第4話 3.それぞれの週末

 快晴のすがすがしい青空が広がっていた。

 チェリーは付属高校舎の屋上で、鼻歌まじりにブラブラと歩いていた。

 屋上には彼女と同類の授業をフケた少年少女がいて、みな思い思いにしゃべったり、イチャついたり、タバコをふかしたりしていた。

 やがて授業の終わる時間になると、そこにもう数人の生徒が上がってきたが、その中にイサムの姿があった。彼はわき目も振らず、まっすぐチェリーの方へ歩いていって彼女に話しかけようとした。

 フェンス越しに外を見ながらチェリーは歩いていたのだが、何を思ったのか、突然笑い声を上げると、目の前の金網を登り始めた。びっくりしてあわてるイサムをよそに、彼女は高い金網のてっぺんに馬乗りになって周りを見回した。座りながらも頭がグラグラして、いかにも危なげな様子だ。

 彼女は下を歩いている誰かを見つけたのか、大声で叫んで手を振った。

 イサムが人を呼ぼうか、それとも自分で助けようか迷っているうちに、チェリーはそこから飛び降りて、さっさと建物の中へ入っていってしまった。

 付属高の生徒だけに根がまじめなイサムは、少々あっけに取られてその様子を見ていたが、やがて後から彼女を追いかけていった。

 彼女は結構速いスピードで階段を駆けおりていったので、彼が追いつく頃には一階まで到着していた。そして校舎の昇降口から外へ出て行くのが見えた。


 イサムが階段を降りきってようやく外をのぞくと、そこへちょうど歩いてきたのがユースだった。ユースはチェリーに気づいて声をかけた。

ユ「どう、ここにはもう慣れた?」

 イサムはドアの前まで行って、そこで止まった。

ユ「君とサラを迎えに来たんだ。午後はグループの日だから」

チ「面会?親なんて来やしないわ」

ユ「奉仕活動と、それに外出もある。どっちにしろ町まで行くよ」

チ「奉仕なんて毎日してるじゃないの。ジジババかションベンたれかの違いだけよ」

ユ「じゃあ、映画は見たくないんだな。チョコレートパフェは?ゴーカートは?」

 幼なじみ連合のニヤニヤ笑いをして、ユースはチェリーを誘った。彼は彼女のお気に入りを知っているのだ。

チ「…昔なら、ここでエサに飛びついてる所だわ」

ユ「そうだね」

 二人はそのままゆっくり歩き出した。

 いつしかイサムは、彼らにじっと見入ってしまっていた。その歩く姿は、まるで映画のワンシーンのようだったのだ。

チ「さっき屋上から呼んで手を振ったのよ。聞こえなかった?」

ユ「ああ」



 ユースとサラとチェリーは午後、外出許可をもらった。そして奉仕活動へ向かうため、他のグループと一緒にバスに乗り込もうとしていた。

サ「ねえ、レイクはぁ?」

 サラの質問に、ユースは何でもない事のように答えた。

ユ「彼は今日は行かない。外出許可が下りなかったんだ」

サ「あれっ、何か悪いことでもしたの?」

ユ「うん、半分当たってるかな。…それよりケイは?病気か何か?」

サ「ううん。外泊許可を取って、マレ区の別宅へ帰るらしいわ。この週末」

ユ「そうか。彼女のご両親は日本へ引っ越すらしいね」

サ「一緒に行くようにって言われてるみたい、ウィルス騒動があるから。それに女子校の方へ行ってないのがバレたのかも」

ユ「女子校…付属かと思ってたよ」

サ「たしか、お父さんが法学部の教授だったっけ。その気になれば、簡単に入学できそうなのにね‥」

 彼女はそう言って、隣に座っているチェリーを振り返った。しかし相手はイヤホンで音楽らしきものを聞いていたので、話をするのはあきらめてユースと顔を見合わせた。

 兄妹は何となく笑い、肩の力を抜いた。


 バスが走り出し、ロータリーを回っていった。

 ユースとチェリーの間に挟まれたサラは、落ち着かなかった。彼女は沈黙に耐えられない性格だったのだ。

サ「それにしても‥久しぶりね、何だか。ユースとこうやって話すの」

ユ「そうだな」

サ「パパとママ、今は連絡取り合ってるって。──良かったね。住む場所は相変わらずらしいけど」

ユ「パパは先週シカゴから電話くれたよ。お前によろしくって言ってた」

 二人とも、前を見ながら淡々と話している。

サ「ママの保険外交員って忙しそうよ。兄さんが付属高の寮に入ったら、何だか彼女まで仕事一筋になっちゃった。まだ家にもう一人、子供がいるっていうのに…私なんか、どうでもいい子みたい」

