第6話

 ふたを開けてみて驚いた。都湯の経営状態は本当に廃業寸前だった。源太がボイラー等、管理面の仕事を一人で全てやっているので番頭に座るのが都しかおらず、あまり遅くまで営業できないことが、収入減につながっているようだった。


 遅い時間にも営業しようと一度、源太が番頭に座ったことがあったのだが、若い男子の目を気にする女性客の足が遠のき、あまり効果はなかったようだった。設備費用がかかるぶん、閉めてしまった方が良かったので、今は夜の八時半には閉店している。


 昔から銭湯の売り上げだけでは生活していけていなかったので、父親が会社勤めしていたものの、父の収入がなくなってからというもの、生活は逼迫した。それでも、古くからの風呂のない持ち家に住み続けている人も居るから、風呂屋をやめるわけにはいかなかった。祖父が生きていたらきっと怒られただろう。源太は高校を辞めた。商店街の人たちの温情で、早朝から昼前までは八百屋で働き、昼からは銭湯の仕事に打ち込んだ。だが、一人で仕事を全てやるには荷が大きすぎて、設備のメンテナンスが追いつかず、古かった施設は老朽化をますます早めた。


 成隆は風呂の壁にヒビが入っているのを見て、心を痛めた。風呂は清潔なイメージが大事なのに、肝心の風呂場がこれではさらに客足が遠のく。


「源太、まずは補修だ」


 幸い、一人暮らしをしようと無駄遣いもせず大事に貯めておいた貯金がある。成隆は惜しむことなく、全てを補修費用に充てた。持っているお金でまかなえる最大限の補修を行った。予算を押さえるため、自分たちでできることは全て自分で作業した。

 成隆から話を聞いた匠や小夜子が、手伝いに来てくれたことはとてもありがたかった。


「おばあちゃん、夜はあたしが店番やるからさ。十一時までがんばろうよ」

「でも小夜ちゃん、おうちの人が心配しないかい?」

「大丈夫! 家にはすぐ帰れるし。夜はたぶん、こいつが家の前までついてくるだろうし」


 風呂場の壁のセメント塗りを手伝っている匠が、


「なにおう!」


 と不本意そうに声を上げたが、成隆も源太も、間違いないと思った。手伝い初日から、匠が一方的に小夜子に熱をあげていることはバレている。


「あたしも金口も、中央小学校だったんだよ? 鮫島くんとは同じクラスだったの」

「なるちゃんと源太と同級生だったんね」

「そうだよ」


 成隆が友だちを連れてきただけでも都にとってははとても嬉しい出来事だったのに、中央小学校出身と聞いて、また涙ぐんだ。


 やがて、銭湯の補修が終わった。レトロな手作りの雰囲気に、新しい木の匂い。源太も成隆もとても気に入った。

 補修後も匠と小夜子が毎日のように手伝いに来てくれた。大学の授業がない時は、昼間も手伝ってくれた。成隆は自分の給金を全て、都に渡した。都湯の売り上げが上がったことと、成隆の給金とで、生活費が安定したため、源太は八百屋のバイトを辞めた。空いた時間を設備のメンテナンスに当てることができ、機械をさわる源太はとても生き生きとしていた。

 都は匠と小夜子に給金を出そうとしたが、二人とも頑として受け取らなかった。あまりに申し訳ないからと、夕飯に誘うようになった。誰かがボイラーを調整したり番台に座らないといけないので全員一緒に、というわけにはいかなかったが。夕飯を誰かと一緒に食べることができるようになって、塚本家は少し明るくなったと成隆は思った。


 夕方五時に銭湯開店。いつも時間はまちまちだが、八時か九時には小夜子がやってきて、店番を交代する。成隆が帰ってくるのも同じくらいの時間帯だ。ここでとれる人間で夕飯をとって、夜十一時まで店番とボイラー管理。十一時に店を閉めると、小夜子が売り上げを持って居間にあがってくる。売上げを小夜子と源太が確認している間に、成隆と匠が簡単に風呂場を片付けて、営業終了となる。

 毎日がだいたいこんなサイクルだ。


「じゃ、帰るね」


 帳簿を付け終わった後、皆でちゃぶ台を囲んでテレビを見ながらお茶を飲んでいたが。小夜子が日付が変わる頃に立ち上がる。


「おつかれー」

「じゃあ俺も帰るわ。小夜子、行くぞ」

「待ってよ」


 成隆と源太が予想していたように、匠はなんだかんだと毎日やってきていて(用事等で手伝えない日も必ずこの時間に顔を出してくる)、小夜子と一緒に帰っていく。


「あの二人がつきあっていないのが不思議で仕方がないよ」

「俺も」


 二人が居間から出ていった後、いつも成隆と源太は顔を見合わせて笑い会う。


「ありがとな、成隆。今月久々に赤字出さずにすみそうだ」


 広げたままの帳簿を見ている源太の顔が明るかったのを見て、成隆は胸をなでおろした。この笑顔を見ただけで、がむしゃらにがんばったかいがあったと思った。再会したばかりの源太は、あまりに辛そうで見ていられなかった。


「成隆があれこれアイデア出してくれてさ。匠と小夜子に声をかけてくれて。俺一人じゃ、そろそろばあちゃんを路頭に迷わすとこだった」

「最初に言ったろ? 俺はここの家に救われた分を返したいって」

「なんかさ、成隆って頼もしくなったよな。背だって俺より高いし。おどおどしてた小学生の頃が嘘みたいだ」


 源太の言葉に「オイ」とツッコミを入れる成隆。


「そりゃ、色々苦労したからな。けど、根本的なところは変わってないし、根っこの部分を作ってくれたのは、おばあちゃんと源太だよ? あの時源太が声をかけてくれなかったら、たぶん俺、どこかで自殺してたかもしれないと思う」


 自分で言っておきながら、悪寒がする。人は誰かに必要とされることを知って、生きていけるのだと、心から思う。ものすごく辛いことがあっても、今自分が死んでしまったら間違いなく塚本家の皆が悲しむ、そう思うと自ら命を絶つという行動をとることがためらわれた。

 それに、今はそこに匠や小夜子も加わる。


「覚えておいて。俺は今でも、源太のことが一番大事だから」

「うん?」

「いつでも一番近くにいるし、源太の一番の味方だからね?」


 成隆が言いながら手を伸ばし頬を撫でると、源太が頬を赤く染める。


「おっ、俺の方が!」


 照れ隠しで、負けじと叫ぶ。


「成隆の一番の味方だし、一番好きなのも成隆だからな!」


 まるで子供みたいだ。成隆は思わず吹き出してしまう。子供扱いのようになっていることは気付いていない。


「笑うことないじゃんよぉ!」

「さ、寝ようか?」


 いつまでも笑いが止まらない成隆に、源太は頬を膨らませた。

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