第5話



 城壁の上から降り注ぐ叫び声。


「ゆ、ユース様あああああああああ!?」


 喉の奥から出たであろう、弓兵の甲高い叫び声、それでやっと我に返る。

 金髪の勇者様は、抜き身の日本刀を杖のように地面に突き刺すと、壁の上の兵に手を振った。


「あ、あなた様、あなた様は、御身が今この国、いや、この世界にとってどれだけ重要か理解しておられるのですか!?」

「いや知らんよそんなん。俺が親父に頼まれたのは街の防衛だって。ならこの壁際でのゴタゴタは俺が解決するのが筋じゃねーの?」

「じゃあないんですっ! この世界最後の砦たるあなたがこうも軽々しく魔物の前に身を晒すなど」

「……ちょっと待ておまえあれか? おまえまさか俺がこんなザコども相手にやられんじゃないかってビビってんのかもしかして! それこそ不敬だよおまえら!」

「…………」


 我には返ったものの、生きるか死ぬかの緊張感は完全に吹っ飛んでしまっていた。

 弓兵たちは揃って手をメガホンの形にして、口々にこの勇者様への諫言をぶちまけている。当の勇者様は心外だというように唾を飛ばし、自分で刺した刀を引き抜いて切っ先を壁の上へと向けた。


「そ、そういう問題ではなくて! 我々は万が一の話を――」

「うるっせーやい! おまえらこのドラゴンスレイヤーユースをなんだと思ってんだ、あのクソ邪竜より、我が母と妹の仇よりこのザコ一束のほうが強いと!?」

「あ、いや……」

「ユース。その冗談は反応しづらいにも程があるからやめたほうがいい」


 弓兵たちの陰から、紫色のとんがり帽子がひょっこりと頭を出した。

 首から下を紫色のローブですっぽりと覆い隠している、黒い髪の女の人。長さはよくわからない。身体のラインがまったく出ない格好――

 ふと。

 空を埋め尽くしていた大量のカラス鳥人が、とんがり帽子とその隣の弓兵たちめがけて猛然と突進を始めた。

 弓兵たちは咄嗟に身構えるが、どう考えても間に合わない、

 と、思いきや。

 カラスたちは城壁のやや手前、そこに見えない壁でも見たかのように突如動きを止めた。構うことなく突撃していく個体も何匹かいたものの、そういう手合いは城壁の手前まで来たところで強烈なスパーク音とともに弾き飛ばされて落下する。


「ほら見ろ。サレス? 結界ちゃんと閉じたよな?」

「もちろん」

「いや、だからって、ユース様――」


 ユース(というらしい)の問いかけに、サレス(というらしいとんがり帽子)は懐から木の杖を取り出した。彼女の肩くらいまでの高さがある、節くれだった杖。

 その杖でこつんと足元を突くと、――僕にも見えた。

 シャボン玉の表面が虹色に輝くように、見えた。

 この城全体が、透明なバリアのような何かで完全に覆われている。


「と、言うわけでだ! ……立てるか?」

「あ、ぎ、ギリギリ……」


 改めて僕に手を差し出したユースは、その過程で近寄ってきたカラス鳥人を何でもないことのように切り払った。重そうな刀が右腕一本で軽やかに動いた次の瞬間、断末魔と共に黒羽が舞っている。

 まるでダンスのお誘いのように、脇腹を押さえる僕の手を取ったユースは――

 本当にダンスを踊り始めた。


「――サレス! 受け取り準備!」

「お、おおお――――!?」


 いや、やってることはわかる。わかるが――

 四方八方から飛びかかってくるトカゲとカラス鳥人の群れ。僕の身のこなしでは無理だとわかったユースは、左手で僕を振り回しながら右手の刀で魔物を切りつけている。

 僕の目の前でカラス鳥人が槍を振り上げれば、その瞬間僕の腕をおもいっきり引いて下がらせつつ、その勢いのまま体を捻って右の刀で突きを繰り出す。

 僕の背後でトカゲが火炎放射の体勢に入ろうものなら、とっさに僕を真上に放り投げ(!)、五メートルほど上まで放り投げ(!!)、その間に自分はトカゲの首を切り落とし、ついでに落下地点にいたカラス鳥人も縦にまっぷたつにしておいて、落ちてきた僕を悠々とキャッチする。

 手提げカバンでも振り回すような感覚で人ひとりぶん回している。ぐるんぐるん揺れる視界の中で、ひとつだけわかったことは――さっき聞こえた「受け取り準備」が、絶対にロクなものではないという確信!


