第2話
よくあるナンパのセリフ。生まれて初めて聞いて、成隆はどうしていいかわからず、フリーズしてしまう。女性からならまだなんとかなったのかもしれないが、信じられないことに、それは男の声であった。
「お兄さん可愛い顔してるしね、もしその気があれば、だけどさ」
相手の顔が怖くて見れない。固まっていると、肩に触られる。
「ぎゃあ!」
「そんな声出さなくってもいいじゃん?」
おそるおそる相手を見る。まだ若い男だった。だいぶ背が伸びた成隆よりも、もっと背が高く、なるほどこれなら成隆のことを可愛いと形容してもおかしくはなかった。彫りが深い、男前の顔立ち。黙っていればまるでモデルのようだ。ナンパの軽いセリフがだいぶ男前度を下げてしまっていてもったいない。
まだ明るい時間にスーツではないところを見ると、学生だろうか。その面影が、どこかで見たことがあるような気がして、至近距離でまじまじと観察する。
……さめしまくんのいいところは、ひとつもありません。
ふいに脳裏に声が蘇った。
そして、手が震えた。そうだ、金口匠。あの頃よりも少し痩せてシャープな感じになっているが、間違いないだろう。
「ごめん、怖かった?」
急に黙った成隆のことを気遣うようにのぞき込んだ。
「す、すみません」
逃げるべきだろうか。成隆が悩んでいると。
「んん? あれ? もしかして…………鮫島?」
相手も成隆に気付いたようだ。
弾かれるように、成隆の身体が動いた。が、逃げようと走るよりも、匠の方が少し早かった。がしと肩を固められて、逃亡に失敗する。
「やっぱり、鮫島だ?」
「う……」
なんということだろうか。小学生の頃の消したい記憶が、次々と溢れてきて。成隆の歯の奥ががちがちと鳴った。
が。
「逃げるなよ、弁解もさせてくれないわけ?」
退路を断たれ、あろうことか、駅前のハンバーガーショップに連れ込まれた。そこで匠の口から告げられた言葉は、意外なものだった。
「本当に、ごめん。っても、こんな言葉じゃ全然足りないだろうけど。許してほしい」
そう言って深々と頭を下げた匠に、最初は呆気にとられていた成隆だったが。
「……いや、もういいよ」
上辺だけでないことがわかる、真っ直ぐな視線を感じ取り、彼を許す言葉が自然と口をついて出た。
「俺さ、高校の頃、いじめられてさ。急に鮫島のことを思い出したんだ。あの頃、俺、鮫島んちのことを理解しないまま心ないことをガンガン言ったろ? 同じ立場になってみて、初めて反省したよ。ホントはそんなんじゃダメなんだろうけど、人間、悲しいかな、体験してみなきゃつらさとかわかんないんだよな」
匠は家から少し遠い高校に入った。入学後、野球部に入部したが、体格差のせいか周囲よりも結果がなかなか残せず、チームメイトから嫌がらせを受けたらしい。
「小学校でさ、同じクラスに、中野小夜子っていたろ。同じ中学から同じ高校に入ったのあいつだけでさ。よく励ましてくれたっけ。俺はあいつがいたからなんとかやっていけてたけどさ、お前はいつも一人でいたしさ、転校した後、うまくやってけたかなぁって思ってたんだ」
「……うん、なんとかやってたよ」
「よかったぁ~!」
まだぎこちなかったが成隆が答えると、匠が笑顔を見せて。その光景がなんだか不思議に思えた。あんなに毎日いじめられていたのに。こんな風に笑いあえる日がくるなんて果たしてあの頃の自分が想像できただろうか。
「このへんの会社に入ったんだ?」
「うん、すぐそこだよ。金口は?」
「大学生。法学部の一年だよ。警察か、弁護士になろうと思ってさ」
「へぇ……! すごいな!」
「っても、今からがんばるんだけどな」
匠が言って笑った。
「でも……なんであんなところでナンパなんかしてたんだよ。しかも男相手に」
「うっ……それを言ってくれるな」
匠の顔が急に曇った。
「実はな、彼女に距離を置こうと言われてな……」
「えっ、金口、つきあってるヤツいるの?」
「そりゃあ、彼女の一人や二人……いや、二人はいないな。とにかくたった一人の彼女と喧嘩をしてだな、距離を置こうと……」
成隆には彼女はいなかった。それどころか、好きになった女の子もいない。急に色恋沙汰の話になり、頬を赤らめる。
「で、頭に血が上ってな、それならいっそのこと男とつきあってやろうと思ってな、可愛い男に声をかけたらな、それがお前だったと……」
「俺、そんなに可愛いかなぁ。結構身長伸びたんだけど」
「世間一般の基準から言えばそうだろうがな、いかんせん高校の時の周りがでかいしごついし、俺の中ではお前くらいのはまだ可愛い部類なんだよ。
でも、まあ、声をかけたのがお前で助かったよ。今冷静に考えてみれば、何かあった後でそいつや彼女ともめるのも、それはそれで申し訳ないしな」
匠の言葉は本当に真剣な音色で。変わったな、と成隆は思った。
ひとしきり近況を報告しあった後、完全に日が暮れて。今日は一旦お開きとなった。
「また会おうぜ、鮫島」
帰りがけ、匠がそう言ったのが、成隆はとても嬉しかった。じんわりと、わだかまりと一緒に心の奥底に溶けてゆくようだった。都湯で、源太の祖母から聞いた言葉以来の、嬉しさだった。
携帯電話の番号を交換して、その日は分かれた。
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