美女が野獣 -The First semester-

2-2 説明

「——で、どこへ行くのさ」

「付いて来てくれれば、分かるわ」

　そういうサキの後について、家を出た修一が最終的に辿りついたのは、

「……学校じゃんか」

　途中から、そうかもしれないと思ってはいたのだが、いざ自分が通っている高校の前に立つと、そう言わずにはいられない。

「俺に会いたいって人がいるって言ってたけど、ここにいるの？」

　サキは取り合う事無く、中に入って行く。サキと違って私服姿の修一は一瞬躊躇したが、まぁいいか、と後を追う。春休みの校舎内。居るのは部活をやっている生徒と、それに関係する教師だけだろう。それらも殆ど校庭と体育館に集中していて、校舎内には殆ど人影がない。文化系部活の生徒も少しはいるだろうが、場所を選べば静かに話しをするには確かにうってつけの場所かもしれなかった。

　下駄箱の場所でサキが何組か分かるかもしれない、と一瞬期待したが、いつの間にか上履きに履き替えたサキが、廊下の奥から視線で修一を呼ぶ。

　階段を上がる。2階、3階、さらに上へ。4階は、最上階だ。確かそこにあるのは——理科実験室？　そこへ行くのだろうか？

　訝りながら4階へ上がり、サキに続いて理科実験室の方へ——と、修一は眼を見張った。

　そこには、扉があった。見覚えのある、紫色の扉が、本来理科実験室の入口があるべき場所に存在していた。

「えぇ？　何で、いつの間にこんなものが……」

「ここが目的地」

　サキは今度はきちんと扉のノブに手をかける。「さ、入って」

「ま、待った！　また落ちるなんてことは——」

「心配無い。この扉は、違うから」

　そしてサキは、扉を開ける。その瞬間眩しい光が溢れ出し、二人を包み込む。

　——やっぱり、同じじゃないか！

　眼を閉じて顔を背けながら、修一は心の中で悪態をつく——が、確かに今度は落ちる、という感覚はやってこなかった。

　バタン、と扉が閉まる音がして、ゆっくりと眼を開ける。その眼に飛び込んで来たのは、

「……バーカウンター？」

　カウンターと、ずらっと洋酒の酒瓶が並んだバックの存在感に圧倒される。壁の柱には重厚な彫刻が施され、緋色の絨毯と共にクラシカルな雰囲気を醸し出している。静かで、落ち着いた空間——と言いたい所だが、どうにも修一にとっては落ち着かない、「オトナ」な場所だった。

「ここは……」

「所謂『結界』。今迄いた場所とは、異なる世界」

　言いながらサキは、慣れた様子でカウンターに入る。「ここなら、誰にも話しを聞かれる心配は無い。——何か、飲む？」

　バーカウンターの中に立つ、セーラー服の少女。本来相容れないものが合わさった結果、逆に違和感を感じさせない。サキの落ち着いた感じのせいもあるだろうが。

　修一は所在無げに、サキの正面のスツールに腰掛ける。

「ええと——ジン・トニックを」

「本当に作るけど」

「……ごめん、ジンジャーエールで」

　言うが早いか、小気味良い音を立ててカウンターに置かれる、氷の入ったグラスと小瓶。小瓶を置いたサキの手が戻る際、一瞬その口にかかった——と思った瞬間ポン、と栓が抜かれる。

　やっぱりこの子は、普通じゃない。

「ちょっと、相手は遅れているみたい。……待ちましょう」

　サキはカウンター内の椅子に腰をかけると、どこからか文庫本を取り出した。修一に向かって斜めに座り、読書に耽るサキ。その姿を見ていると、声をかける事を躊躇ってしまう。

