4-3 会敵

 最後の客がドアを開け、チャイムが鳴る。

「ありがとうございましたー」

 と声を上げ、修一は再び品出し作業に戻った。時刻は21時半を少し回ったところ。深夜分として到着した商品を、深夜担当の人間が来る迄に、陳列しておかなければならないのだ。

 呼び出しから、5日が経っていた。サキの聞き込みは、今の所成果が上がっていないらしい。

「ただ、引っかかるものがある」

 一度結界内で報告をした時に、サキは言った。「何も知らないというより、知っているが話したくない、というような感じ」

「善意に頼るのも、限界があるって事でしょうね」

 倫子は眼鏡を押し上げ、「あなたの勘を信じるわ。必要だったら、報酬を餌に使ってもいい。とにかく情報を手に入れて」

「あの―—、報酬って?」

 まさか、と思いつつ修一は口を挟む。

「この場合は、お金ね。マネー。ビーストだって、人間として暮らすには当然、お金が必要だしね」

 生け贄とかでなくて良かった。修一はホッと息をつく。

「どーせ、ヤツラが出すんだから、遠慮なくじゃんじゃんバリバリ使っちゃいなさい!」

 人間側の組織も、大変だ。同情せずにはいられない。


 しかし―—本当に、何もしなくていいのだろうか?

 自分に何ができるワケでもない、という事は重々自覚しているが、ハナから期待されてもいない、というのはそれはそれで、寂しいものだ。勉強しろとは言われたが、どうせ今やっても試験迄には忘れてしまう。——という訳で、とりあえずは通常通りの日々を送っている。

 入口のドアが開き、チャイムが鳴った。

「いらっしゃいませー」

 陳列が終わった商品のカゴを片付けながら、条件反射で声を出す。——と、ふと洋菓子の棚を見て、修一は目を見張った。ついさっき並べ終えた筈のシュークリームが全て、キレイさっぱり姿を消している。まさか、と振り返ると買い物かごを手にしたサキが立っていて、修一はため息をついた。

「その、気配を消してくるのって、やめてもらえる?」

「まだまだ、修行が足りない。そういう事」

 サキは涼しい顔でそう言うと、かごを差し出す。言う迄も無いが、中はシュークリームばかり5つ。

「お客様、お会計はあちらでお願いします」

 案内した先で店長がニッ、と笑った。―—あとでまた、面倒な事になりそうだ。


 サキが会計をしている間に、外の物置に商品が入っていたカゴを置きに行く。扉に鍵をかけて振り返ると、またサキが立っていて修一は仰天した。

「——その内俺、君に殺されると思うんだ。心臓マヒとかで」

「そういう事を言っている内は、死なないから大丈夫」

 サキはビニール袋からシュークリームを一つ取り出し、差し出した。

「おごり」

「え? ——ああ、ありがとう」

 サキが早速食べ始めたので、修一も封を開けた。勤務中だが、まぁいいだろう。

「報告がある」

 サキは2つ目をあっという間に平らげ、指についたクリームを舐める。「少し離れた所で、未登録の反応が確認された。これから行ってくる」

「ええ? 俺、今バイト中で―—」

「私一人で行くから、大丈夫」

 思わず声をあげた修一を遮り、サキは続ける。「ただその間、何かあってもすぐには対処ができない。念の為、注意をしておいて」

「——分かった」

 サキの真剣な表情に、修一は思わず唾を飲み込む。「でも―—大丈夫なのか? 一人で」

「大丈夫、問題無い」

 サキの表情が少し緩んだ―—ように、修一には見えた。サキは残ったシュークリームをバッグにしまう。

「潰れるぞ? そんな所に入れたら」

「その前に食べるから、大丈夫。——それじゃ」

「ああ―—気を付けて」

「あなたも」

 そう言うとサキは、急ぐでもなく駐車場を横切って歩いて行く。——と、1台の原付のライトがサキを照らし、そのまま駐車場に入ってきた。

 ——お客さんか。

 いい加減、仕事に戻らねば。念の為、腕時計の画面を地図モードに切り替えておく。店長の手前、アラームを鳴らす訳にはいかないが、それとなくチェックしておけば大丈夫だろう。