 ユースは妹がそんな事を考えていたのが、むしろ不思議なようにサラの方を見た。

ユ「彼女が働き出したのは、お前がお荷物な子じゃないからさ。

 いつも言ってるじゃないか、ママの決まり文句、『男なんて役に立たない。家にいても何もしない怠け者だ』って」

 サラはその言葉にクスッと笑ってうなずく。

 兄と妹は和やかな雰囲気になって、しばらくバスに揺られていた。

サ「でも私、他の子の家庭がうらやましくって仕方ないわ。例えばチェリーの所なんかは、ママ一人だけど、友達みたいな口のきき方をしてる。びっくりしちゃうわよね。ああいう職業をしてるから、若々しいのかもしれないけど。年がら年中、仕事だって家を空けてても、何てことないって雰囲気に、もう家がなってるんだわ」

 ──そうでもないだろうさ…とは思いながらも、ユースは静かに話を聞いていた。

サ「でも一番うらやましいのは、やっぱりレイクの家よ。何よりあんな頼もしいお父さんがいてくれるだけで、彼は幸せだわ。それに楽しいお母さん。前に大きな病気をしたなんて想像できないくらい、ふくよかで…まるで一家の主婦そのものって感じで、見ててすごく安心する。

 彼らのあのお店がまたいいのよ。やっぱり客商売って、あこがれるわ。いつも人が来てくれるから、にぎやかだし…」

ユ「もういつでも、レイクん家へお嫁に行けるね。それなら」

 サラはそう言われる冗談には慣れていたので、顔を赤らめもせず言い返した。

サ「あら、そんなんじゃなくてさ。ユースだって、うらやましいと思ったことはあるでしょ。一度ぐらいは?」

ユ「一度ぐらいじゃないさ」

 チェリーは眠ったふりをしながらも、微笑んで二人の会話を聞いていた。



 その頃、レイクは付属高のグラウンドで、同級生とサッカーをしていた。午後の授業に久しぶりに出ているのだが、走りながらイサムと話をしていた。

イ「変なんじゃないか、あの子?」

 レイクは敵のフォワードに向かってボールを取りに行ったが、相手はすかさず他へパスしてしまった。

レ「だから、何がだよ」

 イサムはレイクに近いところで、ディフェンスをしながら続けた。

イ「なんか…クスリでもやってるんじゃないのか?…飛び降りるのかと思ったぜ、あそこから。目は焦点、定まってないしさ」

レ「あいつの日常は、誰にも感知できないんだ」

イ「ユーシャンとはどういう仲なんだ?」

レ「さあね。だがお前が心配するには及ばないよ。チェリーは何でも、助け無しにやってのける女だから…たとえ自殺するにしたってな」

 ボールがコートの外に出て、スローインするためにレイクは走って行った。あきれ顔のイサムは、そこに取り残された。

イ「おい、マジかよ──」



 体育の授業が終わって、生徒たちはシャワー室や更衣室に吸い込まれていった。

 レイクはイサムや他数人の同級生と、付属高の校舎へ歩いていた。

 その途中で、彼らは顔見知りの女の教師に出会った。

女「まあ、レイク君。今日は珍しく、こちらの授業に出ているのね」

レ「はい。ミス・ホールマン」

女「いい事だわ。老住教授は少しあなたとユース君を拘束しすぎなんじゃないかって、私たちも話してたのよ。…彼は?」

レ「グループと奉仕活動で、町へ」

女「息抜きに、あなたも行けばいいのに」

 ボランティアは、付属高にある課目だった。体育の授業の代わりに、それぞれ決められた日に取ることが出来た。生徒にとっては、終わってから自由に町で遊べるのが魅力だった。

