4-5 対決

 ボタンを押した瞬間、視界の全てが蒼くなる。同時に、目の前にいたビーストの存在が消える。介入として、扉から侵入するのとは全く異なる感覚だ。

 そして―—修一は、結界の中にいた。

 ビーストと殆ど同じ場所で結界を展開した筈なのに、その姿は見当たらない。

『——結界に入ったわね』

 端末から、倫子の声がした。

「はい。でも、ビーストの姿が―—」

『結界を張ると、取り込んだ相手とはある程度の距離がおかれるのよ。でも、油断しないで。そう離れてはいない筈』

 その時、ガラッという、何かが崩れるような音がした。ハッとして振り向く。

「……店長?」

「よう、久しぶり」

 立っていたのは、村田だった。

「どうして、ここに? まさか―—」

「そのまさか、かな。だから、」

 と、いいかけた村田の背後から顔を出したのは、翠だった。

 巻き込んだのか! 修一は目を覆いたくなった。

「……どうなってるの? ここって、どこ?」

「こうなったら、仕方ない。ちゃんと説明するけど、とりあえず後でな、お嬢ちゃん」

 村田は一つため息を付き、「俺も色々と初体験の連続なもんでね。チェリーボーイみたいにこう、心臓がドキドキしっぱなしなんだよね」

「……セクハラですよ? その発言」

「まぁ、堅い事言うなよ。こういう時は一服でもして……って思ったんだけどさ。何故かタバコもライターも、無くなっちゃってるんだよなぁ」

 困惑しきった表情の翠の頭からも、ヘルメットが消えている。

「結界には、基本的に何も持ち込めないんですよ」

「へぇ、そうなの。じゃあコレは?」

 と、村田が懐から取り出したものを見て、修一は目を見張った。それは、先程使っていた拳銃だった。

『——それは、あたしが作ったからよ』

「おや、その声はあんたかい」

 修一は端末を村田に見せる。

『この端末もだけど、あたしが作るのものは結界の中でも動作可能な仕様になってるわ。だから安心して、使って頂戴』

「使えってもねぇ―—」

 村田は頭を掻き、「あんたも見てたんだろ? そこまで通用しなかったじゃないの、コレ。対ビースト用拳銃型特殊スタンガン」

『ビーストが、そんなもので倒せるワケないじゃない。あまり思い上がらない方がいいわよ。身を守ったり、援護用としては十分使えたでしょ』

「まぁねぇ……」

『所詮、人間なんだから。巻き込まれない様に、せいぜい隠れている事ね』

 いつにも増して、倫子の言葉に混ざる毒の濃度が凄まじい。修一はため息を付いた。

「でも―—本当に、隠れていた方がいいですよ」

「お前さんまで、そういう事言うワケ?」

「……来ました」

 その修一の言葉に、村田は顔を引き締めた。修一の視線を追う―—そこには、ビーストが立っていた。二本足で立っている以外、もはや人間としての面影は無い。赤い複眼の4つの目。爬虫類のような、緑色の肌。その背中から伸びる、4本の腕。通常の腕も、鎌のように鋭く変形していた。

「……邪魔者が、混じっているようね」

 ビーストが、大きく裂けた口を開いた。その中から、蛇のような長い舌が伸びる。「まぁいいわ。あなたを味わった後で、ゆっくり殺してあげる」

 ビーストはそう言って、口を歪める。笑ったつもりのようだった。

「その前に、一つ訊かせろ」

 修一は口を開いた。村田と翠が逃げる時間を、稼がなければならない。「さっき、<見つけた>って言ったよな。―—あれは、どういう意味だ?」

 ビーストは修一の言葉の意味を図りかねるようにしばらく無言だったが、突然笑い出した。

「ああおかしい。知らぬは本人ばかりなり、ね」

「どういう―—」

「あなたの事、最近随分噂になってるわよ。人間として生まれた、特別なビーストってね」

 長い舌が口の周囲をズルズルと舐めていく。「魅力的よねぇ! 美味しそうよねぇ! 是非とも、その特別製の心臓とやらを頂いてみたいものだわ。ビーストなら皆、そう思う筈。じゃあ―—」

 舌がサッと引っ込んだ。

「頂きましょう!」

 ヒュッと音が鳴り、4本の腕が一斉に修一に襲いかかった。が、予め用意していたシールドに阻まれる。その隙に、修一は近くの自動車の陰に隠れた。が、次の瞬間自動車は5分割になます切りにされ、慌てて別の建物の陰に移動する。

 今はとにかく、村田と翠からこいつを引き離す事だ。その後は―—その後は?

