第2話


 どこから話したものかなと首をかしげ、しばらくして、神はこう切り出した。


「まあまず、たぶん君が気になってるのは……なんで異世界なんか作ったのか、ってところだと思うんだけど。世界一個だけじゃダメなの? そう、ダメなんです」


 気になるのはそこじゃないのだが、ホワイトボードをコツコツ叩きながら語る神にそう伝える気は起きない。

 ズレたメガネをくいと押し上げて、ひときわ強くボードを叩いた。


「なんで異世界なんか作ったのか? 『現世で不幸な死を遂げた人間』を救うため。そのために作ったんですよ」

「はあ、不幸な死……」

「そう。現世で救われなかった人間の魂を、一度天国を経由して、異世界に生まれ変わらせる。で、後はそこで幸せになってもらう。そういう仕組み。"転生救済システム"とあたしは名付けました」

「なるほど……」


 気のない相槌を返しながら、考える。

 ここが天国でこの人が神様だというのが事実だったとして、人の魂は一度天国を経由して異世界に転生するのだとして、では――


「……ということは、僕ってもしかして……」

「うん。だいぶ不幸な死に方してるはずだよ」

「……」

「……」


 だいぶ不幸な死に方をしているらしかった。

 神の太鼓判を押されてしまった。

 というか、僕はマジに死んでいるのか……。

 あんぐりと口を開けた僕を見て、神様は眉根を寄せ、苦み走った声色で聞く。


「という流れで、聞きたいんだけど。……君、自分の名前と死に方覚えてる?」

「名前と死に方……」


『名前と死に方覚えてる?』普通に生きていれば一生こんな質問をされる機会はない。

 が、普通に生きていれば――こんな質問をされたとして、死に方はともかく、名前のほうは答えられるはずなのだ。

 ……はず、なのに。


「……あれ?」

「……うん。そのあたりの説明も後でしようか」


 自分の名前も年齢も、過去もまるっきり思い出せなかった。

 困惑する僕に憐れみの目を向けると、神はもう一度ため息をついて、ホワイトボードに向き直る。


「さて――というわけで世界は『現世』と『異世界』の二つあって、現世の人間は不幸な死を迎えると異世界に転生する。そういう仕組みになってるんだけど……」


 実はこれスクリーンにもなるんだけど、と小声で呟き、神は指し棒でボードを叩く。

 一度、ホワイトボードが波打ったかと思うと――


「――今の現世は、こうなっています」


 次の瞬間、ボードには――

 地球――の、ようなものが、映し出されていた。


「……」

「……」


 黒い背景、宇宙空間にぽつんと浮かぶ地球――の、映像なのだと思う。思うんだけど――

 どういうわけだか、この地球は灰色をしていた。

 モノクロ写真みたいな、白黒の地球が――ホワイトボードに映っている。


「あの、これって……」

「まあ、これだけ見せてもわかんないよなあ……」


 神は指し棒の柄で眉間をゴリゴリすると、眼鏡の下で目を細め、ボードを叩いた。

 直後、映像に変化が起こる。白黒の地球がぐんぐん小さくなっていくと同時に、黒い背景の上に小さな惑星が三つほど増えた。かと思うとそれらよりずっと大きな惑星が画面右端に現れ、その隣にもさらに、巨大な輪を持つ惑星が並ぶ。

 木星と土星だと理解してから、となると逆サイド、画面左端でぼんやりと光ってるように見えるのは――太陽か、と考えて。

 ――やっぱり全部灰色なのはどういうことだろう、と首を傾げた。


「……いや、ほんとごめん。そりゃ宇宙見せてもしょうがないな……」


 ぴんと来ていない僕に苦笑いを浮かべつつ、神は小さくなってしまった地球を指し棒でコツンと叩いた。

 直後、映像が急にズームアップされる。地球がぐんぐん拡大されていき、都市――ビル街の映像が映る。

 自由の女神像が目に入ったから、ということはニューヨークだろうか、

 そんなふうに考えた直後、映像はさらに拡大。ビル街の谷間、道路を走る車や歩道を歩く人々に焦点が合う――

 ……やっぱり白黒だ。

 道路の車はぴくりとも動かないし、歩行者たちも歩く途中で凍り付いたかのように、中途半端に足を上げた姿勢で静止している。

 ニューヨークの一日、そのワンシーンを写真に撮って、白黒加工をかけたような光景だ。


「……えっと、これは……」


 なんなんですかと聞くと、ホワイトボードには小さなウインドウがいくつかポップアップした。ニューヨークとは毛色の違う街並みが各ウインドウに映っているが、どれも同じように灰色、静止している。

 ウインドウの下部には、時刻が表示されていた。時差だろうか、場所によって時間は多少ズレているのだが、最初に目に留まったのは――

 2017/04/12 03:22:51――


「――ここで終わってるんだよ。この先がない」

「……は?」


 神は僕の視線の先を追い、3時22分を指しているウインドウに目を留めた。




「君が、今まで暮らしていた世界――『現世』は、日本時間にして2017年4月12日の3時22分の時点で、フリーズしてしまった」




「……あの、どういうことです?」

「あたしもそれ聞きたい……」

「え、いや……」


 神様にそんなこと言われたら人間はどうすりゃいいんだよと、そう思ったのだが。

 ズレた眼鏡によれた白衣、くたびれた理系のような神様は、本当に、本当に情けない、絶望しきった声を出していた。


「……どういうことなんです? フリーズって」

「見たまんまだよ、完全に停止してる。気づいたらこんなことになってた。原因一切不明」

「えっと……、神様なら、なんとかできるんじゃないですか? 普通は……」


 おずおずと質問をしてみると、神は口元をゆがめて笑った。


「やってたゲームがさあ……、RPGでもアクションでもなんでもいいけど……、フリーズしたとするじゃん。どうする?」

「……」

「……電源、切るしかなくない?」


 ぞっとするような声色だった。


「パソコンが固まったらさ……、いろいろ処置はしてみるにしても、結局最後には強制終了するしかないわけじゃん。パソコンにどんだけ詳しいやつでも、たとえ、パソコンを作った本人であろうとも……、そこは、たぶん変わんない」


 灰色の髪をかき上げながら、神が続ける。


「この世界を創ったのはあたしだけど、だからって、あたしがそんな好き放題いじれるわけじゃないんだよ。原因もわからないようじゃ、なおさら」

「……今、映像に映ってる、その、固まってる人たちって……生きてるんですか?」

「生きてるも死んでるもないよ止まってんだから。フリーズの原因を取り除ければまた動き出す」


 その原因がわからないと、この神様は言ったわけだが……。


「えっと、その。このままだと、どうなるんです?」


 別にどうにもならないけどと前置いてから、でも神は言った。

 フリーズしたパソコン、ずっと放置しててもしょうがないよね、と。


「私用のパソコンがフリーズしたら、どうする? どうにもならないからって直すの諦めて、パソコンを使わない日常に戻る? 戻れる?」


 それだけ言って椅子に座ると、神は黙ってしまった。だから、どう理解すればいいかわからなかった。

 これは、『なんとしても直してみせる』という意思表示なのか、それとも――

『最悪の場合、強制終了も辞さない』?

 頬杖をついて黙り込んでいる神に、おそるおそる問う。


「……どうするんですか?」

「どうにか、しなきゃなんない」


 重そうな腰を上げて、神はテーブルから立ち上がる。


「世界は二つあるって言ったね? 現世と異世界、その二つ。現世のほうはフリーズしたが、異世界は現在も動いてる。……動いてるってだけで、向こうもだいぶヤバいんだが……」


 さらっと不穏なことを言いつつ、神は続けた。


「……転生、するって言っただろう?」

「え」

「現世で不幸な死を遂げた人間は、異世界へと転生する。そういうふうに、言っただろう」


 ――そこで。

 さっき僕が出ていこうとしたドア。そのドアから、二回、コンコンと――

 ノックの音がした。

「入っていい」腕組みとともに神が言う。

 ガチャリと音がして開けられたドアから――

 一体の、ロボットが。

 キュラキュラキュラと音を立てながら、室内に入ってきた。


「……」

「……」


 なんと言えばいいのだろう。

 正直な第一印象を述べるなら、ものすごくチープな造形のロボット。

 白い液晶テレビにキャタピラをつけて、あとは長い腕を二本生やしただけ。そんな姿をしている。その上、液晶は膝蹴りでも入れたかのように真ん中のところでひび割れているし、白い全身はところどころすすけたように黒くなっていた。

 一度振り返って丁寧にドアを閉めたロボットは、キャタピラ音とともにこちらへ近づいてくる。液晶の端に貼られたシールに、マジックで書かれた丸文字が見え――

 ――僕の見間違いでなければ。

『転生救済システム実務担当 リンカネくんver1.03』と、そう書かれている……。


「詳しいところはほとんどわからない、こっちの転生システムも現在故障中でね……。たぶん現世のフリーズと連動してだと思うが、何らかのエラーが発生して、だからデータの完全なサルベージはできてない」


 当然のように話を続けるものだから、僕は神とロボットをそれぞれ三度見ずつくらいすることになった。

 神はロボットの前まで来るとしゃがみ込み、手を触れる。すると、ひび割れた液晶に光が灯り――


「転生者の名前もわからないし、何に転生したのかもわからない。けど――六人、いることだけはわかった」


 映し出された画面上部には――【転生ログ】の文字があった。






【転生ログ@リンカネくんver1.03】


   転生先   転生者名   転生時刻

1. ---- / ---- 2017/04/12 3:22:51

2. ---- / ---- 2017/04/12 3:22:51

3. ---- / ---- 2017/04/12 3:22:51

4. ---- / ---- 2017/04/12 3:22:51

5. ---- / ---- 【ERROR】2017/04/12 3:22:51

6. ---- / ---- 【ERROR】2017/04/12 3:22:51




 右端にずらりと並ぶ日付。まったく同じ六つの時刻。

 左側の名前欄は文字化けでも起こしたかのようにめちゃくちゃで、まったく読み取れなくなっているが――

 モニターにくぎ付けになっていた目を、神のほうへと向ける。

 うなずいた。




「2017年4月12日、午前3時22分――世界がフリーズしたその瞬間、現世から異世界へと転生した人間が六人いる! どう見てもこいつらが何か知っている、それ以外考えられない、そして――」




 そして神は、ズレた眼鏡を指先で押し上げると、その指をそのまま――僕に、突きつける。

 

「おまえが、その中の五番目もしくは六番目だ!」


 しばらくの間沈黙があった。

 4月12日3時22分の時点で凍り付いてしまった現世。ちょうどその時刻、世界がフリーズしたまさにその瞬間、六人の人間がまったく同じタイミングで異世界に転生している――

 たしかに、偶然ではないのだろう。


 が。

 そんなことよりまず先に、聞かねばならないことがある。


「あの、すいません」

「なんだい?」

「その……このロボットは、なんなんです? 神様が作った……ん、ですか?」


 あまりに見た目がショボいので「これ神様が作ったんですか?」なんて聞いたら不敬にあたるのではないかと、言ってから焦ったのだが。

 そういや紹介してなかったかと、神は至極軽い調子で続けた。


「彼は転生救済システムの実務担当ロボット、リンカネくんver1.03。システムはあたしが作ったけど、実際に人間を転生させるのは全部この子の仕事なんだ」

「……全部?」

「全部」

「えっと、その、神様がやってるんじゃないんですか? 転生って」

「……」


 そこで一瞬神の顔から表情が消えたので、神罰が下るかと咄嗟に身構えてしまったのだが――

 神は、大きなため息をついた。


「あのね、地球だけで人間って何人いると思ってんの。ン十億だよン十億。その中から不幸な人間探し出して転生させるって、そんなのを全部あたしだけで面倒見れるかって、無理でしょ?」


 自動化できるとこは自動化しておきたいでしょ、と神は薄い胸を張って言った。言われてみればそりゃそうだ。

 が。

 神様のお手製ロボットが、このテレビから手が生えただけのロボットというのは、どうにも……。


「……」

「……どうも疑ってるみたいだけどね、ほんとに優秀なロボットなんだよリンカネくんは。なんたって神のあたしが作ったロボだよ? 仕事全部任せっきりにしても安心できるくらいのすごいやつだよ」

「はあ……」


 ……とりあえず、わかったことがふたつある。


『神様の世界』と言われて思い浮かべる一般的イメージとは、ちょっとかけ離れた実像。それがここにあることと、もうひとつ。

 神様には、ネーミングセンスがないということだ。


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