凍る現世と壊れる異世界
第4話
――そういえば、『異世界』が具体的にどんなところなのかを聞いていなかった!
そんな後悔が胸いっぱいに広がったのは、硬い地面に放り出されて背中を強烈に打った瞬間。
いつの間にやら白い光はすっかり晴れているのだが、落ち着いてあたりを見回せたのはしばらく背中をさすってからだ。
「……お城だ……」
たぶん街道とでも言うのだろう。
見渡す限りに広がる、若草色の大草原――ところどころで炎がごうごうと燃えているが――その草原に道を拓いている。僕が落ちてきたのは土がむき出しになっているその道の上で、そりゃ痛いわけだ――あと、なんか爬虫類か何かのキイキイという鳴き声がそこかしこで聞こえる――。
で、その道の先には城壁がそびえ立っていた。とても大きなお城、というか、街だろうか。壁の横幅は果てが見えないし、縦幅は見上げるほど大きい――
――見上げた空は、異様に毒々しい赤色をしていた。
というか、なんかところどころ黒い。
なんだろう。パッと見のシルエットは、鳥。大量のカラスが空を埋め尽くしていて、それで空が黒く見える――と、認識したのだが。
カラスにしては、サイズが大きすぎる――
「!」
そのとき一匹のカラスと目が合って、それですべてを理解した。
羽根に加えて両腕がある。
その両腕に槍のようなものを握っている。
鳥じゃなくて、あれは鳥人――
「ああああああああああ!?」
鳥人のシルエットがぐんぐん大きくなっていき、おかげで槍を大きく振りかぶった姿もはっきり見えて、
必死に横へ転がると、さっきまで僕がいた場所に槍が突き刺さった。ワンテンポ遅れて、弾丸のように飛んできたカラス鳥人本体も着陸。
よろめきながら僕が立ち上がるのと、鳥人が槍を引き抜いて構え直すのと、ほぼ同時――
頭上からガアガアと鳴き声がする。その声がどんどんと近づいてくる。でも上を見ている暇がない。
だって目の前のカラス鳥人は両手に握りしめた槍をまっすぐ僕に向けて突き出し、
――たかと思ったその瞬間、カラス鳥人の骨ばった黒い腕に矢が突き刺さり、苦悶の鳴き声と共に槍が落ちた。
「――おい! 外に人がいる!」
城壁の上にずらりと並んだ弓兵隊――そのうちのひとりが、弓に矢をつがえながら叫んでいる。
「避難民か?」
「いや、ひとり――おい! そこの! 早く城のほうに逃げろ! こっちへ来……」
「いや待て、こっち来いっておまえ門を開ける気か!?」
「だって――危ない! 後ろ!」
隣の兵でなくこちらに向けて発された台詞だと気づいたのはギリギリのところ。
振り返った僕の背後に立っていたのは、イモリの腹みたく赤い皮をまとった、人間サイズの巨大なトカゲ。
がばっと開いた大口の奥、喉の中で炎が燃えている――
これは、さすがに、どうにも――
ならないと焦った次の瞬間、トカゲの鼻先と顎を縫い留めるように長い矢がぐさりと突き刺さった。半端に閉じた口の端から炎の塊を撒き散らしつつ、その場に倒れこむトカゲ。
草原はところどころ燃えている。
火を噴くトカゲの群れが、草原をぎっちりと埋め尽くすように、ひしめいている。
空はところどころ黒くなっている。
槍を構えた鳥人の群れが、空をぎっちりと埋め尽くすように――
「――見殺しにしろっていうのか!」
「あっちはひとり! こっちは国だ! ひとりのために民全体の命を危険に晒す真似はできない!」
――エビルは、異世界が具体的にどんなところなのかという説明を一切しなかった。
が、一から十まで察せてしまった!
異世界というのは、火を噴くトカゲやカラス鳥人のような魔物が当然のように存在する世界で――
『異世界も異世界でヤバいことになっている』というのは、こういう魔物が城壁の外にザルですくえるほどひしめいているこの現状。
で、さっきから弓兵さんたちが怒鳴り合っているのは、僕の処遇――
僕が城の中に逃げ込むには門を開けなければならないが、その場合トカゲ様御一行がセットでついてくるわけで、さらに、
――トカゲが三匹ひとかたまりになって僕のところへ突進してきている!
「……くそっ! なんとか耐えてくれ!」
二本の矢が上から飛んできて両サイドのトカゲの頭を撃ち抜く。続けて飛んできたもう一本はやや逸れた。ラスト一匹の前足だけを撃ち抜く。
姿勢を崩してスピードは落ちる。それでもなお、僕をまっすぐ見据えて走ってくる火トカゲ――
能力、
能力が与えられると神は、エビルはそう言った。
『何かが手に入るのは間違いない。とても強い力が――』
――それに賭けるしかない!
「わ、わああああああ!」
――トカゲの皮は硬かった!
お手本のようなテレフォンパンチが細長い横っ面に突き刺さる。突進の勢いを利用したカウンター。トカゲはその場で静止した。
このまま、
このまま、トカゲの身体が内部からおもいっきり破裂して、パンチの衝撃が体内に伝わってとか、そういう展開で、たのむ――
トカゲの瞳が、爬虫類の細長い虹彩が、いかにも鬱陶しそうに僕の両目をとらえた。
ひゅっ、と風を切る音がして、
人間サイズのトカゲがその長い尻尾を勢いよく振り抜いて、僕は横っ腹を殴られて地面に転がった。
「……、……!」
ポンプを押したみたいに肺の中の空気が全部吐き出されてしまった。
声が出ない。
まるで効いていない。
『とても強い力』の種明かしは、されそうにない。
寝っ転がっているおかげで、トカゲの足音は地面からダイレクトに届く。
逆に、城壁の上でがなり立てている弓兵たちの声は、どこか遠くに聞こえる――
「わかった。つまり、俺が行けばいいってことだろう?」
叫ぶような声ではなかった。
けれど、軽い調子で呟かれたこの声は、なぜだか、はっきりと聞き取れた。さっきの弓兵ふたりとは違う声。
痛む脇腹を押さえ、必死に身を起こす。
目の前のトカゲは大きく口を開けており、歯のギザギザしたのがよく見えた。が、歯の色は焼け焦げたように黒くなっている。火を噴くのも楽ではないのだろうか。
っていうか、焼き殺すんじゃなく食い殺すつもりなのかと、最後の瞬間に考えたのは、そんなこと――
僕の頭のすぐ横で、べちゃりと、肉の落ちる音がした。
やけに濃い黄色をした体液が飛び散って、ちょっと顔にかかる。
トカゲの頭の上半分だった。
呆然と、トカゲ本体のほうを見る。
上顎をすっぱりと切り飛ばされたトカゲの肉体が、ゆっくりと、重力に従って横倒しになった。
呆然とする。
――皮の手袋をはめた左手が、僕の目の前に、優しげに、差し出された。
「いや、よかったよ。生きててくれて」
切り揃えられた鮮やかな金色の髪。
わりあい軽装、革の鎧を身にまとった上に、清潔感あふれる白いマントを羽織っており――
差し出された左手と逆の右手には。
ぼんやりと、薄桃色に光る刀身を備えた――日本刀を、握っている。
勇者様だ。
勇者様がいる世界なんだここはと、まずそんなことを考えた。
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