 考える間も無く建物を突き破って、腕が迫る。シールドで防ぎながら、移動を続ける。

『——このまま連続使用は、保たないわよ!』

「保たせて下さい!」

 叫びつつ、逃げる。修一にとって幸いだったのは、ビーストが本気で殺そうとしていなかった事だ。殺すまでの過程を楽しむ。それが、このビーストの趣味だった。相手が弱くとも関係無い。もがき、苦しむ様をじっくりと観察する、愉悦の時間。逃げたければ、逃げるがいい。その分だけ、楽しみも長くなる。

「……?」

 ビーストは足を止めた。修一が、逃げるの止めたのだ。塀の陰に隠れているものの、それが何の約にも立たない事は、分かっているだろう。では何故?

「罠、か……」

 しかし、何ができるというのだ?

「——どうした! 来ないのか!」

 修一が叫ぶ。何か企んでいるようだが……わざわざ行く迄もない。

 ビーストはそばにあったバイクに腕を巻き付けると軽々と持ち上げ、修一に向けて放り投げた。

 想定外の攻撃に仰天した修一だったが、ワイヤーを飛ばして辛くも逃れる。その時、ビーストの足元でキン、という金属音がした。

 ビーストが気付いた瞬間、投げられたが弾け、爆音と共に全身が閃光と電撃に包まれた。——村田から預かったスタングレネード。元は倫子が作った対ビースト用のそれは、閃光だけでなく電撃も発する。しかしスタンガン同様、ビーストを倒しうるものではない。本命は―—。

「間に合って良かった」

 凄まじい勢いで駆けて来たのは、サキだった。「——変身」

 光の矢のようになったサキは、そのままビーストの背後から突貫する。ビーストを包んでいた電撃が収まる。気配を感じたビーストが振り向いた瞬間、変身したサキの鋭い爪が、ビーストの首を跳ね飛ばした。




「——遅かったじゃないか」

 修一は息を整えつつ、「でも、助かったよ」

「ごめんなさい」

 サキは爪の蒼い血液を払いつつ答えた。ビースト化をしてしまうと、只でさえ乏しい表情がさらに分からなくなってしまう。「——でも、こちらにも事情があった事は、察して欲しい」

「そりゃあ―—そうだろうな」

 サキが手間取る程の相手なら、相当なものだったのだろうと想像できる。

『とにかく、無事で良かったわ。突然通信が復活した時は、びっくりしたけど』

 倫子の声の調子も、心なしか弾んでいるようだった。

「――あれが、人殺しのビースト?」

 サキは仰向けに倒れたビーストを振り返る。

「そう、なのかな。突然襲われたんで、よく分からないんだ」

「いずれにしても、危険な存在ね」

 無くなった首からは蒼い霧のようなものが出ている。間違いなく、倒した筈だが……念には念を入れておいたほうがいいだろう。

 サキは近付き、腕を振り上げて―—胸にトン、と軽い衝撃を感じた。

 何だ? 上げた腕が、動かない。いや、体全体が動かない。何か、熱い。胸が熱い。

 ガクン、と全身の力が抜けた。首がうなだれて、それでようやく、自分の胸に何が起きているのかを理解できた。

「サキ!」

 修一は叫んだ。地中から飛び出したビーストの腕2本が、背中からサキを貫いていた。そのまま宙へ上げられる。サキの視線が、こちらを向いた。そして、口が動く。何かを言ったようだった。

 しかし次の瞬間、サキは勢いを付けて投げ出された。近くの民家の屋根を突き破り、大音響と振動、そして立ち上る砂煙。

「サキッ!」

 駆け寄ろうとした修一の左腕に、ビーストの腕が絡み付く。構っている暇は無い。払いのけて、サキの所へ向かおうをした時、その左腕に違和感を感じた。

 