　初めて味わう苦さだが、不思議と美味しく感じるジンジャーエールに感心しつつ、ネットでも見るかとスマホを取り出す。と、

「ここは電波、入らない」

　という事は、ゲームもできないのか。途端にする事が無くなってしまった修一が呆然としていると、

「本なら、そこにある」

　文庫本に眼を落としたままのサキが指した先を見ると、壁にしつらえられた本棚に並ぶ、いかにも重そうな書籍の数々。その分厚さにたじろぐが、意を決して一冊取り出し開いてみた——が、目眩がして元に戻す。中身が全て、英語だったからだ。

　その後はサキがページをめくる音と、修一が気まぐれにスツールを回す音だけが時折聞こえる空間となった。

「——遅い」

　そう言ってサキが文庫本を閉じたのは、修一がそろそろ300回転目を数えようとしていた頃だった。

「はじめましょう。とりあえず私が、説明できる範囲で説明する」

　修一はホッと息を吐いた。身の丈に似合わない空間で、読書に耽る女の子との沈黙しかない空間。これ以上、居心地の悪い場所があるだろうか。

　サキは手早くグラスと小瓶を取り替えると、座ったまま正面から修一の眼を見た。

「——この世界に人間とは違う化物がいる、と言ったら、信じる？」

　修一はごくり、と唾を飲み込む。

「化物って……昨日のようなヤツの事、か」

「そう。彼らのような生き物を『ビースト』と呼んでいる」

『ビースト』——野獣、か。

「とりあえず、昨日何が起こったのかを説明する。質問があったら、訊いて欲しい」

　サキは一呼吸おいて、続ける。「一言で言えば、あなたは巻き込まれた、という事」

「巻き込まれた？」

「そう。想像が付いてると思うけど、あのビーストが捕食しようとしていたのは、あなたじゃなくて、別の人」

　あの、スプリングコートの女性。ビーストに喰われて、無くなってしまったあの女性。少し話しただけにも関わらず、その顔が眼に焼き付いている。

「俺を殺しにきたのか、って、あの獣——ビーストは言ってたけど」

「あの場所に、ターゲット以外の生物が居る事自体がイレギュラー。本来有り得ない事。ビーストがそう思っても、不思議は無い」

　なんだか、さっぱり分からない。修一はジンジャーエールを一口含み、小さくため息をつく。

「あの場所って、何なんだよ。あの不気味な場所は」

「あれは、ビーストが闘いの為に生み出した結界」

「結界？」

「その結界を生み出したビーストと、そのターゲットしか存在できない、限定された異空間。他の生物の存在は一切排除され、風景も全てシルエットになって、固定化される。その結界に、あなたは巻き込まれてしまった」

「つまり―—誰からも邪魔されずに人を襲う為の空間って事か」

「少し、違う」

　修一の言葉に、サキは反応する。「ビーストは本来、人を襲わない」

　語気の鋭さに一瞬気圧される。

「でも昨日の奴は―—人を、食べてた」

　思い出したくも無い光景が、脳裏をよぎる。「俺は、その瞬間を見たよ」

「確かにそれは事実。——だから、信じられないのも無理はない。けど本来、ビーストはビースト同士でしか闘わない」

「ビーストはビーストしか食べない、という事？」

　サキは頷く。

「どうして生物はモノを食べるのか、分かる？」

「そりゃあ、腹が減るから……」

「生きる為。ひいては、子孫を残す為」

　修一の答えを待たずに、サキは言った。「間違ってる？」

「極論だとは、思うけど……」

　間違っている、とは言えない。

「ビーストも同じ。生きて、子孫を残す為に食べる。——ただ、ビーストが子孫を残すには、ビーストを食べなければならない」

「どうして？」

「相手の心臓を喰う事で、異なる遺伝子を摂取するから。ビーストにとって相手を食する事は、他の生き物におけるセックスをする事と同義で、とても尊い行為」

　修一は唖然とする。子孫を残す為に、相手の心臓を喰って遺伝子を得るだって？

「そんな馬鹿な——」

「本当よ」

　サキは自分の胸に手をやり、言った。「私も、そうやって生まれたから」