不思議なお誘い



その後、沙希は一心不乱に練習に取り組んでいた。



「……ふぅ」



自分の中で最後と決めていたワンフレーズを吹き終わると、沙希はゆっくりと息を吐いた。



「……え!もうこんな時間?!」



ふと外に目をやった沙希だが、練習に熱中していたあまり、外が暗くなっていることにも気がついていなかったようだ。



「またやっちゃった!しかもお母さんから渡されたご飯も食べないでっ」



こんなことが日常茶飯事だという台詞を言いながら、沙希が楽譜をまとめて後ろにある鞄を取ろうとした時……。



「………?!?!」



沙希は驚きのあまり腰を抜かしてしまった。



「なっ、貴方!何者……?!」



それもそのはず。

沙希が持ってきたメロンパンを美味しそうに食べている変な生き物がちょこんと座っていたからだ。



「何腰を抜かしておる。全く近頃の若い娘は我の姿も知らんのか?」



器用に水筒まで開けて両手にカップを持ち、これまた美味しそうにお茶を啜っている様子に沙希はあんぐりと口を開けるしかない。



「も、もしかして……天狗?」



沙希が祖母の部屋でたまに読む書物に載っていた生き物の名前を挙げれば、その生物は「如何にも」と生意気そうに頷いた。



「な、何でその天狗がこんなところで私のメロンパン食べて寛いでいるのよ!」



真っ当な質問を投げかければ天狗はキッと睨みながら答えた。



「失敬な!我の名は凌〈しのぐ〉!

そして天狗でなく烏天狗ぞ!」



口元に付いているメロンパンのカスをハンカチで丁寧に拭いて立ち上がるとビシッと指をさしながら踏ん反り返っている。



「……私、練習のし過ぎなのかも」



その場でしゃがみ込み、頭を抱える沙希。その沙希に追い打ちをかけるように烏天狗こと凌が口を開いた。



「此度は大神沙希。そなたの横笛の腕を見込んで頼みがある。天照の命から仰せつかった、それはそれは大事な使命なのである」



凌は着物の胸元から一枚の紙を取り出すと、それを沙希に差し出した。



「何、これ……」



沙希が受け取り、紙を開くとそこには古びた紙に筆でこう書かれていた。



『百鬼夜行音楽隊の誘い』



「ひゃっきやこう…おんがくたい?」



沙希が気の抜けた声で読むと、



「如何にも。我々妖怪にも興というものが存在する。それは様々であるが、中でも音楽は昔から嗜まれておってな…」



凌の長い話を黙って聞いていると、なんだか話が壮大なことになってきたのは気のせいだろうか。



「しかし此度の夏に行われる演奏会が中止の危機に苛まれてしまったのだ。

それというのも指揮を取るはずの玉藻前が永きに渡って体調を崩されてな」



一人喋る凌だが、沙希は置いてけぼり状態。それに気がつかない凌の話は止まらない。



「そこで代役を立てることになったのだが偶然この校舎で横笛を上手に吹く小娘がいると聞いてな?こうしてやってきたというわけだ」



ようやく満足に話し終えた凌だが、当の本人である沙希の頭には疑問符しか浮かんでいない。


まずそれよりも沙希の頭を占めることは……。



「神聖な音楽室で……」

「何?」

「食べ物を食べちゃいけません!!」



その声は教室の外にまで響いただろう。沙希らしい注意に凌はぽかんとした表情のまま固まったのであった。


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