梓、ケーキ屋でバイトする2
お店に立って小一時間経ったが、ぜんっぜんお客が来ない。
午前10時の頃は、まだ早いしそんなにお客さんも来ないかな~と思っていたが、もう12時だっていうのに、まだ一人もお客が来ないのだ。
「ふぁ~ぁ、暇だなぁ」
暇とはいえバイト中だし、スマホをいじっている訳にもいかない。
ただ立っているだけの2時間。
簡単なお仕事とは本当だ。
お昼を過ぎて、やっと1人お客さんがやってきた。
梓は、ひきつった笑顔で接客をし、たどたどしくケーキを箱詰めし、震える手でお釣りを渡した。
わたわたしながらお客をさばき終えると、無意識に安堵の息がもれる。
バイトは初めてではない。接客のバイトもしてきたが、なんの準備もなく、どこに何があるのかも分からない状態でいきなりレジに立つのは初めてだった。
正直、目の前のガラスケースにケーキがあること、その下の台にケーキを入れる箱があること、そして左側にレジがあること以外は何も知らなかった。
店長に聞いても、それ以上の事は教えてくれなかったし。
「贈り物なのでラッピングしてください」なんて言われたら、どうしよう。
そんなアクシデントが起きない事を祈りつつ、その日は16時までレジに立った。
「ありがとう、助かったよ」
「はい、急にやれって言われてびっくりしました」
「そう?そうは見えなかったよ。えーと、バイトだけどね。後ろから見てたら、いいなと思ったから合格ね」
「へっ?」
「明日から来て。都合が悪い日は事前に言ってね。開店は10時だから10時から4時までをお願いね。大丈夫?」
「は、はい、よろしくお願いします」
「ありがとう。こちらこそよろしく」
(わーん、また相手のペース・・・)
ということで、とんとん拍子にバイトが決まってしまった。
・・・
さっそく学校とバイトの生活が始まる。
接客業なのにお客がいないのは楽である。
だが不慣れな数日こそストレスが少ない職場に満足をしていた梓だったが、こんなにお客少なくてバイト代は出るのか、だんだん不安になってきた。
店長に聞いてみる。
「店長」
「ん?」
「あの、言いにくいんですけど、お客さんが少ないと思いませんか?」
「少ないねぇ」
「あの、お店大丈夫なんでしょうか」
「うーん、やばいねぇ」
「なにか宣伝とかしないんですか」
「お金がないんだよね」
「・・・」
(やっぱり!ヤバイよ。バイト代出ないかもしんない!)
「店長、なんとかしましょうよ」
「なんとかって、どうする?」
「それを考えるんですよ」
「うーん、きみならどうする?」
(なんてのらりくらりした店長なの!?なんかイライラしてきた)
「店長、ちゃんと考えましょうよ!あの私、高校のとき学園祭で夜店をやったことがあって。ウチの高校って起業とか社会体験とか結構、力をいれてる学校で、ビジネスの事もちょっと勉強したんです」
「へー」
「で、やっぱりみんなに『ここのお店のケーキっておいしい』って知ってもらうところから始めないとダメかなって」
「そうだねー」
「そうです!!」
きっぱり言う。そこまで力説して、梓はそういえば自分もここにケーキを食べたことがないことに気づいた。
そこで、ここのケーキが本当においしいか確認してみようと思った。
「店長、わたしここのケーキを食べたことがないんですけど、一度食べてみてもいいですか」
「ああ、いいよ」
と言うと店長は棚からお皿とフォークと取り出し、一番自分が得意なイチゴショートケーキを持ってきた。
「ありがとうございます。食べていいですか」
「もちろん」
梓はフォークを手に取り三角形のとがったところから、一口分のケーキを切り出した。それを刺し直して口に運ぶ。
「はむ」
梓はそれをしっかり味わうようにして食べる。食べることが好きというだけあって、梓は自分の舌には自信があった。
ケーキも色々なものを食べてきた。たぶん、普通の女性が食べる一生分はもう食べたと思う。これは余談だが。
(うん、だらーんとした店長のくせに、意外とおいしい)
「比較的しっかりしたケーキですね。スポンジも香りが出てるし、そのしっかり感に合うようなクリームになってるし」
「お、キミ、いいこと言うね!」
「キミって・・・。店長、わたしの名前覚えてます?」
「えーと」
「梓です」
「そう、梓くんね」
