第5話 4.グループの計画

 翌朝、レイクを起こしたのは、清掃員の使う巨大掃除機の音だった。

 寝所になっている講堂には、もはや彼以外に寝ている人間は無く、職員が定期清掃を始めたところだったのだ。

 レイクは片腕を下にして体を丸めたまま、しばらくその騒音に耐えようとした。しかし人があちこちに行きかっては大声でしゃべり始めたので、とうとう根負けしてむっくり起き上がった。

 彼のベッド脇の机に置いてある時計は、11時近くをさしていた。



 第二研究室へ向かって理学部校舎を走る途中のレイクを、食事用のお盆を持ったケイが呼び止めた。

ケ「どうしたの。こんな時間に、こんな所にいるなんて」

レ「今日は一日中こっちで仕事。寝坊したんだ。それは?」

ケ「おじさまに持っていく分。仕事で忙しくなると、食事の間も惜しむんだから」

 誰かと結婚したら甲斐甲斐しい女房になるんだろうな‥と考えながら、彼は彼女の姿をチラリと見た。

ケ「ねえ、教えてよ‥」

 ケイはレイクの前では結構、強気でしゃべることが多かった。

 彼女は相手の立場が強いか弱いかをとっさに見分けるのが上手く、それで対応の仕方を決めている感じだった。日本女性特有の、奥ゆかしい雰囲気の彼女だったが、実際の性質はかなり打算的で、並の男などは太刀打ちできない強い部分を持っていた。そういう所を彼女はユースの前では出そうとしないが、レイクと接する時にはたまに見せるのだ。

ケ「あなた達、二研に集まる情報の整理をしてるんでしょ。あなたとユースのどちらが大学内で、どちらが大学外の処理をするの?役が決まっているはずよ」

 レイクは用心深い顔でケイを見た。いくら教授の姪でも、内部事情を明かしていい訳が無いと思ったのだ。

 しかしケイはつかむ所はしっかりつかんでいた。下手をすると、所員よりずっと詳しい情報を知っているようで、彼女は苛立たしげに眉を寄せた。その目の中には軽蔑したような表情が浮かんでいた。

 彼はため息をつくと言った。

レ「おれが内」

ケ「じゃ、ユースが外からなのね。やっぱり」

 彼女は秘密めいた顔をして、そのまま黙った。

レ「何がやっぱりなんだ?そっちこそ、何か知ってるんだろ」

 ケイは相変わらずの知的顔で沈黙していたが、レイクはそんな彼女を時々、自分たち男よりずっと頭が切れるのではないか…と思いながら見ることがあった。    

 ただ彼女の場合は、せっかくの頭脳を恋やオシャレや社交といった、女の三大要素に使ってしまっていた。そんな女の三大要素を武器にしながら社会に進出する、彼女のような女が増えてきた…というのが、レイクの“最近の女性論”だった。

 彼にしてみれば、頭を使うのは男女関係なく勉強や仕事のときだけでよく、その他の日常はただ気を抜いて楽しくしていればいいのだ。人生の楽しみ方や遊び方が、ケイなどの人種は根本的に異なっていた。チェリーやサラを近くで見て育ったレイクが、“女性には二種類いる”と最近感じ始めている対極が、このケイだった。


 二人は歩いて二研の前まで来た。

 彼女が専用カードを持っていることを、レイクはドアの所で初めて知った。

ケ「一つ忠告したいんだけど…あなた、あまり頑張らない方がいいと思う。何のかんのいっても、今おじさまはウィルス問題に直接関わってるわけだし。その助けにならないような研究員を、わざわざ置いておくはずがないわ」