 その意味が分かっていたので、女教師はレイクにいたずらっぽく片目を閉じた。

女「…それともなあに?友達との時間の方が、大切なのかしらね」

 生徒たちはどっと笑い、口々にしゃべった。

生「違いますよ。こいつは罰則くってるんです」

生「教授を怒らせちゃったんですよ、バカでしょ」

 女教師は眉をひそめた。

女「それ本当?ひどいわね。こちらに何の相談もなしに…」

イ「おまけに脱走しないようにって、監視までついてるんです」

 調子に乗ってペラペラとしゃべるイサムたちを、レイクは押さえて言った。

レ「そんなんじゃないんです。こいつら、人の冗談を真に受けて…」

イ「一体、何したんだァ?普通じゃないよな、特待生は。罰にまで特典がついてるんだからな」



 放課後、レイクは大学中央ビルの図書館にいた。

 彼がわざわざ書庫から出してもらって調べているのは、反乱軍についての蔵書だった。そんな本を読んでいることが教授に知れたら、また注意されるかもしれなかった。だが自分にメッセージを書いた存在について、調べて何が悪い…というのがレイクの考えだった。

 10年前に書かれたその本には、第二次・反乱軍の基地が、新島の南西部にある遼頭市を中心に、次々作られたとあった。他の資料や、真偽は確かでないインターネットの情報も加えてみると、基地の所在地は大小あわせて100はゆうに超えていた。

 大学に一番近いところを探すと、地図に青い点で示された支部が、15キロほど先に存在していた。その本によると、青点は張一族の管轄下にある、新しい基地だと書かれてあった。本島にほとんどが集中している、旧基地を示す赤点とは対照的に、それは新島にまんべんなく広がっていた。





 その時、突然あたり全ての電気が消えた。

 館内が停電したとみえて、かすかなざわめきが職員カウンターの中から響いてきた。

 レイクは緊急の予備灯がともる、青白い雰囲気のロビーに出た。そして廊下を歩き、壁一面にガラスの入った大きな窓から外をながめた。

 大学中央ビル群は、すべてが停電していた。見渡す限りの建物には、非常用のかすかな明かり以外は何も目にすることが出来なかった。その光景は、いつも見慣れている大学とはまったく違った。まるで巨大な岩の裂け目がパックリ口をあけ、地面の中にビル全体を飲み込んだかのような、大きな闇が支配する非日常的な空間になっていた。


 しかし、やがてレイクはそこから見える夜空が、白っぽく浮かび上がっているのに気づいた。

 闇の中に沈む校舎の黒い輪郭と、窓から月の光が差し込む明るい背景があった。夜空には白い星がまたたいているのが見え、その下にある建物群が小さくなっていくように感じた。

 そんな光の対比に、レイクは不思議な開放感を覚えていた。




 ユースたち3人が学校へ戻ってきた時、理学部第一研究室の入っている中央ビルは、まだ停電していた。

 避難所にレイクがいなかったので、ユースは二研へ探しに行った。

 その日、彼は非番だったのだが、ちょうどいい所に来たと用事を言いつけられた。二研から一研へ、書類を持っていく用事だ。

 そんなユースが一研へ行って見たのは、作業着姿の大勢のコンピューター技師が、機器の点検をしている現場だった。

 彼は技師の一人に、ここで何をしているのか尋ねてみた。

 “停電による影響がないか、メインコンピューターの動作を確かめている”というのが答えだった。しかしユースはこの点検が、例のメールの引き起こした騒動のせいなのではないかと思った。もしかしたら停電も、そのためのやむを得ない処置であるかもしれなかった。

 だとしたら老住教授は今まさに、その防犯システムを強化しているはずだった。侵入経路の出所を探り、情報もれの部分を修理し、今後は研究室の防護壁が突破されないようにするための作業だった。

 書類を手渡しした後、ユースは大学から付属高までを駆け回った。自分の用事をやりつつ、レイクを探したが、どこにも見つけられなかった。


 彼は避難所全体の班長として、事務室で点呼の報告と明日の確認をした。

 その後、講堂にある寝所に戻ったのは、夜中の12時過ぎだった。

 彼と相部屋のレイクのベッドには、いまだ本人がいないままだった。ユースは不安な面持ちで横になり、眠れないまま更に30分ほど過ごした。


 やがて、ようやく静かな足音が部屋に聞こえた。

 ユースは待っていた相手が帰ってきたことを知ったが、寝たふりをして、その様子をうかがった。

 レイクはまるで泥人形のように、ドサリとベッドにうつぶせに沈み込んだ。そしてそのままの格好で、しばらく動かなかった。

 それでも眠ったわけではなかったようで、やがて仰向けになり、頭の下に手を差し込んで、考え事を始めた。彼はユースと何か話がしたいのかもしれなかった。

 しかしユースの方は、その後すぐに寝入ってしまった。

 レイクがいつまで起きていたのか分かるのは、本人だけになった。

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