第7話 6.反乱軍の午後
ユースとレイクはチョースに連れられて、ラムズゲート郊外の貧民区に来ていた。
そこはコンクリートむきだしのただっ広い不毛地帯で、元々は高潮を警戒して作られた、前後の防波堤に挟まれた部分だった。地面よりやや低いところにあって、地下には緊急時に水の逃げ道にする貯水タンクがあった。
この場所に不法移民がやってきて住むようになったのは、1960年代にアジアで紛争があった頃のことだった。
始めは島の政府も見つけるたびに移民者を追い出していたのだが、やがて島民の所得の低い者がやってきて一緒に住み始めると、ここはあまり手が触れられなくなっていった。そして最近では“見捨てられた土地”と呼ばれるようになっていた。
人間二人がやっと通れるような狭い道を、彼らは町の中心部へ向けてどんどん歩いた。そこにはずさんな建てられ方をしたバラックがあり、何十もの家族が押し合うようにして住んでいた。住民はほとんどが東南アジア系の人間で、中国語と英語をメインにした多くの種類の言葉が、ここでは話されていた。
チ「今は特に満員だ。何せウィルス騒動のせいで、島の東南部にいた奴らが、みな逃げてきてるからな」
ユ「政府は放っておくんだろうか。子供が感染していたら事だぞ」
チョースは意味ありげな、皮肉めいた笑いを返すと言った。
チ「ここではな、腸チフスやマラリアはあっても、GRKなんてウィルスは無いんだよ」
レ「…? だって、湾岸地区にあった移民街はひどかったらしいぜ。そこからも沢山、人が流れて来てるはずだろ」
チ「ニュースで言われてることを鵜呑みにするなよ。あれは政府が住民にそう思って欲しいという筋書きでしかない。事実だけを受け取るのは構わないが、奴らの意図まで受け取っちゃいかん」
この西海岸最大の貧民くつに、反乱軍の地下組織が置かれている事を知る者は少なかった。
チョースは二人を、一軒の何の変哲もない家の中に招き入れた。
入ってすぐの階段をずっと降りていくと、下ではまるで場末の酒場のように男たちがたむろしていた。しかし酒場ではなく司令室だというのが、部屋の隅にある通信設備と、男たちのしている仕事から分かった。
幹「そいつらか、若のパソコン相手とやらは?」
チョースのことを“若”と呼んで近づいてきたのは、この施設の幹部をつとめる男だった。ここにいる大体の人間がそうだったが、彼も口ひげを生やしていた。年のころははっきりせず、おまけにサングラスをしているので表情も読みづらかった。
チ「ああ。やっとここまでこぎつけた。洗脳している最中だ」
チョースが冗談めかしてそういう言うと、奥のソファーに足を投げ出して寝ていた若い男が、笑って口を挟んだ。
男「そいつら本当に、大学の中枢部にいる精鋭なのか?研究室にいる人間と、渡りをつけたんじゃなかったのか」
大学に一番近い基地・第4支部で、チョースはリーダーとして活動していた。
ここ一年でますます重要性を増してきた、大学と政府官庁の極秘通信を解読するため、彼は部下とともにネットに関する作業を行ってきた。
彼は元々、反乱軍各組織の連絡・流通を活発にするために働いていて、そのインターネットを駆使する能力を、今は大学ネットに向けて発揮している所だった。幾度ものチャレンジの末、やっと大学構内のスーパーコンピューターに入り込み、理学部研究室の仕事にアクセスすることに成功した。その中に自分の感性に似た人物の作業プログラムを見つけ、気を引かれたのだった。
研究室メンバーの名簿を全て調べ、気になったその相手が同年代だと分かると、チョースは変に納得した。だがそれは彼だけでなく、レイクやユースの方も同じだった。恐れ知らずに大学ネットに入り込んできた相手が、大人だとはどうしても思えなかったからだ。
チョースは彼らの機器になら侵入しやすいことが分かったし、さらにはお互いに交流できるかもしれないという、若者らしい発想も抱いたわけだった。メッセージを送りつけたのは彼自身の判断で、その責任は取るつもりだった。それで組織とは直接かかわりの無い、はるか遠くの本島を待ち合わせ場所に決めたのだ。
しかしチョースのこの一見無謀な試みは、案外多くの支持者に受け入れられる形になった。本島へ行かずとも、こうして今回の西支部での会見が実現したのである。
反乱軍の結構な数の人々が、この日やってくる“お客さん”のことを知っていて、若い人間などは特に興味を持っているようだった。
男「あそこじゃ俺たちのこと、何て教えてる?凶悪犯罪人か、それとも人間のクズか」
レ「はっきり言って知らなかった。知識が無かったよ、反乱軍の」
老「だろうな。今じゃ我々は、穴倉の中のネズミだ。一般人はもはや、HPOの存在を忘れて久しい」
若い男の向かいに座ってパイプを吹かしている老人が、静かに言った。
幹「それは政府の陰謀のせいだ。我々は昔から常に存在している。この島での活動も着実に効果を上げていて、そのせいで奴らが動き出したと言ってもいい。反乱軍の息の根を止めようと、今回の大芝居を打ったというわけだ」
幹部はレイクたちの前に立って腕を組んだ。脇にいたチョースが説明をした。
チ「本島を待ち合わせ場所にしたのには、色々理由がある。あそこは政府によって、レットゾーンに指定されている」
男「ウィルスなど嘘なんだぜ。チョースはそれを証明したかったのさ。それに、大学の坊ちゃんたちがそんな危ない所へ来る度胸があるかってのも、俺たちは賭けてたんだがな」
チ「本島にウィルスなどありはしない。新島の南だって、東南だって同じだ。
あれは元々、軍が本島東のマクニ島で極秘製造して、人体実験していた物だった。それを俺たちが暴いて、地元の住民にバレそうになった。最初に起こった騒ぎは、その事実を政府が塗り替えて報道した結果だ」
幹「奴らは噂が広まった時、解決手段としていい手を思いついた。ウィルスが伝染すると情報を流して、しかもそれを反乱軍のせいにした。さらには我々の本拠地だった本島の完全封鎖までして、今では新島のすべての都市を、厳重な監視下に置いている。これを機に、一挙に我々をいぶり出すつもりだ」
チ「君たちの研究室長である老住教授が、政府にかなりの入れ知恵をしている。今や俺たちは政府だけでなく、大学機関まで相手にしなければならなくなった」
ユ「しかし…何故わざわざ政府は、この時期にそんな大掛かりな事をする?費用だって馬鹿にならないぞ」
チ「きっと何か理由がある。それを暴こうと、俺は考えてる」
老「理由の一つは2008年の世界宣言だな。国連は各地で起きている地域紛争を、たった9カ国の代表の紙面のサインだけで封じ込めようとした。今ではそれが戦争兵器を扱う、裏のビジネス協定だったという事が分かったが。…この島の学者先生どもは、その恩恵にあずかった一番の当事者だよ」
ユ「紛争をおおっぴらに叩ける法案を作って、各国がその解決に本腰を入れ始めたのは知ってます」
レ「…つまり反乱軍は昔と違って、今はどこからも邪魔にされてるってことか?」
老「さすがに飲み込みが早いな、そういう事だ。ロシアや中国の援助はもうない。張一族の上層部は、ハルカイリ政府そのものに取り入っていかないと、反乱軍の将来は無いと言っている」
男「信じられるか?俺たちを根絶やしにしようとしてる奴らと和解だとよ!エリート連中の考えは、よく分からないよ」
ユ「僕らを招いたのは、大学との和解のためですか?あなたたちの要求とは何です」
幹「上層部がどうであれ、我々の意図するところは一つだ。この島の今の体制を崩壊させる。ここをいつまでも、ハワイ島と同じにしておく訳には行かない」
ユ「ハワイはアメリカの州の一つで、ハルカイリはどの国にも属さない学究統治機関です。政府はあるけど国じゃない。抗議するのだったら、国連に直接かけ合うのが筋でしょうね」
その言葉に、若い男が鼻で笑って返した。
男「国連はアメリカの言うなりじゃないか。…何にしてもな、行くならボスの所にかけあうってのが常識だぜ。世間じゃな」
ユ「だけどもし戦争になったら、この国を守ってくれるのは、そのアメリカ軍の最強兵器ですよ。僕たちは彼らとボディーガードの契約をして、初めて安心して暮らしていられる」
老「坊主、戦争ってのはな、各国間で利害関係がはっきりしてから実行に移される物なんだ。それに勝ち負けなんて、始める前から決まってる。この島も、アジアの多くの国も、欧米列強の支配下にある。争いが起きるときは、列強がそこから得るものがある時だけだ」
レ「じゃ、何でわざわざ戦うんだ?勝ち目がないって知ってて」
幹「我々は、今のままじゃ利用されるだけだと分かっているから戦う。子孫の未来のために自由を勝ち取る」
ユ「それこそ利用されるだけだ。今回のように…」
ユースの言葉に、その場にいた若い者たちが気色ばって立ち上がった。
しかしチョースが間に立って上手く言葉を差し挟んだので、大事には至らなかった。
チ「見所があるだろ?冷静な見解だ。そう思わないか、爺さん?」
老「若が見込んだだけの事はある。大学から引き抜くことも、逆に大変だろうな」
チ「別に引き抜くつもりは無い。俺たちは俺たちの考えがあるし、彼らも彼らの好きな道を行けばいいさ。だがこうして時々は、全く別のところにいる存在と、話をするのも面白いだろ」
レイクとユースはチョースから自信にあふれた笑顔を向けられて、緊張した笑いを返した。彼らは歓迎でも敵対でもない、微妙な扱いを受けている自分たちの立場が、よく分かっていたのだ。
その時、遼頭市にある本部から西支部へ通信が入ってきた。内容が重要だったのか、部外者である二人は部屋の外へ出される事になった。
チョースは二人を導いて、通信室の先にある防波堤の排水溝の部分に連れて行った。この基地は防波堤下の貯水タンクの脇に作られていたのだが、ちょうどその水の通り道が、建物を出たところに通っていたのだ。
そこは巨大な排水口の端が、そのままバルコニーのように海へ突き出していて、コンクリートの壁と床があるだけの吹きさらしの場所だった。
強く吹き付けてくる海風に、着ていたパーカーのフード部分をなびかせながら、レイクは歩いていた。
レ「だけど君たち、どうするつもりだ?軍が基地にやってきて、ウィルス菌をばらまいていく恐れもあるんだろ」
チ「どうせ反乱軍も、この上に住んでる奴らも、ギリギリの所で生きてるんだ。追い詰められてて逃げ場は無い」
レイクは眉をしかめて難しい顔をした。後ろからついてきた幹部が言った。
幹「被害を恐れていては、何も変えられない。生きていても死んだ生き方しか出来ないのが、人間にとって一番の不幸だ」
レ「ここを列強のような国にしたいのか?せっかく中立を保っているのに…。第二次世界大戦の時は、スイスが平和を求める人たちの避難場所になった。ここもそうなれるとは思わないのか?」
チ「言っておくがな、ここは欧米人の島じゃない。アジア人の島だ。中立とは名ばかりの、単なるアメリカの属国で、しかも都合のいい一大実験場なんだ」
それを聞いて黙ってしまったレイクの横で、ユースはいつもと変わらない冷静な表情をして立っていた。
チョースは彼らをそこに残すと、自分は幹部と中へ戻り始めた。
チ「ちょっと待ってな。午後からは、俺たちの最前線へ連れてってやる」
太平洋の深い青色の海が、地平線まで限りなく広がっていた。白い波間に太陽が当たって、時々まぶしく光っているのが見えた。
海と空を目の前にして、二人はただ黙って立っていた。五月に海面を吹く風は思いのほか冷たく、ユースはまくりあげていた袖を下ろした。空調調節がしてある海水浴場とは違い、この場所には島の自然そのままの風が、大海から吹き込んでいたのだ。
彼らは海水浴を名目にここへ来ていたので、防水性のうすい上着と短パンの他は、Tシャツと海水パンツだけの寒い格好だった。風は相変わらず強く、上から斜めに吹き付けてきて、髪の毛をバラバラに乱していった。
ユースは排水口の突端に立つレイクのそばへ行って、彼の顔をチラリとのぞいた。
ユ「泣いてるのか…君」
多少目を見開き、驚いた顔をしたユースだったが、感情を押し殺した声でそう聞いた。しかしレイクは返事をしなかった。
ユ「さっきの話に感動したのか。お国の裏事情を知って、それがどうだっていうんだ?僕らに直接、関係の無いことじゃないか」
レイクは怒りを全身にみなぎらせたように、時々肩を震わせていた。風でその声の半分は飛んでしまっていたが、彼のしゃべる声がかすかに聞こえてきた。
レ「関係ないだと?…俺たちがやってるのは、人殺しの手伝いなんだぞ」
彼はそう言って、自分の両腕をきつく抱くようにした。ユースは冷静な口調のまま、言葉を返した。
ユ「誰でも自分のやるべき仕事がある。軍人だって、研究所の職員だって、ここの兵士だって同じだ。その結果として相反する立場になってしまったとしても、それは仕方のない事じゃないか。彼も言ってただろ、それぞれの事をすればいいと。何をそんなにいらだってるんだ」