レ「ウィルスっていっても、ここは化学研究室じゃないぜ」

 ケイはため息をついて首を振った。

ケ「そういう意味じゃなくて…」

レ「おれ達の目に入る情報なんて、たかが知れてるって。ユースの所に入ってくる極秘コードだって、教授しか読めないことになってるんだ」

ケ「あなたは暗号解読の天才だって、ユースは言ってたわよ」

レ「何が言いたいんだ」

ケ「下手な勇み足をして欲しくないだけよ。問題が起これば、あなただけじゃなく周りにも影響するでしょ」

レ「…ユースの心配をしてるのか?」

 彼女は答えず、謎めいた微笑を返すと、開いたドアから中へ入っていった。

 一緒に入ってきた彼らを見て、研究員の一人が冷やかしの声をかけた。二人が仲の良い関係に見えたらしかった。

 ケイは照れた感じの、はにかんだ笑みを浮かべてあいさつした。所員たちの視線を受けながら、彼女は部屋の端のユースにも少し手を振った。そしてそのまま、お盆を持って教授の部屋に入っていった。


 ユースは忙しく働いていた。レイクがいない間、二人分の仕事をしていたのだ。椅子に5分も座っていられる暇がなく、彼は机から机へと走り回っていた。それを見て、レイクは急いで自分の席に行った。

ユ「君は熱が出たことになってるんだ。寝てれば良かったのに」

レ「サボって女を口説いてたんだろう…って筋書きが、たった今でき上がったみたいだ。あっちの方で」

 彼が示したのは、飲み物などが置いてある場所だった。ケイの去ったドア辺りにあり、集まった研究員が立ち話をしていた。

 彼らは何やらウキウキ、ワイワイして、いつもより元気だった。ケイは彼らに人気があって、ここのアイドルのような存在だったのだ。

 舞い上がっている所員をよそに、ユースは相変わらず忙しかった。机の上の内線電話が鳴ったので、彼はそれを取って話し始めた。

 やがて受話器を降ろすと、相手の用件をメモしながらレイクに言った。

ユ「昨日───何かあったのか?停電騒ぎの…前か後に」

レ「停電の理由は分かってるんだろ」

ユ「ああ。君はどこにいたんだ」

レ「図書館だよ」

ユ「あんな時間までか」

 ユースは自分とレイクの机の間にあるファックスを操作し、書類を送った。

 ファックスの回りじゅうに紙が散らかっていたので、レイクは紙の山を整理して、その場を動きよくした。

レ「おれの方の回線を、こちらに戻せよ」

 キーを叩き始めたレイクの横顔を眺めながら、ユースは幼なじみの瞳が熱っぽく光っているのを見逃さなかった。




 休日の昼食は付属高のカフェテリアではなく、避難所の方で取ることになっていた。

 いつもの席にすわるサラやチェリーの所に、ユースとレイクとケイが連れ立ってやってきた。入り口から歩いてくる3人は、レイクだけが他の2人に比べ、妙に興奮した様子だった。

 それを見て、サラが思わずつぶやいた。

サ「やあね、あいつ浮いてるわよ」

 それでもサラには、ハンパ者にもに助けの手を差し伸べる優しい所があった。

サ「レイク、あなた熱でもあるの?顔じゅう、赤いわよ」

 その表現は少しオーバーだったが、確かにレイクは目を血走らせていた。彼はサラの横に来ると、勢いよくドスンと腰を下ろした。

 頬づえをついて、彼を片目で見ていたチェリーが言った。

チ「‥って言うより、寝不足と筋肉痛ってところね」

 これは図星だったらしく、ニヤニヤしていたレイクが目を見開いた。

 大体のところ、彼の少女2人に対する心理パターンは決まっていた。サラを見るとホッとし、チェリーを見ると楽しくなるという、単純なものだった。訳もなく彼が笑っているのは、そんな心理作用によるものだったが、確かに寝ていないせいもあって、神経が高ぶっている部分もあった。

