4-4 不測

 時間は少し、遡る。

 修一と別れたサキは、とりあえず徒歩で移動を開始する。修一がいる時は電車等を使うが、1人、それも人目に付きづらい夜ならば特に使う理由は無い。徒歩の方が、余程早いのだから。

 いつも通り、ある程度の距離まで近付き、足を止めて端末で反応を確認する。

「……これか」

 反応があったのは、自然公園の中だ。かなり広大な敷地に、自然の森や池等が残されている。動く様子は無い。休んでいるのか、眠っているのか。とりあえずは、行ってみるしかない。

 サキは最後のシュークリームを口に入れると、歩き出す。


 夜の公園は、不気味な程に静まりかえっていた。メインの入口は頑丈に門が閉じられ、街灯もそれなりにあるのだが、サキが選んだのは幾つかある裏口の一つ。立ち入り禁止にはなっていないが、道は細く、街灯も奥に1つ見えているだけ。入ったら危険である、という雰囲気をあからさまに感じる佇まいだった。

 だが、暗闇だろうがビーストには関係無い。人間の眼とは違うのだ。サキはビーストの位置に向け、足を速める。

 ——この様子なら、人間を襲う為にここに来た訳ではなさそうだ。獲物が少なすぎる。もっとも、暗闇を好むカップル等がいないとも限らないが。

「……!」

 サキは足を止めた。端末から眼を離していたのは一瞬だ。その一瞬の間に、あった筈の反応が消えている。移動した? しかし、地図を広範囲にしても変わらない。サキは気配を感じようと、眼を閉じて感覚を研ぎすます。

 ——右前方に、わずかだが反応がある。

 一歩、踏み出そうとしてサキは困惑した。

 反応が消えた? そして、逆に背後に感じる存在。いや、左前方? 右の真横? ——まさか、敵は複数? いや、違う。

 これは……ジャミングだ。

「お待ちしてましたよ」

 突然聞こえてきた声に向かって、反射的に戦闘態勢をとる。

「まぁ、そうイキらずに。こちらに、敵意はありませんよ」

「——だったら、姿を見せなさい」

 声が、少し笑った―—と思った瞬間、サキの真正面、5m程先に蒼い炎が灯って、消える。その後には男が一人立っていた。黒い三つ揃いのスーツに、中折れ帽。ステッキを手にしている。

「初めまして、お嬢さん」

 男は中折れ帽をとり、軽く頭を下げる。

 白髪の老紳士——少なくとも、見た目は。頭髪同様の白い髭に囲まれた口には微笑みが浮かんでおり、一見すると友好的な雰囲気である。

 しかし、サキは内心戦慄していた。

「今のは―—もしかして結界の中に、隠れていた?」

 老紳士は眼を細め、帽子を被り直す。

「長く生きていると、結界もただ闘いの場としてでなく、色々な形で使う事ができるようになる。そんなに驚く事ではないでしょう。あなたの母上も、それくらいの事はできる筈だ」

「あなたは―—誰?」

 問いながら、サキは少しずつ後ずさりする。意図的では無い。本能が、そうさせる。

 ——間違いなく、こいつはかなり高位のビーストだ。途轍もなく長い時間を生き、数知れないビーストを喰らってきている。

「失礼。まだ名乗っていませんでしたな。——私は、権瑞ごんずいと申します。お見知りおきを」

「ゴンズイ?」

「そう。魚のゴンズイ、それですな。特に、意味はありませんがね。——人間としての名前等、どうでも良いでしょう。そうは思いませんか?」

 権瑞は反応を見せないサキを一瞥し、続けた。「……ああ、これは失礼。あなたには、名前は元々一つしか無いのでしたな」

 その言葉に、サキの顔色が変わる。すぐにでも、この場を去りたい気持ちを押し殺し、唇を噛み、拳を握る。

「最近、人間を大量に殺しているのは、あなた? ——ここへ来た、目的は何?」

「質問は、一つずつにして頂けると有り難いのですがね」

 権瑞はあごひげをしごき、「最初の質問についてですが、私ではありません。まぁ、これまで結構な数を手にかけて来ましたがね。短期間に、それも同じ地域であれほど殺すような愚かな真似を、私はしませんよ」

