凛として
「じゃあ、帰りはまた連絡してくれ」
車のウィンドウを下げてニコリと笑う昭仁と、
「うん!送ってくれてありがとう」
それに笑顔で答える沙希。
「じゃあ、練習頑張れよ」
「頑張る!」
そう言ってガッツポーズを作り、車内の昭仁と拳をぶつけ合う。
「気をつけてねー!」
ブルルゥンと古いエンジン音を響かせて走り出した車に手を振ると、ルームミラーでそれに気が付いたのか昭仁がパッシングで返事をした。
「よーし!頑張るぞ!」
そう言った沙希は元気よく校内に向かって行った。
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昇降口で手早く靴を履き替えれば、そのまま階段を駆け上がる。
目指すは国語準備室だ。
——コンコン
ノックに対する返事も聞かないまま、ガラッと勢いよく扉を開けた。
「先生!こんにちはー!」
「……こら、大神。元気なのはいいがノックの後の返事を待てって」
沙希の明るい声に振り返ったのは髪を束ねて眼鏡をかけた女性。
「えへへ、ごめんなさい。由梨先生!だって早く練習したかったんですもん!」
彼女は国語の教師であり、吹奏楽部の顧問である
「そうは言っても国語準備室は家じゃないんだからな」
「はーい!次から気をつけます!」
「ははっ、反省の色が見えないな」
そう言ってお茶の入ったカップを持った由梨は壁に掛かった鍵を取ると沙希に差し出した。
「ほれ」
「わぁ!ありがとうございます!」
「大神は練習熱心だな」
「今が頑張り時ですからね!」
鍵を受け取ってピースサインをした沙希に笑い出した由梨。
「偉い偉い。今日は少し時間があるから後で見に行こうか」
「わー、本当ですか?!やった!」
その一言に飛び上がって喜ぶ沙希。
「じゃあ行ってきます!」
「おー、頑張ってこい」
その一言とともにまたしても国語準備室の扉を思い切り開けて飛び出して行った。
「はぁ、やれやれ…」
由梨のため息交じりの声は沙希には届かなかった。
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国語準備室を出て階段をもう一度上がり、南向きの日当たりの良い教室。
ここが
——カチャリ
先程の受け取った鍵で扉を開けると、教室の中に入り机の上に荷物を置いた。
「んー、ここで飲食すると由梨先生が怒るし私の音楽愛にも反する…」
沙希はバッグの中を見ながら呟くと、
「よし!ご飯は後回し!」
バシッとチャックを閉めて楽器ケースに向き直った。
「ふふ、相変わらず私の楽器ちゃんは可愛いですね〜」
些か危ない独り言を発しながら手早く練習の準備を進めると、沙希は楽しそうにフルートを吹き始めた。
「……違う。ここの音が弱い」
沙希がこうして練習に励むのは、秋に行われるコンクールのレギュラーを獲るためだ。
「……今のは良かったかも」
自分の練習で気がついたことを独り言とともに楽譜に書き込んでいく。
それから何時間か経った頃…。
「あれ?こんなこと私書き込んだっけ…?」
楽譜を見ると少し丸い字で文字が書かれていた。
『ここは強く吹きすぎないよう、優しく心を込めてね♪練習しすぎて疲れないように!』
「お母さん……」
少し温かい気持ちになって思い出すのは母である妃の顔。彼女は有名バイオリニストであったが結婚を機に電撃引退したのだ。
「よーし!あと一踏ん張り!」
そう気合いを入れ直した時。
——ガラガラッ
「おー、やってるなー」
「由梨先生!」
前扉を開けて由梨が入ってきた。
「仕事も片付いてきたからな。
頑張ってる大神へのエールがてら…」
そう言って彼女が持っていたのは指揮棒。
「練習見て頂けるんですね!」
「ああ」
「やった!頑張ります!」
そう言って沙希は譜面台を移動して、由梨の前に立つように向かった。
「じゃあ…そうだな。最初からいくか?」
「はい。お願いします」
急に先程の笑顔から一転、凛々しい表情を見せる沙希。
(流石。切り替えが早いな)
その変わりように由梨は内心感心していた。
「……」
「……」
二人の間に静寂が訪れると、由梨はスッと指揮棒を構えた。するとそれに倣うかのように沙希も静かにフルートを構えた。
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