3-4 説得

 果てしなく続くような暗闇を落下し続けて―—ドン、と尾てい骨に響く衝撃で修一は眼を開けた。

「——ここは?」

『修一君! 後ろ!』

 ハッとして振り返ると、ビーストが刃物を振り上げて突進して来る所だった。その一撃を間一髪で避けて、前方に転がる。ビーストは修一の体に脚をとられ、突進の勢いままコンクリの塀に突っ込んだ。伝わる衝撃と、巻き上がる砂埃。

 よく見ると、周囲にはシルエットになってもそれだと分かる、バラバラになった木材や建具が散乱している。家、の残骸だ。修一達が侵入した廃屋の。只でさえみすぼらしかった外観はさらに見る影も無く破壊され、開いた穴からは向こう側が見えている。柱も何本も破壊され、建っているのが不思議な位の惨状だった。

「来るのが遅い」

 突然声をかけられて、修一は飛び上がった。

「ご、ごめん。——大丈夫か?」

 サキは服の埃をこれ見よがしにバンバン、と払う。

「私は平気。避けていたら、家がこんなになってしまった」

「これ、じゃあ殆どあの子が……」

「心配ない。結界内で破壊されても、外に影響は無いから。以前、説明した通り」

 固定化、という言い方をサキはした。基本的に結界は、現実世界がそのまま反映される。その範囲はビーストの能力によって差があるが、いずれにしても結界内でどんなにモノが破壊されようが、現実世界に影響は無い、という。

 しかし、今修一が心配しているのはそんな事ではないのだ。

 塀に突っ込んだビーストは、そのまま動かない。

「……大丈夫かな、あの子」

「大丈夫。あんな事で、ビーストは死んだりはしない」

 そうか―—そうだよな。

「それで……どう、するんだ?」

「あれは、ビーストとしては、まだまだ未熟。——あなたよりはマシだけど」

 相変わらずの無表情だが、どうも言葉に刺を感じる。

「えっと……もしかして、怒ってる?」

 サキはじろっと修一を睨む。

「怒ってない。——話しを戻すと、今回の処分は比較的容易と推測する」

 そう言って、腕時計を叩く。

「聞こえてる? 変身の許可を申せい―—」

「ち、ちょっと待った! ストップ!」

 慌てて声を上げた修一を、サキは再び睨みつける。

「何?」

「いや、その―—本当に、処分するしかないのかな、って思ってさ」

「その質問は、無意味。説得がきかなかった場合は、処分。私は、その為にいるのだから」

「ま、まだ説得が失敗したって……」

「変身された時点で、失敗したと判断する。——見て」

 ビーストが、コンクリの残骸を押しのけて起き上がった。全身の毛が逆立ち、6本の刃が獲物を求めるようにワキワキと動く。

「完全に、本能のみで行動している。ビースト本来の姿。こうなっては、もう―—」

 サキは突然修一の胸ぐらを掴み、そのまま地面に倒れ込む。その上を、突進してきたビーストが通過する瞬間、下から思い切り蹴り上げた。ビーストはピンポン球のように軌道を変え、天井を突き破る。家全体が、今にも崩れそうにぐらぐらと揺れた。

「どうしようも、ない」

「そんな……」

 修一は拳を握る。「そんなこと、まだ分かんないだろ!」

 次の瞬間、ドリルのように回転しながら天井を破り、ビーストが落下してきた。修一は反射的に身をかわして―—まずい、と思った。かわした方向が、サキとは逆だった。床下を突き破ったビーストが身をもたげ、こちらを見る。

 やられる!

 ビーストは身をかがめ、修一に向かって飛びかかろうとする―—が、サキが発射したワイヤーがビーストの腕に絡み付き、それを阻止した。と思った瞬間、

「——え?」

 ビーストが腕を振ると、サキの体はワイヤーごと振り回され、何本か柱を破壊してそのまま塀に叩き付けられた。支柱を失った家は断末魔の軋み音を上げながら傾き倒れる。修一はなす術も無く、床に頭を抱えて伏せる事しかできなかった。




 恐る恐る眼を開けると、家はギリギリ持ちこたえていた。——いや、これを「持ちこたえた」と言っていいのか分からないが。全壊なのか、半壊なのか。柱を失った側の半分が倒れて、二階部分が斜めになってしまっている。崩れた部分で、修一とサキは完全に分断されてしまっていた。

 ——これが、狙いだったのか?