「梓くん、味覚が鋭いよ。そこを意図して作ってるんだ。バタークリームっぽい感じが好きな人もいるから、それがうっすら残るように調整してるんだ」
「そうですね。ちょっと懐かしいような。でも子供向きじゃないかもしれませんね」
「そうかー、子供向きじゃないのか~」
「小さい子はもっと、ふわふわしたのが好きなんじゃないですか?」
「そうかもなぁ。でも確かに子供は来ないもんなぁ」
「でも、私はおいしかったですよ」
そう言って、もう一口食べた。梓は美味しさをかみしめるように「うーんっ」と小さくうなり笑顔になった。口角がキュと上がる。やわらかそうなほっぺたが魅力的なくぼみを作った。
「あ、その顔いいね」
「えっ」
「すごくおいしそうに見えるよ」
「・・・」
なにを言い出すのかと思い、店長を見つめる梓。
「あそうだ!店の中でさ、その顔で時々ケーキを食べててよ。どうせ余って夜には捨てちゃうんだし」
それは店長のちょっとした思いつきの提案であったが、そこに込められた捨て鉢な響きを梓は聞き洩らさなかった。
「え、今まで捨ててたんですか!?」
「そうだよ。まさか次の日に出せないじゃん」
「そうですけど・・・」
「笑顔でケーキを食べて客引き、考えておいてね」
「あ、はい・・・」
梓はお客が来ない事も心配であったが、それより毎夜毎夜、店長が自分の作ったケーキを破棄していることがショックだった。
当たり前なのだ。
ケーキは生ものだ。残ったら捨てなければならない。でも見栄え上、店頭に少量だけ置く訳にもいかない。
店長は、どんな気持ちでケーキを捨てていたのだろう。
・・・
次の日は、ちょっと遅くまで残って店長と一緒に閉店処理をやった。
梓がシャッターを閉めてレジのお金を数えると、店長はケーキをカウンターから下げはじめた。
トレーに自分が作ったケーキを乗せて裏口に向かう。
お金はあっという間に数え終わった。悲しいかなこれが現実だ。梓は店長の後を追った。
そこには黒いビニル袋に、自分が作ったケーキを一つ一つ丁寧に入れていく店長の後ろ姿があった。
しゃがみこんで背中を丸くして、無言でひとつ。ひとつ・・・
梓には、胸にこみ上げて来るものがあった。
声を掛けたくても声が出ない。なによりかける言葉が見当たらなかった。
(ダメだ)
その光景にいたたまれなくなり、そっとカウンターに引き返そうとすると、店長が背中越しに声をかけてきた。
「梓くん」
「・・」
「売れ残りは寂しいね」
「・・」
「せっかく生まれてきてくれた、この子らに申し訳ない」
「・・」
「きっとさぁ、僕が作ったとき、この子らは『どんなお客さんに買ってもらえるんだろう』って夢を見てると思うんだよ」
「・・」
「でも、僕がボンクラなばかりに、みんな売れ残りだ」
そういうと店長の手が止まった。
ケーキを作る才能はある。だからといってマーケティングの才能があるとは限らない。いいパートナーが見つからなければ夢は叶わない。
それは店長も店長が作るケーキも同じだった。
「あのっ!」
「ん」
「あの、そのケーキ全部もらっていいですか」
「え」
「わたし食べます。食べたいんです!」
「でも、見ての通り結構な量だよ」
「実は、店長には言ってなかったんですが、わたしすごい大食いで、そのくらい一人で食べちゃうんです」
「ホント?この袋半分くらいはあるよ」
「ホント、軽く食べちゃいますから!」
「欲しいなら持って行ってもいいけど、その日のうちに食べてね。悪くなるとヤバいから」
「ありがとうございます。うれしいです!」
梓は深々と頭を下げてお辞儀をした。純粋になんとかしてあげたいと思った。店長もケーキ達も。私が食べることで何かが変わるなら。
「あと、ときどきケーキを食べる客引きもやります」
「ほんと?やってくれる。嬉しいなぁ」
そういうと、店長は
(これで、いいんだ。これで)
梓は自分の選択が間違っていないことを納得するように、つぶやいた。
「あ、この袋もって行く?」
店長がゴミ袋を持ち上げて、苦笑いして梓にみ見せる。
「いえ、次から・・次からでおねがいします・・」
もう捨てちゃったのを、持って行く訳ないでしょ、と思いながら、世間ずれしてる店長に救われた一瞬だった。
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