2-3 教師
修一は言葉を失い、ただサキの視線を受け止める。
「ビーストが人間をいくら捕食しても、子孫は残せない。つまり、襲う理由が無い。——本来ならば、だけど」
「……子孫を残す以外の目的で、人間を襲うビーストがいる、という事か」
「残念だけど、事実。昨日のヤツのように」
一旦、会話が途切れる。
「昨日のヤツ、男だったよな。——男でも、子孫が残せるの?」
「ビーストにも男女の区別はある。けど、どちらでも子孫を残す事は可能。生殖方法が人間とは根本的に異なるから、比べない方がいい」
了解了解、と修一は手を振る。
「——ちょっと、整理してみよう。間違っていたら、言ってくれ」
修一は言った。「世の中には、『ビースト』と呼ばれている化物がいる。普段は人間の格好をして、過ごしている。男女の区別はあるけど、どちらであっても子孫を残せる」
サキは眼で先を促す。
「ビーストは、闘う際に結界を作り出す。そこには本来邪魔者が入れない筈だけど、昨日俺は、そこに巻き込まれて入ってしまった」
「その通り」
「でも、何で?」修一は言いながら疑問に気付く。「入れない筈の結界に、何で俺は入れたんだ?」
「それは―—」
「それはあなたが、『特別』だから、よ」
突然背後から声をかけられ、修一は仰天して振り返る。そこに立っていたのは、白衣を着た女性。長い髪をひっつめにし、ふわっとしたチュニックに、黒のスリムパンツ。アンダーフレームの眼鏡をかけたその姿には見覚えがあった。
「えっと、保健室の……」
「敷島。
倫子は修一の隣に腰を下ろす。「ま、ヨロシク」
敷島倫子——今、初めて名前を知った所謂「保健室の先生」。入学してから一度も保健室の世話になった事が無い修一にとっては正直、影の薄い存在だった。ただ入学当初に少しだけ、噂話を聞いた記憶がある。曰く、
『年齢不詳の、ミステリアスな美人』。
もう20年近く同じ高校に勤めているとか、それでいて30代半ば位と思われる見た目に全く変化が無いとか、毎年の新入生の中で、一番の美男子を「喰う」のが恒例になっているとか……。
「喰う」って……まさかね。
どれも取り留めの無い噂話で、学校に慣れるにつれて落ち着いていった。いずれにしても、入学したてで気分が高揚している男子生徒のハートを刺激するには十分な、妖しい魅力を持っている—というのは、確かなようだ。
「バーボン、ロックで」
倫子は白衣のポケットから細身のタバコを取り出し火をつけると、サキに向かって顎をしゃくる。
「勤務中では?」
「いーのよ、春休みだし。細かい事言いなさんな」
サキは肩をすくめ、琥珀色のグラスをカウンターに置く。
「それじゃ、カンパーイ」
倫子が差し出したグラスに、修一も慌ててグラスを合わせた。
「来てくれて、ありがとう」
そう言ってニッと笑うと、グラスの中身を一気に空ける。「——まったくねェ。最近はガキのクセに心の病気だのなんだのっての増えてさ。そんなのを相手にしてると、こっちも飲まなきゃやってられんわよ」
持っていたタバコを三口で灰にして、次のタバコに火を付ける。気が付くと、グラスには再びウイスキー。
「この人が、あなたに会いたがっていた人」
倫子の勢いに圧倒されている修一に、サキは言った。「人というか、ビースト」
修一は思わず、グラスを傾ける倫子の顔を凝視する。
「そして、私を生んだ人」
溶けたグラスの氷がカラン、と音をたてる。
「——驚いた?」
倫子は煙をフッと吐き出し、修一の顔を見た。
「……驚く事が多すぎて、どうリアクションを取ったらいいのか、わからないです」
「そうよねェ。分かるわ。まぁでも、ほんのちょっと気持ちを切り替えたら、ラクになるもんよ。否定せずに、全部受け入れる! それが、人生をラクに生きる為のコツよ」
無茶を言ってくれる。
「——つまり先生は、君のお母さんって事か」
修一の言葉に、サキは頷く。
「人間でいえば、そういう事になる。けど、本来ビーストには親とか子とか、家族という概念は無い」
「そうなの?」