 修一は、そばに立っていたビーストを見上げた。不思議と、恐怖は感じない。

「俺を、殺すのか」

 立ち上がり、修一は言った。

「人間は……人間は、ダメ」

 見た目からは全く想像できない、あの少女そのものの声がする。

「人間が、怖いのか。——でも、俺を殺してどうする?」

 ビーストがゆっくりと腕を上げる。3本の刃物が蠢く。

「——もう、殺してるから」

「え?」

「もう私、何人も殺してるから。だから―—どうでもいい」


 気が付いたら、少女はこの世界にいた。本来の自分では無い格好で。

 辺りは森だった。何をすれば良いのか、どこに行けば良いのかも分からない。あても無く歩いていると、集落があった。そこで少女は、今の自分と同じような姿形をした生物——人間に、初めて出会った。

 姿形は似ていても、匂いで違う生物だと分かった。それでも、見た目で怪しまれる事はないだろう。そう思って、接触した。

 辿り着いた集落は、所謂限界集落だった。若くて50代後半。林業と農業で、ギリギリやっていける程度。稼ぎが少ない為、結婚できない跡継ぎの男ばかりが残った、そんな集落。そこに、少女が迷い込んだ。

 始めは親切だった。自殺志願者か、家出人と思われたのだろう。その勘違いが少女にとって幸から不幸に変わるのに、時間はかからなかった。

 集落の長の家の、一室に宛てがわれた寝床。不思議と使い方に迷う事は無く、眠りに落ちた少女が眼を覚ました時、周囲を男達に囲まれていた。少女の全身を舐めるように見つめる、いくつもの眼、眼、眼! その全てが邪な欲望に溢れ、部屋全体が瘴気に満ちていた。

 次の瞬間、男達が襲いかかってきた。頭、口、腕、脚、腰、全てを押さえられて、布団に押し付けられる。ビースト本来の力ならば、振りほどく事は雑作も無い。ただ、その時の少女はどうやって力を出せばいいのかを知らなかった。何が起きているのかも理解できず、男達に成されるがままだった。

 少女の開かれた足元に立ったのは、最も親切にしてくれた、集落の長だった。長は舌なめずりをしながら、ゆっくりと少女に覆いかぶさってくる。少女はその長の眼を見て、確信した。

 こいつらは、敵だ。

 口を押さえていた手に、思い切り噛み付く。その手の主は悲鳴を上げて、手を離す。

 そして少女は——爆発した。



「そんな事が……」

「気付いたら、誰もいなくなってたわ。——私の、せいで」

 修一はその場の惨状を想像して、ごくりと唾を飲む。

 そのまま集落を逃げ出して―—辿り着いたのがここ、だった。

「でも、分かるだろ? 俺は、君を傷つけたりする気はないって」

「そんなの、分かんないわ。人間は、一瞬で変わる。——私達って、ビーストって呼ばれてるんですって? 笑わせるわ。ケダモノなのは、どっちだって話しよ!」

 ビーストが横殴りに腕を振る。それで、修一はナマス切りになるはずだった。が、腕に響く想定外の衝撃に、ビーストは戸惑った。切り刻まれる事はなかったが、横に殴り飛ばされた修一の腕時計に浮かぶ、

『Ready:Shield』

 の文字。いつでも発動できるように、準備していたのだった―—倫子が。

『——使い方を憶えろって、言ったでしょうに!』

「すいませんね!」

 修一は全身の痛みを堪えつつ、再度少女に呼びかける。

「頼む! ——頼むから、話しを聞いてくれ!」

 ビーストが再び、腕を振る。ヒュッと鋭い音がして、修一の頬と、左上腕が裂けた。痛みは無い。だが、生暖かいものが肌を伝ってくるのが分かる。何だ? 何かを飛ばして来た? 

「……先生」

 返事は無いが、向こうで聞いているのは何となく分かった。「シールドの形を変えるって、できます?」

『形を変える? まぁ、やろうと思えば……』

「じゃあ、お願いします。こんな風に―—」


 ビーストは、戸惑っていた。

 あの人間——確かに人間だが、どこかおかしい。今結界にいるビーストは、自分とあの女の2人だけの筈。だが、もう1人分の匂いがする―—あの人間から。人間なのか? ビーストなのか? 敵なのか? 味方なのか? 信じたい、でも、信じられない。

 あの人間は、立ってこちらを睨みつけている。衝撃波を飛ばして、手応えはあったが浅かったようだ。グズグズしている暇はない。いつ、あの女が立ち上がって来るか分からない。

 ——その前に!

 ビーストは腕を振る。放たれた衝撃波が空気を裂き、地面を刻む。人間は、信じられない動きでそれを避ける。だが、それは想定内だ。——避けたその方向も、想定内だ!

 必殺の念を込めて、飛びかかった。が、異変が起こった。体に、何かが巻き付いている。

 ——ワイヤーか!


「かかった!」

 仕掛けておいたワイヤーを引き戻しつつ、修一は前方に飛ぶ。ビーストの体が支点となり、周囲を回転する。ワイヤーはビーストの腕ごと、全身を締め付ける。

 長くは保たないだろう。けど!

 修一は勢いをつけて、ビーストの背後へ回り込む。——と、ワイヤーはバリッという音とともに破断し、ビーストがこちらを向いた。修一はその腹に向かって、飛び込んだ。


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