 そう言って、ニヤリと口の端を上げた。

「2つ目の質問ですが―—ここに来たのは、あなたに会う為ですよ、サキさん」

 サキは耳を疑う。

「私の名前を―—」

「私は、何でも知っています」

 権瑞は大仰に両手を広げる。「長く生きているとね、大抵の事は耳に入って来るのですよ。そう、人間として生まれたが、ビーストにならんとしている彼の事。——そして勿論、あなたの事も、ね」

 権瑞の言葉が途切れるか否か、サキは地面を蹴って飛びかかる。しかし、心臓を抉らんと突き出した腕は、ゼリーのような感触の蒼いモノに包まれて勢いを失い、次の瞬間、サキの体を弾き飛ばした。全身に響く衝撃。辛うじて体勢を維持出来たが、少しでも気を抜くと、膝をついてしまいそうだ。

 サキは端末に触れる。

「——聞こえてる? 変身の許可を」

 しかし、いつもならば聞こえて来る軽口が無い。「……もしもし?」

 画面が映らず、反応が無い。今の攻撃で、壊れた? そんなバカな―—。

「気が付きませんでしたか? もうあなたは、私の結界の中にいるんですよ」

 権瑞が腕を動かすと、サキの攻撃を防いだ蒼いモノが、液体がかきまぜられたようにその周囲をうねった。

「結界? でも―—」

 暗闇で分かりづらいが、周囲はシルエットになってはいない。ここは、現実の筈だ。

「防御型結界、とでもいいましょうか。少々、特殊な結界でしてね。先程のように私への攻撃は無効となり、一切の電子機器が使用不可となる。その特別製の端末であってもね。それでいて―—」

 権瑞がステッキをサキに向けた瞬間、放たれた衝撃波がサキの頬をかすめる。

「私の攻撃は有効となる。いささか都合が良すぎるものですが、まぁこれも年の功、というやつですかな」

「——殺すなら、殺しなさい」

 サキは目を伏せる。

「その潔さや良し、ですな。しかし、あなたは闘う意志を失ってはいない。それくらいわかります」

 そう言って、権瑞は懐に手を入れる。サキの全身が緊張するが、取り出したのは、タバコのパイプだった。マッチに片手で火をつけ、着火する。

「——まぁ、落ち着きましょう。先程言ったように、私はあなたに会いに来たのです。会って、話しをする為にね。殺しにきたんじゃあない」

「話? 話なんて―—」

 次第に強くなるパイプの匂いを感じつつ、サキは必死に言葉を絞り出す。

「話というより、提案、ですな」

 権瑞は紫煙をくゆらせ、続けた。「――あなたに、『命』を差し上げようと思うのですが、如何ですかな?」




「——じゃあ、そっちも連絡付かないんですね?」

 修一の言葉に、画面の奥の倫子が頷く。珍しく酒もタバコも持っていない事が、事態の深刻さを伺わせる。

『結界の中で戦っていたとしても、通信は繋がる筈。返事が無いというより、こちらからのシグナルが届いていない、という感じなのよね。——こんな事は、初めてよ』

 倫子は眉根を寄せて、タバコを取り出した。『ところで、そっちの方はどうなの? 応援は来た?』

 修一は、何も知らない内に何とか翠を追い返そうとしている店長——村田——の様子を眺める。翠は原付に跨がり、ヘルメットを膝に置いていた。駐車場の隅で腕の端末に向かって話している修一の方を怪訝そうに眺めていたので、慌てて背を向ける。

