる?」

「いえ」

「魔王と勇者の伝説は、わかる?」

「わかりません」

「……邪悪なる竜を打ち倒し、国の平穏を取り戻そうとした偉大なるドラゴンスレイヤー・ユースのお話は――」

「ユース、それはたぶんまだ誰も知らない」


 そっから知らねえってのも珍しいな、とユースは金髪をがしがし掻きむしった。珍しいも何も記憶喪失、と杖でツッコミを入れるサレスを軽くあしらい、咳払い。

 まあ簡単でいいだろ、と前置きをして、それから話し始めた。



「昔々のこの世界には、とんでもねえ力を持った魔王ってのがいたらしいんだよ。六つの魔法を自在に操るそれは恐ろしい魔王だったらしくて、そいつが世界を、六つの大陸を全部支配してたわけだ」

「はあ……」

「でも、魔王は打ち倒された。ひとりの勇者の手によって、地下深くに封印された。……ちなみに、この勇者が俺の、俺んちのご先祖様だって言われてます」

「なるほど」

「魔王を倒した勇者は、魔王の操る六大魔法を六つの大陸にそれぞれ封じた。で、六つの国を作った。封じた魔法を守るために」

「というのが、今ある六大国の成り立ち。それを語った伝説」

「なるほど……」


 そこでユースは一息ついて、代わりにサレスが話を結んだ。

 だいぶ適当な相槌を打っている自覚はあるが、なるほど以外に言うことはない。

 なるほど、これがこの異世界の『世界観』というわけだ――



「――で、その魔王がなんか復活したらしいんだよな」



 ――『世界観』の先、『現在』の話をユースはなんでもないことのように語った。


「……復活した。魔王が……」

「そ。俺も現物見たわけじゃないけど」


 六大国のひとつ――トポスの王様が急遽この国を訪れたのが、二日前の話らしい。

 空間転移の魔法(そういうのがあるらしい)を使って着の身着のままやってきたトポス王は、泡を食ってこう語った。

 あれは間違いなく伝説上の魔王だ、魔王がこの世界に蘇った、私の国はあっという間に滅ぼされてしまった――

 この王は気でも狂ったのかとカイロス王は思ったそうだが、それでも一国の王が言うことだ。一応、と斥候を向かわせてみたら――


「そのころにはもう、国が四つなくなってた」


 ――魔王は、六つの国をひとつずつ順番に潰して回っている。

 この国と、あともう一国だけがギリギリ残っている状況だという。

 

「ほんともう、何もかもがてんやわんやの大騒ぎでな……。滅ぼされた四国に住んでた民は、とりあえずこの国うちに避難してきてる」


 "逃げてこれた連中は"だがと小声で付け足したユースの顔に、無数の命の灯を見た気がした。消えてしまった、青白い炎――

 魔王の影響か何なのか知らないけど、とサレスが付け足した。


「どうも、そのへんの魔物も妙なことになってる。普段このへんじゃ見かけないようなやつから、いつもは人間襲わないようなやつまで、全部ひとかたまりになって……まっすぐ城に押し寄せてくる。露骨に、人間狙ってきてる」

「そういうわけだから、所用あって竜退治の旅に出ていた俺も呼び戻された。国を守る戦力が必要だって、親父から直々の伝令」

「……」


 転生早々城壁の外で野垂れ死にという未来を回避できたのは、つまりそういう縁があったからなわけだ。……思わず、もう一度頭を下げてしまう。

 ユースは軽く笑うだけだ。


「そういうわけで、今は世の中結構ヤバいことになってるわけだが……話聞いてなんか思い出したとか、そういうの、ない?」

「……」

「そっかあ……」


 嘘ではない。

 もともと僕は現世から転生してきた身、この世界での来歴なんてのはそもそも存在しない。けれど――

 自分は、いったい何者なのか。

 現世で生きていたころの自分は、どんな人間だったのか?

 ――現世を終わらせた六人のうちの、ひとり。

 僕は、いったい何をしたのか?

 それがまったく思い出せないのは、事実だった。



 もう夜も遅いということで、ユースとサレスのふたりは酒場(というより、避難所)を後にした。ふたりは城の防衛を任された身、まだいろいろとやることがあるらしい。

 行く当てがないなら避難民と同じ扱いでいいだろうということで、ひとまずこの避難所で一晩過ごしてくれと、ユースは去り際そう言った。何から何までありがとうございますと頭を下げると、軽く笑って「また来るから」と言った。

 ――国の防衛を任された王子様が、身元もはっきりしないような避難民に「また来るから」。その台詞の意味も気になったし、去り際、僕のことをじ――っと見つめていたサレスの目も、気になった。

 が、今はとりあえず、休もう――

 ――死んだ目でへたり込んでいる避難民の方々は、いまさら同類がひとり増えたところで気にすることもないようだ。僕のことを見ている人は、いない。

 怪我人の手当てをしている店員や修道服の方々も、身体に異常がないやつのことをいちいち気にする余裕はないらしい。僕のことを見ている人は、いない。


 自分が何者なのかは、わからない。でも、とりあえず、この場での僕は――

 いようがいまいが変わらない、どうでもいい存在のようだった。


 硬い木の床の上にごろんと転がってみても、誰も気にしない。

 なるべく邪魔にならないよう、端のほうへ寄って――かぶる布団もないけれど、僕はそのまま眠りについた。

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