「自分以外は全て敵。——そういう、感覚」
「大丈夫よ、あなたを食べたりしないから」
顔を硬直させる修一を、倫子は楽しげに見つめる。「親子仲だっていいもの。ねぇ?」
「……ノーコメントで」
サキはあくまで素っ気無い。
「それで、話しはサキから聞いた?」
「まぁ、とりあえずは……」
理解したワケではない——というか、殆ど理解できていない、と言ってしまっていい状態ではあるが。
「結局——ビーストって、何なんですか」
「うーん……。結局の所、わかんないのよね」
気の抜けた返事に、スツールから落ちそうになる。
「逆に訊くけど、『人間って何なの』って訊かれたとしてあなた、答えられる?」
そう言われると、修一は黙ってしまう。
「ビーストという存在が一体何なのか、地球で生まれたのか、それとも何処か別の場所からきたのか——わからないわ。でも、いる。存在する。あたしやサキみたいに、案外近くにね。殆どの人は、それを知らないで過ごしてるだけ」
昨日の夜から、1日も経たない内に3人ものビーストと遭遇した修一には、案外近くにいる、という言葉は実感として、真実だと確かに感じられる。
「一体、どれくらい居るんでしょう」
修一の言葉に倫子は小首を傾げ、
「そうねぇ……ざっと、数万てとこかしら。日本だけで」
一瞬の沈黙。
「……嘘でしょう?」
「あら、ビックリする? 日本の人口における外国人比率とかに比べれば、大した事ないじゃない」
そんな、突然教師っぽい説明をされても分からないが、数万という単位はやはり衝撃だった。
「さっきも言ったけど、ビースト全てが人間を襲うワケじゃない。……そんなにショックを受ける理由が不明」
サキの口調から、少し小馬鹿にされているように感じるのは、修一の思い違いだろうか。
「とはいえ、放置ってワケもいかないわよね、やっぱり」
倫子は4杯目のグラスを空にする。「で、あたし達の出番というワケ」
「出番って——先生達は一体、何をしているんです?」
修一は、薄笑いを浮かべる倫子と、無表情なサキの顔を代わる代わるに眺めて訊いた。
「ビーストの捜索と保護。その管理と登録」
指を折りながら倫子が項目を挙げると、
「……そして、人間を襲うビーストの処分と、生じた被害、及び情報の隠蔽工作」
最後はサキが引継いだ。
「まぁざっくり言うと、こんなところかな。人間社会でいうと、お役所と警察の機能をまとめて担ってるって感じかしらね」
何というか……2人がそれぞれ挙げた内容が、対照的過ぎるのだが。光と闇、陰と陽。
「それらを、たった2人で?」
「まさか。管理とか登録とかの事務的な作業は、別の所でお願いしてるのよ」
「別の所って——」
「何て言えばいいのかなぁ。日本? つまり、国ね。国家機関ってヤツ。……疑ってる?」
修一は必死で首と手を振る。もうどうにでもなれ、だ。
「ビーストの一部は人を襲う事もある。そんなビーストが人間の格好をして、実は結構身近にいるという事実。聞いて、どう思った?」
修一は一瞬躊躇したが、
「……正直、ちょっと怖いなって」
「でしょ。それが普通の感覚よね」
倫子はそんな修一の反応をむしろ面白がっているようだった。「もし、そんな事実が世間一般に公表されたら——」
「パニック、ですか?」
「どーでしょ? 殆どの人は、笑い話にしかしないと思うんだけどね。でもまぁ、お国の人達の中にはそういう事実を表に出したく無いって人がいて、それで、あたし達に協力してくれてるってワケ」
「こんな事を言っているけど」
サキがもはや何杯目なのか分からないウイスキーのグラスをカウンターに置く。「実際は脅迫して協力させている、というのが正しい」
「人聞きの悪い事を言うわねぇ。信じてくれないからちょっと、変身してみせただけじゃない」
倫子は修一に向け、ていたずらっぽく片目をつぶる。
ああ、やっぱりこの人は人間ではなく、ビーストなのだ。
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