「まだ、応援は来てません」

 倫子はチッ、と舌打ちをし、

『全く、トロいわね。あんだけエラそうな事を言ってたクセに』

「あの―—店長の事、知ってるんですか?」

『知りたくも無いわよ、あんなヤツ!』

 その反応で、以前サキが言っていた<相性の悪いの>が誰の事なのか、理解できた。しかし―—あのトボけた感じの店長が、まさか組織の人間だったとは。まだ何も説明されていないが、襲われた時の反応といい、口八丁で翠をやり込めた手際の良さといい、只者で無い事は、確かだ。

 その時、ドン、という衝撃音と共に空気が揺れた。

「……何だ?」

 さらに連続する破壊音——店の中からだ。というか、破壊って―—。

「……もう、限界かよ」

 村田は翠の腕を掴んで引っ張る。「こっちへ来い!」

「ちょっと! 帰れだったり来いだったり、一体何なの?」 

 と、文句を言う翠のすぐ横の店の壁に、亀裂が入った。心無しか、内側から膨らんでいるようにも見える。ヘルメットを被ったまま慌てて原付を降り、村田に引かれて走った。次の瞬間、内側から弾かれる様に破壊された壁が、原付を押しつぶす。

「ビーストが……出て来ました」

『見えてるわ。で?』

「で? って……」

『サキはいない。いるのは、頼りにならない人間と、一般人の女の子が一人ずつ。それであなたは、どうするの?』

「どうするって―—」


 ビーストは、完全に姿を変えてはいなかった。しかしポケットに突っ込まれたままの人間の腕とは別に、背中からカマキリの前腕のように尖った切っ先の、細い腕のようなものが4本生えている。その腕で、壁を破壊したのだ。ビーストの視線が、逃げる村田と翠を捉える。

 ―—来る!

 村田は倒れ込む翠を後ろに庇い、懐から武器を取り出―—そうとした瞬間、後方から来た黒い塊が、ビーストを再び店内へと弾き飛ばした。その衝撃音と、ビーストの叫び声と、店内が破壊される音が混ざった凄まじい振動。

「——大丈夫、ですか」

 息を弾ませながら立っていたのは、修一だった。

「……何だよ、ホウレンソウでも食ったのか?」

「そういうの、通じませんよ今時」

「そうなのかねぇ。おっちゃんには分かんねぇな」

 村田は立ち上がり、服の埃を払う。「——油断すんな、また来るぞ」

 店の奥から、棚が倒れる音や、ガラスの割れる音が聞こえて来る。

「その人を連れて、下がっていて下さい」

 修一は端末を操作しながら村田に言った。

『Ready :Extend』

 という結界展開の表示を確認する。この状況から2人を確実に守るには、ビーストを結界に引きずり込むしかない。これまで自分から結界を広げた事は一度も無いが―—。

「結界ってヤツか。できるのか?」

「大丈夫ですよ―—多分」

 修一は引きつったような笑いを浮かべた。結界に引きずり込んだとして、問題はその後だ。サキはいない。来るかどうかも、分からない。つまり修一が1人で、ビーストと対決しなくてはならない。

 ……勝てるのか、どうか。

 分からないが、やるしかない。

 店の中からの、音が消えた。

「下がって!」

 来るか、と思ったが動きは無い。すると、ゆっくりと伸びて来た4本の腕が、壁に開いた穴の左右にそれぞれに引っかかる。店内は完全に灯が消え、中の様子は伺えない。しかし、修一には分かった。4本の腕の奥、その中央で力を溜めているビーストの姿。ギリギリまで伸びきった腕が、まるで今にも破断しそうなゴムのようにぶるぶると震えている。

 ゴムって―—まさか!

 その瞬間、ビーストの本体がされた。正面からぶつかった修一は端末を操作する間も無く衝撃で後ろに飛ばされる。ビーストは人間の両手で修一の首を掴み、尋常ではない力で締め上げる。それに抵抗していた修一は、視界の隅に下がっていた筈の村田と翠の姿を捉えた。

 ——このままでは突っ込む!

 一瞬の判断で体を入れ替え、ビーストを地面に擦り付ける。首を絞める力が緩んだ瞬間、端末のボタンを押した。

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