梓、ケーキ屋でバイトする1

 子供の成長は早いものだ。

 特に他人の子は。

 梓も高校を卒業して、この春から大学に進学である。

 そこは、看護系の学部がある○○大学。

 看護を志望したのは言うまでもなく、先生を意識してのことだ。

 特に何が好きという訳でもない、おしゃれは好きだけど趣味っていう趣味もないし、特技は大食いくらい。

 成績も普通だし、何かに打ち込んで極めるような性格でもない。

「でも、友達の話を聞くは好きだし、誰かのお世話をするのも好きかな」

 そんな消去法で、唯一積極的な理由が、先生に少しでも近づけるかなという思いだった。

 ただ、自分のレベルに合った大学は県内にはなく、やむなく大学のある県に引っ越すことになった。


 親元を離れるのは初めて。これから身一つで一人暮らしをするのも初めてだ。

 不安はある。いや不安だらけだ。

 やりくりはできるのか?

 掃除や洗濯は、お手伝いをしてたからできると思うけど。

 料理は・・・。

「料理はなぁ。食べるのは好きだけど、料理は全然ダメだし。全部ママに任せてたもんなぁ。4月から自分でやるのか~、面倒くさいな」なんて、友達と話していたら、「梓、商店街に住めばいいじゃん。商店街は夕方になるとおかずとかいっぱい売るから、それを買えばいいんだよ」と、教えてくれた。

「えー、それ楽でいいね。ご飯だけ炊けばいいんだもんね」

「そうそう!そうしなよ」

 そんなアドバイスをもらったものだから、素直な梓は住むなら商店街の近くと決めていた。


 ・・・


 実際に借りた部屋も、商店街にほど近い物件である。

 築6年のワンルームアパート。

 入り口にユニットバスがあり、唯一の部屋には対面キッチンと大きな窓があるだけ。どこにでもある普通のアパートだ。

 でも1階は女の子の一人暮らしだと怖そうだから、ちょっと予算オーバーだが2階を借りることにした。

 この予算オーバーをなんとかしなきゃいけない。

 パパに相談したら、「もう大学生なんだから自分でなんとかしなさい」と冷たく突き放されてしまった。

 後でママに聞いたら、パパはその後、すごく落ち込んでいたそうだ。

(きっと無理して言ったんだろうな。パパはかわいいなぁ)

 梓はそういう大人の男の、『バレバレなのに頑張っている姿』をかわいいと思うところがあった。

 そんな裏側は知っているが、確かにいつまでも親の仕送りに頼っているのは自分でもイヤだったので、この差分を埋めるべくバイトをすることにした。

 まぁ仕送り以上に、おいしいモノをお腹一杯食べたいという思いもあったのだが。

 ・

 ・

「なんか、いいバイトないかなぁ。あんまり忙しくないのがいいんだけど」

「ナクドのバイトは最低だったなぁ。ちょー忙しくて、あれは高校生じゃないとできないよ」

 なんて自分のバイト遍歴を振り返りながら商店街をプラプラ歩いていると・・・

 あった!

『アルバイト募集 週3回程度 販売のお仕事です。未経験者OK 時給850円』

 店の前に張り出された、余りに都合のよい条件に足が止まる。

「あっ、いいバイトみっけ!時給がちょっと安いけど、わたしにぴったりかも!」

 お店を確認すると、店の上の看板に非常に読みにくい筆記体で「Car..」たぶん「カラメール」と書いてあった。

 掃出しの大窓から中をのぞくと、洋菓子屋さんである。

 その大窓にバイト募集の紙が、1枚ぺろりと張ってある。

 紙をよく見ると、まだインクも乾ききらない貼りたての様子。

「いま募集をかけたばっかなんだ。ラッキー!いきなりアタックしちゃおうかな」

 というと、梓は躊躇なくするっと店に入ってしまった。

 相変わらず、この子は店に入り慣れている。


 店には誰もいない。

「すいませーん!外のバイト募集の紙を見て来たんですけどー」

 梓がカウンターから身を乗り出して店の奥に向かって声をかけると、遠くから、

「はーい、ちょっと待って下ださーい」

 と声が返ってきた。

(ここ、ケーキ屋さんなんだ。ちょっとガランとしてるけど)

 少し待つと、若い男性が白い調理服のまま出てきた。

 たぶん奥が厨房なのだろう。

「すみません。お待たせしました。バイトの応募でしたっけ」

「はい、店の張り紙を見て来ました」

「早いね。まだ出して1時間と経ってないのに」

「やっぱりそうだったんですね。紙がピンピンだったんで、そうかなって思ったんです」

「良く見てるね。えーとどうしようか、いま店を一人でやってるんで手が回らないんだよね」

「ええ」

「今もまだ作ってる最中なんだよ。だから手が離せなくって」

「はい」

「面接とかするんだよね。実は僕もこうやってバイトを募集するの初めてなんだ」

「はぁ」

「そうだ、今日のバイト代出すから、これから店に立ってくれない?」

「え、今?」

「うん、ちょっと売るだけだから。きみもケーキ買ったことあるから分かるでしょ。箱に詰めて、お金もらえばいいだけだから」

「え、ええ!?」

「レジ打てる?」

「はい」

「じゃ大丈夫だよ」

「えっ、えっ!」

(うわー、なんかあっという間にバイト決まっちゃったよ。いいんだけど、どうしよう)

「じゃ、後はよろしく。分かんない事あったら奥にいるから聞いてね」

「あ、は、はい」

 と相手のペースに飲み込まれたまま、エプロンをぽいと渡され、いきなりレジに立つことになってしまった。

 ぽかんとする梓。

 店長は奥の厨房に戻りがてら「よろしくねー」と一言いって、ケーキ作りを初めてしまった。


(あーまただ。断れない私のバカ!まぁ断る気もなかったんだけど完全あっちのペースじゃん・・・)

 ずいぶん直ったと思ったのに、梓の『つい相手のペースに乗せられちゃう体質』は、いまだ健在。

 3つ子の魂、百までもとは、よく言ったものだ。

 心に悶々としたものを抱えつつ、エプロンをつけ、ぼけーとカウンターに立ちつくす梓であった。

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