承前

幸町

「……だからさ、お前のおむつを代える役は源太だったんだよ」

「ええーっ、初耳」


 空き地から小松家へ向かう道すがら、綾野が変な声を出す。

 苦しかった思い出と、ふわふわとした幸せが交錯した、小学校から商店街を抜ける道。あの頃苦しかったことも多かったけれど、あんなにいじめられた匠本人とわかりあえるのだ、人生はつらいことばかりではない。今の鮫島にならわかる。辛い思い出こそ、人生を彩るスパイスなのだと。


「なんだよ、いやなのか? でも過去は変えられないからな」

「そうじゃなくてさ、似合わない。そういうのは成パパの役目だとばかり思ってたからさ」

「そうか? 源太って意外とマメだから、おむつ交換うまかったぞ?」

「ふふ、それっていいネタになりそうだね」

「アイツに言ったら、逆に胸張って威張りそうだけどな」

「確かに。源パパは子ども大好きだったもんね。家にきた友だちみんなと仲良くなって一緒に遊んでたし」


 懐かしそうに目を細める綾野。


「でも、このへんで遊んだ記憶はないんだよなぁ。もっぱら賀陽の記憶ばっかりで」


 幼稚園の庭でブランコをこぐ園児たちの姿を見ても、同じ姿は綾野の中にはなかった。あるのは木々の中、田圃のあぜ道の中を走り回る姿だけ。


「でも、それで良かったと思うよ、俺は」


 鮫島のつぶやきが、綾野に届いたかどうか。


「ここだよ、小松さんの家」

「ついに……着いてしまった」

「もうっ。ちゃんと挨拶してよねっ」


 小松家は、川沿いから見て一つ中の通りにあった。昔からの二階建ての古民家で、煙突のない都湯のようだった。小さな猫の額のような庭、丁寧に育てられた朝顔の鉢植え。懐かしくて、涙が出そうになった。

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