チ「一体、誰と何してたのよ。ゆうべ」

 そうしゃべっているチェリーの隣へ、ユースとケイが続けて座った。

レ「誰とって?」

 とぼけるレイクを鼻でフフンと笑い、チェリーはポケットからタバコを1本取り出した。別のポケットを探っている間に、彼女はそれをユースに取り上げられてしまった。

 食事の場が変にピリピリしてきたが、気にせずチェリーは続けた。

チ「夜陰に乗じて、え? どこに参上たてまつったの?」

 レイクは靴を脱ぎ、食堂のベンチ椅子にあぐらをかいて座り直す所だった。チェリーの問いにうつむき、彼はポツリと言った。

レ「お前のベッドの中…」

 サラがそれを聞き、言葉を失い口をパクパクさせた。

 その顔がおかしかったのか、レイクは顔を上げて、笑ってから付け足した。

レ「…だったらいいな」

 ここでサラは、キレたように怒り出した。

サ「もう、あなたたち、昼間っから酔っ払ってるんじゃないの? …チェリー、あなたは最近、とくに変よ。どうしたっていうの」

 怒りの矛先を向けられたチェリーは、黙って肩をすくめてみせた。

 ケイがため息をつき、テーブルの下で足を組んだ。

 場が何となくシラけたようになり、ユースが向かいからレイクの足を蹴った。しかし当の本人は、知らぬ顔でパンをほおばっていた。

 そんな昼食の場を何とかしようと思ったのか、ケイが全然違う話を始めた。

ケ「ねえ、次の週末の事なんだけど。グループ全員で遊びに行かない? 

 私の知り合いのミッキーから声が掛かってるのよ。向こうのグループとあわせて10人になるでしょ、みんなでバスか車で海へ行くのはどうかって、計画を立ててるみたい。あなた達の予定を聞いて欲しいって言うの」

 付属高にもなぜか人脈が多いケイは、こうしたイベントやパーティーなどをお膳立てして盛り上げることが好きなようだった。

ケ「ユースもサラも、彼女の事、知らないわけじゃないでしょ? 2人とはスイミングスクールで会ったことがあるって言ってたわ」


 ケイは皆の意見を順番に聞いて、上手に話を進めていった。そして食事が終わる頃には、グループ全員の参加を、みごと取りつけていた。

 チェリーはそもそもケイ本人が苦手な上、集団で遊びに行くのも好きではなかった。この計画を立てた女の子たちの狙いもすぐに読めてしまったのだが、こうしてきちんと誘われた以上、一応は仲良くなる努力をしようと決めたのだった。

 サラはチェリーが無関心な顔をしながらも、行くと約束したのを見てホッとした。

 付属高の臨時クラスでは、最近チェリーについての悪い噂があちこち飛び交い始めていた。

 今さっき突然タバコを取り出したように、彼女自身、わざと皆の前で悪びれた行為をするようになって、事態を悪化させていた。授業をフケることも多くなり、クラスでは浮いた存在になりつつあった。上手く避難生活を送れない、そんな彼女のことがサラは心配だったのだ。



レ「チェリーさ、やっぱり変だと思うか?」

 食器を洗っている時、レイクが声を落としてサラに聞いた。チェリーはすでにその場所から消えていた。

 サラはレイクの顔を見た。彼は本当に心配そうな表情をしていた。

サ「毎日、酔っ払ってるように見えるわ。お酒を飲んでるわけじゃ無いんだろうけど、足取りがフラフラしてる時があるのよ」

レ「イサムがさ…高校のやつなんだけど、あいつが…クスリ持ってるんじゃないかって言うんだ」

サ「だったら、どうするっていうの?私なんかの手には負えないわ」

 サラは不機嫌に答えた。問題ごとが全て自分の肩にのしかかってくるように思えて、彼女は疲れ始めていたのだ。

サ「…言ったって、聞くような人じゃないし」

レ「考えてみたら俺たち、あいつの世界のこと何も知らないよな」

サ「ねえ、あなた、チェリーが好きなの?」

 いきなりそう聞かれて、レイクは面食らった。

 サラの恋愛観には少し風変わりなところがあり、こんな場面に彼女は時々、ユースの妹としての顔を見せるのだ。

サ「好きだから、愛してるから、友達だから、幼なじみだから…彼女の全てを知らなくちゃならないの?私たちにはお互い、重複してる部分だけで充分じゃない。なぜ人に、それ以上を望まないといけないのかな」