「よし!」


 熾烈なダンスパーティの成果として、足の踏み場もないほど魔物にまみれていた草原は今やユースを中心にぽっかり円形の空白ができている。刀を垂直に突き立てたユースは、掛け声と共に、腕を振りかぶって、投げた。

 僕を、

 城壁めがけて、

 投げた。


「――――――!!」もはや声すら出ない!

 というか、

 というか、

 城は結界で覆われているはずでは!?


「だーいじょうぶ大丈夫、結界が弾くのは悪しき者だけだ! ふつーの人間ならすり抜け――」


 


 ――雷が落ちたみたいな轟音が響いて、その先はまったく聞こえなかった。




 とても硬いものに勢いよく激突した感覚が全身にあって、それで何かを思い出した。

 この痛みには覚えがある。

 そう、例えば、

 体育館のガラス戸を、全身でぶち破ったときのような、



「コード:エクストラアーム!」


 目に見えないドーム状の結界、その表面を転がり落ちていく――のが、首の絞まる感覚とともに止まった。硬い。

 咳き込みながら顔を上げると、城壁の上から細い石の腕が伸びていた。襟首のところをがっしと掴んでいる。

 やったのは――


「……引き上げて。早く!」

「さ、サレス様? これは――」

「一時的に穴を開けた……。早く上げないと塞げない」


 とんがり帽子の魔法使い。

 弓兵がわたわたと集まってきて石の腕に取りつき、僕の身体は背中を結界にこすりながら少しずつ上昇していく。

 が、僕のちょうど目の高さのあたりでは、カラス鳥人たちがうようよ飛んでいるわけで――目には見えないが、わかるのだろうか。


「コード――」


 鳥人たちは一斉に、石の腕の根本、結界に空いた穴を目指してまっすぐに飛んでくる。あげく、中にはついでと言わんばかりに、ぶら下がっている僕に槍を振り上げる者まで――


「――:アクセル」


 ――ぽぉん。

 と、薄桃色の花火が打ち上がった――


 ように見えるほどの勢いで、下にいたユースが跳び上がった。

 ひと跳び。にもかかわらず、そのまま下からカラス一匹を一刀両断できるくらいの高度と速度――

 死体を蹴ってほいほい空中で軌道を変えながら、ユースは鳥人たちを切り倒していく。

 が、それでも数が違うから、一匹、一匹取り逃がしたやつが、僕に向かって、槍を、投げつけ――

 ――同時に、ユースはそのカラス鳥人の胸を蹴って加速した。



 もう、何が起こったか目では追えなかったのだが。


「あっぶねえ……。……危なかった!」

「あ……」


 ユースは右手に握った刀を結界に突き立てていて、それでなんとか体重を支えていた。

 二の腕のあたりから血が噴き出しているのは、さっきの槍がかすってしまったからで――

 ――僕が今、ユースの左腕に抱えられている格好なのは、つまりそういうことだろう。


「あ、あの」

「ん?」

「……ごめんなさい!」

「いや、なんで謝る?」


 石の腕は、ひたすらに頭を下げる僕と苦笑するユースを同時に引っ張り上げた。

 ごろんと石の上に放り出された瞬間、その場の全員が深く安堵の息を吐いたのが、手に取るようにわかった。


「あ、あの、ほんと、本当に、ごめんなさい。すみませんでした。僕のせいで……」

「や、だからなんで謝んの。よかったじゃんか助かって。こっちも生きててくれて感謝してるよ」

「でも……」

「こほん」


 からからと笑うユースの肩越しに、紫帽子のとんがりが見えた。

 ひょこっと顔を出した魔法使い――サレスが、えへん、と平らな胸を張る。


「謝るより、先に言うことがあるはず」

「あ、そうだ。そうじゃんよ」

「……」




「ありがとう、ございました」

「それでよし」


 ふたりはとても満足げにうなずいた。




「……えっと、その。それで、あの……あなたは、どちらさま……ですか?」

「ど、どちら様!」

「え」


 まず聞かねばならないことだろうと思っていたのだが。

 遠慮がちに質問してみると、ユースは雷に打たれたようによろめいた。私は今衝撃を受けましたと、全身で語っていた。


「どちら様……どちら様って、や、俺がこの国でそれ聞かれるかあ……」

「長く、国を空けすぎた」

「うるせえやい」


 つんつんと杖先で頬をつつくサレスを押しのけ、ユースは一度咳ばらいをする。

 それから、鞘に納めた刀に手をかけ、朗々と、こう語った。


「どこの誰かと言われましたら、俺の名はユース・クロノカイロス。これでも一応、ここ、カイロス王国の王子様だよ」


 勇者様は王子様だった。

 勇者様で王子様のヒーローがいる世界なんだここはと、とりあえずそんなことを考えた。



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