4-2 予兆
修一が結界に入ると、サキが1人、カウンターの中で文庫本を広げていた。
「——先生は?」
荷物をカウンターの端に置き、修一もカウンターの中に入りながら訊ねる。
「あの人が遅れてくるのは、いつもの事。もう慣れたでしょ?」
まあね、と言いながら修一は冷蔵庫から瓶コーラを取り出し、改めて外のスツールに腰をかける。
「でも、今回呼び出したのは、あの人なんだろ? メールにそう書いてたじゃないか」
「自分が呼び出したかどうかを、気にする人だとでも?」
にべもないサキの言葉に、修一はコーラを一口飲んでため息をつく。
「とりあえず、緊急じゃあ無いって事か。それはいいけど……」
修一はサキの姿に目をやり、「暑くないのか? それ」
サキは視線だけを修一に向ける。
「何か?」
「冬服だろ、それ。もう6月だぜ」
サキは顔を上げると、自分の姿をしげしげと確認する。
「そういえば、最近生徒の服の色が変わっていた」
「色だけじゃなくて、半袖になってたろ。そのまま学校歩いてたら、怪しまれるんじゃないか?」
「そういうものか」
「そういうものだ―—」
修一は言いかけて、目を見張った。サキの姿が光ったかと思うと、一瞬の内に夏服に変わったからだ。
「何だ、それ……」
「これでいい?」
サキは立ち上がり、くるっと一回転する。上着だけでなく、スカートや靴下もちゃんと夏服になっている。
「……どういう仕掛けなんだ?」
「言ってなかった? 私達ビーストは自分の表皮を変化させて、衣服を替える事が可能」
もう何でもアリ、だな。
「そもそも、ビーストに人間の服を着る習慣があると思う?」
——言われてみれば、そりゃそうだ。
4月以降、あまり物事を深く考えず、「そういうものだ」で自分を納得させる事が多い。しかし、そうでもしなければやっていられない。
少女の事件以降、さらに数回修一はサキに呼び出され、内何度かは戦闘にも発展した。殆どサキの独り舞台で、サキ曰くは、
「その程度の案件」
であったらしいが、修一は意図的に、できるだけ闘いに加わらないようにしていた。少女の時に感じた、自分への違和感。呼び出しの度に、それが強くなっている。そんな気がしているのだ。その違和感が、普段の生活でいつもにも増して周囲から他人を遠ざけようとする、そんな修一の雰囲気に繋がっていた。
そんな自分が築いた壁をあっさりと壊して入って来てくれた、片桐翠。それまでもロクに話した事がなかったのに不思議ではあったが、今の修一には救いだった。——考えてみれば、サキや倫子といったビースト以外の「人間」とまともに会話したのは、本当に久々の事だった。
「まあ、店長もいるっちゃいるけどな……」
あれは、例外だな。
そこからしばらくは、沈黙が続く。その間、修一は翠と交わした会話を思い返していた。
「——なあ、ちょっといいか」
「何?」
「その―—俺って、今後、どうすればいいのかな」
その言葉に、サキは怪訝そうな視線を修一に向ける。
「いや、君に訊くような事なのかどうか、分からないけどさ。俺三年生で、学校に進路の件とか出さないといけないんだよね。……けど、色々、さ。変わって来てるし」
サキはしばらく無言で修一を見ていたが、やおら口を開く。
「あなたの好きにすればいい」
思いがけない言葉に、修一は困惑した。
「これから色々と、あなたに期待する声が聞こえて来ると思う。——けど、最終的にはあなたが決めるべき。その権利が、あなたにはあるはず」
「ああ―—。ありがとう」
修一はいつの間にか空になっていたコーラの瓶を置く。「ちょっと、意外だったな」
「何が?」
「いや―—、何て言うか、もっと強引にというかさ。俺の意見なんて、挟む余地無し的な感じを予想してた」
「念の為、言っておくけど」
サキは再び文庫本に目を落とし、「さっきのは、私の個人的な意見。——あの人なんかはあなたの言った通り、有無を言わせずな感じだから。気を付けた方がいい」
修一がため息をついた時、扉が蒼く光って開き、噂の主が姿を現した。―—が、いつもの飄々とした感じとは異なり、ムスッとした不機嫌な様子で早足で歩くと、スツールに乱暴に腰をかける。
「……何かあった?」
サキがウイスキーのグラスを置き、訊ねた。
「んー、まぁ―—まぁ、ね」
倫子はグラスの中身を一気に空けると、宙を睨んで自分のまとめた髪を根元からビンビン、と引っ張る。
「その癖、止めた方がいい。禿げる」
「適度な刺激は、頭皮にいいのよ」
二杯目のグラスを空け、ふうっと息を付く。既に慣れてはいるが、相変わらず学校での立場である「保健室の先生」とのギャップが、清々しいほど甚だしい。
「——さて、」
倫子はタバコに火をつけ一口吸うと、キッと修一を睨みつけ、「言っとくけど、遅れたのあたしのせいじゃないから」
「……どこに行ってたんですか?」
まともに取り合ったら、負けだ。修一は慎重に言葉を選ぶ。
「呼び出しよ、呼び出し。アチラからのね。——その時点で、嫌な予感しかしなかったんだけど」
「アチラって―—」
「人間側の、対ビースト組織」
しかめっ面でタバコを吹かす倫子の代わりに、サキが答える。「そこに1人、この人と相性の悪いのがいる。もしかしたら―—」
「もしかしたらじゃなくて、ビンゴ。相変わらず人を小馬鹿にしたような態度でさ。気に喰わないったらありゃしない」
