密着取材

「お疲れ様です西田プロデューサー」

「おお、お疲れ」

 私が鼻歌交じりに帰り支度を整えていると、アシスタントの1人が話しかけてきた。

「ご機嫌ですね。なにかいいことでも?」

「ああ、この前のニュースの密着取材。あれの視聴率が良かったんだよ」

「密着? あの女優の婚約者を追いかけたやつですか?」

 私の仕事はTV局のプロデューサー。担当は主に昼のワイドショーだ。上から視聴率視聴率と壊れたレコーダーのようにがなり立てられるのは気分が悪いが、それでも自分の企画が高視聴率を記録すると嬉しいものだ。局の廊下に並ぶ視聴率を印字した張り紙は、いわば私の勲章になっている。

「でもあれ、苦情も来てたらしいですけどね。やりすぎだって」

「馬鹿の言うことなんざほっときゃいいんだよ。あいつらは視聴率が悪くても給料は減らないだろうけど、こっちはそうじゃないんだから」

 それに、視聴率が高いということは結局みんなが望んでいるということだ。この手の取材には苦情が常に来るものだが、クレーマーは暇人か正義気取りと相場が決まっている。

「ファックスも来てましたよ。取材の相手から、プライバシーの侵害だって」

「有名税だ有名税。いい思いしてるんだからいいだろうちょっとくらい……ところでどうだ? このあと1杯」

「すいません。明日早いんですよ……千葉でイベントの取材ですよ」

「そうか、じゃあ早く帰らないとだな。頑張れ」


 仕事終わりの1杯を交わす相手のいなくなった私は、今日はそのまま帰ることにした。1人で飲んでもつまらない。こういうときは早く寝るに限る。そういうわけで1人暮らしのマンションに帰り、すぐに布団に入った。

 翌朝。いつものように布団を出て顔を洗う。歯を磨き髭を剃り、適当な菓子パンを朝食に齧ってマンションの部屋を出た。

「……なんか騒々しいな」

 部屋を出ると、外から騒がしい人声が聞こえてきた。私のいる3階から外を見下ろすと、マンションの入り口に大勢のマスコミが張り付いている。このマンションで何かがあったのか? 有名人でも住んでいただろうか? どちらにせよ朝早くからご苦労様なことだ。

 そんな疑問を抱きつつ、私は階段で下の階へ降りる。このマンションには出入口が1か所しかないので、マスコミの前を通り抜ける必要があった。けれど、自分の経験から関係のない一般人は大抵無視することを知っていたので、特段警戒することもなく私は出入口から外へ出た。

「あっ、来ました! 今マンションから出てきました!」

「これから職場に向かうようです!」

「すいません! 何かコメントを!」

「……はぁ?」

 私が外へ出た途端、落っこちた飴玉へ群がる蟻のようにマスコミが私に群がってきた。マイクを手にし、口々に勝手なことを言っては私を取り囲む。突然の出来事に私は人生で1番間抜けな声を出してしまう。

「それは……私に言ってるのか?」

「何かコメントを!」

 疑問を口にする私に、マスコミはバカの1つ覚えのようにコメントを求めてくる。何に対してのコメントだ!? 私には当然、これだけの人だかりに群がられる心当たりがなかった。まるで皇族の誰かと結婚するかのような騒ぎだ。

「どいてください。話すことはない!」

 私は大声でマスコミを怒鳴りつけ、道を開けさせる。ともかく、そろそろ局にいかないと仕事に遅れてしまう。私は人だかりを力づくで突破すると、何とか自分の車にたどり着いた。


「いや、災難だった……何だったんだあれは」

 私は車を走らせ、バックミラーに映る黒い塊を一瞥した。全く……理由はわからないが他に取材する対象ならいくらでもあるだろうに……。

「速報です。先程、疑惑の渦中にある西田正二氏が自宅を出て、職場である富士山テレビへ向かったようです。報道陣の質問にはコメントしませんでした」

「なんだと?」

 車のラジオから自分の名前が飛び出し、私は驚きのあまりハンドルをあらぬ方向へ切りそうになった。汗ばむ手でハンドルを握り直す。疑惑とは一体なんだ? 私が一体何をした? 疑問は膨らむ一方だったが、ラジオは私に明確な答えを示さないままだった。

 しかし、はっきり言って異常だ。私人を家から付け回すなんてどうかしてる。

 私は職場にもマスコミが押し寄せているのではないかと不安になった。そしてその不安は的中した。家ほどではないがマスコミが局の入り口に待機しており、私はそこを通り抜けるのに普段の10倍の時間を要した。マスコミは家にいたのと同じ口調で「コメントを!」と絶叫するだけだった。

「全く……何が起きてるんだ……」

 私は這う這うの体でオフィスにたどり着き、ぐったりと椅子に体をもたれさせた。安っぽい事務椅子が悲鳴を上げて私の体を受け止める。そこに、アシスタントの1人が話しかけてきた。

「いやぁ、大変ですねプロデューサー」

「一体何なんだ。何か知ってるのか?」

 どこか他人事な口調にいら立ちつつ、私は答えを求めた。するとアシスタントは無言でオフィスのテレビを指さした。そこには丁度、私の勤める局で流している朝の情報番組が流れている。

「……ということなんですけど、どうでしょうか。この西田氏のマスコミに対する態度というのは」

「マスコミを避けるようにしてますよね。やっぱりなんというか、やましいところがあるんでしょう。もし潔白なら堂々と我々に説明すればいいわけで……」

「馬鹿らしい!」

 テレビでは、司会のアナウンサーがコメンテーターに意見を求めていた。コメンテーターは私の行動にいちいちもっともらしい解釈をつけていく。しかしその解釈が間違いであることは、私自身がよく知っていた。

「なんなんだこいつは! 今すぐ番組を降ろせ! 大体誰だこんないい加減な奴を使い出したのは」

「プロデューサーですよ。それっぽいこと言うからって」

「嘘だ! いやどうでもいい! とにかく降板だ! ……だいたいお前らな、私人をつけまわしてそれが本当にマスコミのやることだと思ってるのか? おかしいんじゃないのか? それっぽい映像を撮ってそれっぽい解釈を喋らせて、それが本当に国民の知る権利を保障すると思ってるのか? こうしてる間にも国会じゃいい加減な審議がまかり通ってるし、事件は起こってる! それをこんなくだらない報道に費やして……恥ずかしくないのか?」


「でも……」

 私の叱責を聞いて、アシスタントが口を開いた。

「視聴率はいいんですよね」

 彼の指さす先には、この番組の高視聴率を祝う張り紙が貼ってあった。その隣の張り紙は私が企画した密着取材番組の高視聴率を称えるものだった。

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