ユースはなだめるように、レイクの肩に手をかけた。
レ「おれは嫌だ」
ユ「?」
レ「今、はっきりした。俺は教授のようにはならない。少なくとも、誰かの飼い犬にされる生活なんて、まっぴらごめんだ」
ユ「何を言ってるんだ。反乱軍に投降でもするつもりか?馬鹿な思い込みはいい加減にしろ。正義の味方になって、虐げられた人々を救うのか?彼らの一方的な言い分を聞いただけで、鵜呑みにして、自分の居場所をそんなに簡単に否定するのか。君には自分のポリシーは無いのか」
レ「大学にいて、何かが違うと思っていた」
ユ「今はこんな所で、人生を捨ててしまっていい状況とは違う。ゲームをしてるんじゃないんだぞ、事は君だけの問題では済まなくなる」
レ「俺…これ以上、あそこで仕事は出来ないよ」
ユ「教授が政府の手伝いをしてるからか?僕らのやってるのは、たかが事務的な雑用だけじゃないか」
レ「あの教授とは、どうしてもウマが合わない。最初からそうだった。会った途端、信用できないって思ったよ」
ユ「小学生みたいなこと言うなよ、おい‥。それは逃げてるだけだ。君の悪い癖だよ、何でも楽な方へ逃れたがる。大学での忙しい生活より、ここの方が楽しそうに思えたんだ。違うか?」
レ「逃げてるんじゃない、進むべき道をいつも模索してる。正しいと思った方向へ、常に向かってるつもりだ」
ユ「研究室から出るのは容易には出来ないぞ。ましてや反乱軍に行くことが分かっていて、教授がそれを許すと思うか?」
レ「あそこにいたって、結局は殺されそうな気がする」
ユ「怒られたから、そう思うのかい。平気な顔をしてたじゃないか」
かたくなな様子でうつむいてしまうレイクに、ユースは詰め寄るようにした。
彼はレイクの肩を小突いて言った。
ユ「何が不満だ、言えよ。研究室の仕事をもらってきたのは僕だ。教授を紹介したのも、付属高に誘ったのさえそうだ。君は何一つ自分で決めないで、僕に任せっきりにしてきたくせに。今になって不都合だと言うのは、どういう訳だ?それは暗に、僕の判断を否定してるという事じゃないのか」
レ「これまでお前とは、無条件で意見が合ってきた。だがそれが違い出したんだと思う」
ユ「君はただ、退屈だっただけだ。それに僕に対する不満を、ずっと前から持っているはずだ。僕がいたら、いつも君は二番を取るしかない。僕のいない所へ行って誰かを負かして、得意になってみたいだけなんだろ」
レイクはユースをにらんだ。その目が光を帯び始めている。
ユ「…それとも彼女が原因か。チェリーを僕に取られて、面白くないんだ?」
レ「取られたも何も…一体、いつの話だ」
ユ「彼女が好きなのは、君じゃなくて僕だ。それが今でも変わってないと分かったから、最近の君は少々ヘソを曲げてた。そんな時いつも“何でもないさ”って事を証明するために、君は他へのめりこもうとする。つまりは逃げてるんだ。フラレるのが怖くて、あいつに言い出せもしない───」
レイクは叫び声をあげると、ユースに飛びかっていった。相手の胸倉をつかんで前後に振り、突端のほうまで押し出すと、息を荒げて大声を出した。
レ「何とも思ってないなんて言ったら、ウソになるよな!
…だがユース、俺はお前をうらやましいって思ったことなど、一度も無いんだ。これは本当だ」
ユ「へえ、僕はしょっちゅう思ってるよ。君のように気楽に生きられたら…」
ユースはレイクに下のコンクリートに転がされたが、顔には余裕の表情をたたえていた。
レイクは横たわる相手の胸の上へ、馬乗りになって怒鳴った。
レ「ムカつく奴め!力を抜いてるな。いつだって余裕しゃくしゃくって、その顔が頭にくるんだ。貴様なんか、俺の前から──」
そこまで言ったところでレイクは突然、鼻の先に鋭い痛みを覚えた。それと同時に目の前が真っ暗になり、鼻が何かにむせたように呼吸しづらくなって口を開けた。
ユ「ガードがガラ空きだぞ、まるで……」
その言葉を聞き終わる前に、レイクは意識を失っていた。
ユースが二度目のパンチを繰り出す前に、勝負はあっけなく決まってしまったのだった。
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