 既に店に入った原付の客を追うように、中に戻る。

「いらっしゃいま―—」

 せ、と言おうとして、くるっと振り返った客の顔を見た瞬間、言葉が止まってしまった。

「——神室君?」

 そこに立っていたのは、片桐翠だった。



「何してんの? ——って、その格好、バイトか」

「ああ―—、まぁ、そう。バイト中。それでそっちは……」

「私? 私は、買い物」

 翠は手にしたかごを持ち上げて、笑った。

 顔や髪型は、修一の知っている片桐翠そのものだが、今まで制服か、ジャージ姿しか見た事が無かった。なので、目の前のスェットパンツにパーカーというラフな姿に違和感を感じつつ、それは新鮮で、眩しかった。

「ええと……こいつ学校で、同じクラスなんです」

 店長の好奇心を抑える為に、先手を打っておく。

「どーぞよろしく! 店長の村田です。今後ともお買い物は是非当店で、ね」

「……どうも」

 店長のわざとらしい語調に、若干引き気味の翠。

「しかし今日は何だアレだ。お友達が沢山来てくれて、売上もアップで嬉しいねぇ」

「……沢山?」

「それより! えっと、何を買いに来たんだよ。早くしないと、帰るの遅くなるぞ」

 修一は慌てて、無理矢理話題を変える。

「あ、そうだ。これ、置いてない?」

 翠はスマートフォンを取り出し、画面を差し出した。「ウチのお気に入りなんだけど、切らしちゃって。この時間じゃ、いつも買っているお店は閉まってるし。検索したら、この系列のコンビニにならあるかもって出たのよね」

 そこに映っていた、バターのパッケージには見覚えがあった。何しろついさっき、棚に並べたばかりなのだから。そこに案内すると、翠は歓声を上げた。

「ありがとう! 別に珍しい銘柄ってわけじゃないんだけど、何故かあまり置いてないのよね」

 奥の方から商品を取り出す翠を見て、結構しっかりしているんだな、と修一は感心する。

「——でもビックリしたわ。こんな所で、神室君に会うなんてね」

「それはまぁ……お互い様だ」

 修一は外の原付に目をやり、「免許、持ってるんだ」

「ウチのマンション、丘の上にあるのよ。見晴らしはいいけど、駅からは遠くてね。1年生の時に、親に取らされたんだ」

 ふーん、と頷いていると、店のドアが開いて客が入って来た。

「いらっしゃいませー!」

 突然声を上げた修一に、翠は目を丸くする。

「……びっくりした」

「条件反射なんだ。気にしないでくれ」

「ああ、そうか。勤務中だったよね。それじゃあそろそろ私——」

 翠は言葉を止めた。修一の視線が自分を越えて、後ろを見ている。それを追って、振り返ってみた。先程入店したのだろう客が一人、こちらを向いて立っている。顔は分からない。俯き加減のそれは、パーカーのフードに隠されている。両手はパーカーのポケットに入っていて、下はジーンズ。体つきで、若い女性だろうと思った。

 ……この人が、どうしたのだろう?

「ねえ―—、」

 と再び修一の方を向こうとした時、女が笑うように呟いた。

「……

 次の瞬間翠の視界の端に、何かが映った。振り上げられた、細い鞭のようなもの。腕? でも、手はポケットに―—。

「伏せろ!」

 と、叫んだのは修一ではなかった。誰が―—と考える間もなく翠は床に引き倒される。聞こえて来たのは決して人間のものではない、獣のような咆哮。

 

 女も、一瞬何が起きたのか分からなかった。突然、背中に受けた衝撃。一瞬ではあるが、堪え難い苦痛。——敵がいる。敵を、確認しなくては。女―—ビーストは、後ろを振り返る。



「……店長?」

 そこに立っていたのは、拳銃のようなものを構えた店長——村田だった。その顔からはいつものニヤケが消えている。修一と目が合った瞬間口元だけ笑みを浮かべたが、直ぐに別人のような表情に戻った。