灰皿の底に穴が開きそうな勢いで、倫子は吸い殻を押し付ける。
「——それで? 呼び出しの内容は?」
このままではラチがあかない、と判断したのか、サキが3杯目のグラスを出しつつ、先を促す。
「ん―—、まぁそれも、気持ちのいいハナシじゃないのよねぇ」
新たなタバコをくゆらせつつ、倫子はファイルから一枚の書類を取り出した。見ると、住所と数字がペアになって幾つか書かれている。
「何です?」
「ここ数ヶ月の、ビーストが原因と推定される行方不明者の数」
修一は思わず書類を見直した。
1月 A県S市 2
2月 A県S市 3
3月 A県S市 6
4月 X県P市 14
5月 X県R市 16
「前に言ったと思うけど、ビーストに結界内で殺された人間は、こちらでは行方不明者扱いになる。正直、あたし達も全ては防げない。だからこそ、人間側と協力しているワケだけど……」
倫子は険しい表情でくわえタバコを上下させる。
「ちなみに、全国の一年間の行方不明者の数は、8万人位」
「よく知ってるな」
「ここに書いてある」
トン、とサキは書類を指す。
「それはあくまで<届け出数>だから、実際はそれより多くなると思うけど。——さて、ここで問題です」
倫子は煙をフッと吹き出し、「一年間の行方不明者の総数が8万人として、その原因がビーストによるものと思われる数はどのくらいでしょーか。10秒以内に答えなさい」
「1割……くらい?」
「バカ言いなさんな」
真正面から煙を喰らい、修一は思わず咳き込む。
「0.1%程度、と言われている」
と、サキが答える。「あくまで予測だけど」
「ええと……8万の0.1%って、」
「80よ。——どう? 多いと思う?」
80人。8万人と比べると、圧倒的に少なく感じる。実際、数万のビーストがいる中で、年間80人の犠牲者というのは、どうなのだろう。
「少ない……ですかね」
「そうよねぇ。やっぱり、そう思うでしょ。殺人事件の犠牲者数なんかを加えたら、ビーストによる被害なんて、微々たるもの。そんなに警戒されるような存在じゃないって、前から言ってるのにねぇ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。全国で、年間80人なんでしょ?」
修一は慌てて書類の数字を数え直す。「5ヶ月で50人って……」
「この近県だけで、ね」
「明らかに異常な数。——しかも、それだけじゃない」
サキが住所を指して言った。「近付いてきている」
「御名答」
倫子は今時珍しい、紙の地図を取り出してカウンターに広げる。そしてこれまたクラシカルな赤青鉛筆で幾つか印を付けた。1月から5月までの、発生位置。徐々に、修一達がいる場所に近付いてきているのが、一目瞭然だった。
「……偶然じゃ、ないですか?」
フム、と倫子は肘を付き、赤青鉛筆をクルッと回した。それを見て、修一は翠のトランペットを思い出す。
「そう思う根拠は何かね、ワトスン君」
「根拠……は、特に」
「注目すべきは、ここ」
サキが指したのは、4月だった。「3月迄は、同じ市内で起きている。——けど、」
「4月になって、突然移動してるわね。数も急に多くなってる。その理由は?」
「わかんないですよ。……だから、偶然じゃないんですか?」
頭の片隅にチリチリと浮かんで来る嫌な予感を押し殺し、修一は肩をすくめる。
「いずれにしても、何か厄いヤツが近付いてきてるってのは、確かよ」
倫子はグイッとウイスキーを飲み干し、息を付く。
「——つまり、今日呼び出されたのはこの原因を何とかしろ、という事か」
サキがグラスを片付けながら訊ねる。
「アチラさんには、散っ々イヤミ言われちゃったわよ。——まぁ確かに、異常事態ではあるわね。これ以上ごちゃごちゃ言われたく無いし、ちょっと気合い入れないと」
倫子はカウンターを両手でバン、と叩いた。
「——よし! サキは、情報収集ね。未登録をチェックしつつ、聞き込みを強化して」
「了解。何人か耳聡いのを知っているから、訊いてみる」
「俺は―—」
「あんたはまず勉強」
「……はい?」
「中間試験の結果、あまり良くなかったじゃない?」
倫子はぐっと顔を近付ける。その目は、笑っていなかった。「まぁあたしなりにね、反省したのよ。ちょっと引っ張り回しすぎちゃったかなぁって。一応教師ですから、きちんとその責任はとらなきゃね。——というワケで、期末試験に向けて頑張りなさい」
……要は、今自分にできる事は無い、という事か。
修一はそう理解した。勉強するかどうか、という事とは別ではあるが。
それにしても……4月。――4月か。
偶然、だよな。
「もしかしたら、呼ばれてもすぐには駆けつけられない事があるかもしれない」
サキの言葉で、修一は我に返った。もし修一がビーストに襲われた場合は、腕時計を通じて連絡をする事になっている。
「大丈夫だろ。今迄も、特に襲われた事なんてないんだし」
「念の為、アチラの組織に連絡しておくわ」
倫子が言った。「協力して貰う代わりに身の安全を保障するってのが、約束だしね」
まぁ、断る理由は無いのだが。
「じゃ、今日は解散で。——それぞれ、宜しくね」
倫子は4杯目のグラスを上げると、この日初めての笑顔を見せた。
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