レ「おまえ時々…すごい冷めたこと言うよな。さすが──」

 “ユースの妹”と彼が言う前に、サラは相手に平手打ちを食らわせた。すごい音がして、洗い場にいた皆が振り向いた。

 その場の好奇の視線を浴びながら、2人はじっと立ち続けた。

 レイクは痛いというより、びっくりして二の句が告げなかったのだが、彼が黙っていると、サラはこんなおかしなことを要求した。

サ「ごめんって言って」

レ「───ごめん」

サ「私も言うから。ごめんなさい。…これで今度会った時、お互い謝らなくていいでしょ」

 そういい残すと、彼女はスタスタと一人で歩いて食堂を出て行ってしまった。


 ケイは来週末の報告をしに早くもミッキーの所へ行き、その場にはいなかった。

 洗い場の列の後ろで、ユースが一部始終を見ていたようだった。彼は食器を洗い終え、レイクの近くまで来ると言った。

ユ「あいつ…たぶん疲れてるんだよ。体力、気力ともに衰えてくると、メスライオンのように凶暴になる」

レ「チェリーの話をしてたんだ」

 あいつの事は心配ないさ…と言うように、ユースは頭を後ろにそらした。

ユ「それより、君は何なんだ?筋肉痛というのは、まんざら嘘じゃなさそうだな。

 ──もしかして…」

 腕組してレイクをにらむユースは、すでに班長の顔になっていた。

 レイクは肩をすくめ、ポーカーフェイスで答えた。

レ「自転車ロードレース。往復30キロ」

  ユースは目を見開いた。

レ「夜陰に乗じて、13号線をひとっ飛び」

ユ「行ったのか。本当に?たった一人でか」

 レイクは悪びれもせず、無言でうなずいた。

 とぼけて質問をはぐらかされないように、ユースはそんな彼をじっとにらんで、尋問を続けた。

ユ「部屋に帰ってからは?すぐに寝なかったろ」

レ「地図と…手紙を書いてた」

ユ「だから朝、机のスタンドがつけっぱなしだったのか」

 あきれるように言ったユースは、声を落としてさらに詰め寄った。

ユ「それで、会ったのか?」

 うなずくレイク。

ユ「名前は?」

レ「チョースというらしい。───彼、驚いてたよ。いきなり俺が支部に呼び出したから。お互い、顔も知らなかったし…侵入者だって危うく抹殺されるところだった」

ユ「その危険は、これから永久に続くという事が分からないのか。‥それで一体、相手と何を話したんだ」

レ「別に…。ただ行って、帰ってきただけだ。基地内じゃなく、門の外の暗闇で会った。そりゃ向こうだって、知らない奴をいきなり陣地に入れて、何でもかんでもしゃべる訳ないだろ」

ユ「そんなはずはない。君のことだから、何か土産があるはずだ」

 レイクはニヤリとしてユースを見た。

レ「おれは来週末の海には行くぜ。ケイが何考えてるかは知らないけど、『グループ全員で行きたい』って、教授に頼んでもらう。姪の頼みとあれば、外出許可はきっと下りるだろうからな」

ユ「それで最終的に駄目な時は、僕を言いわけ役に使うんだろ」

 レイクはサラやチェリーが去った方へ、あごをしゃくって言った。

レ「お前しかいないし、あいつらに話すわけにはいかないだろ。今朝の“病欠”みたいに、いいのを頼むよ。お前の言うことなら、誰もが信じるからさ」

 レイクはずうずうしくそう言うと、副班長の仕事をしにさっさと外へ出て行った。

 ユースはそこに取り残され、しばらく呆気に取られた顔をして立っていた。

 しかし自分の午後の仕事を思い出し、頭の中の思考を一時中断しなければならなくなった。彼には珍しく、ユースはその場で苦々しげに舌打ちをした。

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