第2話


 かん、かん……

 窓の外から、拍子木の甲高い音が聞こえる。


「火の用心、マッチ一本火事の元~」


 子供の声だった。小学校のPTA活動の一環だろう。そういえば、先週放火でぼや騒ぎがあったばかりだった。犯人は捕まったらしいが、今もまだ防災活動を続けているらしい。拍子木の音が近付くにつれ、その音が結構な大きさだと感じ、居間に敷かれた子供用の布団を見る。綾野は既に熟睡で、拍子木の音くらいでは起きる気配もなく、成隆はほっと胸をなで下ろした。十一時前になれば、匠が迎えにくる。

 安心すると、今度はボイラーの管理をしている源太が気になり、成隆は急いで食器を片付ける。


 居間を抜け、奥の階段からボイラーへ下りる。もう都は寝ているだろうから、そっと、音を立てないように。

 裏の土間に明かりは点いていたが、源太の姿は見えなかった。まだボイラーに火が残っているから、遠くに行ってはいないはずだ。庭先に出てみると、壁沿いに小さな人影が、丸まっているのを発見した。


「源太?」


 成隆の声に、その人影がびくりと身を震わせた。


「なる、たか……?」


 小さな声は確かに源太のものだったが、湿った音色であったことに成隆の心臓が跳ねた。


「泣いてた?」

「う、ごめ……兄ちゃんや中野のこと、思い出して」

「謝ることないだろ」


 成隆が座り込み目線を合わせると。源太の瞳に、再びじわりと涙が浮かんだ。成隆の手が独りでに動いて、源太の頭を撫でる。すると、堰を切ったかのように、涙が溢れて。源太は成隆に抱きついて涙を流した。


 成隆は、震える小さな背中を見て、悟った。


 源太の心はまだ、着地点を見つけられてはいなかったのだ。立て続けに仲の良かった人間を何人も亡くした。あれから数年、明るい間は何でもない日常を生きていても、心はまだ、暗い檻に閉じこめられたまま、明かりを見つけられないでいる。

 あの頃――栄や両親、祖父が生きていた頃。この家は昼も夜も明るかった。暖かい日溜まりのようだと幼い成隆でさえ思った。だが、今この家は夜になると、冬の積もった雪のように無音になる。冷たくなる。例え気まぐれに熱い肌を重ねたとしても。心はいつもその静けさ、温度と戦わなければならなくなる。

 源太にとってみれば、肉親なのだ。その寂しさは成隆の比ではないだろう。


 だが。

 成隆にはただ胸を貸すことしかできなかった。小さな彼を救う方法を成隆は持ち合わせてはいなかった。小学生の源太にできたことが、成隆にはできないでいる。歯がゆさばかりが募る。

 ただ、そばにいるだけしかできない。それでもいい、自分にできることなら、なんでもやろうと、成隆は温かい背中を撫でながら、改めて心に誓った。


「塚本さん?」


 不意に背後から声がして、成隆と源太は互いに身を引いた。振り返ると、明美が不思議そうにこちらを見ていた。


「あ、おかえりだったんですね? 鮫島さん」


 明美から見て、一番に目に入るのは成隆のはずなのに、源太の名前を呼ばれたことに苛立ちを覚える。もしかしてこの女は源太のことが――答えの出ない問いが、脳内をぐるぐると駆け巡る。


「どうしたんですか? お店……終わりましたけど……」

「ごめん、何でもないんだ」


 成隆の陰に隠れて、涙を拭ったらしい。源太が、にこりと笑って戻ろうと二人を促した。

 匠が綾野を迎えにきたのは、そのすぐ後のことだった。

 助かった、と。成隆は思った。あのまま三人でいれば、自分が何を言い出すやら、わかったものではなかった。

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