No.22「千葉美代」

 茜は、髪を隠していた手拭いを取り、男の前に座った。


 ——して、さきほど、そのほうは、柳生宗矩やぎゅうむねのり殿の娘ごと申したが、それは誠か?

 ——はい、嘘偽りございません。おそらく、信じてはもらえぬでしょうが……

 ——うむ。拙者はこの道場主の千葉定吉と申すものでござるが……

 ——父、宗矩が死んで、二百年以上の時が経っておりますのですね?

 ——そ、そうじゃ、柳生家はいまだ、大和に領地を拝領し存続はしておるが、いまは大名家ではない。

 ——それも、存じあげております。


 茜は、何から説明していいのか困り果てたが、取り敢えずは相手を殊更刺激しないように言葉を選んだ。


 ——確かに今は、安政年間、徳川家も、家茂公の御代となっておる。

 ——左様ですか。家茂公、、、確か、十四代目の将軍家、、、

 ——そのほうは、なぜに、それを知っておるのだ?

 ——この安政年間から、おおよそ百五十年後の、この日本国におりましたゆえ……


 茜は、自分が言っていることは正しいことなのか、それすらも分からなくなってきて、定吉とまともに目を合わせられなくなっていた。


——やはり、そうか……

——えっ?

——いや、そのほうが申すこと、初めて聞いたなら誰もそんな話を信じないであろうし、うつけ者か、世を誑かす悪党か……そんな扱いを受けても仕方あるまい

——と、申されますと……?


——そのほうが、探しておるという女人、いまは此処に住み込みで働いておる。その女人も、この道場の前で行き倒れになっていたのを、儂が助けことの次第を訊ねたところ、そのほうと同じく、平成とかいう先の世からやって来たと言うではないか……

——なんとっ! ご内儀が、まさにこちらに、おわすと?

——ご内儀、とな?

——はい、私は、その平成の世で、そのご内儀のご亭主様に雇われ働いておりましたるもの……、ご亭主はずっとご内儀を探し続けておられるのです。

——左様か……、それで、そのほうはどうやって、ここに来たのだ

——それは…… いまだに、よく分からぬのです。それに、ゆえあって、申せぬこともございまして……

——うむぅ……、まっ、よかろう。詳しいことはまた、追ってということにしよう。そのご内儀に会ってみるか? こちらでは美代と名乗っておるが、相違ないかな?

——はい、先の世では千葉美代、という名前にございます。

——よし、わかった。しばし、ここでお待ちあれ



 茜は、胸が踊った。キャップの奥方に会えるのだ——。

なんとあっても連れて帰らねばと、胸の中で固く誓った。


やや、あって、定吉は美代を連れて座敷に戻ってきた。

茜は、美代のことは写真でしか知らないが、そこに立っていたのは、まさに千葉美代に相違なかった。


——はじめまして、千葉美代です

——柳生 茜と申します。キャップ、いやご主人様の元で働く「公安警察官」です。


 茜は、言ってしまってから、しまった——と、思った。過去の世で未来のことは必要以上に語ってはならないと、教え込まれていたのだ。


——公安の…… 主人は、主人は生きてますのね?

——ええ、ずっと奥様のことを探されています。私たち部下もそのお手伝いをしております

——ああ、よかったー、あの人は無事だったのね……


 美代が涙するのを見て、茜も感涙した———。

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