「——どうやら、その腕時計が色々と悪さをしているようね」

 首が無いままのビーストが、ゆっくりと立ち上がる。地中に埋まっていた腕の部分が、アスファルトを破壊しながら飛び出して来る。切断された筈の首から出ていた蒼い霧が集まり、やがて形を成して新たなビーストの首となった。その口から、再び長い舌が伸びる。

「首を落とされたくらいで、死ぬと思った? こちとら、年期が違うのよ」

 修一は唖然として地面に落ちた、端末を付けたままの自分の手首と、切断された左腕を見つめていた。血が、溢れる様に流れて来る。無意識に、右手で左腕を強く握った。

 空気を裂く音とともに、修一は後ろに跳ね飛ばされる。

「——両手が無ければ、何もできないでしょう。人間の体って、不便よねぇ。脆すぎるったらありゃしない」

 抑えを失った左腕と、新たに切断された右腕から、大量の血が吹き出す。まるで、噴水みたいだ。修一は他人事のように、そんな事を思った。腕が無くなると、身を起こす事も出来ない。ゆっくりと近付いて来るビーストを眺めながら、肘をついて何とか上体を起こした。

 4本の腕の先が中心に集まる。——心臓の位置か。それはそのまま修一の体へ突き刺さり、心臓を抉り出す——筈だった。

 ビーストには、修一の両腕から流れた血が逆流したように見えた。霧状になった血液は修一の腕の断面に集まり——形を成した。

 それは、人間の腕ではなかった。両腕の肘から先が、異様な形に巨大化している。深紅の毛並みに覆われ、指先には鋭く尖った漆黒の爪。

 ビーストが目をむいた瞬間、自身の4本の腕が切断されていた。

「この——」

 だが急所をやられない限り、首と同じように再生できる。その為に、距離をとろうとする。その間を与えず、修一は突っ込んだ。ビーストの残った2本の腕が、再生しかけていた4本と共に、根元から吹き飛んだ。

 ビーストは悲鳴を上げた——と思った。しかし実際はその間もなく首が再び飛ばされ、さらに次の瞬間、修一の左腕がビーストの胸に深々と突き立てられた。

「馬鹿な……馬鹿な!」

 修一の掌が、ビーストの心臓を鷲掴む。「やめて―—」

 激しい破裂音と共に、心臓は爆散した。



「……あれが、ビーストの力ってヤツかよ」

 様子を見に来ていた村田は独りごち、後ろを振り返った。「見たかい、お嬢ちゃん」

 翠は真っ青な顔で震えながら、両腕が異形と化した修一を見つめていた。

 村田は頭を掻き、

「……付いて来るなって、言ったんだけどなぁ」

 手にしていたスタンガンを仕舞う。「——これも、この世界の真実の1つってヤツさ。知っていて、良い事は1つも無いがね」

 無意識にタバコを探している事に気付き、村田は苦笑する。

「そう、良い事なんか、1つも無い。……だから、黙っている事だ。何も見なかった、という事にするんだ。そしてあいつとも、今まで通りに接してやってくれるかい」

 翠が、村田の顔を見た。

「――何も、無かったように、ね」



 心臓を失ったビーストの肉体が、霧散を始める。修一は荒い息をつき、地面に膝をつく。

 やった―—やった!

 ハッとして自身の腕を確認する。腕は2本とも、そこにあった。切断される前と変わらない、人間の腕だ。切断など、されなかったかのように。しかし、その腕には端末が無い。端末は地面に転がっていた。

 ——そうだ、サキは?

 端末を拾い上げ、サキが飛ばされた民家に向かう。

「サキ! 大丈夫か!」

 あのサキが、死ぬ筈が無い。回復力は自分よりも高い筈だ。だが、胸を貫かれていた。もし心臓をやられていたら―—。

 家屋の破壊は居間の中央で止まっており、そこには、蒼い血溜まりがあった。ここまで飛ばされたのだろう。しかし、サキの姿は無い。霧散したビーストの姿が、脳裏に浮かぶ。

「サキ! どこだ! 返事をしてくれ!」

 無音の結界内に、修一の声だけが、空しく響いた。

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美女が野獣 -The First semester- 健人 @kento78

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