3-5 帰還
サキはようやく瓦礫を押しのけて、外に出た。
そこで見たのは、仰向けに倒れているビーストと、その横に座り込んでいる、修一の姿だった。寄って見ると、ビーストの腹が大きく凹み、全身がピクピクと痙攣している。何か、大きな衝撃を受けたようだ。
「これ、あなたが……」
やったの、と言いかけて、サキは戸惑った。サキの方を見た修一の顔は苦痛に歪みつつ、笑うような表情で、涙をボロボロと流していたからだ。
「どうしたの?」
「腕が……」
「腕?」
「腕が、すげェ痛い……」
よく見ると、修一の左腕がおかしい。力なくぶら下がり、手のひらも有り得ない方を向いている。
『シールドを腕に巻く様にして、パンチしたのよ』
と、倫子があきれた調子で説明する。『そりゃ表面は守れるでしょうけど、衝撃はねぇ。肩と肘の脱臼に、骨折も何カ所か? あったり前じゃないのよ。どっかのテレビアニメみたいにはいかないって』
「腕が千切れなかっただけ、儲けもの」
サキは修一の悲鳴を無視し、慣れた様子で肩と肘の関節をはめる。「折れた骨は、心配ない」
「心配ないって―—」
「ビーストならば、すぐに治る」
その言葉に、修一は顔を曇らせ俯いた。
サキは赤く染まったシャツの切れ目から、修一の腕を確認する。相当の出血があり傷口も深かった筈だが、既に出血は止まっていて、傷もほぼ、塞がりかけている。
——その事に、気付いているのだろうか。
その時、ビーストがゴボッと息を吐き出して、サキは反射的に戦闘態勢をとる。だがビーストは力なく首を振る。
「……殺して」
「何だって?」
思わぬ言葉に修一は立ち上がる。
「私を殺して。……それが、ビーストのルールでしょう」
ビースト同士が闘った時。——勝者は相手の心臓を奪い、喰らう。遺伝子を取り込み、子孫を生み出す為に。だが―—。
「殺さないよ」
修一は言った。「俺は、ビーストじゃないんだ。心臓なんか、食べられないよ。もし食べたって、子孫なんか残せないし」
ビーストは、懇願する様にサキを見る。
「——どうする?」
サキは倫子に問い掛ける。
『ふーむ。とりあえずその子、人間を何人かやっちゃってるみたいなのよねぇ。後始末はちゃんとしなきゃだし、その為には、色々訊かなきゃね。——処分は、一旦保留かな』
「了解した」
サキはビーストの方に向き直り、
「あなたを、本部に連れ帰る」
「……殺さない、の?」
「今は、まだ」
ビーストは、落胆したように深々と息をつく。
「——なんで、そんなガッカリするんだよ」
その様子に驚いて、修一は訊いた。
「ビーストが闘いに負けたら、心臓を奪われる。それは屈辱でもあるし、喜びでもある」
「喜びって……」
「自分の遺伝子が、取り込むに値する、と認められたという事だから」
修一は絶句する。
「一番の屈辱は負けて殺される事でなく、遺伝子を取り込まれない事。——だから、考えようによってはあなたは今、このビーストに酷い事をしている事になる」
『あまり、いじめなさんなよ』
サキの言葉を聞いていた倫子は苦笑する。『あなただって、他人の事は言えないんだから』
サキは少し肩をすくめ、ビーストに言った。
「とりあえず、人間の姿になりなさい。そのままだと、結界を戻せない」
ビーストが眼を閉じる。——と、全身が白く光り、あの少女の姿になった。
「確認した。——結界を、解除する」
サキが腕時計をいじると、周囲の風景がぐにゃりと歪んだ。そして、一点にむかって吸い込まれる様に流れて行く―—サキの、腕時計の中へ向かって。吸い込まれた後は真っ白な空間。全てが吸い込まれ、3人が真っ白な空間に取り残された―—と思った次の瞬間、色のある風景の中にいた。
すき間から太陽の光が射し、外からは鳥の声や、自動車のエンジン音が聞こえる。——戻って来た、のだ。
しかし、3人がいたのは2階の部屋ではなく、1階のダイニング。解除の際は結界内でいた場所に、そのまま戻るらしい。
腕時計の『SOUND ONLY』表示が消え、倫子の姿が映る。
『——戻ったわね。玄関に、入口を作っといたから』
「了解。行こう」
サキは少女をひょい、とつまみ上げて背中に負った。
「入口って?」
「学校の結界に、直接繋がる扉。私がいる場所の近くに、あの人が作る事ができる」
言葉の通りに、玄関のドアは結界への扉に変わっていた。3人が中に入ると、そこは例のバーカウンターのある部屋で、倫子がスツールを回転させてこちらを向いた所だった。
「よっ! お疲れさま」
そう言って、手にしたグラスを上げる。「——その子ね?」
サキは頷く。
「このまま、本部に連れて行く」
「そうね―—ちょっと、待ってて」
倫子はグラスの中身を飲み干すと、軽く指を振った。出入口の扉のすき間から蒼い光が一瞬漏れて、消える。「いいわよ。繋がったわ」
サキは少女を背負い直すと、扉の中へ消えて行った。
「本部って―—」
「前に説明した、人間側で協力してくれてる組織の本部よ」
