第3話

 ある程度の貯金ができるまで、院長の好意で、成隆は施設から会社に通った。

 贅沢を言わない程度の家に引っ越すならなんとかなりそうな金額が貯まった頃、匠から電話で呼び出された。時々なら電話で近況を報告しあっていたが、会って話すのは再会の日以来だった。

 あの日から数ヶ月、季節は夏の終わりになっていた。


「よっ」


 日が暮れたとはいえまだ暑い。前と同じ駅前のハンバーガーショップで待ち合わせだ。クーラーの効いた店内に入りふぅと息をつく。席に着いていた匠を、幸いすぐに見つけることができた。ただ、成隆を待っていたのは、匠一人だけではなかった。女性がもう一人。

 四人掛けの席に向かい合って座っていた。ハンバーガーを注文し、成隆は匠の隣に座る。


「あれ? 友だち?」

「俺の彼女」


 匠よりもだいぶ小さな身体。ゆるっとした肩までのウェーブの茶色い髪。ふんわりとしたやわらかな空気をまとっていた少女が、匠の言葉に一瞬にして訂正を入れる。


「女友だち、でしょ」

「おいおい、どっちなんだよ」

「あれ? 鮫島くん、私のこと覚えてない?」


 顔を見てもわからなかったが、その言葉で心当たりを口にする。


「もしかして……中野さん?」

「正解! 久しぶりだね」


 そう言って嬉しそうに微笑んだ瞬間、先ほどのやわらかい雰囲気が戻る。どうやら、嫌われているのは匠だけのようだ。正直なところ女性は苦手で、ちょっと緊張していた成隆はほっと胸をなで下ろした。


「あれ? 二人ってつきあってるんじゃなかったの?」

「そう思ってるのは金口だけね」


 あっさりと言われ、匠が肩を落とした。小学生の頃はおとなしい女の子だとばかり思っていた小夜子が、おとなしそうだけれど自分の言いたいことを言えるしっかりした女性になっていて、そのギャップに目眩がしそうだった。ただ、ひとつ、成隆のことを覚えていてくれたことが、ものすごく嬉しかった。確か、小夜子が転入してきた時と成隆が転出した時とは、そんなに離れていなかったはずだ。


「鮫島くん、スーツ似合うよ。もう社会人って感じだね。いつ戻ってきたの?」

「この四月だよ。どうしても……会いたい人がいて。会えるかも知れないって思ったから」


 成隆の言葉に、匠が目を細める。


「小学生の頃に、コイツのことを支えてくれた人なんだって」


 匠の言葉に、小夜子はえっと声を漏らした。小学生の頃、成隆がどんな状況だったのか、知らないわけではなかった。その上で、匠からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。

 ただ、二人がどのような心境でここにいるのかがつかみきれない。それ以上深くは聞けなかった。


「もう会えたの?」

「ううん、まだ。なかなか踏ん切りがつかなくて……」

「なぁ、会った方がいいよな? ここまで来て会わないなんておかしいって」


 匠が小夜子に同意を求める。


「うん……そうだね。わざわざ戻ってくるってことは、鮫島くんにとってのその人って、とても大事なんだろうし。無意識に求めててもおかしくないよね」


 小夜子の言葉に、匠がうんうんと頷いた。


「だろ、俺さ、何回も言ってるんだけどさ、コイツ動かねぇんだよ。でさ、小夜子にも協力してもらおうと思ったわけ」


 その言葉を聞いて、成隆も小夜子も今日の集まりの意図がようやくわかった。


「うん、いいよ。協力する」

「えっ……でも……悪いし」


 遠慮する成隆に、小夜子が成隆の口を押さえた。


「だーめっ。遠慮してるのなら気にしないで? ねっ?」

「そうだよ、鮫島。お前の力になりたいんだよ。ついでに言うと、小夜子から離れろっ」


 匠が強引に、小夜子の手を成隆から離した。匠の視線が痛い。どうやら今の間に嫉妬されていたようだ。


「じゃあ……お願いします」

「おう、まかせとけっ」


 匠も小夜子も、成隆が頷いて、ようやく落ち着いたらしかった。二人ともが同じように腰を浮かせていたのが面白かった。変なところで息がぴったりなんだなぁと、成隆は苦笑した。


「で? その人の名前は? どんな人なの?」


 誰にも話したことがなかった源太のこと。成隆はぽつりぽつりと話し始める。


「……塚本くん、ねぇ」

「隣のクラスにそんなヤツがいたんだな。や、塚本のことは知ってるけどさ、そんなことになってたとは思わなかった」


 が。感想の後、匠の言葉が濁った。


「なぁ、小夜子。あの銭湯の家ってさ……」

「うーん……どうだろ。私も塚本くんと仲が良かった訳じゃないし。私たち二人とも高校違ったから、詳しく事情わかんないし」


 小夜子も困ったように眉をひそめ、成隆の背中に冷や汗が流れた。何か、良くないことが塚本家に起こったとでもいうのだろうか。

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