「こっちへ来い! 嬢ちゃんも一緒に!」

 村田は叫ぶと、引き金を引く。プシュッという鋭い発射音と同時に、ビーストの体から青白いスパークが上がる。

「こっち!」

 修一は翠の手を引き、棚の間を駆ける。村田が片手で壁を触った―—と思った瞬間、店の窓全てに一斉にシャッターが降りる。次いで電気が消え、代わりに赤い照明が灯った。

「裏から出ろ!」

 村田の言葉に弾かれるように修一は翠を抱えてカウンターを飛び越え、従業員用の出入口を目指す。その背後ではさらに何発かの発射音と、ビーストの悲鳴。

 足や体に引っかかる物を弾き飛ばしながら、2人が外に出たその直後に村田も飛び出して来て、扉を閉じ、鍵をかける。

「——よし、これで、しばらくは持つ筈だ」

 村田は、いつの間にか片耳に装着していたヘッドセットに触れる。

「ああ、俺だ。そう。襲撃を受けた。敵さんの隔離には成功して、今外にいる。ただ、実際どこまで持つかはわからん。うん―—そう、大至急な。それと―—」

 村田は修一を一瞥し、「アチラさんの方にも、連絡を入れといてくれ。非常ボタンは押したから通報は行くと思うが、念の為、な」

 通信を終えた村田は改めて修一の方を向き、肩をすくめた。

「まぁ色々と、訊きたい事とか言いたい事とかあると思うが―—」

 歩きながら、手にした銃のようなものを腰の後ろにしまう。「とりあえずお二人、離れたら?」

 その言葉で、翠は自分が修一にお姫様抱っこをされている事に気付き、慌てて立ち上がって離れた。

「何してんのよ! ―—って、でもよく抱っこなんて……」

 できたわね、と言おうとして思わず口をつぐむ。ただ実際、男子とはいえ同級生に軽々と抱えられるような体重では無い筈だ。

「ああ―—ごめん。ちょっと、必死だった」

「まぁ……とりあえず、ありがとう」

 何だかよく分からないが、とりあえずここは、礼を言うべきなのだろう。必死だった、なんて言っているから、所謂火事場の馬鹿力、みたいなものだったのかもしれない。

 修一は両腕に残った翠の温もりを意識して、慌てて気持ちを切り替える。そうだ、事情を訊きたくとも、翠がいては駄目なのだ。しかしこの状況、どう説明したらいいのだろう?

「あの―—」

 やはり口を開いたのは、翠だった。「一体何が、あったんですか? いきなり逃げろって」

 その視線は村田に向いている。困った様に顎を掻いたりしていたが、

「お嬢ちゃん。何か、見た?」

「見たっていうか―—よく、分からないですけど……。すぐに、引き倒されちゃったんで」

 翠の言葉に村田は少し考えているようだったが、

「まぁ、後から入って来たお客さんがいただろう? 常連なんだけどあれがちょっと、問題がある人でね。時々発作を起こして、店内で暴れたりするんだ」

 ……ちょっと、無理がないか?

 修一の不審の眼差しを無視して、村田は

「そうだよな?」

 と同意を求める。——ここは、乗るしかない。

「そ、そうなんだよ。時々、訓練もやっていてさ。他のお客さんに、迷惑をかけないようにって」

「怪我とか、大丈夫だよね? こいつ、見た目によらず優秀だからさ、大丈夫だと思うけど」

 翠も村田に言われて気付いたが、結構な勢いで倒されたにも関わらず、どこにも痛みは無い。——庇ってくれた、という事だろうか。

「お前、とりあえず連絡をつけとけ」

 翠が体の確認をしている隙に、村田は修一に小声で言った。

「え?」

「さっき来てた、制服のネェちゃんだよ。護衛役なんだろ?」

「そ、そうですね」

 一体どこまで知っているというのだ、この人は。

 村田の後ろに隠れて、腕時計のコールボタンを押す。——呼び出し音が1回、2回、3回。反応は、無い。

「あれ?」

 掛け直してみたが、結果は変わらない。

 ――嫌な、予感がした。

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