倫子は自分の隣のスツールを叩いて、修一を促す。「未登録のビーストはそこで登録と、教育をするの。——何か、飲む?」
「……コーラって、あります?」
「あるかなぁ。ちょっと、探してみてくれる?」
カウンターの中を指す倫子の、気の抜けた態度に腹立たしさを覚えつつ、冷蔵庫からコーラを見つけて取り出す。懐かしい、瓶コーラだ。
コップを探そうか、と瓶をカウンターに置いた瞬間、栓が音を立てて飛ぶ。倫子が指をくるっと回して笑った。
「それじゃあ、改めて乾杯ね」
瓶とグラスがコン、と音をたてて触れ合う。炭酸の弾ける音に辛抱できなくなった修一は、一気に半分程中身を空けて、ふうっと息をついた。
「——落ち着いた?」
そう言われて、修一は全身に何か、不自然に力が入っていた事に気付く。
「もう、大丈夫。終わったわ。あなたは、よくやってくれた」
倫子は修一の眼を見ながら、言った。「ありがとう」
修一は、思わず涙が出そうになった。慌てて、話題を変える。
「あ、あの扉って―—どこにでも、繋がるんですか」
「まぁね―—。あたしが行った事がある所か、サキがいる場所の近くっていう限定はあるけど」
倫子はタバコに火をつける。「未登録ビーストの近くにパッと作れれば、便利なんだけどね。そういうワケにもいかないのよ」
「あの子——」
修一は、サキが消えた扉を見つめる。「大丈夫、なんですか」
「問題は、人間を何人か殺してるって事ね」
倫子は唸り、頭を掻く。「まぁ、事情が事情だしね。——あたしも、ちょっと口添えしてみるわ。だけど多分、大丈夫よ」
倫子は笑みを浮かべつつ、言った。
「ビーストを裁く法律ってのは、人間社会に無いんだから」
その言葉は事実なのだろう。——だけど、何故かどこかに、違和感を感じる。
だが今はとりあえず、少女が処分を免れて、人間社会に適応するのを祈るしか無い。
「俺——帰っても、いいですか」
どれだけかかるのか分からないが、サキを待っている理由も無いだろう。とにかく、体全体が骨が軋むように痛い。いや、実際に骨折しているんだったっけ。今は帰って、眠りたかった。
「え? あら、そう。じゃあ、サキには宜しく伝えておくわ。——その前に、」
倫子はポン、とどこからか取り出したビニール袋を置く。「替えのワイシャツ。さすがにその格好じゃあ、目立つわよ」
言われて修一は、改めて切り裂かれた左腕を見る。傷口から下の部分のシャツは、ほぼ血で染まっている。
「あぁ——ありがとう、ございます」
礼を言って、新品のシャツを取り出す。サイズも問題無い。どこで知ったのだろう?
手早く着替えて——修一は気付いた。骨折、脱臼していた筈の腕の痛みが無い。それだけでなく、全身の痛みも、消えかかっている。逆に、全身の倦怠感は増している気がしたが。
これは……。
結局修一は、自身の体に感じた違和感を口にする事なく、結界を出て行った。——しばらくすると再び、扉が開く。サキが戻って来たのだ。
倫子は横目でそれを確認すると、特に声をかける事無くタバコをくゆらす。サキも、そんな倫子の態度に慣れているのだろう、いつもの調子でカウンターに入る。
「——改めて、ご苦労様」
ややあっと、倫子が口を開く。「結構、やられちゃった? 修一君が来る前に、変身しとけば良かったのに」
「よく言う」
サキは新しいグラスに氷を入れると、ウイスキーを注ぐ。「変身させるつもりなんか、なかったくせに」
「……バレてた?」
「何年一緒に居ると思ってる? それくらいの事は、分かる」
「そうか——そうよね。もう100年、か。あたしが変身の許可を出さないくらい、お見通しよね」
倫子はグラスの縁を指でなぞる。「で、どう思う? 修一君の事」
「思ったより、いい」
「アラ珍しい。あなたがそんな事言うなんて」
茶化す倫子を、サキはじろっと睨む。
「ビースト能力の事。——その為、だったんでしょうに」
「まぁね―—。でも、そのかいはあったわ。想像以上に、能力の解放が進んでる」
倫子はカウンターに肘をつき、タバコの先を見つめた。サキから見ると、倫子の眼鏡に反射する赤い火種が、まるで倫子の瞳のように見える。
「ビースト気配の察知能力、暗闇での視力、闘いでの運動能力、それに傷の、回復能力。―—既に、人間離れしていると言っていい」
サキは頷く。
「……彼は、その事を?」
「そりゃまぁ、気付いてるでしょうね。……認めたくは、無いでしょうけど」
「認めようが認めまいが、事実は事実。―—言ってあげるべきでは?」
「あれくらいの、人間の男の子ってのはそうなのよ。認めたく無いものなの。自分自身の、若さ故の過ちってヤツをね」
「意味不明」
サキは肩をすくめ、「——とりあえず、現状維持ということ?」
「で、いいかなぁ……。でもやっぱり少し、ペース上げる必要があるかも。フォロー、宜しくね」
「了解している」
倫子の言葉に、サキは頷いて言った。「私にはもうあまり、時間が無いから」
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