3-3 決心
6畳程の部屋だ。何も無い。それなりに明るく見えるのはカーテンの無い窓があるのと、ドアが開いたからか。埃の積もったフローリングの床に、壁を背にして、膝を抱えて座っている人物が見えた。少女、だろうか。 顔が膝に埋もれるようになっていて表情は伺えないが、パーカーのフードからはみ出た長い髪が光に反射する。
「——大丈夫?」
サキは部屋に2、3歩入った所で立ち止まる。「分かるでしょう? その気なら、とっくに結界に引き込んでる。私達に、敵意は無い」
少女に反応は無い。その代わりに、周囲のフローリングがガタガタと揺れ始めた。サキが少女の意図を察した瞬間、フローリングは床から剥がれて浮き上がり、鋭い破片となって弾丸のようにサキを襲った。——が、
サキがふわっと一回転した、と思った次の瞬間にその破片は細かく砕かれ、サキを避ける様に周囲に飛び散った。修一が覗いている側の壁にも着弾し、慌てて顔を引っ込める。
「無駄よ」
迎撃した脚を下ろしてトン、とステップを踏む。「あなたは、私に勝てない。お願いだから、話しを聞いて欲しい」
少女がゆっくりと顔を上げた。恐怖の為か口の端が震え、サキを見る眼も焦点が合っていない。
「落ち着いて。——あまり大きな音をたてると、他の人間がやってくるかもしれない。あなたにとってもそれは、望まない事の筈」
サキの言葉に少女はブルッと震える。
「……ビーストも、人間も、みんな、嫌い」
「いつ、ここに来たの?」
そう訊きながら、サキは自分でも判断する。——おそらく、この世界にきてから、そう時間は経っていない。ただ、ビーストだけならともかく、人間をここまで恐れるのは異常だ。この場所に来るまでに、何があったのだろう。
「気がついたら……いたの」
「それまでの記憶は、ある?」
少女は首を横に振る。
「そう……」
これまでサキが出会ってきた多くのビーストと同じ、想定内の返答だった。少女のそばに膝をつき、顔を正面から見つめる。——少し、落ち着いてきたか?
「私達の事、聞いた事はない? あまり、いい噂じゃないかもしれないけど」
再び、少女は首を振る。
「私達は、ビースト達に協力を呼びかけている。この世界で、上手に生きていく為に」
少女が、サキの眼を見る。しっかりと、話を聞き始めた証拠だ。
「酷な事を言うけど、今後はこの世界で生きていかなければならない。——その為に必要な事を、教える。その代わりあなたも、私達に協力して欲しい」
「生きていくために……必要なこと?」
「そう。その為には、人間との上手な付き合い方を知らなければ」
少女の表情が再び固くなる。
「人間は……嫌い。本当はこんな格好だって、したくない」
「人間と同じ格好をするのも、上手くやっていく為の手段の一つ。もし私達がこの世界で本来の姿を晒したらどうなるか。——あなたは、もしかしたら知っているんじゃないの?」
少女はビクッと反応する。それを見て、サキは一旦言葉を止めた。
何があったのか、大体の想像はつく。もしかしたら、既に何人かの人間を手にかけているのかもしれない。もしそうだとしたら、少し厄介だ。
「あなた―—」
と、言いかけた所でサキは異変に気付いた。少女の眼が大きく見開き、ある一点を見つめている。その視線の先には、部屋に入って来た修一が立っていた。
——しまった!
「もう大丈夫なのかい、その子」
状況が分かっていない修一は、期待を込めて訊ねる。
「人……間」
「え?」
「人間! 来ないで!」
少女の体からドアが吹き飛んだ時と同じ、稲妻のような光が弾け、制止する間も無くサキは飛ばされる。
光の輝きに眼を背け、尻餅をついた修一が次に見たのは―—少女の、少女ではない姿だった。2mはあるだろうか、修一よりも巨大化したその姿。一瞬、熊のようだと感じた。しかし、熊では有り得ない巨大な口と、両手の甲から長く伸びている、明らかに爪とは異なる刃物のような物体が異形の生物である事を告げていた。
なんてこった、ここで変身しやがった!
ビーストと化した少女が、雄叫びを上げる。空気が震え、修一は耳を押さえて埃だらけの床を転がる。ドン、と音がして直前まで修一がいた場所に大穴が開く。ビーストの刃物が振り下ろされたのだ。その威力を横目で確認しつつ、修一は這う様に出口を目指す。
ほんの1、2mが、途轍もなく長い距離に感じる。外へ——とりあえず、外へ!
サキは唇を噛みつつ、素早く腕時計を操作する。
修一が部屋の外へと飛び出た瞬間、部屋はサキの腕時計から沸き出した蒼い「何か」で満たされていた。
向かいの壁にもろにぶつかった修一が振り返ると、部屋の中は以前にも見た蒼い「何か」で埋め尽くされていた。外に溢れては来ないが、入口から覗いている部分に恐る恐る触ってみても、中に入れそうな感じではない。
音は、何もしない。家に侵入した時と同じ、静寂だ。ビーストの存在も感じない。
これが、結界なのか。しかし、
「一番、最悪な状況になったって事か……」
修一は1人ごちて、ため息をついた。
サキに教えられた通りに、腕時計を操作する。
『Ready :Intervention』
画面にそう出たら、あとはクリックをするだけ―—。
修一は躊躇した。
そもそも、何故サキを追って行かなければならないのか。自分が行った所で、何もできはしない。さっきのように、足手まといになるだけではないか。見る限り、サキが負ける事はないだろう。このまま、ここで待っていればいいではないか。
『——怖じ気づいたのかしら?』
画面の向こうからの倫子の冷たい声に、修一はぎくりとする。
「怖いさ。——怖いですよ、そりゃ」
何が怖い? ビーストになった、あの女の子が? いや、違う。
修一は自分でも気付いている。まだ、心のどこかで日常に戻れる事を期待している自分に。できる事ならこれ以上、深入りしたく無い気持ちに。
『一つ、言っておくわ』
倫子は続けた。『このままだと、サキはあのビーストを処分するでしょう。あの子は、それしかできない。ビースト同士が闘うというのは、そういう事だから』
処分。つまり、殺すという事。
『修一君あなたは―—』
ふぅっ、と倫子は煙を吐きだした。『あのビーストを、助けたい?』
「……助ける? 助けるって? そんな事が―—」
『あなただったら、できるかもしれない。人間でもある、あなたなら』
人間でもある―—ビーストでも、ある?
「……よく、分かんないですよ。俺、自分をビーストだなんて、思ってないし。——けど、」
修一は、画面をクリックする。「けど、行きます。とりあえず、助けられるとかも分からないけど、行ってみます」
『よし! まぁ、今はそんな感じでも、いいかしらね』
倫子の声に張りが戻った気がした。
画面から、蒼い光が射す。——と、その先に、あの扉が現れた。
「……これが?」
『そう、結界への入口。説明があったと思うけど、どこに出るかは分からないから注意してね』
以前の時は、自分の意志ではなく巻き込まれただけだった。今回は、自分の意志で、結界の中へ行く。
「——行きます」
『行ってこい、男の子!』
修一は勢いを付けて、ドアの中へと飛び込んだ。
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