スタンプ
スタンプ【名】
①印章。とくにゴム印のこと。
②切手。印紙。
③メッセンジャーアプリで使用される、イラストのこと。
スマホの画面に、手を合わせて平謝りするクマのイラストが躍る。たったいま職場の上司へ欠勤の連絡をしたところだ。今日は朝から熱があり、頭痛もした。職場に咳をしきりにしていた奴がいたから、たぶんそいつから風邪をもらったのだろう。
スタンプを送った直後、上司から返信が来た。親指を立てているウサギのスタンプだ。偶々向こうもスマホを見ていたのだろう。とりあえずこれで、今日はゆっくりと寝ていられる。私は寝返りをうって、別の人との会話の履歴を確認していった。さっき目が覚めたばかりで眠たくない。スマホを適当にいじっていればすぐに眠たくなるだろう。
私は上から順にトークをタップして、内容を確かめていった。今はみんながほとんどのやり取りをメッセンジャーアプリで済ませる。大量のメッセージが日々やり取りされているから、流れで大切な約束や話を漏らしている可能性もあった。
一番上にあるのは職場の同僚のものか……大量の書類を背景にイヌが土下座しているスタンプ。これは昨晩彼が私に残業の手伝いを頼んできたものだ。ちょうどこのスタンプが届いたときに私が出先から戻ったから、返事は口頭で伝えたのだった。
二番目は……大学時代からの友人とのやり取り。Sundayと丸っこい文字で書かれたスタンプのすぐ後に、映画館のイラストのスタンプが送られてきている。来週の日曜日に映画を見ようという約束をしているのだった。会話は私の、両腕で大きく丸を描いているクマのスタンプで終わっている。私はカレンダーを立ち上げると、映画の予定をメモしておいた。
それにしても、私が使っているメッセンジャーアプリが導入しているスタンプは便利な仕組みだ。適当に文脈にあうイラスト選んで送るだけで、意思疎通が簡単に取れるのだ。私もアプリを使い始めた頃はいちいち文字を入力していが、いまではスタンプでしか会話はしていない。私以外の人々もみんなそうなっていた。
私はメッセンジャーアプリに戻って、履歴の確認を続ける。三番目は彼女だった。彼女とは最近あまりうまくいっていない。お互いの休日が噛み合わないこともあって、すれ違いが続いているのだ。
彼女との会話は、私が怒り狂うクマのスタンプを送り付けたところで終わっていた。既読無視だ。彼女の浮気の疑惑を問いただしている時に、会話を一方的に打ち切られてしまっていた。私はもう一度同じスタンプを送って、彼女の反応を待った。
五分くらい経って、彼女から返信が来た。顔の前で人差し指を立てる、ネコのスタンプ。うるさいってことか。自分が疑われているのにその態度は何だ! 私はカッとなってもう一度同じスタンプを送ろうとしたが、違和感があっていったん止めた。この可愛らしいクマのイラストでは少々ニュアンスが軽いのではないだろうか。私はこのスタンプでは表現できないくらい怒りを覚えている。
私はスマホを操作してスタンプ一覧を呼びだすと、その中から自分の気持ちにピッタリと当てはまっているものを探した。長いリストの後ろの方へ下がっていくと、クマが割れたハートを抱えて泣いているスタンプがあった。別れよう。このスタンプは自分の気持ちにあっているかもしれない。
しかし、ちょっと待てよと私はまた考えた。やはりこのスタンプでは軽すぎる。もっと私の思いは重苦しく、煮えたぎっている。こんな可愛らしいスタンプでは曲解されるのがオチだ。
そこで私は、スタンプショップを立ち上げて新しいスタンプを探すことにした。アプリで使うことのできるスタンプは最初から使えるものもあるが、新たに課金して購入することもできる。漫画やアニメのキャラクターもののスタンプも多いが、伝えられるメッセージを増やすことのできるスタンプも人気だ。
ショップにあるスタンプは数が膨大なので、私は「失恋」だとか「怒り」といったキーワードで検索をかけて探していった。
数分して、「怒りを伝えるスタンプ集」なるものを発見した。そのスタンプは、伝えられるメッセージこそ今まで使ってきたものと大差なかったが、それよりも絵柄がもっと無機質だった。可愛らしい修飾がなくストレートにメッセージを伝えられるだろう。ピッタリというわけでもないが、これが一番近いと思われた。私は購入と書かれた枠をタップし、二百円払ってスタンプを買った。
会話に戻って、買ったばかりのスタンプを彼女に送る。無機質なハートが真っ二つになっているスタンプだ。
直後、彼女から返信が来た。クマに包丁が突き立てられているスタンプだ。そんなものがあったのか。向こうも相当怒っているようだが、それはこっちのセリフだ。彼女は自業自得だろうが、こちらはそうではない。向こうの減らず口には心底呆れる。
怒りに油を注がれた私は、返信のためのスタンプを探す。しかしさっきの感情に見合うスタンプが既になかったのに、それ以上の怒りを表現するためのスタンプがあるはずもなかった。私はもう一度ショップを立ち上げてスタンプを探しにかかる。
爆弾が爆発しているスタンプはどうだろう。いや、これは私の気持ちに対してコミカルすぎるか。ではクマが睨み付けているスタンプは。これでは甘すぎるのではないか? キレ芸が有名な芸人のスタンプもあるが……だめだ。ふざけているようにしか思えない。机を拳で叩きつけるようなイラストのスタンプもある。しかしこれではシンプルすぎる気がする。これを大量に送り付けるというのはどうだろう。しかしそれはあまりにも幼稚な反応だし……。
ああ、私の気持ちにそぐうスタンプはどこにあるのだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます